6話
探偵には欠かせない存在がいる。それが『刑事』である。警察組織に属し、探偵から知恵を借り、悪である犯人を捕らえる。いくら探偵が優秀でも、犯人を捕らえるのは警察の仕事だ。かくいう俺も、探偵か警察か。学生時代は何度も何度も悩んだものであった。
探偵が奇妙奇天烈に事件を解決するなら、刑事は質実剛健。正義感と身体を張った追跡で犯人を捕らえる。探偵がクールなら、刑事はパッション。熱い男もまた憧れを抱く者である――。
「それでさ。家村さーん、何か掴んでないの? あっ、若ちゃーん。あたし紅茶がいいー」
犬養さんの捜査を本格始動しようとしていた日の朝。朝食を済ませて、さぁ。捜査だ。というタイミングでやってきた来客は来客用のソファーに大股広げてどっさりと座っている。
「今さぁ、この町の猫ちゃん失踪事件に調べているんだけどさぁ。どうなの? 進捗は?」
女性は利き手である右手でペンをくるくると回して、テーブルに手帳を広げて、対面側に座っている家村さんをじっと見つめる。俺は彼女に紅茶、家村さんに煎茶を置いて、それぞれにバームクーヘンを一切れずつ用意する。
「ありがと。若ちゃん」
「あのー。蕾さん?」
「ん?ふぁみ?」
きっと「何?」と言いたいのだろう。お出ししてすぐに口の中に頬張ったバームクーヘンが邪魔をしてまともな言語を話せていない。俺は彼女がバームクーヘンを咀嚼して飲み込むのを待つ。
「普通、君らが俺達に情報をくれるんじゃないのかい? 刑事さん……」
「……だって家村さんの方がこの町詳しいじゃん」
「蕾ィ!」
蕾と呼ばれる目の前の女性はきょとんとこちらを不思議そうに見つめてくる。その顏がなんとも腹立たしい。
「はっはっは! 若林くんも蕾ちゃんが絡むと元気になるなぁ」
俺が思わず怒鳴ったのを見て家村さんは失笑する。彼女、宇都宮蕾はきょとんとした顔をした後、もう一口バームクーヘンを口に放りこむ。俺はそれを見て溜息を吐いた後、家村さんの横に座る。
「若ちゃんがなんでそんな怒るかウチわからんわぁー」
「若林くんには彼なりのこだわりがあるからねぇ」
「俺がおかしいんですか?」
「それで? ネタにええのんないの? 家村ちゃん」
蕾はぐいっと身体を前に出した。俺は彼女が来たのが、森崎さんが挨拶周りに行ってからで本当によかったと思っている。ブロンズ髪の女子高生。さらに猫を寄せ付ける能力を持つとまでくれば蕾にとっていい肴だろう。
「んー、お客様の個人情報を出すわけには行かないからなぁ。君が具体的な質問なら答えることが出来るけれどねぇ」
「猫ちゃんがいなくなった原因とか、まだわかりませんか?」
「そうだねぇ。こちらとしても、一匹、一匹確実に探してゆくしかないかなぁ」
家村さんはへらへらしながら答えているも、犬養さんについてはいまだ伏せている。
「でも、やっぱりおかしいですものね。室内飼いだったのに、少し扉を開けた瞬間に出ていってしまった。なんて言う件もあるからねぇ」
蕾は手を顎に当てながら唸った。彼女は彼女なりに今回の猫失踪事件を追っているそうだ。
「たぶん、その飼い主も僕らに依頼を出していると思うよ」
「はい。なんか思いつかないですか? 共通項」
家村さんは頭で何かを考えるように黙ってしまう。
「まだ大きな答えは見つけていないってことですね?」
「うん。済まないね。そのためには君が集めた情報も欲しいんだけど」
「もぉー、家村さんは上手だなぁ」
そういいながら、彼女は鞄から何枚かの書類を取り出し、それを家村さんに渡す。家村さんはそれを一通り見てゆく。
「はい。犬養さんって人についての情報。この人、最近使ってなかった有給を使って長期の休暇を貰っているみたいだよ」
蕾が開いた足の膝辺りに肘を当てて、両手を握って、こちらを見つめる。彼女が答えた犬養さんについての情報は俺にとっては納得のいくものだった。あんな姿で出社するわけにもいかない。事情が事情だから病欠扱いも難しかったのだろうか。不憫だ。そんなことよりも、家村さんが蕾に犬養さんの身辺調査をお願いしていたことの方が意外だった。
「どうしてこの人について調べてたの? ウチが見たときには既に包帯グルグルで不気味やってんけど」
しかも蕾には彼が依頼人であることは黙っているみたいだった。
「ちょっと他の調査依頼でね。けれど今は猫の方でいっぱいいっぱいだから、情報を集めるために金銭コストを惜しむ場合じゃないと思ってね」
「ふーん。……何か隠しているでしょう?」
蕾は少しキョロキョロしながら辺りを見渡す。まるで匂いを嗅ぐかのように鼻で細かく息をする。
