マルグレーテ(マーサ)と再会
朝が来た。
グアンテレーテ家のお泊り会は終了。
鶏の卵回収や水汲み、パーシバルの見張りに馬の点検、その他諸々。
一泊のお礼のお勤めを済ませてからダイは帰路に就く。
と、その前に大盗賊の頭として欠かしてはならない大事な儀式が残っている。
「ミカ、到着したぞ」
「じぶんでおりるよーー」
兄妹仲良く。じゃなくて、盗賊団の頭と相棒は獣道をとことこと、愛馬とうちゃんに揺られて移動していた。
「数日で草がぼぅぼぅじゃないか。お勤めって何日も怠っちゃいけないんだな」
街道から外れた、森林地帯のポケット的な草地の区画にダイとミカ。そして兄妹を乗せた愛馬は立ち入っていた。
広さとしては箱庭程度。
でも、まるで赤ちゃんの額程度の狭い場所が意外にも大盗賊ダイにとって神聖な場所になっている。草に覆われたままなんて、ありえないのだ。
「ミカは、見てるだけでいいぞ」
「おてつだいするーー」
「ぷるるるる」
頭とミカ、そして小型馬は三者三様の対処で箱庭の除草作業を開始。
ダイは草を刈ったり引っこ抜く。ミカは、まぁその一本草を抜いたら満足して弄んでいる。もちろん、馬のとうちゃんは食べることで草刈と同等の役割を果たしています。
手狭な区域だから、あっという間に目的のオブジェクトが出現する。
主役のない台座──あるいは礎石、もしかしたら碑文を刻まれていない墓石──?
ただ灰色がかった一枚岩が地面に埋め込まれて、その周囲が小高くなっている。
ある日ダイを乗せたとうちゃんが道草を食べていたらこの緑の空き地を発見したくらいで、石板を知る人が全然いなかった。
だから、いつ誰がなんのために埋めたのか全くわからない。そもそも、この石板の作業は完了しているのか、あるいは放棄されたのかすらも不明なんだ。
そんな謎の物体でも、ダイには充分存在価値があるのだ。
森の中に浮かぶ白くて少し盛り上がって眩しい場所。
シンプソン祖父ちゃんが寝物語で話してくれた場面に設定がソックリな場所だったんだ、この石板の空き地は。
「よし、これで充分だ」
ピカピカの石板の真ん中に猛々しくダイは立つ。
「おれは大盗賊ダイ」
高々と──と言って精々八歳の少年の身体だけど──腕を天空に突き上げ決めセリフを一席ご披露します。
「〝今更鍵を掛けたってもう遅いぜ。お宝はもうおれに狙われてしまったんだからな〟」
「わーい」
どの辺が喝采のポイントか不明なミカの拍手とはしゃぎ声。
「……〝お宝はもう頂いてしまったぜ〟の方が決まっているかな?」
こめかみに指を当てながら、決め台詞を再検討する。
「うーーん」
小首どころか全身を曲げるミカ。
「ねぇ頭。今日はなにをぬすんだの?」
実はエア窃盗ばかりで、ゲットしたお宝を申告できないダイ。
「そうだな、じゃあ、〝追いかけてもムダだぜ〟とか」
「どうしておいかけるの?」
「それは、だな」
つまり──。
具体的な成果がなくても、この特大サイズの石板の上では、ダイは大盗賊だ。
それくらい大切で神聖な儀式の場なのだ。
だから、三日に一度くらい。馬で小一時間の距離にある場所なのに濃厚な頻度で、この空き地を訪れて草取りをして、念願のセリフで盗賊宣言する。
カーちゃん、ことカトリーヌをハーピィ襲撃から助けたあの日も、この石板に向かっている途上だったのだ。
「その内、王都で派手なお勤めをするかな」
「ふぅん。その時はミカもいっしょに〝おうと〟にいっていい?」
パチンと音がした。
「あのなぁミカ。お勤めは遊びじゃないんだぞ」
「だってミカ、たいくつなんだもん」
天空に突き上げたままの腕をやっと下ろす。
「退屈だからって、なにをぱしぱし叩いているんだ?」
「いないよ?」
ミカの細くて白い腕は、お気にの人形を抱いている。パンパン叩く余裕はないね。
「? いないな?」
でも、耳を澄ませば確かにパンと単発の手拍子のような音がする。
「頭。森からなにかくるよ」
「なんだろう」
林の枝葉が音を立てながら揺れる。
「うさぎさんかな」
「いや、枝が鳴ってるし、兎より大きい熊人かな」
なにかが接近していると判断したダイは、ミカに合図。
「おれの後ろに回れ」
ワンステップで兄の背後に隠れるミカ。ダイは身を低くしながらスリングの腰紐を外す。
がさがさ。
