5話
しばらくして飼い主たちがやってきて、猫たちを無事に引き渡した。猫の写真だらけの事務所と、ブロンズ髪の若い女性、そして傷だらけの僕を見て、何か訝し気な表情を浮かべていたが、なんとか誤魔化して僕は全員を無事に飼い主の元へお返しした。飼い主が来られた頃には三匹とも普段の状態に戻っていたので、何事もなくことが進んだ。
猫三匹がいなくなっても、依然この部屋の猫の写真で埋め尽くされていることは買わない。僕は『シャロ』『コウキ』『ういろう』の写真付き用紙を剥がして解決済の箱に入れた。
「本当にいっぱいありますねぇー。猫ちゃん」
森崎さんが興味深そうに写真を眺めて回る。小言で『あっ、この子あったことある』などと何度か呟いている。彼女は本当に猫に好かれているのだろう。エンカウント率が聞いているだけで俺の四倍はある。
僕は猫たちがいなくなった今しかないとルンバを起動させて、クイックルワイパーでソファーや机にある毛の掃除をする。後、拭き掃除もしないと。
「拭き掃除やっていようか?」
まるでエスパーのような気づかいに驚いて目を見開いて彼女を見てしまった。彼女は既にキッチンで絞った雑巾を以ってきて、机を拭き始めていた。
「若林さん、すっごい主婦力高いですよねぇー、家村さんが雇うのもわかるなぁ」
「家政婦じゃないんだけれど……」
俺は微妙な反応をしながら家村さんの机を掃除し始める。机の下の奥にうまい棒のゴミがあってイラっとした。
電話がなる。家村さんだ。
「もしもし」
『あぁ、若林くん。今から犬養さんそちらに連れていくが、大丈夫かい?』
「えぇ、ちょうど掃除していたところなので……それより、犬養さんの方が大丈夫ですか? こんな猫の写真だらけの部屋。怖いんじゃ……」
『事情は説明したよ。彼を襲った猫たちの情報がつかめたらと思ってね』
「わかりました。でしたら見やすいように捜査リストの印刷も初めておきます。15分くらいですか」
『うん。それくらいにそちらに帰るよ』
「わかりました」
そして電話を切った後、俺はパソコンを開いてデータを開いて、更新手続きをして、印刷を始める。
「すごい手際がいいね。初めて若林さんを探偵って認識したかも」
「その認識しっかり脳に刻んでおいてください」
俺は苦笑いしながらデータ作成をして印刷、その書類を机に並べ、小さな菓子を用意、暖かいお茶を出すためにポッドでお湯を作り、森崎さんにエプロンを渡す。
「これは?」
「お客様が不審がるだろうから、とりあえず皿洗いでもしてもらおうかと、頃合いを見て家村さんが説明してくれると思うけど」
「わかりました」
森崎さんが皿洗いを始めている間に急須にお茶を入れて作っておく。後はルンバが掃除を終えるのを待つだけだった。
ルンバが掃除を終えて少しして、家村さんが扉を開いた。
「どうぞどうぞ、少し怖いでしょうが。おあがりください」
家村さんの声と共に二人分の足音がする。犬養さんだろう。俺は森崎さんの方を見る。彼女はもう既に皿洗いを終えようとしているところだった。
「森崎さん。ちょうどいい。このお茶、二人に持って行ってあげて、ついでに家村さんに新しいアルバイトですーって紹介してもらうといい。タイミングとしてスムーズだ」
俺はそういって盆にお茶を淹れた湯飲み二つを置いて森崎さんに渡す。彼女は盆で物を運ぶ機会が今までなかったのか、少し緊張したように盆をじっと睨みながらゆっくりと湯飲みを運んでゆく。不安だ。
「ほ、本当にお困りだそうですなぁ……」
犬養さんの声がする。キッチン周りを簡単に片づけた後、俺も事務所へ運ぶと、犬養さんはビクビクしながら部屋の周りに貼られている猫たちの写真をキョロキョロ見渡した。
「えぇ、町中の皆さん、猫がどこかへ出ていってーっと捜索願がうちのところにたくさんきましてねぇ。いまはそこの新しいアルバイトの子にも手伝ってもらっている次第で」
家村さんは森崎さんから頂いたお茶をすすりながら彼女に目配せした。
「えっ、あの。森崎メアリと言います。よろしくお願いします」
お盆を胸に抱いたまま礼をする森崎さんを犬養さんは物珍しそうに見つめる。
「メアリ……はぁ、ハーフの方ですか。通りで綺麗なブロンズ色の髪だと思いましたよ」
犬養さんの中で納得がいったように笑う。その笑いに森崎さんはどう対応していいかわからず愛想笑いで誤魔化す。
