2話
探偵。その現実は何とも地味で過酷なものだ。多くが離婚、浮気の調査。後は猫などのペットの捜索。警察じゃ取り合ってくれない面倒事を押し付けられる町のパシリ屋だ。それに上司の世話と言う家政婦的な仕事までこなすWワークである。
入所してすぐにあったご近所トラブルでのカミナリ爺さんと婦人会による抗争の仲裁依頼の時はあまりの白熱した闘いに体重が五キロ痩せた。喧嘩仲裁ダイエット。DVD化させて家村さんのうまい棒代でも稼いでやるかと考えたが肖像権どうのが引っかかりそうなのでやめた。
人の集中力というのは十五分だそうだ。グノシ―に書いていた。猫を探すなんて重労働。さらにその猫が野良猫か、調査依頼された飼い猫かどうかを判断する気力なんていうのは十五分も持つわけがないのだ。決してサボっているわけではない。電柱に背を預けてぼーっとしているが、サボっているわけではない。
「吸うかい?」
視界の端に白い棒が飛び出てくる。俺は素直にそれを受け取って口に咥える。
「火がいらない便利な最新式だ。甘いだろ?」
「はい。そうですね」
俺は呆れたように顔を歪めながら口に咥えたココアシガレットの先を舌で舐める。
「どうした若。疲れているじゃないか」
「いやぁー貴方もその要因の一人なんですけど。どうにかなりませんか? 家村さんの駄菓子衝動買い」
「かっかっか! お得意さんだからなぁ。俺からは なんとも言えんのう」
豪快に笑うガタイのいい初老の親父さん。三村五郎。家村さんが贔屓にしている駄菓子屋の亭主で、俺もよく買い出しに足を運ばされるのでよくこうして話をする。
「んで? 難航してんのかい?」
三村さんもココアシガレットを咥えて壁に背をもたれさせた。二十代の青年である自分と七十程のお爺さんがシガレット咥えている午後の風景はなんとも奇怪なものだなと考えてしまう。
「……どうした?」
「あっ、すみませんぼーっとしていました」
「いいってことさ。こないだ家村の事務所入らせてもらったが、あそこで仕事をしていれば呆けたくもなるわなぁ」
三村さんは笑った後、ココアシガレットを指で挟んで一度口から離してしっかり深呼吸をする。俺はまたあの左右びっしりな猫を思い出して落胆する。
「あっ、そうだ」
ポケットから一枚のメモを取り出して三村さんに渡す。その後、財布を取り出す。
「これをまた事務所に届けておけばよいのか?」
びっしりと書かれたお菓子のラインナップだった。
「すみませんが、頼んます」
「あいつ、発注する癖に、毎日のように儂の店に来るからのう」
「何買っているんですか?」
「ん? じゃんけんポンやりに、後ゴールデンチョコ」
ゴールデンチョコとは、50円前後で発売されており、中に駄菓子に使うことができる金券が入っている金の延べ棒を模したパッケージをしている人気チョコレートだ。家村さんはこれが大層お気に入りで高額金券を当てればはしゃいで交換している。探偵とはかけ離れた行動だ。
「家村はどうした?」
「今も新しい依頼ですよ。なんであんなに適当なのに依頼は尽きないんですかねぇ」
俺は咥えているココアシガレットを口から離して、口の中に残る甘さを味わう。
「あいつは人がいいからな。町のみんなアイツのことが好きなんだろうよ。お前もそういう意味では才能あるぜ」
三村さんはまた豪快に笑い、ココアシガレットを全て口に入れて噛み砕いた。
「風情のないことしますねぇ」
「ふっ、風情とか語っちゃってー。ちょっと家村に似てきたんじゃねぇか」
「やめてくださいよ」
「若ももうこの町に来て一年だ。あいつがだらしねぇのは事実だが、あいつの長所も見てやれよ」
三村さんは俺の肩を一度大きく叩くとガッハッハと笑いながら歩いていく。もう七十だというのにまだ腰も曲がっていない背中は俺が理想とするカッコいい探偵そのものなのだが、あれで小さい駄菓子屋をやっているのは残念だ。
「さて、買い物を続けるかぁ」
この町に引っ越してきてもう一年になる。
正直この町は疲れる。実家に帰りたい。