足音の主が出現した。
「んもう。何時まで藪で遊んでんのよ。あんた、本当に殺すからね」
「あ、昨日の黒だ」
藪から黒ずくめ、じゃなくてベルリナー・マルグレーテが現れた。昨日フェーデを仕掛けダイと対決した挙句夜警隊に連行された衣装、そのままだった。
「もう、ここ虫だらけじゃない」
マルグレーテは身体のあちこちを叩いたり摩擦して虫を追い払おうと努力している。パンパンの発生源もマルグレーテだったようだ。
「な、ミカ。ちょっと臭くても祖母ちゃんの薬を塗っててよかったろ?」
「でも、ミカくさいのきらい」
唇を尖らせてオキニの人形をギュッと抱きしめるミカ。
「虫除けの薬あるなら寄越しなさいよ」
背中に付着している虫が無いか確認しているのだろうか。肩ごしを覗こうとしてくるくる回っているマルグレーテ。
「でもなぁ」
「寄越しなさい。まさか貴族の令嬢にお願いしますと言わせる算段?」
「いや、やたら女の子の身体に触っちゃ祖母ちゃんやアーちゃんに叱られそうだから」
「いいから!」
ダイには付着した虫は見えないんだけど、ぴょんぴょんと跳ねて虫の落下剥離を狙っているらしい。
「もう助けてよ」
「世話が焼けるなぁ」
ダイがボヤきながら虫除けの薬瓶を開くと、途端に周囲に充満する匂いにミカは全力で兄から離脱する。
バルナ王国の主要街道の一つ、エスカラ街道の枝道に近い雑木林。
その木々の海に浮かぶちょっとした雑草だらけの島に、真っ黒な衣装の少女と幼い兄妹が座っている。
なぜ、どうして少女と断言できるかと問われたら、豊かなでなだらかな起伏が、黒ずくめは彼女だと証明していると答えるしかない。ま、昨日女の子だって確認してるし。
「でも、服の上から塗って効果あるのかな?」
「仕方ないでしょ。私だって乙女を安売りしたくないもの」
正体を隠すための黒い衣装に虫除けの薬剤を塗りこむマルグレーテを、ダイは半分呆れて見物している。
「ふぅん。その薬、直に塗ったほうがいいのに。で、マちゃん」
「マ?」
ダイのセリフで歪んだのか、薬の匂いで鼻が曲がりそうなのか。
「へんなかおーー」
ミカは即座に突っ込む。
「マってなによ、マって」
こみかみ辺りがピクピクしている。
さすがに立ち上がってダイを見下ろすマ、ことマルグレーテ。勢いよく〝たたら〟を踏んだ拍子に、手元から瓶が転がり落ちる。ダイは、黙って瓶を拾いながら補足する。
「だってさ」
革袋の紐を結び直しながらのダイ。虫除け剤は瓶に詰めて更に革袋に収めていたのだ。だってミカが臭いって煩いんだもんな。
「マルグレーテ、マルグレーテって一々バカっ丁寧に呼んでたら面倒じゃないか」
「あんたね、仮にも貴族の令嬢に失礼にも程があるじゃない」
でもダイも間髪入れずに反論。
「仮じゃなくて正式に貴族じゃないんでしょ。子爵領は没収されて、強奪決闘してアーちゃんに捕まったんでしょ?」
あれあれ。
マルグレーテは、あちこちをプルプルさせながら涙目。
反撃の反撃も激怒もない。
「フェーデじゃない」
「フェーデだってアーちゃん言ってたよ」
「だ・か・ら・」
「うん」
マルグレーテの感情は高まる一方だけど、ダイは落ち着いていた。
「ここは私の土地なの。私が領主なの」
「嘘言っちゃだめだよ。マ……マーちゃん」
少しだけ妥協してフルネーム呼称に近づくダイ。
「嘘じゃない。私が産まれた時に、御祖父様がこの森一体をプレゼントするって、そうおっしゃったの。だから私の土地なの」
「でもさ、おれ、ここは王様以外の誰の土地でもないって教わったよ」
「私の森なんだってば」
「そっか」
アーネストの説明が正しければ、王都立ち入り禁止令は、ベルリナー家全員に有効になっている。でも、財産没収刑は、当時子爵本人だけだ。
マルグレーテに、この森が相続されていれば、没収の対象から除外、変換されることになる。
「でも、おれはこの森が王様の森だって教えられてるんだ」
大人は大人の事情がある。
そして、子供にも子供の事情があり、そのどちらも幼いミカには退屈だった。
「とうちゃん、いけーー」
ミカは兄の愛馬、とうちゃんに乗って空き地の周回をお散歩している。
指示されているのか勝手に動いているのか、小型馬はミカを乗せ道草を食いながらゆっくりと主人の周りを闊歩しています。ご安心あれ。
で?
