ナンシー……6
ダイは、所在なさげにテーブルについている。戸口や鎧窓から差し込む日差しの角度や強さが、日暮れが遠くないと報せている。
お勤め。
盗賊団の仕事も遂行されないまま時間が空費されているだけではなく、二人の女性の涙に攻撃された。ギリギリでダイは泣かなかったけど、楽しい空間ではなくなっているのは間違いない。
「すぐ人形もらって帰ればよかったかな」
滝か豪雨のように大泣きをした女性陣。ナンシーとミカは寝室に一旦移動して、ダイは独り一階に取り残されていた。
「緑色のシルク、か」
鼻水を啜るダイ。
奥の部屋──さっきミカの手を引いたナンシーを吸い込んだ部屋だ──の扉が開いた。
「あ、それ」
ミカはダイと視線が合いそうになるとぷいと首を右に動かした。
「……」
動かして、そっと兄の機嫌を伺う。ゆっーーーくりと元の位置に戻りつつあるミカの首。
ミカ、ごめん。
ダイは素直に謝る気持ちで両手を合わせて頭を下げる。
下げて、ダイもミカがどれだけ怒っているか計測。合わせた手の隙間からミカの様子をウォッチ。
けろり。
泣いた事実は打ち消せないけど予想外に上機嫌、ミカはぴょんぴょんと跳ねているではないですか。
「あ、それ!」
ミカは、盗賊団の頭であるダイよりも速くお宝をゲットしていたのだ。
大事に両腕でホールドしているのは、二階で陳列されていた何十体のどの人形よりも大きくて丁寧な仕上げのお人形。
しかも二体。
「お婆ちゃんにもらったのーーー」
つまりナンシーは、ミカのご機嫌を治させるためにお人形を選びなさいと連れ出していたのだ。
「あああ」
OrZ気分なダイ。
もう今日はお勤めしているのかしていないのか、なにがなんだわからなくなってきていた。
しかし、負けるなダイ。
「あれ、ナンシーお婆ちゃん」
もう一度ミカのお宝をチラ見。
お勤め臨時休業中でもダイは盗賊だ。周囲の違和感や変化は子供なりにキャッチする。
「この人形の服、昇ったばかりのお日様みたいなオレンジ色だね」
違和感の原因が発覚した。
二階の人形たちは単色の服しか着込んでいなかった。それも紺色や黒など、いわゆる地味色で包まれていた。
でもミカがもらったお宝として腕にある人形の着衣は、オレンジだったり桃色だ。それが染められた色彩なのか、餌で工夫された仕様なのかは問題ではない。
とても鮮やかなのだ。
「そうね。色が派手な人形は、他の人形と並べてもなんだか合わなくてね。だから居場所がなくなっていたから私の寝室に転がして放ったらかしだったんだよ」
腕にしている人形の頭部を顎ですりすりしてとてもハッピーなミカの頭のてっぺん付近を撫でるナンシー。
「だからミカちゃんがもらってくれてお婆ちゃんも嬉しいの」
「……」
背丈の差があるからナンシーを三白眼で捉えるダイ。
「実はね、お婆ちゃんの娘は、薄緑だけじゃなくて何色もの色が着いているシルクをつくりたいって」
「たいって?」
「たいって?」
ある意味でやっと振り出しに戻った。
ナンシーが赤も嫌いじゃないと泣いた理由を語るようだ。
「でも、お婆ちゃんは、昔ながらの色しか許さなかったの。だって赤や金色のシルクは染料顔料でも生産できる。でも、葉っぱの色は地元でしか………」
もう既にマイドールと化した人形の腕を動かしているミカ。
口にはしていないけど、ミカなりの〝ごっこ〟が展開中なのだろう。
「緑色の染料ってないの?」
「……あるわよ……そうね。その通りよ。お婆ちゃんは、怖かったの。教わった蚕の技を変えてしまうのがイヤだったの。だから、聞く耳をもたなかったの」
耳がないのかと身体をスゥィングして人形の耳を確認をするミカ。
耳を確認するとにっこりする。
「娘はとある職人さんと結婚して婆ちゃんの家からお嫁に行ってしまったの。でも、お婆ちゃんは娘に全ての仕事を教えなかったから、念願の色のつく蚕は失敗。今は普通の蚕をつくっているの」
