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4話

「い、いらっしゃい」

 魚屋の亭主少し遠慮がちな挨拶をしてくれる。俺と目が合うと彼は少し安心したように表情が柔らかくなった。

「毎度ご贔屓にありがとうございます。若林くん」

「あぁ、どうも。新鮮な鰤、頂けますか?」

「鰤ですかぁー……さては家村さんに駄々こねられてますね? 鰤大根とか」

 にこやかに笑う勝雄さんにも食べたいものが筒抜けの上司に俺は呆れる。

 彼は覇気のあるタイプではないが、友好的で、優しい男である。魚屋よりも歌のお兄さんとかが似合うさわやか青年だ。同年代として羨ましい限りである。サングラスをかけてなければ――。

「そうだ。勝雄さん。猫見ていません?」

「猫なんかいっぱい見るよ。あぁー、確かに最近はその頻度も減ったけれど――」

「やはりそうか……」

「あぁー、例の猫探しについてかい?」

「えぇ。猫といえば魚でしょう?」

「そうだねぇ、よく食材の近くまで来るからねぇ、親父は『可愛いもんじゃねえか』って言いながら、商品に出来ない粗悪品とか刻んで、猫にやっていたよ。盗まれる前に施してやれってね」

「なるほど、それもいい作戦だな」

「けど、最近はその盗人猫共の頻度が下がったなぁ。おかげで余計に作っちまった餌がおじゃんになりかけてるんだよ」

 彼のまったく見えない優しい瞳が僕を見つめている気がする。サングラスで見えないけれど。

 痩せた身体に爽やかな声、そこにサングラスで接客をしているので、それこそ何かのスターのような印象を受けるが、彼が着ているのはおしゃれなスーツでもなければ俳優が着るカジュアルなファッションでもない。だぼったい市場の作業着なのだから違和感がハンパない。

「親父さんにも災難だね。けれどまったく来ないわけじゃないんだね?」

「あぁ。あれだな。いつも食いに来てた野良共はちゃんと来ているけれど、たまに散歩とかでうろちょろしていた飼い猫連中が来なくなったくらい?」

「なるほど……」

「飼い猫連中見つかるといいですねぇ。行方不明のせいで、飼い猫のために魚買いに来てくれていた奥様方の客足が減ってきててこっちとしても大損なんですよー」

 やれやれと溜息を吐く勝雄さん。彼は溜息を吐きながらも、俺のために鰤の用意をしてくれる。

「どうしてサングラスをしているの?」

 突然後ろから声がして驚いて振り返る。そこには森崎が首を傾げながら立っていた。彼女の足もとには猫が二匹にゃー、にゃーと足に纏わりついている。

「も、森崎さん。どうしてここに」

「ん? 若林くん。誰この可愛い子。羨ましいなぁ」

「勝雄さんもそういう冗談やめて」

 勝雄さんはそういった後、少しだけ店の奥に言って、魚の切り身を数枚乗せた皿を持ってきて、森崎の足もとに置いた。猫たちは可愛らしい声をあげてその切り身を貪る。改めて何かを噛みしめている猫を見ると、可愛いという印象よりも恐ろしい印象を受ける。あの歯に噛まれると痛いんだよなぁー。

「初めまして。本日より家村探偵事務所でアルバイトすることになりました。森崎メアリと言います」

 森崎さんは勝雄に対して丁寧にお辞儀をして挨拶をする。勝雄も突然のことなので、とりあえず礼を仕返してペコペコしている。

「ど、どうも家村さんにはいつもお世話になってます。若林くん。良かったね、可愛い後輩が出来て」

 勝雄さんはニヤニヤと笑いながら僕の肋骨部分を軽く小突く。

「だから……。まぁ、いいや。森崎さんはどうしてここに?」

「家村さんに『アルバイトするなら僕が普段お世話になっているところに挨拶していくといいよ。ついでに猫集めて』って言われたから、この辺りの人に挨拶していたの」

 俺が最初に浮かんだのが、彼女と生瀬さんの対面である。この町にきて生瀬さんと会うのはもう一種の儀式だよなぁーと。ハーフの女子高生なんてあの人に与えたらはしゃぐんだろうなぁーと。森崎さんが少し疲れている様子なのはそれが原因だろうか。

