騙し香
「うわっパウロさん」
「ほぅほぅ。おめ、ネズミでねえけ」
パウロが動くと、小間使いたちも一緒に動く。まだ満腹じゃないらしい。
「おめらは、ちと待っててな」
くっつている小間使いたちを制するパウロ。
「なぁなぁ、ネズミ」
「ええーーーっと。おれ、ダイっていいます」
「そうけ?」
ぬっという巨大な一枚板でも背負っているようにパウロがダイを見下す。それだけ身長差があるのだ。
「おめ、なんだかなぁ」
「えーーっとそれ、おれのセリフなんですけど」
カクンかくん。パウロは鉈みたいに頭を前後させる。
「はぁ。おめ、臭いぞ」
「それ人によっては傷つくけどなぁ」
怖い。素直にダイは恐怖を感じている。大盗賊を名乗っていても怖い。しかも相手は本来ならば公正な判事、裁判官なのに襲いかかりそうなくらい怖い。
「はぁはぁ、間違えね。おめ、オーク臭いな」
オークは豚モンスターとして知られているけどダイは目撃したことがない。
「えーーーちゃんと毎日お風呂入ってますよ」
「おーーーーー」
実際見た事はないけど、爺ちゃんから聞いた鯨みたいにパウロが大口を開いた。
「おれはな、十三歳までフロなんて知んねぞ」
「人それぞれですねーーー」
「はぁはぁ、思い出したぞ。おめ、そん匂いはオークと〝騙し香〟の匂いだな」
「だ?」
司法院の最高権威者、大法官。
現在生粋の貴族ではない郷紳出身のカペラ・キースが就任している。
「閣下」
大法官は就任時は爵位貴族と同等に扱われる。だから閣下と敬称される。
「ペネ高等判事です」
大法官カペラの秘書官、ラスカ判事が童女と間違えそうな小柄な女性を案内する。パウロの実姉、ペネ判事である。
「大法官閣下、お召によりペネ判事参りました」
ペネが腰を完全に折り曲げたと同時に閉じられた扉。これで大法官の執務室にはカペラとペネの二人きりの空間になる。
「いつもご機嫌麗しゅう」
「ペネ君。今は教官で構わないよ」
チラ。腰は曲げたままペネが上目遣いでカペラを伺う。カペラはかつて司法院研修生だったペネの教官だった経緯がある。単に上司部下だけの繋がりではない。
「もう、一応それぞれの立場がありますから」
「いいじゃないか。で、そのトレーに載っているのが?」
ペネは真四角のトレーに香瓶を運んでいた。
「これが先日、チャート商会から没収した〝騙し香〟です」
「これが、ね」
幅広の執務机から離れてペネに接近するカペラ。
「これを焚いて匂いを吸ってしまうとウジがたかる屍体の腐臭ですら満開の花一輪の匂いと間違える。ちょっと考えられないね」
指先で瓶を摘むカペラ。
「同感ですが事実です。まるで」
口元を固く結んだペネ。
「うん、ある意味悪夢だよ、ペネ君」
「確かに。〝オーク〟の独特の体臭を誰も気づかないのです」
「これが商品として王都で流通していた」
「はい。もちろん、単純に体臭をゴマかす目的だけとは考えられません」
司法の最高峰とその教え子の高等判事は社交辞令や政治的な駆け引きヌキで眉を折り曲げていた。