「あら、若。いらっしゃい」
「どうも、生瀬さん」
「今日も買い出し? 精は出ていますかぁ?」
「……精が出る。じゃないですか」
「朝とか……出ましたか?」
「いやいや」
生瀬さんはこちらがおかしいと言わんばかりに首を傾げる。
「んー、顔を見るに、最近はご無沙汰みたいねぇ。原因は、家村さんかしら。ダメよ? 若い男がストレス抱えちゃあ。永遠のエンディング流れちゃうから」
「あの、伝わりにくいセクハラやめてください」
黙っていれば美人なのだが、生瀬さんは艶めかしいことを言うのが好きなのか、こうしてエロ親父みたいなセクハラをしてくる。
「生ちゃん! 大根三つ、ぶっといのね」
俺の横からおじさんが景気よく生瀬さんに注文する。
「はーい。ぶっといの、三本ね。奥さんのために買っていってあげているんですか。大根よりもあげないといけないのあるでしょう?」
「おいおい生ちゃん俺らはそういう歳じゃねえよ!」
「あら、旦那さんはいくつになっても健在っていいますし、奥さんもまだ大丈夫ですよぉ」
「そ、そうかねぇ。あいつ絶対嫌がるぜ?」
「その時には励ましてあげますからねぇ。はい、大根三つ。旦那さんの奥さんは葉もよく使うからフサフサの渡しとくねぇ」
「へい、ありがとうね。今晩ちょっと嫁と話してみるわ」
「ぜひぜひ」
生瀬さんは軽快に話しながらも大根三本を袋に詰めておじさんに渡す。おじさんも照れつつも嬉しそうにニヤニヤしながらそれを受け取る。
家村さんが悪ふざけでした調査だと、近隣の町に比べると、この町の離婚率、不倫率は圧倒的に低いらしい。買い出しも旦那さんがすることが多い。その一端を担っているのは恐らく生瀬さんだろうと、家村さんは語る。
俺は生瀬さんのセクハラにうんざりしながら生瀬さんにメモを渡す。
「これらを用意してください」
「ふんふん。わかったわ」
生瀬さんは俺に背を向けて野菜を選んでいる。申し訳ないが、彼女の後ろ姿は何とも言えない妖艶さを纏っているので、じろじろと見てしまう。大きいお尻をこちらに着き出しているので生唾を飲む。さらに、豊かな乳房が前かがみになって宙ぶらりんになってその大きさを明確なものにする。
「若? もう少し上手に視線送ったほうがいいですよ? 他のおじさんたちの方がまだ上手ですよ?」
悪戯っ子のような笑みを浮かべながら振り返る生瀬さんに俺は見透かされた恥ずかしさで目線を反らす。それを見て生瀬さんはクスっと笑う。さらに恥ずかしくなって俺は次の話題を探す。
「そ、そういえば生瀬さん。ここいらで猫とか、見ていないですか?」
「あらあら、誤魔化すのも男子としていけないと思うけれど……。そうねぇ、ちょこちょこは見るけれど、以前ほどは見ていないわねぇ」
「原因になりそうな事って心当たりないですか?」
「八百屋でほぼここから動かない私に聞く?」
「ほら、必要以上に何かを買うお客さんとか」
俺はこの町で小さい異変があればそれがこの猫大量行方不明怪奇事件のきっかけがあるのではないかと探りを入れるのだ。俺、優秀。
「そうねぇー、ニンジンと、大根と、キュウリをたくさん買ってじろじろ見ているお客さんならいるけれど……」
「生瀬さん。そいつは出禁にした方がよいのでは……」
「家村さんのことなんだけど」
俺は思いっきり大きなため息が出る。そして思い出した。家村さん、よく俺に塩揉みのキュウリおやつにくれるなぁ。なに気持ち悪いことしているんだろう。あの人。
「家村さんのことはいいとして、彼以外に異変とか、ありますか?」
「そうねぇ。あっ」
「なんです?」
「ちょこちょこしか猫ちゃん見なくなったって言ったでしょう?」
「はい」
「思い出したんだけど、私が店から見えた猫ちゃん。みんなあっちに行くわ」
生瀬さんは店から左側を指さして言った。
「あっち側ですか……」
俺は必死に思い出そうと試みる。左側に何があったか。最近異変が起きたようなこと……。
「勝雄ちゃんの店のお魚でも盗みに来ているのかしら」
「あぁー、そうですねぇー」