「ふん。じゃあ聞くけど、この森の名前は? 国王直轄地なら王府が管理する連番が付帯してるんでしょ?」
「いや」
そこまでは知らない、教わってなかったダイ。
「ほら、だからこの森は私の森なの。領主が領民から徴税する行為のどこが違法なのよ」
「もしも領主様でも、あんなやり方はいけないと思うよ」
「いけないか、良いかは領主が判断するの。だから、あんた」
足元の土埃を払いながら戦闘態勢に移行するマーちゃん。
「ねぇマーちゃん」
「マーちゃんじゃない。失礼でしょ」
「なら、マルちゃん」
「刻むな。せめてマーサ嬢かマルチ嬢と呼びなさい」
「じゃあマーサちゃん」
「マーサか。まあ取り敢えずよし。じゃああんたは殺されるんだから」
こうして、長い本名呼称からマーサと呼ばれる事態になった没落令嬢は、昨日に続いて腰に巻いた二条鞭を構える。
「ふぅん。おれの名は大盗賊ダイ……」
今日のマーサは容赦がなかった。
ダイが名乗りを挙げる前に戦闘開始。鞭を縦と横に強振する。
「おい、マーちゃん」
ダイはマーサの鞭を回避した。でも外れた鞭の攻撃力が半端なく増加しているのは、大気を切り裂く音とダイの後方の枝が吹き飛ぶ気配で把握していた。
どうやらマーサの鞭は素材が強化──いや凶化されている。獣の尻尾とか植物の蔓などの天然素材ではなく、鋭い鉄条の鞭で攻撃している。そうとしか思えない切断力だ。
これは──振り返ったら不味い。じゃなくて、一切気を抜けない。
「へぇ」
目一杯強がりながら、ダイはマーサの本気度に半ば恐怖が芽生えていた。
一度はマーサと愛称を使いながら、馴れ馴れしいマーちゃんとかちょっと挑発的な言い回しに戻しても全く無関心にダイを襲ってくる。
「心配しないで、鞭で即死しないから」
もしも鞭の先に鉄球が備わっていたら、逆にダイには好都合だったのに。長物が引っ掛かりやすい林に逃げ込めば鉄球付きの鞭は有効ではない。
でも、マーサは鞭の弱点の対策済みで襲撃をしている。
「そうなんだ」
「妹さんもいるから、三日か四日。しばらく残る筋を顔に入れたら勘弁してあげる。寛大でしょ」
「そうかな?」
腰から放った短剣を構えるダイ。
「けへん」
ヤバげな空気で妙な効果音だ。この声、〝とうちゃん〟?
「ほら、もう直ぐ鞭が当たるわよ」
「そっか」
ダイは、どうしてマーサが〝白ひげ〟のアダ名・暗号名を名乗っているのか理解した。身を持って体験、が正しいのかも。
「まるで〝ひげ〟なんだ」
マーサが縦横無尽に操る二条の鉄線の鞭。
陽の光を浴びると、白いひげに見えなくもないのだ。
「けへん」
けへん?