 にゃー、にゃーと猫の声。勝雄さんから受け取った切り身を全部食べ終えていた。

「悪いなー。おかわりはないぞー」

 嬉しそうに答える勝雄さんの顔を森崎さんはじっと見つめる。

「ん? 僕の顔に何かついているかい?」

 勝雄さんは視線に気づいて、森崎さんと目が合う。彼女はやっぱりじっと彼のサングラスを見つめている。

「あの、さっきも言ったんですが、どうしてサングラスかけているんですか?」

 俺はもう勝雄さんの手に握られていた俺達の鰤が入った袋を強奪して、お金を払った。

「あっ、毎度。今おつり持ってくるね」

 勝雄さんはおつりを取りに奥へと向かう。僕はその間に森崎さんの耳元に口を近づける。

「なに?」

「勝雄さんのサングラスはわりと繊細な問題なんだ。変に刺激しない方が――」

「そこまで心配して貰わなくてもいいよー、若林君」

 おつりを持ってきた勝雄さんは察したのか、俺達の声は聞こえていないはずなのにそう答える。

「森崎さん……。だよね? お恥ずかしながら、僕。魚屋のくせに魚の目ってのがどうしても怖くてダメなんだよぉー。父に怒られるけれど、だから、なるべく直視しないように見えづらい黒のサングラスをつけているんだ。格好悪い理由でしょ?」

 えへへぇーとお恥ずかしそうに頭の後ろを掻く。森崎さんはへぇーっと納得したように声を漏らす。

「それは難儀ですねぇ」

「本当ねぇー、あっ。でも魚は美味しいからぜひ食べてね。うちの鰤ももちろん絶品だよ」

 そういうと勝雄さんは小さい袋を森崎さんに渡した。

「アルバイトとはいえ、入社祝い。カツオのすり身だからポン酢とネギで和えて食うと美味しいよ。しょうがなんかあるともう絶品」

「ありがとうございます」

 勝雄さんから袋を受け取った森崎さんは僕の方をちらりと見る。彼女が持った袋に向かって猫たちがぴょんぴょんと飛んでいる。

「コラッ」

 猫たちに軽く叱責した森崎さんを見て僕は勝雄さんに一瞥する。

「じゃあ、また何かあったら教えてください」

「わかったよ。父のためにも早く解決してあげてね」

「えぇ、任せてください」

 俺は猫を追いかけている時に怪我した頬の絆創膏を掻きながら勝雄さんに言う。

「ふふっ、気障な顔している」

 森崎さんが密やかに笑うのを見て勝雄さんはどっと笑った。

「では、これで。森崎さんはもう挨拶周りはいいのかい?」

「んー、若林さんと一緒に帰った方がいいかなぁー。残りは明日にします」

「じゃあ帰ろうか」

 俺は我ながら慣れていないなぁと目の前の女子高生の隣に並んで歩く。彼女は特に何も話すこともなく、俺も何も話すことが出来ず、橙に染まった空の光に眩しさを感じながら、事務所まで歩く。奇妙な光景だ。自分が、女子高生と共に並んで歩いている。互いに同じ場所へ帰るために。

