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『大盗賊ダイ』  作者: 提灯屋
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貸し、だ

「マーちゃん」


「おねえちゃん」


 マーサは、とうちゃんの胃袋からナニかを手探りっているのだろうか。


「よし、吐きなさい」


 腕を抜くと、マーサは革袋の水で洗浄。残りをとうちゃんに注入する。


「吐きなさい」

「とうちゃん」


 大凡馬の症状を把握したマーサと、ただ励ますダイ兄妹。


 参考までに──これは、普段なら嘔吐を誘引する物質を敢えて胃袋に流すことで吐瀉。毒物などの胃の中味を吐き出させる民間療法です。


「水が足りないわね」


 ダイに水袋を手渡すマーサが立ち上がり際に一言。


「〝水の精霊たち、契約に従い力をわれに貸し給え。この森に漂う水を土に蓄えられし水を此処に〟」


 マーサの周囲に、ロウソクの火先より小さい光るものが幾つも漂う。

 これって水の精霊たちかな?


「それ、精霊呪文なの?」


 シンプソン祖父ちゃんやウォーリス祖母ちゃんたち、ダイの身近に魔術師はいない。でも、魔法関係は少しだけ教わっていたんだ。

 

 マーサは呪文らしい文言を追加で唱えた後で、かっと目を見開く。


水創造クリエイトウォーター

「うわっ」


 まるで怪力で持ち上げられた風呂桶から溢れる水。大量の水が革袋に流れる。


「直接生き物に呪文を掛けると、過剰干渉したり魔法酔いするから。さ、革袋貸して」


 マーサはとうちゃんに水を流す。含ませるとか飲ませるなんて生易しい量じゃない。


「げぇ」


 何回か水を流して、吐かせてを繰り返して、とうちゃんの胃から馬が食べる印象のない物体が流れ出た。


「やっぱり、蜘蛛と蜘蛛の巣」


「蜘蛛?」「くも?」


 まだマーサはとうちゃんの口に水を流している。マーサの脇をダイは注目した。

 とうちゃんが吐いた水が、やがて当たり前に水溜りになっていたけど、その水の中で蜘蛛がジタバタしている。


「馬にはとってはね、蜘蛛や蜘蛛の巣を食べるのは、毒を口に入れるのと同じくらい危険なの。知らなかった?」


「う、うん」


 マーサはとうちゃんの頬をよしよしと声がけしながら擦る。


「蜘蛛だけじゃない、葉っぱでも食べると危ない種類があるんだから、もっと勉強しなさい。馬の専門家の夜警隊と親しいんでしょ」


「そうだね。ありがとう」


「やだ」


 ダイとミカにとっては、初めて目撃したマーサの笑顔だった。


「しゃがみ込んで頭下げたら、あんたたちカエルみたいね。兄妹カエル」

「カエルさん?」

「カエルでもなんでもいいよ。とうちゃんを助けてくれてありがとうございます」


「はいはい」

 マーサは、おしまいとつぶやきながらとうちゃんの顔を軽く叩いた。


「あれ、マ、マルグレーテさん、行っちゃうの?」


「マーサさんでいいわよ。だってさ」

 ペタンとお尻を草地に落としたマーサ。


「なんか気勢をそがれちゃったもん」


「ふぅん」


 確かにさっきまでとは雰囲気が別人のように柔らかい。


「あんたに昨日の仕返ししてやろうと待ち伏せしてたら、妙に虫がたくさんだし、馬は泡吹くし」


「馬の扱いすごいんだね」


「そりゃ」


 真っ黒な衣装で膝を抱える女の人って異様な光景だ。


「三年前、たった三年前は家にそれこそ何十頭の馬がいたもの」


 三年前にマーサの家庭が没落した事情ならば耳にしたばかりだ。


「さっき、この森はマーちゃんの物だって言ってたよね」


「こら。最低でもマーサさんと呼びなさい」


 ダイの頭をつんと突くマーサ。


「マーサちゃんが相続したって証明はあるの? 相続遺言とか」


「文書で残ってれば苦労しないわよ」


 マーサは自分の太股に顔を埋め、ダイは腕を組む。もちろんミカもダイの真似をする。


「それだと、〝しほういん〟に訴えても勝ち目が薄いな。あ、痛てて」


 しゃがんだ姿勢のマーサが体当たりする。

 どちらかと言えば、ふかふかな感覚がダイの左腕に伝わる。


「だから、私は挑発してるの。この森の相続を認めなさいって」


 マーサ流。あくまでもマーサの言い分では、フェーデに名を借りたカツアゲ強請も土地相続の一方的な主張らしい。


「あんま上手な作戦じゃないよ、それ」


「じゃあどうすれば賢いのよ。ベルリナー家は王都立ち入り禁止で、司法院に訴えられないんだから」


