ほんの少しは尊敬してたのに
「あれ?」、「おお?」
男の背後からマーサが鞭の一閃を放つ。けど不発、当たらない。
「勘のいいデカ男ね、だけど、ね?」
回り込んで誘拐者の前方を塞いだマーサは、そこで硬直した。
「おお、〝ブル〟のねえちゃんでねえけ?」
「ブル、じゃなくて、ベルリナーだよ、パウロ判事」
「パ・ウ・ロ・? 判事?」
もちろんマーサは冷静になっていれば、こんな初歩的な間違いは犯さなかっただろう。でも、ダイが抵抗する女の子と歩いていた光景が判断力を狂わされてしまった。
「あ、あの」
引っ込みがつかないお得意の獲物、二条鞭。
「あの法服の後ろ姿って見たことないから」
「おーー。それは俺も見たことね」
「いや、それはマズいんじゃない、パウロさん」
「あ、あの」
「下ろしてよ」
そうだ。
「あ! ダイ、でか判事!」
「んあ?」
「もう! 降りるからね」
するりとパウロの腕から抜けた女の子。結構美人っぽいけど、眉毛まで隠す大きい頭巾のせいで顔が確認できない。身なりや衣装から、町娘っぽいけど。
「ダイ、貴方なに拉致の共犯してるのよ。女の子、イヤがっているじゃない」
「えーー。でもさ」
「そうだな」
どっちの〝そう〟、なんだ、パウロ。
「なのに、助けようともしないで。大盗賊が誘拐団に成り下がったの」
「ゆうかい?」
ぱちぱちと瞬きするダイ。
「だからね、イヤがる女の子をどこに連れてく算段なのって。聞いてる?」
「あーーとだな、俺は判事だぞ」
「え、なんで力コブ?」
「だからだな」
「説明になってないじゃない」
「それはそうだね」
「あーー。これから女の子を洞窟に入れてしまうんだな、確か」
「パウロさん、それは」
「なによ!」
びゅん。マーサは鞭打ちではなく、水平スイングをする。速度が足りないから簡単に避けられてしまうけど。
「少しはダイ、あんたに感謝したり、パウロ」
「おーー。呼んだか?」
まるで森の熊さんの挨拶。片手をにょきっと持ち上げる。
「判事だけじゃなくて、ほんの少しは尊敬してたのに」
「おーー少しか」
「もう、してない!」
一発二発。マーサは全力で鞭を振るう。
「ほれダイ。ちいと危ね」、「わ」
小石か茶碗を持ち上げるようにダイの襟首をリフト。マーサの鞭の鋒から回避する。
「判事だから何でも許されるの? そんなの私が承知しないから」
「やっれーー白ひげ」、「テオぉ」
鞭を弄びながら間合いを測るマーサ。
ダイは、パウロの脇で状況が読めないのか動いていない。普段の大盗賊らしい活発な動きは気配も感じられない。
「貴方たちに、あんたなんかに」
「まだ打ってくるか。元気なネエチャンだへ」
「うる! さい!」
大振りなだけで全然効果的じゃない攻撃を繰り返すマーサ。
「ねぇ、白ひげ」
「っさいわねぇ。鞭が当たっても知らないから」
マーサの腰紐を引っ張った鼻高。貴族のお嬢様だ。
「ねぇったら」
「え? まさか判事だから見逃す気?」
「ねぇ白ひげ。アナタ女の子が誘拐されそうだから怒ってんだよね」
「そうだけど?」
みしみし。二条の鞭が引き絞られて悲鳴を上げている。
「その女の子だけどさ」
さっきまでパウロの小脇に抱えられていた女の子がいた。マーサはその行動を拉致だと解釈したからパウロと付属して歩いていたダイに激高していたのだ。
「貴女たち、誰?」
ちょこん。パウロの黒い巨体から覗いている女の子。
「ほれ、ソシア危ね。こんネエチャンの鞭はスゴイで」
「知り合いなの、ねぇ!」
「ほら」
主客転倒。嫌だイヤだと抵抗していた町娘が判事にくってかかっている。