「にゃー」

 俺と彼女の間に割って入るように、猫三匹が横に並んでくる。猫たちは俺と彼女が持っている袋を交互に見つめて、もう一度にゃーと鳴いた。

 三匹を見て思いだす。

「シャロ、コウキ、ういろう……かな?」

 俺がそう呼ぶと猫たちはこちらを向いて少しだけ目があったけれどすぐに俺が持つ鰤の入った袋に視線をやった。

「この猫たちの名前?」

「うん。あれ、反応してくれたってことかな?」

「……あの依頼書の猫みんな覚えているの?」

「正確に覚えているわけじゃないけど……」

「へぇー。記憶力いいんですね、若林さん。私暗記苦手だから、超能力者みたいに見える」

 森崎さんはニカっと笑う。僕からすればその猫を連れている君の方がよっぽど超能力者なのだが、もしかしたら気にしているかもしれないし、本当に超能力の類で、彼女はどこかの研究施設で実験台として研究されていて、その過酷な研究実験が嫌で逃げてきて、この町へ流れついてきたのではないか。彼女はその気になれば猫を自在に操り、町を混沌に落とすこともできるのかもしれない。いや、あるいは彼女のように動物を使役する能力がある者がもう一人いて、それが家村さんの言っていた『猫による傷害事件』の黒幕であり、森崎さんと同じ施設で育った能力者で彼女を連れ戻すためにやってきた。彼女は戻りたくないと、かつての同郷の者と猫をけしかけ合う闘いが始まり、『平成猫合戦にゃんにゃん』が始まる可能性もあるな!

「……流石にないな。何を考えてるんだよ、俺」

「どうしたんですか」

 森崎さんは溜息を吐く僕を覗きこむ。彼女が前屈みになって買った袋が下に下がったことで猫はここがチャンスだと言わんばかりに飛んだが、彼女はその猫のジャンプから袋を守るためにすっと持ち上げる。

「いや、なんだったか忘れた」

「記憶力いいのにー」

 森崎さんがきゃっきゃと笑った後、それ以上会話をすることなく。家村さんの事務所まで歩いた。シャロ、コウキ、ういろうが無言で森崎さんについてくるので、なんかこういうゲーム、小さい頃に遊んだなぁーと思い出した。


 鰤大根は学生時代に挑戦して何度も作ったことがあるので、慣れているのだが、足元にそれを狙う猫たちがいるキッチンは初挑戦なので、意識がそちらに行き、難航を極めた。

「家村さーん。この子たちに餌上げてください。うろちょろされると危ないんですが」

「はいはーい。お兄さん今、ジェンガで忙しいから」

「じゃあ私が出すよ。どこにあるの?」

「キッチンの所にある引き出しに、器もそこに一緒に入れてるから」

 森崎さんの言葉だけが聞こえる。彼女が席を外したということは、我が上司は一人でジェンガをたしなんでいることになる。暇人の極みである。

「若林さーん。ういろうたちのご飯入ってる引き出しどれですかぁー」

 部屋からキッチンに入ってくる森崎さんは僕の方を見ていたが、すぐに目線は鍋の方に向かう。

「へえー、本当に料理上手なんですねぇ」

 彼女の珍しい金髪が僕の顔の近くまで来る。彼女の旋毛をじっと見つめてしまう。

「鍋が見えないかな」

「あぁー、ごめんなさい」

 下がって俺の横に来る彼女の顔は少し興奮していた。出来上がってゆく料理を見るのはそれだけで楽しいものだ。俺も昔こうして母の料理を横から眺めていたっけ。

「味見とかは……」

「まだ結構煮るよ?」

「えぇー、でもほら。ここの汁とか」

「森崎さん、意外と食いしん坊なんだね」

「女子高生にそういうこと言うと嫌われますよ?」

 冗談めいた発音で彼女は言って、俺の目を見つめる。俺も少し対抗しようと言葉を考える。

「君にも嫌われるのかい? なんつって」

「……どうでしょうねぇ。若林さん、ういろうたちのご飯の場所教えてください」

「後ろの左から二番目のところ開けてみて」

 彼女は僕の言葉に従って戸を開けて、キャットフードを確認する。俺と森崎さんの周りをうろちょろしていた猫たちも餌を見つけてそちらに移動した。

「まだダメですよー、あっちでいれるからねぇ」

 森崎さんはこなれた様子で、キャットフードと器を持ち上げて、そのままキッチンから退散する。猫たちもナーナー鳴きながらついていった。ようやく一人になったキッチンで俺はじっと鰤大根が絶妙に煮える時を待つ。

