十三時になれば、勝ち
あれあれ。貴族の子女が混じっているフェーデ一味にしてはお上品じゃない行動だ。マーサたちは、自分の獲物──武器の隠語だな──にペッと唾を吐いて滑り止め加工を施す。景気づけの意味も、あるのかねぇ。
「小娘ども、大人しくお家で茶でものんでりゃさぁ」
マーサたちと本気対決を選択した男たちの誰かが叫ぶ。もっとも、現状五分五分の戦力比だろう。
「その言葉、私の刃でお返しするよ」
「くそ」
やはり、この男たちは唯の農夫でも商会の運び屋でもない。襲撃がある前提で警戒して覚悟して備えている。剣術だって、なかなかの腕前だ。
「この、一枚一枚ひン剥いて丸裸にしてやるからな、ぜってーー△△だ」
「ああ、そうしたら、○○○××だな」
倫理機構発令会話。
「くぁゅあ!」
顔面に、葉っぱで包んだ馬糞が痛恨のダメージを与える。
「しまった。向こうは飛び道具があるぞ」
「口元を隠せ。じゃないと、ン! げぇでへ!」
馬糞は命中すれば飛び散るから、目の周りも危険区域になるのだ。
「白ひげ、いつまで〝こう〟してンのさ?」
ダイの支援射撃があっても、大人対子供。経験と腕力とスタミナのハンディは埋まりきれない。
「十三時だ。十三時まで頑張れば、〝勝ち〟だよ」
鉄線を仕込んである手袋を叩いても効果は半減以下だ。白ひげ、ことマーサは予想よりも自分が戦力外になっている事実に焦りと怒りを感じていた。
「そりゃ手紙読んだから知ってるけどさ」
「どーして十三時なん?」
「知らない。ほら!」
マーサの鞭は、男たちの剣撃を妨害しても薙ぎ払えない。こんなことなら、小刀も扱えるようにすべきだった。
「倒れなよ」
精々、馬糞パックで呼吸が奇しくなった男の背中を叩くのが鞭の限界なのが腹立たしい。
「十三時だからね」
何故?
バルナ王国の王都、ダイヤム。
もちろん、一般大衆には時間を測る手段はない。自然光や腹の虫を除けば。
『ぐあぁあぁあぁん』
王宮内に鎮座する大聖堂の別館に、時間局の出先機関がある。
この──前時代的な──科学者たちが計測した時間が大聖堂の鐘の音。時報として活用されている。
大聖堂から市内に点在する聖堂に鐘の音がリレー。原則王都と中央州に時報が鳴り渡る仕組みになっている。
夜警隊本庁舎、あるいは大隊本部に用意された一室がある。
容疑者や事件関係者を質問や尋問したり司法院送致などの判断を下す、取調室である。
当たり前だけど、夜警隊の敷地内でもこの区画の主人は司法院から派遣された判事職になる。
「はて、時間だへ」
間違いなく時の鐘の音が聞こえた。
「はい、判事」
でも、前任者のシルズはとっくに帰宅している。パウロは、じっと十三時になるのを待っていたのだ。
「んだら、呼んでな」
「は? ……被告をですか」
「んだな。そっだ。椅子も持ってきな」
「椅子をですか? 窃盗の被告に?」
「んだぞ。六十過ぎた爺ちゃんだへ。地べたはいけん」
「了解しました、パウロ判事」
カラスコは、なんだかもう業務が始まる前からぐったりだ。かなり疲弊していた。
昼間の十三時。それが夜警隊本庁舎の常駐判事の交代の時間なのだ。夜警隊設立当初は日付変更と同時だったのだけど、退館する判事の安全を配慮して変更。
二転三転して現在の十三時に決定していた。
「判事。本件の被告です」
カラスコを先頭に、続いて腰縄で拘束された被告。誰の目から見ても栄養が足りなすぎるやせ細った老人と法定刑吏の代任を務める夜警隊員が尋問室に入室する。
「あ、あの。俺は拷問されるんか? た、助けて」
しゃがれ声を撒き散らしながら右往左往する老人。
