008 油断、不信
その後、茜は納柴枝とたびたび会うようになっていた。
桜の木の前で待ち合わせし、少し会話した後、納柴枝はいろんな場所へと茜を連れて行った。
そこは主に、商店街や食事処、海辺に近い市場など人がにぎわう所だった。
納柴枝という男を見ていて茜は思った。
彼は無邪気な子供の用に自分というるとき笑い、おどけたような余裕ある喋り、かと思えば真剣な様子でいつもこちらの様子をしっかり見ていた。
そして時々見せる、緊張を張り巡らせたような顔。
それは茜には分からない物を常に察知しながら生きているように思えた。
彼には全くすきがなかった。
それが茜を不安にさせる。
「茜といると楽しいな」
そんなことを言っておきながら、裏では何かがあるのではないかと思ってしまう。
また、裏切られないかと自分は思ってしまう。
だから茜は彼と同じく気づかれない程度で緊張を張り巡らせ、一切の隙を作らないようにしていた。
そして、七回目に会った時、
「茜、今日は君に私の役割を見てほしいんだけど、いいかな?」
「ああ、いいけど」
納柴枝はこの村の裁き人、茜は彼が人を殺すところを見た。
これで二度目だった。
手を縛られ、目隠しされた人が正座させられていた。
その男が何をしでかして今こういう目にあっているのかはわからないが、彼は、
「どうか助けてくれ、生きるために仕方がなかったんだ。今回だけは見逃してくれ……」
そう言って、助けを求めた。
そんな姿を見ていると、かつての自分を思い出し、その男の気持ちが分かってかわいそうにも思えてくる。
しかし、もうその男の人生はここで終わりだ。
捕まってしまったのだ。
赤の他人に誰も助けなどしない。
それが普通だ。
彼が悪人である以上、どんな理由があろうと、この場に来た以上裁かれるのがその男の運命なのだ。
そこに納柴枝が現れ、彼は言う。
「ごめんね。それはできないんだよ。あなたは罪を犯した。罪を犯した者を斬るのが私の仕事なんだよね」
「どうかご慈悲を……」
「だめだよ。これはもう決まったことだから……」
納柴枝がそう言った時、男は、
「この野郎!」
刃物を靴から取り出し、納柴枝へと振りかざした。
納柴枝!
茜が心の中で彼の名前を呼んだ時、
「なに、これで終わり?」
納柴枝は相手が振るった刃物を素手で掴み取った。
「あ、あ……」
男は震えあがる。
次にやって来る自分の死を確信して震えている。
茜は次の瞬間、笑みを浮かべながらその首を斬る姿を目撃した。
鮮血が飛び、周りの人たちは醜い笑みや自分はそうはなりたくはないという哀れみの顔を見せていた。
納柴枝の手の切り傷は浅かった。
布を巻きつける程度の処置をした納柴枝に、茜は、
「お前は人を殺すのに躊躇はないのか? 人が切られる瞬間なにも思わないのか?」
桜の木の上でそう聞いた。
納柴枝を責めているわけではない。
ただ、私はあの時、弥尾が目の前に立った時、躊躇しなかった。
しかし、人質の事を考えて戸惑いは生まれていた。
それで、こいつはどうなのだろう。
「怖いとは思わないのか……?」
この納柴枝という男は何を考えて、何をしたいのだろうか。
茜には彼の真意が読めなかった。
「分からないな、やはり。私はあまり相手の死や自分の死に関して執着がない。いや持てないんだ。これっぽっちも」
隣にいる納柴枝は分からないという表情を見せそう言った。
「だから、そんなに無謀なのか。斬ることで相手の死を見ることで自分の死、恐怖などを実感しようとしている。そうなのか?」
茜は彼の事を姉さんたちと重ねてそう考えた。
「そうかもしれないね。だけど、それも分からない」
納柴枝は続ける。
「人は自分に対してこだわりや自意識がないと型が外れる。周りの者たちとは異様な行動をしてしまうようだ。そしてその本人はやはりそんなことは気にしない。だから異常の者とされる」
「そうだな……」
自分でも当てはめて考えてみる。
私のやっていることは異常だ。
自分でそれが分かっているうちはまだいいはずだ。