「ねぇ頭。〝しほういん〟ってなーにーー?」


 お話に取り残されていたミカがなぜどうしての質問の形式で割り込む。とうちゃんが無事ならば、やはり一人お話に取り残されたくないのだ。


「おれたちのバルナ王国の刑罰や訴訟を扱う場所が〝しほういん〟さ」


「じゃあ、ミカたち〝だいとうぞく〟のてきだねーー」


 また、マーサが微笑った。


「お利口さんね。妹さん、お名前は?」


「ミカだよーー」


「マーサさんって兄妹いるの?」


 気持ち口角を持ち上げたマーサが手招きをすると、まるで当然のようにぴったり脇に接着するミカ。


「私の場合は弟と妹。でも離れて暮らしてるの」


「そうさびしいね」


 年上のマーサをナデナデするミカ。


「あれ、ミカちゃん。ありがとう」


 マーサ、ミカ、ダイと並び、背後にとうちゃんが腹ばいのままの図式になった。


「ミカちゃん。例えば、この人は女の子にイタズラする悪い人でーすって訴えるとするでしょ?」


 あ、イヤミだ。マーサは悪い人だとダイを指さした。


「頭は。わるいひとじゃないよ。ときどきけんかするけど」


 マーサの意図が理解できないし、まだ兄とは仲良しのミカには通じない口撃だった。


「じゃあ十一歳の女の子が泣いちゃったりしたら可哀想でしょ」


「え?」


 ダイはビックリして飛び跳ねていた。


「ほら、男の子って、もう視線がイヤラシイんだから」

「そりゃ」


 ダイは、何度も対決していながら、マーサを女性として初めて視認した。そりゃ豊かな起伏と自己主張の強い身体ってのは確認済みだったけど。


「マーちゃんって、もっと年上だと思ってた」


「なによぉ。私、まだ十一歳なんだから。あんたは」


 唇を尖らせて抗議するマーサ。


「ミカね、ごさいーー」


「おれは多分八歳だよ」


「なにそれ」


 眉と口元が同調して山型になるマーサ。


「いや、誕生日とか知らないんだ。教えてもらってない」


「ミカもね、しらないのーー。でも〝げんきなのがいちばん〟って祖父ちゃんいうんだよーー」


 はぁ? と呆れ顔のマーサ。


「あんた自分の馬がいて、その衣服で捨て子とか浮浪児だったんじゃないわよね?」


「うん、祖父ちゃんと祖母ちゃんと住んでるよ」

「あと、とうちゃんとおじさんとおばさんもいっしょだよーー」


 こちらはカナーノ家の三頭の持ち馬の名前。


「なんで、そうなってんの?」

「知らない」

 兄妹のハーモニーで返答。


「あんたも、面倒な家庭環境なのね」


 膝の谷間から細い目でダイを凝めるマーサ。


「そうかな」


 まだマーサは膝と眉と口元を折り曲げながら、『司法院』の解説が再開する。


「逮捕された人が裁かれたり、土地の相続とか境界線の争いごとを解決する場所が司法院なの。でもね、司法院は王都と二箇所の支部しか存在しないから」


 二箇所の支部も、マーサたちベルリナー家は立ち入り禁止の州都に存在している。


「立ち入り禁止でも〝だいそにん〟にお願いすればいいじゃない?」


 代訴人とはクニや時代で厳密な線引きは不安定だけど、要するに民間の司法従事者の呼称なのだ。


「あら、意外と詳しいのね」


 あ、今ちょっとマーサが鼻を鳴らした。小馬鹿にしていたのかな。


「でもね。悔しいんだけど、その代訴人を雇ったりお願いするお金が潤沢じゃないの。相手がお金持ちだと、代訴人の依頼料で根負けを狙うし。わかる?」


「うん。それって〝しほうのむじゅん〟だって祖父ちゃん言ってたな」


 公平であるべき司法は、得てしてこうした矛盾と不公平が累積している。それは、どんな時代世界でも共通の爆弾なんだ。


「ミカの祖父ちゃんねーー、おやくにんだったんだよーー」


 でも勤務先や部署は知らない兄妹。


「ああ、道理で詳しいと思った。でも一度訴訟を退けられてるし、正面からの突破は諦めてるの」


「ならダメじゃないの」


 マーサにダイの言葉が直撃する。


「言うわね、あんた」


「訴えが通らなかったからって、無関係な街道を通る人を襲うのは良くないよ」


 念のため良くないってのは、昨日マーサたち『猫の足音団』が凶行していたフェーデのことだ。


「あのね、訴えたその日に却下なんて、政治的判断だと露呈してるじゃない」 


「そうなんだ」


「そうなのよ、それに昨日の男たちは普通の農夫じゃなさそうだから襲ったのよ。子供にはわからないでしょうね」


「おねえちゃんも頭もミカもこどもだよねーー?」


「あれ、行っちゃうの?」


 ミカの突っ込みとお仲間さん扱いをなかったことにして、ゆっくりと裾の砂埃を払いながら立ち上がるマーサ。


