8話
「カフェモカと、エスプレッソ。それとチョコサンドお二つです」
ウェイトレスのお姉さんに頼んだ物を置かれて一瞥する。
「おい、スマホばっか弄んなよ」
「えぇー、だって美樹と今度の休日の予定話し合ってんの」
俺はそう言いながら自分のスマホの画面を見つめる。蕾からの連絡が届いている。
『犬養の会社、表向きはペット用の食品開発とかを行っている産業会社になっているけれど、ちょっと怪しい匂いがしててね。烏丸さんに相談したら、調べるように頼まれたの』
烏丸さんとは蕾の上司である。
この女の伸びきって全然制御できていない手綱を握っている男である。
『犬養さんについて調べてって頼まれた時に、この会社が浮上したんよ』
「さっきの猫ちゃん可愛かったねぇ」
蕾は携帯を弄りながら話しかけてくる。
「あぁ、そうだな」
「若くんはさぁ? 将来的に犬と猫どっちが買いたい?」
「そうだなぁ。俺は犬派かねぇ」
「犬の散歩って大変じゃん。色んなところ歩かないといけないし」
『そしたらあの犬養さん。やけに営業として外に出すぎやし、そもそも猫に襲われたのも狭い路地やってん。わざわざそこに行く?』
「まぁ、犬は歩きまわりたいからなぁ。でも、犬連れていかないと普段歩かないだろぉってところに行くのは結構いいよ」
「そういうものかねぇ」
蕾はそう言いながらチョコサンドを食べる。
「んっ。美味しい」
「まぁ、俺達がペットを飼うにはもうちょっと後だけどなぁ」
視線を携帯に移す。
『最近。新しい薬物が出回っているの』
『他にも色々気になる点は多いから、今回はちょっと探り入れたかったんだけど』
蕾はチョコサンドを飲み込んでエスプレッソを飲む。
「ふぅー、ねえ若くん」
「何?」
「前から言おうと思っていたんだけど、チョコレート食べながらカフェモカ飲むのどうなの?」
「えっ、おかしい?」
「いや、チョコインチョコじゃん。クール気取りたいわりにその辺お子様だよねぇ」
「いいだろ別に」
「懐かしいなぁ。家村さんに笑われてたでしょココアとチョコクロワッサンを昼食に食べてた時。すっごい甘党だよね」
「違う。チョコレート愛好家なんだ」
俺はカフェモカを優雅に楽しむ。決してブラックが飲めないわけではない。わけではない。
その後はくだらない話をした。本当にくだらない。彼氏彼女であると言うふりを続けながらも、この一年彼女との間にあったことなどを離して互いに笑い合った。
喫茶店を出て、電車で自分たちの町へと戻る。
森崎さんと出会った公園のベンチに座ると、蕾は自販機まで歩いて俺の分も緑茶を買ってきた。
「はい。ココアシガレットのお礼」
「あの喫茶店であそこまで話す必要あったのか?」
「ほら、もしつけられていたら怖いし、あそこで盗聴されていた可能性もあるし、私たちは完全に白で、これ以上深追いするのは無駄だって思わせないといけない」
「この公園で話しているのも大丈夫なのか?」
「歩いて帰れる距離の場所にわざわざ電車乗って、カモフラして帰ったのよ? 大丈夫やろ」
蕾から受け取った緑茶をがぶがぶと飲む。
正直、緊張しまくってしまった。蕾は流石訓練を受けているだけあって慣れた様子であった。
「落ち着いたら帰ろうか。その前に家村さんのところに寄らないと」
蕾も隣に座って緑茶をガバガバと飲んだ後、ベンチに身体を預けてふぅーっと大きく溜息を吐く。
「……怖かったね」
「流石だな。慣れた様子だったのに」
「ううん。全然。烏丸さん度胸つけさせたかったんでしょうね」
蕾は疲れからか、身体をこちらに預けてきた。肩に彼女の頭が乗っかっている。
もうカップルごっこは終わっているぞ。と指摘したかったが、彼女も疲れた様子だし、ここでまた突き放せば女慣れしていないとバカにされそうなので、そっとしておいた。
――それが間違いだったのだ。
「若林……さん?」
俺は目を丸くした。何もまずいことはない。はずである。
目の前には森崎さんが驚いた様子でこちらを見ていた。
「ん? 何、若ちゃん」
目を閉じて眠っていた蕾が目を開けて森崎と目があった。蕾はきょとんとした目で目の前のハーフJKと俺を交互に見ている。その後、何かを察して笑みを浮かべる
「あ、あの……お、お邪魔致しました」
森崎さんは申し訳なさそうに去ろうとしたが、これから僕らが向かう場所も、彼女が逃げる先なのだ。僕は慌てて二人に弁明した。
嫌、弁明することは何一つないはずなのだけれど。
「うぁー」
森崎についてきていた猫が俺を嘲笑うように鳴いた。
「というわけで、こちら若林くんが連れ込んだ女子高生件我が事務所の新たなアルバイト森崎メアリさんだ」
「よろしくお願いします」
「いや、連れ込んだわけじゃないですよ」
「へぇーこの娘が。可愛いねぇ」
「あ、ありがとうございます」
茶碗を俺達三人分出した森崎さんはトレイをもってそのまま厨房へと戻っていく。
「さて、本題に入ろう。どうしてうちの若いのを連れていったのか。その収穫を聞かせてもらおうか?」
「んー、これ話しちゃうと家村さんの仕事増えちゃうけれどええの?」
「大丈夫だよ。森崎さんのおかげで一歩進んで二歩下がるって状態から前進できる程度には回復してゆくだろうからね」
