夫の留守に、密議。貴族の令嬢を拉致。
名門旧家のグアンテレーテ家にも、カノッサ勤労女子修道院生たちと同じく夜が訪れる。
「うむ」
アーネストの隣には妻のカトリ、カトリーヌ。
少し離れて赤ちゃんベッドに一粒種のパーシバルが寝ている。
「『夫の留守に、密議』? 『貴族の令嬢を拉致』」
独り言でも寝言でも、王国の治安を守る専任部隊の夜警隊の将校としては物騒なセリフだ。
「『蹄鉄はウマによって表情が異なる』、『ウマを乗り継ぐことで一人を三人にする』?」
世の中は色々あるけど、現在のグアンテレーテは平穏の見本市だ。アーネストが前後不明でもヤバそうな単語を列記してもパーシバルもカトリも熟睡したまま。
「『竜を退治するのは〝燃え盛る剣〟だけ』。それに『天空を翔る紐靴』
ファンタジー領域に突入した。真っ暗な室内で無意味に目を細めたアーネストは、寝返りを打ってカトリに背中を向けた。
「『水責めで幽閉』『大量の水、ある?』は軍略そのものであるが、どんな意味があるのだ、ダイ」
昼間。
ダイは妹のミカとの隠れんぼうを適当に流していた。五十数えているフリをしながら、実際はカキカキと熱心に作業していた。
その断片がアーネストが漏らした単語だったのだ。
「密議、水責め。何れも八歳九歳の子供の言質に非ず」
昼間なら壁のシミを眺めて気を紛らすこともできたのだ。しかし現在寝室は暗黒世界に突入している。視界はゼロだ。
「如何致すべき也」
さっきとは反対に寝返って妻のカトリを伺う。暗いから、静かに安らかな寝息がアーネストの慰めであり救いになっていた。
「親、子」
アーネストの故郷の両親は健在だ。我が子も特大のイベントで誕生したが健やかだ。でも、ダイとミカの両親は、どうだろう。あれだけ元気で、ハーピィを撃退する勇気と知恵と功名を誇っていても、八歳で大盗賊を名乗っていても褒める両親も叱る両親も、いない。
「所詮、余はカナーノ兄妹とは他人、であるか」
こんな寝苦しい夜になるなら愛妻が渋い顔をしても、もう一杯盃を干すべきだったと悔やんでいるアーネストだった。
翌朝。
軽い朝食を済ませ夜警隊本部に出勤するためにアーネストは、乗馬の点検に勤しんでいた。
「アーちゃん、カーちゃん、おはよう」
「パーシーちゃーーん」
「やや?」
持ち上げていた馬の蹄を下ろす。グアンテレーテ家の度々の訪問者であるダイはアーネストを親しんでアーちゃんと呼ぶ。それは、いいのだが。
「ごめん、忘れものしちゃったんだ」
「おお」
徒歩とウマ以外の移動手段は限られているバルナ王国では、八歳児でも乗馬は必須スキルだ。でもそれを考慮してもダイの騎乗技術は賞賛の類に属している。馬の尻に五歳の妹、ミカを載せていても歩行は安定している。ウマも疲労感を訴えている様子はない。
「もしかしたらこの紙束であるか?」
ウマの鞍に敷いていた束を掴む。紙束がダイの忘れ物なのは承知していた。でも内容が旧家の生まれのアーネストには過激だったので、夜警隊本部で手渡す予定だったのだ。手間が省けたし、正直アーネストには悩ましい内容だったから安堵をしている。
「それそれ。ありがとうアーちゃん」
兄のダイがペコリと頭を下げているスキに、妹のミカはいつもの対応だ。
「カーちゃーーん。パーシーちゃーーん」
「あれあれ、いきなりだっことは、大きい赤ちゃんだぁ」
ぶるぶる。アーネストの妻カトリの腕に収まったミカは百八十度以上の首振り。
「ミカはね。五歳なの。赤ちゃんはパーシーちゃんでね、ミカはね」
「はいはい。じゃあ旦那じゃん送ったらよろしくだぁ」
「うむ」
ダイとミカの視線を浴びては夫婦の儀式は本日はお預けだ。
「うむ、ダイ。余の裾を握ってまで何用であるか?」
「アーちゃん。ミカの目は塞ぐから、夫婦のいってらっしゃいのキスをしてあげなよ」
おませなダイだった。