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『大盗賊ダイ』  作者: 提灯屋
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ネズミがいる


 翌日。


 朝飯前の前。

 バルナ王国の都ダイヤムに朝がやって来た。


 日の入りとほぼ同時に、ザネリーの分隊が夜警隊総本部に帰投する。


「ほら、夜警隊おれらの本部だ」


「コソ泥が路地裏に逃げやがって」


「残念だな。夜警隊は馬だけじゃないんだ」


 身体を荒縄で固められた容疑者を連行したザネリー。


「あと〝何匹〟、こんな事すれば王国軍に戻れるのかね」


 容疑者の尻に蹴りが入る。


「おい、ほどほどにしろよ」

 容疑者の確保綱を引き受けた隊員がつぶやくが、もちろんスルーされる。


「ふん。おい飯だ、飯。それに酒を持って来い」


 軍服の襟元を緩めながら、食堂になだれ込むザネリーたち。


「おい、酒と飯だ」


 朝食の時間と重なって食堂はほぼ満席だった。


「まだいるのか、おい、そこのガキ。とっとと酒持ってこ」


 テーブルに、小さな頭が動いていた。

 ダイがまだ夜警隊に入り浸っているのだと軽く脅したザネリーは、でも絶句した。



「おはよーーーございますーー」


 エプロンを着用したミカが、お盆片手にザネリーに接近する。


「お? は?」

「誰だ?」


 にっこり。


「あのねー、わたしミカ。五歳だよーーー」


 パアとザネリーの目前に広がる小さな五本の指。


「ミカね、今日は頭のかわりなのーー。〝おにいさん〟おなまえは?」


「ザネリー」


 つい釣られてザネリーも片手を広げる。連なっていた分隊員は、呆然と暴れクマと幼女のやり取りを傍観するのみだった。ってかザネリーに意見する人種は希少だったのだ。


「ああー! だめだめ」


 ミカはザネリーの手首を両手で掴んだ。


「おいガキんちょ」


「あのね、わたしミカだっていったでしょ。がきんちょじゃないよ」


 ミカの桃のような頬っぺたが膨らみ、朝日のようなピカピカ輝く唇が尖る。


「ザネリーったら、なんてバッチイお手々なのかしら。朝ごはんはお手々とお靴を洗ってからですからね。それから朝からお酒はいけませんよ」


「手?」


「お手々をよーーーーく洗うの。それから、お靴もドロだらけ。いけませんよ、ザネリー」


「ざ」


 こくりとうなずいたミカ。


「ざぶんじゃなくていいから、よくお手々とお靴をあらうんですよ」


「だれがザネリーだ、このガキぃ」


 ザネリーがキレた。キレたけど、五歳女子に対する遠慮手加減する自制心はまだ残っていた。ミカに乱暴する愚挙はまだ犯していない。


「おおごえでなくても聞こえますよ。はい、ちゃんとお手々とお靴を洗うんですよ」


「お前な、一々食堂で飯食うためだけに手足洗う暇人がいるか?」


 しかし、これは藪蛇だった。


「あ? お前ら!」


 食堂に溢れる朝食中の隊員たちは皆、うるさ型の先輩であるザネリーに一斉に手と軍靴を披露した。


「まさか」


 食堂の、いやその奥の厨房のスタッフを含めた全員が磨かれたような手や腕。そして靴を着用していた。


「どうして」




 後年──。


 就業前後や食事前の手洗いなどの励行は、夜警隊が嚆矢だと言われている。この対策の甲斐あってかバルナは食中毒が大幅に減少したと、その功績を称える識者は数多いが、発端が誰であるのか知る人は少ない。


 不思議とお手柄な夜警隊員すら手洗いの励行について多くを語らない。


 謎の沈黙の理由は当時五歳のミカの命令一下に食事前の手洗いが強行された背景にあるのだ。



 知らなくてもいい真実もあるのだな、お疲れ様です。




 カペラ・キース、三十七歳。


 司法院の最高責任者であり、バルナ司法の頂点に立つ大法官に二年ほど前に就任している。三年前の政変は司法院にも余震となり、都合五人の大法官の首が変わった。カペラの二年余りの就任は、司法院関係者に長期安定政権の期待を抱かせていた。


 身長百七十七センチ。

 大きすぎて威圧感を植え込むこともない体格であり、低くもない。

 肥満でも痩せでもないし、さらりと流れる金髪に、これもまたいい具合に高すぎず低すぎない鼻筋、シミを探すことを躊躇わせる美肌。


 既婚者ではあるが、それでもまだ内外に根強い人気を誇っている。


 一部門でも若くして頂点を勤める行動的なカペラが大法官執務室に現れる。


「閣下」


 恭しく、秘書官を兼務するラスカ判事が拝礼でカペラを迎えた。


「お帰りなさい。法務長官との会合はいかがでしたか?」


 大法官が法官、制服組のトップならば、法務長官は行政上の司法の最高権限者である。


「うん、ラスカ。いつも通りだよ」


 カペラ大法官は平民と同類の郷紳出身。


 これまでならば、大法官どころか最高判事にも到達できない身分だった。タニー公爵以下、ベルリナー子爵たちが失職した政変と、巻き添えのような四人の大法官の短命政権、それに伴うたくさんの古参職員の離職免職が郷紳の大法官が誕生する導線になった。