「いやはや、礼儀の正しいお嬢様だ」
「えぇ、今朝からのバイトなのですが、既に実績を上げている優秀な部下でして」
「へぇ、それはなぜ」
「彼女……猫を引き付けるのですよ」
「ほぉ、猫を、ですか」
犬養さんはそういって、もう一度事務所の猫の写真をぐるりを見渡す。
「はい。犬養さんを襲った猫ちゃんも、もしかしたら彼女に首ったけになって現れるかもしれません」
「それはありがたい」
犬養さんは嬉しそうにそう答えると、はぁと大きく溜息を吐いた。
「そのためにも、我々も優先順位をつけたいと思います。こちらが現在私たちの所に捜索願いが出ている猫たちの写真一覧です」
家村さんが僕が用意した書類を犬養さんに渡す。犬養さんは軽く礼をして「確認いたします」と答えて、静かに一枚ずつ猫の書類に目を通し始めた。
僕は隣にいる森崎さんを軽く小突く。
「若林さん。どうしたんですか?」
「いや、この後は彼らのリストアップだけだから君は奥の部屋に戻っておいてもいいよと言おうと思って」
この事務所は、プライベートスペースがある。複数部屋ある場所だ。一つは家村さんの趣味部屋として、ゲーム機や、大きいテレビやいつでもコーラを飲むための小さい冷蔵庫などがある。他には普通の寝室と、小さな物置部屋がある。彼女には今日、家村さんの趣味部屋で寝てもらう予定だったのだ。僕もたまに趣味部屋で眠ることがあるし。
「いいよ。二人が仕事しているんだし、バイトの私も見ておくよ」
森崎さんは僕の提案を丁寧に断り、書類に目を通す犬養さんをじっと見つめる。
確かに、今書類に目を通している犬養さんは顔や手、見えるいたるところに包帯を巻いていて、ミイラ状態だ。そんな彼に目を奪われるのは仕方のないことなのだが、あまりお客さんをじっと見つめるのはどうなのだろうと若林は昔家村さんに怒られたなぁーと思い出してしみじみとしていた。
「全て確認いたしました。この書類の中ですと、なんとなく覚えているのはこの子たちでしょうか?」
犬養は書類の束から六枚の書類を取り出して家村の方へと差し出すように机に並べる。
「申し訳ございません。何分夜道で物凄い数でしたから、まっさきに近づいてきた猫たちくらいしか覚えていません」
家村さんはその六枚の書類を受け取り、熟読する。
「若林君。森崎さん。明日からこの子たちを優先して捜索してもらうよ。目を通して」
家村さんはそういって猫の書類六枚を僕に渡してくる。
猫の名前はそれぞれ『たま』『竜』『あすか』『もろた』『ちぃ』『拓哉』と書かれている。
「……猫の名前って個性的ね」
「君に言われたくないだろうよ。猫も」
「そういうの、ハラスメントですよー」
「あぁ、ごめん。でも、たまとか普通だろう」
「いや、逆に新鮮でしょ。たま」
なぜか打ち解けて森崎さんと喋りながら書類に目を通す。
「お願いしますよ。探偵さん。早く猫たちを捕まえてください。私、いつまでもこんな猫にビクビクしながら過ごしたくないので……。会社にも行きづらいし」
「えぇ、お任せください。この猫騒ぎは犬養さんはじめ、多くの人が困っている案件ですので、私ども誠心誠意進めさせていただきます」
「では、こちら前金に、お支払いします」
そういうと犬養さんは封筒を家村さんに渡した。家村さんの仕事の支払いは、基本的に相談量は無料としており、その内容で受けもつことが出来るかどうかを検証。可能であれば、依頼書発行の申請費として前金を頂く。その後解決に至った場合は報酬金を頂く。仮に、こちらの都合で解決が困難な状況になった場合は前金の半額を返却する。と言ったルールで行っている。今日、犬養さんが訪れたのは前金を支払うためだったのか。と若林は納得がいった。
「それでは、よろしくお願いします」
全身ミイラ状態の犬養さんは、腰を低くして何度もペコペコしながら事務所を後にした。
彼が去るのを確認した後、家村さんは俺達二人を交互に見ていった。
「よし! 明日から本格的に犬養さんのお仕事を済ませるよ! 二人とも、明日は朝から猫捜索だし、早く寝るように! お疲れ!」
大きく響き渡った家村さんの言葉で、俺達探偵の一日は終業を迎えた。
全身ミイラ男、猫を引き付ける家出少女、大量の猫失踪事件にも裏がある予感を感じ、俺は初めて探偵らしい仕事が来たんじゃないかと、内心気持ちを昂ぶらせて家路についた。