「私は兄に愚か者と言われている」
「……」
茜がその言葉に顔をゆがませると納柴枝は制すように言った。
「ああ、あまり悲観に解釈しなくてもいいよ。兄とはとっても仲がいいんだ。ただ私から言わせれば兄も十分変わり者だと言いたい。うちの一族はどうやら普通とは違う価値観を持っているようなんだ」
「それは、理解できないわけでもない。お前の家はここでは誰にも負けないくらい栄えた家だそうだからな」
森の奥に住む、ある栄えた一族がいることが風の噂で聞いた。
その一族が納柴枝の家の事だと茜が知ったのは最近の事だった。
「まあ、それもあるけど……茜、私の秘密を君に教えてあげようか」
「秘密? なんだ、それは」
「普通の人間には決して理解できないことなんだろうけど、それは君も同じなんだ。君は人間だからね」
「私は鬼だよ、納柴枝」
殺人鬼……鬼だ。
私はもう鬼なんだ。
人を殺し過ぎたゆえ、もう普通の人にはなれない。
「ああ、そうだったね。だけどそれでもちゃんと人間だ。そういう事じゃないんだよ、茜。この世には本物の【鬼】はいる。【鬼】だけじゃなく醜い【化け物】がそこら中に人の生活に難なく紛れ込んでいる。私はそういったものが見える家系に生まれた」
「……」
「見えることは苦痛じゃない。もう慣れたからね。しかし、私のような者はどうやら【化け物】たちに命を狙われやすい」
とてもじゃないが信じられなかった。
でも納柴枝は切実に話している。
そんな様子に茜は信じてみようと思った。
これも納柴枝という男が言う事なのだから、変わっていてもおかしくないと思ったのだ。
「そうなんだね。納柴枝は【化け物】が見えるんだ。でもそれってすごいな」
「ありがとう。茜。【化け物】が見えることすごいって褒められたのは初めてだから、すごくうれしいよ。初めて自分が【化け物】見えてよかったって思えるよ」
「え、そんなにか?」
「それも茜のおかげ。茜という人間が今、私の目の前にいることがとてもうれしい」
そう大げさに言って納柴枝は茜に抱きつく。
「もう……私は鬼だよ。誰かに見られたって知らないぞ」
茜はその腕に収まり、ひどくそれが心地よかった。
自分が暗殺者だって忘れるぐらいに。
「このまま、こんな幸せな時が続くといいのに……」
納柴枝から人間らしい言葉を発した。
「そうだな」
茜も自分がそう言わせているのかと思うとひどくうれしくなったのであった。
茜はすでに納柴枝に恋に落ちていた。
それは油断。
油断は不審を生んだ――
「茜はどうした? 最近、部屋にいないようだが?」
鈴は答えた。
「えっと、茜姉さんなら毎日のようにどこかへ出かけています。場所までは分かりません」
「怪しいのう……鈴、茜の尾行を頼めるかな?」
「え、姉さんのですか?」
「そうだ。なに心配しなくていいだろう。茜に何も不審な点がなければ、私らだって何もせん。安心して言ってくるんだ、鈴よ」
「はい。お上。行ってまいります」
こうして鈴は茜の尾行についた。
そして、見てしまう。
桜の木の上で茜がある男と仲睦ましい姿を。
「茜姉さん……」
今の茜は追手が付けられているのにも関わらず気づけないほど気がゆるんでいた。
「で、どうであった?」
「茜姉さんは恋人ができたようです」
「なんと、恋人が。この恋愛禁止のこの場所で恋に落ちるなどと怪しからん」
「調べたところによるとその男は納柴枝という者で裁き人のようです」
「裁き人と恋に落ちるなどと、我らに危険が及ぶやもしれん。もしやそのものと結託してこの〈刹鬼〉をつぶすつもりではないだろうな」
「茜姉さんをどうするつもりなのですか?」
「もちろん、殺すに決まっておろう」
「そんな!」
「そうだ。茜を殺すのはお前に任せよう一番身近にいるお前がやれば今の隙だらけなあの娘を簡単にやれるだろうよ。その暁にはお前は、三番目に昇進だ」
その言葉に鈴は顔色変えた。
息をのみ、そっと口を開いた。
「……分かりました。私が茜姉さんを……茜を殺します」
こうして、茜を殺害実行の日が来た。