 途中、がしゃーん! という音と共に家村さんの悲鳴が聞こえたので、猫たちに怪我がないか心配したが、鍋から目を離すのも怖くて僕はその悲鳴を聞かなかったことにした。


 俺はバラバラに散らばったジェンガを片付けている。二人はぶり大根をおいしそうに食べている。関係ない上にお客さんである森崎さんはまぁ、いいとして。倒した張本人が真っ先に食い始めているのはどうかと思う。ピースを一つ拾おうとすると、シャロがそのピースを弾いて遊び始めた。

「あぁー、もうそのピース貸してくれ、頼むから」

 猫とジェンガのピース取り合いをしている時に、事務所のインターホンが鳴る。

「はいはーい。どなたですかぁ」

「珍しいね、もう夜だというのに」

 俺は慣れたように玄関まで小走りで向かう。家村さんは口の中に入っていた大根を飲み込んだ後、不振そうに、玄関方面を見つめる。

「今あけますよー」

 俺が扉を開けると、目の前には俺よりも背が高い包帯だらけのミイラだった。

「うっわ!」

 俺は思わず尻もちをついて倒れてしまった。ミイラ男は大丈夫ですかと手を差し伸べてくれるが、それがまた恐怖心を煽られた。

「あぁ、今日はどうしたんですかぁ」

 奥から家村さんがやってきて、へらへらと笑った。

「探偵さん。自分の部下にもしっかりと情報共有をお願いしますよぉ」

 情けない声がミイラ男から聞こえる。俺はすぐに納得がいった。彼が家村さんが言っていた。猫に大怪我をさせられた人その人だ。俺はすぐにリビングに繋がる扉を見た。ズボラな家村さんが開けっ放しにしている。そこからコウキがこちらににょっと顔を出した。

「ひっ! 探偵さん! なぜ猫がいるんです!」

 ミイラ男は悲鳴を上げて後ろにのけ反った。閉められたドアに背中からぶつかって、大きな衝突音を響かせる。その様子に森崎さんも見に来たが、その流れでシャロもリビングからこちらにやってくる。

 シャロのコウキの雰囲気が変わった。彼らはなぜか物凄いスピードでミイラ男に向かって走り、思いっきりジャンプをして、尻もちついている僕を通り過ぎると、ミイラ男の身体に飛び出していった。あまりにまっすぐ飛ぶ猫に俺は目を奪われた。

「ひぃ!」

 俺は何が何かわからず咄嗟に猫とミイラ男の間に割って入って、シャロとコウキの突進を受け止めた。興奮しているのか、ミイラ男に向かって走りたいと言った様子で俺の身体を引っ掻きまくる。

「痛い痛い痛い!」

「すみません犬養さん! 今依頼主の猫ちゃん預かってまして、またあのファミレスでお話しましょう!」

 家村さんが必死に犬養さんと呼ばれたミイラ男に説明して、二人して家を出ていく。家村さんは必死に猫を捕まえている僕を見て、済まないと軽く謝罪をして出ていった。猫たちは犬養さんが出ていってしばらくするまでにゃーにゃー鳴きながら。僕の身体を蹴り続けた。俺がおろした後も玄関付近でそわそわと動き回っていた。

 俺はボロボロになった服に溜息を吐きながらリビングに戻ると、何が起こったかわからず呆然としていた森崎さんと目があった。

「うわぁー、痛そう……大丈夫ですか?」

「あぁー。うん。今日のシャワーが怖いよ。新しい服買わないと」

 絶対に染みるし、かといって森崎さんがいるから面倒臭いと風呂に入らないという選択も取れない。

「あれ?」

 部屋を見てみると、ういろうがソファーの上でふにゃんふにゃんと寝転びながら身体をぐねぐねと動かしていた。

「森崎さん、ういろう見ていた?」

「うん。コウキが飛び出していったときにはもうういろうだけこうなってたよ。なんかでろーんってなってるね」

 ういろうはむず痒い様子で身体をくねくねさせていた。

「……飼い主が来るまで、とりあえずぶり大根。食べようか」

「そうですね」

 俺はまだ片付いていないジェンガも、そわそわと歩き続けるシャロとコウキも、ベッドでうねうねするういろうも無視して、森崎さんと二人で無言のままぶり大根を食べ進めた。


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