 郷紳出身の影響なのか生まれつきの性格か、口調はいつもフレンドリーであり、その容姿と重なって青年大法官の人気を支えている。


「僕は正直、もっと踏み込んだ討論をするか、定例会を廃止するか、どちらかにするべきだと思うんだ。唯役職者たちが面会することに、意味なんてないよ」


 カペラの一人称は僕。やや子供っぽい印象もあるけど、美男だとそんな物言いすら好感度を上げるネタになるんだから、世の中どうかしているんだろうな。

 いずれにしても閣僚と面会するために袖を通したド派手な衣装から、黒一色の法服に着替えながらカペラはうなる。


「その、面会なんですが」


 職務上、目を遠さなけらばならないのは、書類や訴状だけではない。面会も重要な大法官の業務なのだけど。


「珍客かい?」


 金刺繍の上着をラスカに手渡したカペラの口元が幾らか歪んだ。

 面会者の待機室は大法官の通路とは重なっていないから、珍客が誰なのか、当然カペラは知らない。


「おい、カペラ!」

「いけません、判事」


 執務室の外扉から罵声が乱入した。いや、乱入者が罵声を発しながらカペラを目指していた。


「お待ちください、面会順番があります。まず申請を!」


 黒服の袖を引く軍人の慌てた顔。

 これは間違いなく歓迎されざる珍客だなとカペラはこっそり同意した。


「これはリドル先生」


 下働きのタウトが威張ったけど、真実カペラはリドルの教え子だった。

 もっとも、『下働きを駆使するリドルのやや尖った顎を確認するのは久しぶりだな』、がカペラの再会第一印象だったけど。


「法定刑吏、何をしていた」


 ラスカが声を荒げる。


「カペラ、これはどんな嫌がらせだ」

「お控えください、判事」


 法定刑吏。


 正規業務は法廷内の争いごと──なにしろ訴人、被告人どちらも軍人貴族以下、武装している人種ばかりなんだから──を治める役割のために、武装を許されている。そんな法定刑吏もリドルを制御できない。

