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『大盗賊ダイ』  作者: 提灯屋
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ナンシー……5

 蚕が蛹変態をする際に生産される繭玉から絹繊維を取り出すには乾燥などの後に、煮る。もちろん専門用語があるけど、煮繭。繭を煮ると、そのまんまである。


「じゃぁ、薪を割る前に」


 放置されていた荷馬車はやっと荷台が外されて、馬は厩舎に移動している。


「まえに?」


 しゃがんだ姿勢でこれからの成り行きを見物予定なミカ。兄を見てるだけってのが五歳児の限界なんだろう。


「お婆ちゃんってやっぱ女子供だよな」


「子供じゃないよ」


「だから、お…ん…な…だよ」


 ダイはナンシー宅の正面玄関下のテラスに薪を揃えた。


「この薪割り用のなた。全然手入れしていない。ちょっとサビてるじゃないか」


 鉈を掴んだ腕を真っ直ぐ。

 ダイは刀鍛冶か研師が切れ味をシミュレイションするように鉈を点検する。


「ふっ。やはりおれ様ってすごいな。こんな事もあろうかとちゃんと砥石を手入れしておいたんだぜ」


「そう?」


 忘れてた妹。

 ナンシーの家に着くまで砥石の歪みを直していたのだ。


「蚕が〝まゆだま〟になって、それ乾かして、集めてグツグツ煮るんだって」


「うん、お婆ちゃんさっきいってたね」


「だから、薪だけじゃなく竈に火を着ける藁とかもたくさん必要なんだ」


 うなずくミカ。


「で、薪割りの鉈も藁を切る刃物も手入れしてないんだよ、お婆さんは。これじゃぁ余計に疲れちゃうんだ。だから、時々しか生糸をつくらないんだな、きっと」


 ダイは、ナンシーから何種類かの刃物を借りた。

 ある程度ダイの予想は的中。

 刃こぼれやサビに苛まれた刃物は刃物ではない。鉄の板だ。


「ってことだから、おれ様が刃物を研ぐのさ」


 刃物と一緒に借りた手桶で砥石を濡らす。魚屋さんならぬ可愛い研師さんがここに誕生した。


「そうするとおにんぎょう?」


「ああ、そうだ。お人形だぞ」


 五歳の妹の笑顔が満開になる。


「だけど、これはマジ危ないから、ミカは見てるだけでいいからな」


「うん、ミカ見てるよ」


 実はさっきミカに釘を刺されて腰に秘めた短剣の輝きも、このダイの功績なのだ。


「しゅっしゅっ。か・し・ら・がんばれ」


 真一文字に砥石と刃先を見据えながらダイはつぶやいた。


「ナンシーお婆ちゃんっ家では、お兄ちゃんでいいよ。お勤めは、なしだ」


「なし?」


「ああ、お人形くれる人から盗みはできないよ」



 大盗賊なら、人形を盗めばいいのでは──?


 こんな汚れた思考には至らない八歳の盗賊団頭だった。


「ミカ、ダイ兄ちゃんだいすきーー」


 兄の背中にぴったり張り付くミカ。


「ミカ、危ないから今はだめだよ」


 でも研師の手は急ブレーキがかかる。

 ほくほくの妹の体温が背中全体から全身に伝播するほっこり感は、なかなか誘惑的だ。ダイも危ないと注意しながら、なかなか背中の妹を引き剥がせられない。


「おい……」


「ミカ、お兄ちゃんすき。お婆ちゃんもすき。祖父ちゃんもすき」


「ミカ。お前は嫌い少ないよな」


「お兄ちゃんは嫌いなのもはないの?」


「うーん」


 ここで思案顔をするダイ。


「自警団と用心棒かなぁ。あれは大盗賊の宿敵だもん」


「ようじん?」


 ミカが背中越しに兄を伺う。

 ミカがワンセット、兄ダイの背中で〝すりすり〟が終わったのを見計らうと、手拍子が打たれた。


「あんまグズグズしてられないから、急ぐぞ」


「うん、がんばれ、しゅっしゅっ」


「そうだ、頑張るぞ、シュッシュッ」


 鉈、藁切りの刃、小刀、包丁各種、鎌は複数本。


 もしダイの作業を一部始終見物した人間がいたら盗賊団から転職を勧めるほど八歳にしては上手に刃研ぎを済ませる。


「じゃぁ本番だ」



 ダイが藁切りや薪割りが完了。繭玉さえ揃えばいつでも煮繭が始動するまで下準備が整った頃には、ミカは寝入っていた。




「ふぅ。まゆだまをグツグツするのに薪ってどれだけ要るんだろう」


 結構な量の薪を割った。


 兄妹の会話がなくなり静かになったのでナンシーが様子を確認しに顔をだして、寝入っているミカをだっこして屋内に運んだ。


「よぉし、スピードアップだ」


 藁も焚付用だけじゃなく、人形に詰めるだけなら何十体でも生産可能な量。 

 井戸から台所の水瓶にたっぷりと水を運ぶ。


 下準備だけなら、今からでも煮繭の操業が可能なほどダイは頑張った。



「ナンシーお婆さん、薪とか済んだよ。あれ暗くないよ?」


「もう桑の葉はしまったからね」


 一階は鎧窓が開放された開けた普通の明るさになっていた。


「へぇ。こんな大きなテーブルがあったんだ」


 昔はここで大勢が働いていたとナンシーは説明した。その言葉を裏付けるように、何十人でも一緒に食事しても肩肘がぶつからない大型のテーブル。


 その端っこの椅子にミカは布を一枚重ねて寝かされている。ミカが寝入っている椅子の近くは、特に仕切りもなく竈。ナンシーの家の一階は食堂と厨房などが同一フロアに集合した構造の構成になっていたようだ。