トレイを厨房に直した森崎さんは今回もついてきた猫たちを可愛がっている。これも依頼人が引き取りに来るのを待っている状態である。
森崎さんはまるで猫専用掃除機と言った具合に外に出ればすぐに猫ちゃんを数匹連れてくる。その中にいる野良ネコは逃がして、依頼の猫がいれば預かっておればよい。彼女に挨拶周りをさせていたのはそれもある。と家村さんは誇らしげに鼻を高くした。
「じゃあ、言いますけれど。家村さんが頼んできた犬養って人。もしかしたら探偵の手に負えないかもしれません」
「ほぉ、それはどうしてだい?」
「……犬養さん。怪しい動きが多くてですね。調べてみて、あるジャンルの人間と共通項が一致しまして。蝶野さんに相談したら小突いてみろってんで、若ちゃんを借りたんです」
「小突いたって言うのは?」
「彼の会社近くをうろついただけですよ。何も知らないカップルのふりして」
家村さんの目の色が変わった。
「それで? 結果はどうだったの?」
「……たぶん。黒ですね。確か会社名は」
「株式会社ペットファームです。ビルに書いていたのを見ました」
「流石だね。若林君。確かに犬養さんの勤務先はそこで間違いないよ」
俺を軽く褒めた後、家村さんは困ったように顎に手を当てて沈黙する。
「確かに、これは僕と若林くんには荷が重いみたいだね」
「すみません。使わせてしまい」
「ちなみに若林君のどう思ったんだい?」
「以前、家村さんが教えていただいた『黒』の連中の特徴を持った男に声をかけられましたよ。きっと僕らを警戒したが故でしょう」
「そうか。まぁ、反社会勢力が僕らを頼ることは決してゼロじゃない。そこに対して、僕は依頼人を守るよ。すまないね。蕾ちゃん」
「はい。それに会社が隠れ蓑になっているだけで、犬養さんが実際にそうなのかはわからないので、私も無理やり捜査に乗り出しませんよ」
「その件なのですが、家村さん」
俺は少しの緊張で茶碗のお茶を飲み干して家村さんに話題を切り出した。
「その本社ビルの近くなのですが――依頼人の猫がいました」
「……拾ってきたのかい?」
「いいえ。男から逃げている時だったので」
「写真ならここに」
蕾が猫を撮ったふりして会社に入っていった男の写真を収めたものであった。
「この猫、明らかにこの男を追っていました。しかも、男もこの猫に追われているのを理解している様子で、コソコソと会社に入っていきました」
「この猫ちゃんは」
「二丁目の高橋さんところの猫です。ただの散歩ではここまで動くはずがありません」
「あらら、どうやらこの『黒』は僕らの領分に踏み込んできてしまったと」
「はい。この猫の『失踪事件』と蕾たち刑事が追っている『事件』は関わっているってことです」
「猫に追われているのもわかっている男がこそこそと入ってゆく会社ねぇ。それに猫に襲われたそこの従業員。辺りには明らかに『黒』の男の姿。んー、これは面倒だね。ちなみに蕾ちゃんたち刑事が追っている事件っていうのは?」
「……新型の薬物ですよ」
「これはこれは、大変なことになったねぇ。よし! ご飯だ、ご飯! 蕾ちゃんも食べていきなよ。今日は石狩鍋をするつもりだったんだよ」
「作るの俺ですけどね」
俺は立ち上がり厨房に入る。厨房ではしゃがみこんでいた森崎さんが「しまったっ!?」と言ったような顔で驚いてこちらを見ていた。
「あ、あの! 聞くつもりはなかったんですけど……」
「あぁー。ごめん。聞こえてたか。他言無用で」
「は、はい」
森崎さんは想像以上に探偵らしく神妙な様子で話す僕らに戸惑っていた様子だった。
「あ、あの」
「何?」
森崎さんはそのまま戻りづらいのか、俺の料理を手伝ってくれている。鮭の下処理をしていると話しかけてくる。
「宇都宮さんとは、本当にカップルのふりなんですか?」
「何、急に」
「いえ、公園で見た時、すごくお似合いだったので」
「だったら蕾の演技が上手いんだよ」
「そうですか……」
そこから森崎さんは何も言わなかった。
二人して無言で調理を進めて行く。
「若ちゃーん! ビール貰って――、あらメアリちゃん手伝っていたの? これじゃああたしの女子力が」
「元々そんなもの欲していないだろ」
「失礼な」
蕾はそう言いながらも冷蔵庫を勝手に開けてビールを二本取っていく。家村さんの分だろう。
「未成年もいるってのに平気で飲みやがって」
「本当に仲が良いのですね。若林さんと蕾さん。なんか私や家村さんに対してのことと少し違う」
「まぁ、同年代だし。よし、後はちゃちゃっと煮込むだけだから、森崎さんもあっち行っておいて。そろそろ依頼人も来るかもしれないし、酔った人に対応させるわけには行かないから」
「はい。わかりました」
森崎さんは手を洗ってエプロンを外して家村さんの方へと向かっていった。
賑やかにご飯を待つみんなの声を待ちながら調理をしている時間はなんとも落ち着く。
「よし、今のうちに洗い物も済ませとくか」
今日、あの男に出会った時に感じたもやもやも、これから大きな事件にかかわるかもしれないという期待と不安も、全てを落ち着かせるために俺は丁寧にゆっくりと洗い落としてゆく。