7話
蕾と二人で歩く。口寂しくなった俺はココアシガレットを咥える。
「おっ、いいね。うちにも頂戴」
「あいよ」
蕾はココアシガレットを受け取ってそれをガリっと噛み砕く。風情もへったくれもない。
「んで? どこ行くんだよ」
「犬養がよく行く場所をいくつか。でも一番の目当ては彼の会社」
「なんでだよ」
「……ちょっとね」
蕾が言葉を濁す。こういうときは公共で言うには憚られる証拠である。俺も一度咳払いをする。
「家村さんとの方がよかったんじゃないのか?」
「んー? 同年代の頭わるーいカップルに見えたほうがいいでしょう?」
わざとらしく上目遣いで見てくる蕾に俺は目をそらす。
その後彼女は多目的トイレで可愛らしい衣装に着替える。
「こういうのマナー悪いんじゃないのか?」
「私がルールだ」
「公務員が言うと説得力が違うなぁ」
「まぁ、普段からしているわけじゃないわよ」
ひらひらとしたスカートを摘まんでひらりひらりとスカートを揺らして遊ぶ。
「どうせ可愛いとか思っていたんでしょう」
「はいはい」
「もうちょっと照れてくれてもいいんじゃないの? 私ってそんな色気ないかなぁ」
実際に気にしているのか、彼女は自身の恰好を見ている。
「さて、バカなカップルのふりして、犬養の会社近くに行こっか」
「まあまあ」
蕾は俺の腕にしがみついて、引っ張りこむ。
「女ひとりでうろうろしているのも危ないし、家村さんとだったら明らかに売春っぽくて警官の私が警官に職質されちゃうでしょう? でも、若ちゃんなら同年代だし、バカップル装って散歩デートしている風を装える」
まだ犬養さんの会社まで距離もあるのに腕を組む必要はないのだが、役得ではあるので突っ込むのをやめた。意識しているみたいにちょっかいをかけられても仕方がない。
「さて、この辺ね」
遠くに大きなビルが見える。あれが犬養の自社ビルであるとわかる。
「じゃ。ここの搬入口辺りかな」
蕾は俺を引っ張って移動する。ビル沿いを歩き回る。
「そういえば若くんさぁ」
「若くん!?」
「うん。どうしたの?」
すぐに理解した。蕾は『彼女』のふりをしているのだ。しかし、あまりに突然だったので俺は素で驚いていた。腕にしがみついていた肘で肋骨辺りを軽く小突かれる。
――もう少しうまくやれ。
と言いたげにこちらを睨んでくる。俺は何度も頷いて謝罪の意図を示す。
「この辺ビルしかないねぇ」
「あぁ、完全に迷ったな」
「私ちょっと足疲れちゃった」
「どっか喫茶店でもあればいいんだけどなぁ」
二人で何気ない会話をしながらも蕾の目は真剣そのもので、辺りの人や物をしっかりと観察している。こういう点を見ると、彼女も若手とはいえ刑事であると実感する。
「あっ、若くん見て! 猫だよ猫ー!」
蕾のしがみついている腕の力が強くなる。これは彼女の目的のものであると言う証明だった。
猫を見つめる。猫はそわそわとした動きをしながら一人の男を追いかけていた。男は猫に追われているのをわかっているからか、そそくさと逃げるように早歩きで件のビルへと逃げていった。
「この辺は猫ちゃんあんまり住んでる地域やなかったんやけどなぁ。珍しいー」
蕾は猫なで声を出しながら猫を写メで撮る。もちろん会社へと逃げていった男も一緒に撮っている。
「君たち、どしたんだい?」
後ろから突然声をかけられる。俺は思わず怯えて肩が跳ねる。
「カップルで来るようなところではないでしょう。もしかして迷ってるのでは?」
とても大きな男の人だった。ガタイも大きい。スーツを着熟しているが、彼から放たれる圧が俺を震えさせる。蕾を自分の背に移動させる。
「そうなんですよー。何気なく歩いていたらこの辺来ちゃって、完全なビジネスビルに囲まれててカフェとかない感じですよね?」
「えぇ。残念ながら。社内カフェなどはあるのですが、お嬢さんが使用できるようなところはないですね。よろしければ私がよくお昼に利用する喫茶店をお教えしましょう。ここから十分ほどかかりますが、サンドイッチが美味しいですよ」
「どうやって行くんですかぁ?」
言葉が出てこない状態でいる俺とは違って、蕾は友好的に目の前の男と話している。目の前の男はこの辺りの会社の社員なのだろうか。だとすれば部長か。いや、社長もあるかもしれない。それほどのプレッシャーを感じる。
違う。自分を誤魔化すな。探偵なら、自分が抱いた第一印象を大事にしろ。そこから証拠と謎をしっかりと追及してこその――
「若くーん! 聞いてる?」
「えっ。あっ。悪い。ぼーっとしていた」
「彼氏さんもお疲れのようですね」
「ねえねえ! 教えてもらった喫茶店いこ!」
「あっ、あぁ」
その後蕾は男に会釈をしてから、俺を引っ張る。俺も彼女に従って男に背を向けた。
「さっき聞いた喫茶店ね? チョコレートにこだわってるらしくてチョコサンドとか、カフェモカがすっごく美味しいんだって」
「へぇ、じゃあ俺はカフェモカでも飲もうかな」
蕾の方を見る。『彼女』のふりを緩めることはない。しかし、あの男と会う前までの楽しそうな感じの雰囲気は感じなかった。徹している。俺と自分が本当に付き合っている男女であると見せつけるように。
俺は蕾の頭をそっと撫でる。
「ちょっと、恥ずかしいじゃん」
「いいだろ。見てるやつなんかいないんだし」
「もう」
恥ずかしがる演技も上手い蕾に感心しながら、俺たちは男に教わった喫茶店へと向かった
(……あれ? さっきの猫ちゃん。もしかして)
俺は先ほど蕾が写真を撮った猫に見覚えがあったが、まだはっきり思い出せずに蕾に引っ張られてゆく。
蕾の焦りと、先ほどの男の冷静な立ち振る舞い。しかし、滲み出る威圧感。家村さんに入社してすぐに言われた言葉を思い出す。
『いいかい、僕らの仕事は基本町の便利屋さ。しかし、たまに面倒なことが起きる。普通の人なのにやけに冷静だったり、威圧感が滲み出ている人がいる。普通の人は気づかないけど、僕らは何となく察することは出来る。そこから疑って調べるんだけど、もし別の事件を携わっている時にその雰囲気の者と接してしまったらあまり深追いしちゃあダメだよ。特に君はまだ新人なんだから』
あの時に家村さんが教えてくれた感覚。それが今襲われている感覚そのものだ。
自分の勘が正しいのならば、先ほどの男は――。
生真面目な社会人としての姿に身を包んでいる裏家業の人間と思われた――。
もし、そうであるならば。町から猫が消えてゆくこの奇怪で可愛らしい事件は、大きな何かを孕んでいることとなり、俺はその可能性を想像して下唇をぐっとかみしめた。