生瀬さんが指さした方を見つめる。この先には俺と同じぐらいの若い男が働いている魚屋がある。この後、買い出しのために行くところだ。
「勝雄ちゃんなら何か知っているかもよ。猫ちゃんと言えば魚でしょ? ニャー」
猫の手を作って高い声で真似をする生瀬さんはちょっと無理があったが、その無理がある感じもまた色っぽいな気がしてなんだかわからなくなった。
「はい、これ」
野菜を詰め合わせた袋を受け取って、お金を払う。
「猫ちゃんいなくなって困っている人も多いからねぇ、ぜひ頑張ってね。若」
「ありがとうございます」
「これ、ちょっと鮮度落ちちゃったからホウレンソウサービスでいれておくわ。前みたいに鼻血出しすぎて鉄分なくなったら大変だし」
「へいへい」
あの電柱衝突見られていたのかと思うと恥ずかしくなった。聞こえるか聞こえない程度の声でお礼を言って、受け取ったホウレンソウを袋に入れる。今日中に使おう。おひたしとかにすれば美味しいかな。
「じゃあ、勝雄さんのところにも行ってきます」
「はーい。またご贔屓にー」
ゆっくりと手を振る生瀬さんは本当に落ち着いている女性だなぁと感じながら歩く。途中、自分を追い越すように猫が走り抜けるも調査書になかった猫だ。きっと野良猫だろうか。俺は生瀬さんが言っていた一定方向に走っていく猫を思い出した。
「魚買う前に追ってみるか」
走っていく猫を見失わないようにそっと小走りで追いかける。追われていることにまだ気づいていない猫は逃げるような速度で走らないので、こっちも軽くジョギング感覚で追うことができる。買い物袋の紐が手の平に食い込んで痛い。
「あっ、曲がった」
猫が軽快な足取りで路地裏に入っていく。俺はそれを適度な距離を取って追いかける。大丈夫。猫に振り返られなければ大丈夫。本気になった猫は早すぎてとても終えるものじゃない。
猫がフェンスを飛び越えていく。俺も必死のスピードでよじ登って追いかける。登った後にゆっくり降りている暇はないので飛び込む。しっかりと着地したけれど、足の裏に走った痛みで痺れて声が出そうになるが、出したら猫が驚いて気づくので必死に耐える。
猫はどこかへ向かっているのか、俺に気づかず、目的地に向かってただただ走っていく。
しばらく追いかけていくと、猫が繁みの中に入っていく。
「こんな所に……自然公園の抜け道か?」
俺は繁みをかき分けて中へ入っていく。この町にある広い自然公園の中なのは間違いない。そんな遠くまで追いかけていたのかと実感する。
周りを見て、追いかけていた猫を探す。視界にその猫が視界に入る。振り返った猫と目が合い、猫は咄嗟に逃げるように走る。
「やべっ!」
俺は必死に追いかける。買った野菜を詰めた袋が重たい。
「えっと……あっち」
一瞬見失うが、すぐに足跡や音を頼りに必死に追いかける。
木々に囲まれた小道から、猫が走っていったのは小さな噴水のある広場だった。
「えっ、なにこれ」
俺は思わず声が出た。広場というにはあまりに小さいスペースだった。公園の中にある隠れ家的な広場。俺は一年住んでいたが、知らない場所だった。
その新たな発見への喜びよりも、目の前の奇怪な光景に俺は目を奪われた。
「ん? 何?」
噴水で横になっていた少女がむっくりと起き上がる。彼女の周りには数多くの猫がナァー、ナァーと鳴いていた。彼女は周りで鳴いている猫たちに対して
「あらら、どうしちゃったの? 君たち?」
困惑したようにしながらも穏やかな顔で猫たちを撫でる少女に俺は心を奪われた。少女はすぐに俺の存在にも気づく。呆然と立ち尽くしながら野菜が入った袋を持っている男を少女はじっと見ている。
「えっと……こんなところで何をしているの?」
それはこちらのセリフだったが、あまりにも美しいブロンズ色の長髪と、その髪にパンチを繰り出す猫の光景を呆然と見つめる。買い物袋を抱えた新卒と、猫に囲まれた少女が互いに見つめ続けているまま風が吹き抜けていった。
「はぁん」
静かな空気に一匹の猫が慣れない鳴き声をあげた――。




