ナンシー……7
ダイは、もしかしたらナンシーもミカが手紙をナンシーに手渡すのだろうと考えた。
それは、多少の差を含めても大人的な思考だ。
好きのものはスキ。
直情的な子供の発想とは根本的な次元が違うのだ。
と思い知る。
「えい」
ダイもナンシーもミカが一直線で竈に猛ダッシュすると予想していなかった。ナンシーに「はい」と手紙を渡す、じゃなければ精々手紙を娘宅、ルシアさんの家に持ち込もうとするのだと多寡をくくっていた。それならば年上の走力で楽々奪い返せるのだから。
ところが、ミカは手紙を迷いの気配など葉っぱ一枚の厚さもなく竈に投げ込んでいた。
しかも、竈はナンシーがスープなどを温め直そうと着火済みだった。
「ミカ!」
「ミカちゃん」
ありゃ。ダイも忘れていたけど、転んで怪我をしていたから、いつもより走れない。
ナンシーは突発事態に硬直してしまい出遅れた。
あっさりと煙を舞い上げながら燃焼する何通もの手紙。
「あわわ……消えろ消えろ」
ダイは竈から手紙の救出に挑む。幾つか完全燃焼していない手紙を竈から抜いて掌で殴打。消火を願う。
「なんてことを」
このセカイ、クニでは紙類は、まだまだ貴重な物品なのだ。
届けられなかった手紙を何枚も書き貯められたのは、色繭の職人兼工房長だったナンシーだから可能であり、紙を焚付や便所紙として利用するなど、万札を鼻水を拭うテッシュペーパー代わりに使う価値観だと説明すれば納得してもらえるんじゃないだろうか。
ナンシーがよろよろと竈に歩み寄った。
「もう燃えて、しまったのね」
ダイが焚口から掴んだ手紙もほとんど焼け焦げていて、要を成さない。
「あのね、ナンシーお婆ちゃん」
ナンシー、そしてダイがミカと目を合わせる。
「ミカ」
ダイは、どうやって叱ればナンシーが赦してくれるのか、困惑顔になっていた。大泣きしてでも叩くべきなんだろうか。じゃなくて、自分が叩かれれば、放免してくれないだろうか、と。
「ミカとダイお兄ちゃんもけんかするの。ミカわぁーーってないちゃうの。でもね、ミカ、ほんとうはお兄ちゃんすき」
だから?
呆気にとられすぎてツッコミも同意もないダイとナンシー。
「ミカはお兄ちゃんとなかなおりしたいときは、いつもおなじなの」
「ミカちゃん」
ナンシーに体当たりするミカ。
「お兄ちゃんすきーー。ナンシーお婆ちゃんすきーー」
ナンシーの下っ腹付近でクリンチ、だっこ姿勢のミカだ。
「ミカ、ぎゅぅぅぅってくっついて。すきーーっていうの。お婆ちゃんも、おてがみじゃなくて、ぎゅぅぅすると、いいの」
「だからって」
「おてがみ、いらないの」
まさか妹が手紙を焼くとは想定しなかったダイ。
「ミカ、お婆ちゃんすきーー」
ぎゅぅぅぅ。
もちろん、五歳の女子の抱擁だ。
ナンシーが全否定すれば、春一番の前のたんぽぽの綿毛よりもあっさりと行方不明、消滅してしまう論理だろう。
「お婆ちゃんも、むすめさんとむすめさんの女の子と」
でも。
「ぎゅぅぅぅ。だ・ね・」
なにかが、じわりと溶ける。
溶けるようにナンシーは身体を低くしてミカを包んでいた。
「……お婆さん」
「ミカちゃん、ルシアは赦してくれる……かしら」
ナンシーと娘、ルシアの溝の深さは、ミカの知るところではないだろう。
でも、だが、しかし。
「ぎゅぅぅぅっなの。ルシアちゃんとなかなおりするまで、ぎゅぅぅぅっなの」
うじうじと悩むよりも相手が好きならば好きだと強烈に身体で伝えろ、と。
詩人が赤面したり裁判官が口ごもるような美辞麗句も高邁な文言なんていらない。
相手が赦すまで、離れるなとミカは主張する。
「い、いつ、まで?」
「ぎゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅなの」
「ミカちゃん」
「ぎゅぅぅぅぅなの」
ぎゅぅぅぅぅぅ。
もう、竈に放り込まれた紙束は、真っ白な燃えカスとなっていても、ミカたちは固くお互いの体温を確認しあっていた。