「仕方ないじゃない。こっち、私は修道院の籠の鳥なんだもの。外出だって監視の目が厳しいのに、毎日門限破りできないのよ。今留守だけど、修道院の舎監、厳しいのよ」


 舎監とは寮や宿舎の管理人さんの難しい呼び方です。管理人よりも権限が強い存在が舎監で間違いない。


「ああ、そーゆーことか」


 〝王都より三十キロ以内立ち入り禁止〟のマーサが、小型馬で王都から小一時間の郊外の森に出入りしてた、可能だった理由。


 それは修道院の内部が、司法の蚊帳の外だから。修道院の一員。それが例え行儀見習いや見習い修道女でも、同じ屋根の下の仲間になる。マーサは修道院に属していれば、ギリギリ王都立ち入り禁止令から逃れられるのだ。


 つまり宗教関係者やその施設が軒並み治外法権で司法の関与を拒む伝統は、現在のバルナでは健在に機能している。司法の不平等と併せて、中々大人の事情は難しいね。


「そーゆうこと」


 マーサには正当なセリフだけど、なぜかミカも唱和する。


 つまり──。


 マーサは、温情なのか監視──随分放置して緩い監視だけど──の目的か、修道院に放り込まれているから、王都に近い街道筋でフェーデすることも困難ではないのだ。


 となると、『猫の足音団』はイコール修道院の仲間である公算が強い。

 いくら年長者でも平民の暗号名テオがグループのリーダで伯爵令嬢が子分、部下である構成も、同じ修道院の寄宿舎仲間ならば不自然ではない。

 貴族の親の影響よりも、同じ屋根の下で生活する関係がそのまま『猫の足音団』に適用されたんだ。


「見覚えがあると思ったら、その黒ずくめって、見習い修道女の制服なんだ」

 別名、修道服シスター・スタイル


「ンなわけないでしょ。修道服あれダサださだから、お古をあちこち切り合わせたり縫ったりしたのよ」


 それなら改造版でも、原型は修道服です。


 マーサたち『猫の足音団』のメンバーは、修道服のスカートをキュロット形式に縫い合わせてズボン式に加工、機動性を高めていたのだ。身分偽装の目的もあったのだろうね。


「そっか。じゃあ、マーちゃんってきれいでさいほうが上手だから、いいお嫁さんになれるね」


「よ?」


 固まったマーサ。


「〝よ〟じゃなくてね、ミカね、ごさいーー」


 ダイの発言にも、ミカの滑る合いの手にも無反応なマーサ。

 でも、段々顔面が赤色化して、遂に爆発する。


「だ、誰が、よ、嫁よ! 没落令嬢を売り物にして身売りするのよ。だ・れ・が・」


 握り拳に片足を踏み込んだマーサ。噛みつきそうな剣幕に、ダイは戸惑ってしまう。


「いや」


 そもそも身売り的な結婚なんて、祖父ちゃん祖母ちゃんにミカ以外ほとんど接点がなかったダイは、教わってないし考えたこともないのだ。


「じゃあね。もう会わないでしょうけど、馬に野放図に食べさせちゃダメだからね。それから、今度私たちを邪魔したら妹さんの目の前でも殺すんだから」


 マーサはそれだけ言い残すと、踵を返した。もう、この空き地には何の用もないのよ、と街道目指して歩き始める。フェーデで使用した馬は、今回のなんちゃって報復劇では使えなかったらしい。


「ばいばいーー」


 ミカはマーサの激怒の原因が兄の失言とは察知できずに、愛想よくお別れする。なにしろ、とうちゃんを助けてくれたんだから、これは当然だ。


「ばいばいーー。おねえちゃん、ありがとーー」


「ばいばい」


 何回かのミカの呼び掛けに折れて、振り返らないで手だけ振り返すマーサ。


「じゃあ、もう泣いちゃダメだぞーー。フェーデもダメだぞーー」



 ちょっとばかりダイの失言。


「ふんっだ」


 振り返ったマーサ。


「あ?」


 マーサは。

 元子爵令嬢のベルリナー・マルグレーテは、あろうことか両方の下まぶたをおもいっきり牽引。

 ダブルあっかんべーをする。


「なんだかなぁ」


 ミカには、マイナス評価にならないマーサの反応だったらしい。ヘン顔の別バージョン程度の感覚かな?


「頭、いっちゃったね。おねちゃん」


「ああ。貸しが、できたな」


 戦闘でも愛馬のメンテナンスでも惨敗したダイは、気抜けしたのか草むらに座り直す。


「貸し、だ」

 考えようによっては、マーサのあかんべーはダイの敗北感をいくらか薄めてくれていた。ま、本心はどうなのか不明だけど。


「おれは……〝大盗賊ダイ〟。盗まれたものは盗み返すよ、マーサ、マーちゃん」



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