「お婆ちゃん、娘さんのことよく知ってるよね。お嫁って遠い場所じゃないんだ」
会話がそこで途切れた。
どれだけ間があっただろう。
少なくてもダイとナンシーには気まずい沈黙が流れた。
「そうね」
「お婆さん、もしかして荷馬車の速度上げたお家が娘さんのお家?」
明確な返答はなく、ただナンシーの白髪が上下した。
ダイはため息をつく。
「どうしてわかったの?」
「さっきのお家は、ナンシーお婆さんと造りが似てたんだ。妙に二階が広かったり、いかにも工房って感じの建物とか倉庫とか」
八歳の頭の洞察力を褒めるべきだろう。
色のついた繭、そのまま色繭に挑戦したルシア宅は、必然的に実家と似た家屋構成になっていたのだ。
「当たり、よ。今でも様子を覗くんだけど、でもお互い気まずくてね。そばまで行っても、結局馬を急かしてしまうんだよ。ルシアも窓を閉めちゃうし」
「お婆ちゃん」
心配そうに小声でミカが身体を捻りながらナンシーを見上げる。
「お婆ちゃんはルシアさんとけんかしたままなの?」
「そうね。何度も何度も何度も娘、ルシアの家に立ち寄ったの。でも……せめて孫、コノリーと会いたいって伝言や手紙も書いたんだけど。何枚も手紙や伝言を書いて、でもお婆ちゃん娘に渡せないでいるの。勇気がないのね」
馬車で素通りする距離関係でありながら、家のどこかに手紙を挿せないほどナンシーは娘との心の溝が刻まれてしまっていたのだと初対面の子供に吐露しているのだ。
「いけないね」
ポケットからハンカチを取り出して涙を拭き取る。
「じゃぁ面白くない話はここまで、ミカちゃん。お人形はもちろん持ち帰っていいから。お腹減ったでしょう。軽くでも重くでも好きなだけお食べなさい。造り置きだけど」
テーブルを指差すナンシー。
「お婆ちゃん」
ナンシーに背中を押されているミカが振り返る。
「そうね、今スープとか温め直すから」
「お婆ちゃん」
完全に半回転してナンシーと向き合うミカ。
「おてがみ、たくさん書いたの? どうしてわたさないの?」
後方であたふたしているダイ。せっかく場がまとまっているのに、ミカはまだ、どうしてモードが継続中だったのだ。
「書いたのよ。どうせ娘が読んでくれるわけないのにね。さぁお食事しましょう」
ぶるぶる。
首を振るミカ。
「お婆ちゃん、ルシアちゃん、きらい? すき?」
「ミカ、やめろ」
「きらいなの? キライな〝こ〟のお家をなんかいもとおるの?」
「そうね、嫌いじゃないのよ。でもね」
またしてもナンシーの瞳の水分が蓄積された。
「おてがみは? あの箱の紙なの?」
ミカはナンシーの隠し箱を一度目撃していたっけ。
「そう、ね……」
ミカはもらった人形が保管された部屋にとんぼ返りした。
「おい、ミカ」
ダイがミカを追いかけて部屋に入る。
まるで突風のように部屋に駆け込んだミカは衣装箱の蓋を開けている、その瞬間だった。
「ミカ、なにしてんだよ」
ダイが本当骨の髄まで盗賊ならば、ミカが戻った部屋がナンシーの寝室で、貴重品の置き場所隠し場所だと掌握したのだろうけど。
「おい、やめろ」
背中をぺしっと張り手。でも五歳な妹に手加減したのか効果はなかったようだ。
ミカも人形はしっかり確保しながらのオープン作業だったので遅延は発生したけど、箱の蓋を全開。
「これ」
ミカが開けた衣装箱は、半分が空洞。残り半分に紙束が堆積していた。
さらにダイに神様視線があれば箱の空洞部分はミカが大事にしている人形が供えられていた余白だと気づいただろう。でも、そこまでは八歳の知恵の範囲内ではない。
ともかくダイがあたふたしていてもミカは腕と人形の間に紙束、つまり手紙を押し込んだ。
「おい、ミカ」
「ミカちゃん」
ナンシーも部屋に入ってきた。そしてミカはナンシーを擦りぬける。
「ミカちゃん」
「ミカ」