「頭ぁ」
ダイとマーサの険悪な意志の流れに戸惑ったのか、頼りなさげにミカの声にもダイは応じられない。
「ほら、木の枝なんか容易く斬れるんだから」
「そうらしいね」
挑発なのか、じわじわと追い詰めているのか、マーサの鞭は空を切り続けている。でも、布一枚程度軌道をズラせば命中する狙ったような空振りだ。
「泣いてもいいのよ」
「昨日の『猫の足音団』みたいに?」
唇が山型になるマーサ。
「やっぱり消えない傷を刻んであげる」
「いらないよ」
今更だけど、マーサは厚手の手袋を填めている。これもダイのスリングで鞭を手放さない対策だ。
「けへん」
シンプソン祖父ちゃんが冬に、こんなことしてた──咳の音だ、これ。
でも、ダイは、〝咳〟よりも気がかりがある。
「なぁミカを家に帰らせていいかな?」
ビンっ。
素早く鞭の先端を掌に収めたマーサがチラッと視線を動かした。一部のスキも与えない用心さで。
「その必要あるかしら。だって」
あれ。
「その馬」
どうしたんだろう。ダイはマーサの身体の緊張が緩んだような気がした。だって堅く握っていた鞭を絞る音が聞こえなくなったんだ。
「っへん」
「頭、頭」
ミカが泣きそうな声だ。てっきり一触即発の空気にアテられたからだとスルーしいていたのだ。でも今回は危険信号だと判断する。
「ミカどうしたんだ?」
マーサの鉄条鞭も怖いけど、ダイは後方のミカの様子を確認した。
ミカがとうちゃんの首筋を一生懸命撫でているけど、とうちゃんの足元はおぼつかない。ふらふらだ。
「ちょっと、その馬!」
「あ」
俊敏にダイを追い抜いてマーサはミカと愛馬の元に到着していた。
マーサは跪いてとうちゃんの顎をくいっと捻る。
「とうちゃん、どうしたんだ」
小型馬のとうちゃんは、口から泡を吹きながら、よろめき、膝を落としていた。横転する寸前。
スピード命の馬には、腹這いでも寝転ぶでも命取りになる動作なのだ。
「あんた、馬にどんな飼料を……無分別に下草食ませたのね」
ダイにはやや難しい言い回しだ。
「なんだよ、とうちゃん危ないのか?」
もしかしたら、さっきからミカが泣きそうな声でダイを呼んでいたのは、とうちゃんに異変があったから?
「だから」
カミソリの刃みたいなキレ気味の視線でダイを睨む。
「家畜は放置すると何でも口にいれてしまうの。赤ちゃんと同じ」
「あ、あ、あの?」
とうちゃんの口をこじ開けて口膣を診るマーサ。
「馬、抑えてなさい。ほら、狼狽しても馬は治らないから」
その通りだけど、ダイは馬が病気に罹った経験がない。
「わかったよ」
「貸して、その木の枝。後、水の入った……革袋も」
ダイに騎首を預けて、とうちゃんのお尻に回ったマーサが手を伸ばす。マーサが要求した木の枝は、ダイにとっては『銘刀木の枝』。消耗品ではないのだけど、とうちゃんの方が大事に決まっている。素直にダイは木の枝と水の詰まった革袋を差し出す。
「はい」
先ずマーサは枝の付け根部分に水を注ぐ。
「意地悪じゃないんだからね」
どんな意味なのだろう。ダイが疑問符に沈んでいる中、マーサは木の枝をとうちゃんのお尻の穴に突っ込む。
突っ込んで、ほじくって枝の付け根に指先ほどの馬糞をくっつける。
「マーちゃん」
意地悪な行為じゃないと釈明したマーサに、愛馬を任せるしかないダイ。
「ばっちいよ」
ミカが驚きの声を上げる間もなくマーサは馬糞を握る。
握って、「本気で馬、抑えてなさい」
再びとうちゃんの口元に膝を落とすマーサ。
「ともかく吐かせなきゃ」
強引に記号化すれば、げぇぇって感じでとうちゃんはゲロ吐きの効果音みたいな音を出す。弱いゲップ音かも。
「胃袋に、届け」
とうちゃん本人の馬糞を握ったマーサが腕を捻り込んでいる。マーサの肘までとうちゃんの口に吸い込まれた──突っ込んだから、目標地点は胃袋なんだろう。