 法定刑吏は普段は警護警備が職務になっているから、大失態だろう。


「これだ!」


 リドルが握っていた紙束をカペラに投擲する。

 しかし折り畳んでいない紙束はカペラには届かないで、無様にリドルの視界を邪魔しただけに終わる。


「ふざけた真似をするな」


「リドル判事」


 ラスカが人の盾となってカペラからリドルの理不尽な激情の荒波を遮ろうとする。


「構わないよ、ラスカ。でも先生、僕には皆目先生のお怒りがわからないんです」


「いいか!」


 足を踏み固めた姿勢に本来ならばタメ口も許されない上司に向かって指をさす元先生。


「三日連続で、俺の書類箱に同じ訴状を入れたのは、入れられたのはインチキ大法官の貴様の指令があったに違いないんだ」


「書類箱? あの宝石箱みたいな大きい綺麗な箱ですか?」


「綺麗なんてどうてもいい! 今度、こんな嫌がらせしたら、後悔させてやるからな、忘れるなよ」


「判事、判事。お待ちください」


 砂時計を反転させたように、登場時と似た状況でリドルは退出した。


「なんなんですか、あの人は」


 リドルが撒き散らした紙を拾い集めるラスカ。


「あれ?」


 一枚の紙が突然宙に浮いた。


「主じゃなかった。フッフ判事」


 つい普段の呼び名を使ったラスカ。


「私の面会順番なんだけど、いいかい?」


「フッフ。貴殿が資料館から出るなんて、これこそ珍客だね」


「そうなるな」


 資料館の責任者で、カラスコがダイに怖い人と警告された人物が、大法官の面会者で司法院資料館長のフッフだった。


「その、済まないが」


 フッフはラスカを一瞥する。


「了解したよ。受付も刑吏も席を外させよう」


「助かる」


 得意な場面ではないのか、後頭部を所在無さそうにぽりぽりと掻いたフッフ。




「手短に話そう。司法院に〝ネズミ〟が動き回っているぞ」


 カペラが執務机に腰を落とすのを待ちきれなかったようにフッフは切り出した。


「それは資料館長としては重大な問題だね」


 職員生活四十年以上。司法院永年勤務登用制度の活用で司書に兼務判事の資格を保有する古株、資料館のヌシと敬称されている人物がフッフだ。

 なにしろ資料命で、汚れた手で資料請求した判事を追い出した武勇伝がある。ネズミの気配で大騒ぎしたのだと解釈する。


「おい、年二回のネズミ駆除なら先月実施しただろう。今回のネズミは二本足のネズミ。人型ヒューマンタイプだ」


「まさか」


「嘘なもんか。この書類、訴状をよく読んで見ろ」


 フッフはリドルが撒いた紙をラスカから引き継いで携えていたのだ。

 フッフからカペラにリレーする訴状。


「『……土地相続に関する 審議の請求』。これがどうしたんだい。問題があるとしたらリドルの大好きな手数料の多少くらいじゃないのかい?」


「おいおいおい」


 ばばばんと執務机を叩くフッフ。


「申請とか受理番号とか、よく確認してくれ。それより訴人と訴訟の対象はどこだ? まさか偉くなったら判事の記憶をなくしたとか言わないで欲しいぞ」


「番号? この番号は! それに、この森は!」


 ガクブルするカペラ。


「やっと気づいたか。この訴状は三年前リドルが却下した訴訟だし、再審議なら新規の受理番号で登録される。ネズミは、そこまでは把握していないようだな」


「でも、リドルが、この訴状で激怒したね」


「それなんだが」


 腕組をして口元を折るフッフ。


「あいつ、相当興奮してるな。書類、ま、訴状だが冷静に目を通せば受理番号でニセの訴状だって一発なはずなんだ。多分、原簿には記載されてないぞ、この再審査訴状」


「ならばこれは、この訴状は?」


「ネズミの偽造だ。ネズミに侵入されても、さすがに原本を盗まれたら呑気な刑吏でも時期判明する」


「原本はそのまま。そのための複製、か」

 カペラ、大法官は手にしたニセ訴状の出来栄えにむしろ感動すらしている。


「しかも、数百年前からの伝統、旧ナルド書体で記述されたトンデモない偽物だ。コソ泥レベルのネズミじゃないぞ」


「原本を丸複写したにしても、あのリドルが冷静さを失うくらい精巧だなんて。恐ろしいね」


「その偽物はベルリナー子爵家の土地相続だ。そいつは確か三年前の政変で失職した子爵の娘で、リドルが即日相続の申請を却下した訴訟。だからあいつは冷静じゃいられなくてニセ訴状と見抜けなかったのさ」


「さすが、資料記録に関しては司法院一番だね」


「ふん、普段通り資料館のヌシと呼んでくれ。でもな、あの処罰は誰の目からも不公平だった。不正を糾弾された主席長官本人よりもタニー政権でも下っ端の商業副長官のほうが没収された土地の面積が広いなんて、おかしいじゃないか」


「タニー公爵は現在はのうのうと末席ながら閣僚に復帰。でもベルリナー家は現在でも王都立ち入り禁止。この点も不公平だ。機会があれば、僕自身が吟味したい事件だね」


 手首をコキコキと左右させるフッフ。


「二年以上放置して今更社交辞令を私に言っても仕方ないだろう。それよりもネズミだ。立派な不法侵入に有印公文書偽造だ」


「でも連番以外は文章に瑕疵かしが発見できない上に、司法院の器物の保管場所を熟知しているなんて、トンデモないネズミだね」


「どうする?」


「どう? そうだな、古参判事が偽造を見抜けなかったとか、他人任せで仕事を選り好みするとか。僕が大法官に就任して二年目、そろそろ旧態然とした古参をどうにかしたかったんだよ」


 偽造された訴状から視線を舐めるようにフッフに移動させるカペラ。


「なぁ、ちょっとした苦い薬にはならないかな? この件、ネズミのお手並みを見物するのはどうだい?」


「おい。そりゃ、効きすぎて毒になるぞ」


「それはヌシさん。僕の手腕にかかっている、だろ? なにかあっても後始末するのが最高位の役目じゃないのかな?」


「承知した。ところで、ネズミの正体なんだけど」


 フッフを制するカペラ。

「フッフ。今のところは僕はネズミを知らなかった。で、お願いしたい」


「そうか。実は、非常に律儀なネズミでな。俺の昼飯の食べ残しにカバーをして棚に仕舞ってくれたんだ。それだけじゃない部屋の掃除もしたんだ。あのままじゃあ蠅や本物のネズミがたかるし、資料を汚しちまうかもしれない。驚いたよ。食事の後始末に掃除までするネズミなんて前代未聞だ」


「確かに面白いね」


「カペラ。その内お前さんの下着も洗濯してくれるかもしれないぞ。奥方とは違う銘柄の香水付きで」


「妻帯者にそんな不吉な冗談は止して欲しいな」


 苦笑いで別れる二名の判事たちだった。




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