「ああ俺のことは気にすんなンだら。〝カラしゃ〟こン人のシャツを脱がせな。爺ちゃん、シャツ脱ぐだ」
規則性が謎な訛りも問題なのだ。でも、パウロが滅多に人の名前を正確に言わないことがカラスコを疲れさせる原因になっている。
いずれにしても奇妙な指示に素直に従う被告と手伝うカラスコ。法定刑吏は、その間に椅子を取り調べ室に設置する。
「爺ちゃん、椅子に座るだ」
「あ、あの。判事様がその場所で?」
「あ? この板け?」
尋問道具の一つで、別名『三角板』あるいは『ノコギリ板』。
つまり、ギザギザと尖った道具の上に座る。
正式な利用は、これに石などの重石を載せる、キッパリ拷問器具だ。仮に石を載せなくても、大人ならば自分の体重で、結構な苦痛が約束される。
そんな道具の上にパウロは座っている。窃盗の被告には席を与えられているのに。
「あはは。姉ちゃんからの命令だ。気にすんな」
「姉? ペネ判事のご命令ですか?」
カラスコは、夜警隊の中では少数派の文官寄りの立ち位置の隊員だ。その分司法院の人事などはそれなりに詳しい。
「んだ。俺が司法院のネズミを捕まえなくて、姉ちゃんに報せなかった罰だな」
「どんなネズミなんです」
もちろん、ネズミはネズミでもその正体は八歳の大盗賊。パウロは司法院の暖炉の通風窓を利用して書類を偽造したダイを見逃していたのだ。
幸か不幸か司法院の最高責任者である大法官、カペラ・キースがネズミの仕業を黙殺したため、パウロは子供のイタズラに対する躾のような体罰を命じられているのだ。
体罰の……効力は保証されそうにないけど。
「ま、いいから始めっべ。じゃ爺ちゃん、盗みを認めっな?」
「はい。あの、俺やはり拷問、ですか?」
ブンブン、ブブンと首を左右するパウロ。
「爺ちゃんに必要なんは、罰じゃなくて仕事と、盗みはいけんって強い心だべ」
ほほぅ。カラスコは、尋問の口述筆記をしながら、少しだけパウロをプラス評価した。窃盗だから、これこれの刑罰では、真実犯罪は根絶しない。処罰が終わればまた空腹に耐えかねて窃盗を犯すに違いないのだ。
「じゃけん、シャツだ」
とても窃盗犯への尋問の口ぶりではないパウロ。そして、椅子を勧めながらシャツを脱がした不可解さ。
「恥ずかしいべ。寒いべ」
「はぁ」
「季節柄は初夏なんですが、判事」
「それけ? でもさ、腹減ったら死ぬ。いんやいや、盗むのはいけん。腹減っても、物を盗られる気持ちが、多分こんなだ」
そうか?
疑問符の大行進だけどカラスコにはパウロの尋問、取り調べに口を挟む権限はない。
「すみません。でも」
「シャツを脱がされた爺ちゃん、恥ずかしいべ。不便だへ。それが盗まれる人の気持ちだ」
「はい」
「じゃぁ決まりだ」
「え? 判事」
カラスコは筆記を止めた。パウロが、書類にペンを走らせている気配を感じたのだ。
「爺ちゃん、この『推薦状』持って働け。このお店はな、ちゃんと『推薦状』持ち込みでも差別しない信用していい働き場所だぞ。盗みをした店の弁償は司法院が立て替えするで」
そんな甘々な判決があるか。いや、この判事は、時々こんな判決をしでかす人だった。今回は、甘い方に傾いただけで。
「仕事ですか? 俺、何度も盗みで捕まって、まともな仕事なんて」
「もう盗みは、すんなや。爺ちゃんまだ働ける。弁償はそっから……て・ん?」
「天引きです、判事」
にっこりしながらカラスコに歯列を公開するパウロ。
「おめ、詳しいな。〝まるで判事〟だ」
「はい」
カラスコは、ため息をついた。
今日の十三時から丸一日。夜警隊は、司法的にはパウロの指揮下に入っているのだ。