「はい。とりえず報酬」
家村さんは蕾の行動を遮るように茶封筒を彼女の前に渡す。彼女はニヤニヤと笑いながら、絶対に入れてはいけない刑事服の懐にお金を入れた。
「仮にも公僕がしていい顏じゃねぇな」
「あら若ちゃん。公僕なんて言葉知っているの? 本当、漫画ドラマの見すぎだよ?」
わざとらしくぷくく。と笑う彼女に殴りかかってやろうかと腕に力が入るがぐっと答える。
こんなちゃらんぽらんが警察官である事実に俺はいまだに納得できない。
「そうだ。蕾ちゃん。もう一度聞かせてよ。君が刑事になった理由」
思い出したように噴き出した家村さんは二ヤつきながら蕾に話しかける。これは俺と蕾と家村さんの三人になったら絶対触れられる話題である。
「えっ? 探偵よりも公務員の方が給料いいから。いや、探偵とか金にならないでしょ? 選ぶのはバカだけだよ」
「だってさ若林くん!」
きゃはははと家村さんは爆笑する。俺はもう何度目かのからかいなので、諦めるように溜息を吐く。
「はぁ、その儲からない探偵やっている本人には言われたくないし、しっかりと市民から給料を頂いているのにこんな所で油を売って、あまつさえ刑事の担当でもない事件に首突っ込んで小遣い稼ぎしている女に笑われる筋合いないっすよ」
俺は二人の食べ終えた皿を取り、この空間から逃げるようにキッチンへ向かう。
「はぁー。笑った笑った。家村さん。ここはあたしも刑事の端くれ。ちょっとだけ推理的なことしてみても?」
ニヤリと笑う蕾は演技くさい口調で家村さんに話しかける。家村さんは表情を変えずに「どうぞ」と答える。
「この事務所、家村さんと若林君の他に、もう一人いますよね? 女の子」
僕は思わずビクリとする。彼女の言い分はまさしく正しい。昨日からこの事務所で森崎さんが泊まっている。
「へぇー、どうして?」
「なんか、匂うんよ。男くさい汗のにおいと、猫ちゃんの獣臭と、後……女の子の良い匂い。んー、何かしらの化粧品にも似た匂いもする。家村さんが平然としていて、若ちゃんが動転している様子を見ると……連れ込んでいるのは、若ちゃん? いつの間にか彼女とか作ったのかい? ん?」
無駄にお姉さんぶって僕をニヤニヤして見つめてくる。僕と同じ歳のくせに。
「そうなんだよー。若林君が女の子連れこんでねぇー」
「えっ!? 本当なの!? 彼女?」
「しかも女子高生」
「うっそー。若ちゃん。それは犯罪だよ」
「しかもブロンズ髪の美人ちゃん」
「わぁ、それはそれは……。ウチじゃあどないにもできひんなぁ。後は警察に任せてください」
「待って! 待って!」
昨日もこの流れをした気がする。蕾が携帯を取り出したので僕は必死にそれを止める。家村さんはその様子を見てケラケラと笑う。まったく二人とも僕をおもちゃにして困る。
その後、蕾に森崎さんについての説明を一つ一つしていった。彼女はその全てをふんふんと頷いて聞いていた。
「君にもいずれ挨拶させるつもりだったから、ここで待っていれば来るけれど」
「いや、ええわ。ウチも暇やないし。どっか行っている最中に会うやろう」
そういうと蕾は紅茶を優雅に嗜む。暇じゃない人間はなぜ他人の事務所でバームクーヘンを頬張り、紅茶を優雅に嗜んでいるのだろう。
「まぁ、蕾ちゃん。今回は街の名物探偵事務所に期待の新人美女参入位の情報で満足いただけない?」
家村さんもそういいながら、やっとバームクーヘンに手を出した。
「せやなぁ。若ちゃんおちょくる素材を確保できていると思えば。割と、儲けものかもねぇ」
彼女の中で俺をおもちゃにすることはそれほど価値のあることなのだろうか。少々ムカつく。
「さきほどの前金に加え、その他諸経費は、君の口座に振り込んでおきますので」
家村さんは丁寧な口調になる。こういった形式上の会話を始めたということはこの話をお開きにしたいという証拠なのだ。家村さんは早く帰ってほしいのだろう。
「あざまーす」
蕾は適当に返事をした後、席を立った。
「そうだ。若ちゃん借りていい?」
「いいよー、どうせ今から外回りさせるつもりだったし」
「じゃ、借りていくねぇ」
蕾はそういって僕の腕を自分の腕に絡ませて引っ張り出した。僕は困惑しながらも、引っ張る彼女と歩幅を合わせてついてゆく。彼女にこのように強引に引っ張りこまれることもこの一年で慣れてきた。
「はーい。いってらっしゃーい」
彼女に引っ張り出され、俺は事務所を出る。皿を洗っている時に濡れたままの手が気になりながらも、家村さんに一応「行ってきます」と言った――。