 

「ご苦労様。お婆ちゃんの方も支度終わったわよ。あり合わせだけどね」


「えっ。生糸つくるの?」


「あらあら、まだ蚕が蛹にならないから、煮繭はしませんよ」


 ナンシーはテーブルに食器類を並べていた。椀にはパンや料理が積まれている。


「これ、食事?」


「ダイ君やミカちゃんはたくさん働いたから、これはお礼」


「でも」


「遠慮しちゃいけませんよ。そうそう、ダイ君、これがお婆ちゃんがつくる生糸よ。興味持ったみたいだから」


 大型のテーブルの上にはパンや料理以外に繊維の束が添えられている。

 近づいて、それがダイのお勤めの獲物だった生糸そのものだとわかった。


 けどね。


「黄……緑色っぽいんだ」


 忘れかけていたが、ダイは生糸、シルクを狙っていた。高額な現金化が期待できるからだ。

 でも、ナンシーが提示した生糸は白くない。

 在庫化放置が長すぎて色あせているんだとダイは勘違いをしちゃったわけね。


 なんて、ご安心あれ。


「あらあら、ダイ君が知らないのも無理ないわね。蚕はね」


 ナンシーが同じ目線まで屈んでダイにちょっとしたお勉強会。


「全部が全部じゃないんだけど餌によって真っ白じゃない糸を吐く種類があるの」


 蚕によっては色素入りの桑の葉を与えるとカラーバリエーション豊かな繭が生産可能なのだ。


「これ薄い緑色だね? そうだ、さっき運んだ葉っぱ全部透けて向こうが見えそうなくらい薄い緑だったね」


「そう。ダイ君はほんとうにお利口さんだね」



「ミ……カは?」


 お利口さんに反応してミカが目覚める。


「ミカ、これすごいぞ。お婆さんの糸って色があるんだ?」


「色?」


 煮繭が終わって束ねたシルクをかせと呼ぶ。

 ダイは自然に薄緑色に発色したシルクの綛を持ち上げる。


「色がついてるなんて、驚いたよ」


 小躍りしてミカに発色しているシルクの綛を誇示する。


「そうよ。家の、お婆ちゃんの蚕はよく選んだ美味しい葉っぱで薄緑の糸を吐くの」


「緑色のシルクって高いのかなぁ~?」


 こら。


「でも、ミカのスカートだって〝ひいろ〟だよ」


「あのなぁ、ミカのスカートの緋色は染めているんだ。時間がたつと色あせちゃう。でもお婆さんのシルクはゼンゼンなんだ」


 ナンシーにだっこされて椅子から降りたミカは不思議そうに薄緑の綛をつんつんする。 


「ゼンゼン? ゼンゼンだと、どこがすごいの?」


「それは……だな?」


 色は染めればいい。確かにその通りだ。


「ふふふ。染めた生地と違って風合いとかが違うのうよ。それに、染めるためには糸をグツグツ余計に煮るから、生地が硬くなるの」


 まぁこのレベルは、スキがあれば裸になっちゃう低年齢層では難問だろう。


「ねぇお兄ちゃん、お婆ちゃんの〝いと〟は緑色だけなの?」


「だけなの?」


 質問のリレー。



「そうねぇ。昔からこの、仄か(ほのか)な緑色だけをつくっていたわね」


「ふーん」


 綛を自分の柔らかい頬っぺたにすりするするミカ。


「あ、ミカ。それ売り物だぞ」


 ダイがミカから綛を奪おうとするとナンシーは首を振って制止する。


「いいのよ、もう一度精錬。煮るから」


「よかった」


 すりすりが終わると、疑問が沸いたらしい。


「ねぇお婆ちゃん。ミカ、桃色も真っ赤も好きなの」


「あ」


 なぜ、どうしてナンシーが凍った。敏感にナンシーが唇を噛んだ動きを察知したダイだったけど、ミカのどうして攻撃は開始されたばかりだった。



「どうして色は一つなの?」


「お仕事だから、それでいいんだよ」


 ダイはミカの口を抑えようとする。でも間に合わなかった。


「ミカだけじゃなくて赤とか好きな人いるよ?」


「ミカ、黙れ」



 ダイはミカと組み合った格好になった。どうしてを止められなかったのは、ミカが兄の言いなりばかりではないからだろう。


 五歳でも、五歳なりのマイワールドがある。

 不思議なことは解決したいのだ。


「ミカちゃんは、あの子と同じこというのね」


 ナンシーが震えていた。


「ああ、ごめんなさい。あれだよね、赤は木綿や麻の染めた色だからケチくさいからだよね」


 本気でどうしてモードが発令された子供は止まらない。


「お婆ちゃん、どうして赤はないの? どうして?」


 しまった。


 ダイはミカとナンシーを交互に見張った。

 ミカは無責任にどうしてどうしてと質問して、ナンシーはついに泣き崩れた。


「嫌いじゃ、ない、の、よ……」


「あああ……」


 ナンシーが手を伸ばした。

 理由は不明だけと涙を誘発したミカを叱ると感じたダイがミカを背中に回そうと試みる。人の盾になろうとしたのだけど、大人のリーチと歩幅はダイの防衛戦を一瞬で無意味にした。


「お婆ちゃん、ないちゃ」


 幸いにナンシーはミカを強く強く抱きしめていた。殴ったりはしていない。


「バカ、お前が悪いんだろ。お婆さん泣いてるぞ」


 さすがに兄が妹の後頭部をパーで叩く。


「ないもーーん」


 五歳児大泣き警報。いや、もう豪雨来襲だ。


「悪いだろ」


「わるくないもーーん」


「ルシア……コノリー……」


「ミカ……」


 ナンシーの娘と孫の名前だろう。




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