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『大盗賊ダイ』  作者: 提灯屋
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赤ちゃんの名前はパーシバル

 そこからは、八歳と五歳のペアとしては限界に近い、でも理想的な動きだった。


 支柱と天蓋布を駆使してお湯を沸かす。

 直接炎に触れなければ、紙片を折り畳んだ即席鍋でもお湯は沸かせられるのは、サバイバル初級の知識だろう。


 ダイがハーピィを追い払い、ミカがカトリーヌを励ましたり水を飲ませたり額の汗を拭いた。

 こんな努力の末にパーシバルがこの世に生誕した。


 天蓋布に貯められた水はミカが熾した火で加熱。お湯となり、そのままパーシバルの産湯になる。


 幸いに、カトリーヌは出産の後始末をダイたちの協力で実行可能な器用で基礎体力もある気丈な女性だった。


 臍の緒は生みの母親であるカトリーヌ本人が切断して糸で縛ったし、後産はダイが埋めた──まだ臍帯血などの有効性は知られていないから、これは仕方がない。



 街道の治安監視とフェーデ対策で巡回していた夜警隊員が偶々職場放棄した使用人からの訴えで急行。

 ダイたちが護る馬車に到着した頃には、パーシバルと後に名付けられる赤ちゃんは母親のおっぱいを貪っていたとアーネストは教えられている。


 馬車に固まっていた面子では、赤ちゃんだけが元気で、カトリーヌもダイ、ミカもぐったりしていたそうだ。



 王都で勤務待機をしていたアーネストが報告を受けて馬を走らせ、我が子と対面した場所は、ダイの家カナーノ家にて。時刻も夜間になっていた。


 ハーピィの襲撃で馬車馬を失っても小さな救世主の助けもあり無事出産を果たした。

 でも限界。カトリーヌは、しゃべれないほど衰弱していたのでダイの家に運ばれたのだ。



 なにより明瞭にしゃべれないカトリーヌでは自宅に誘導できないのに対し、カナーノ家には物知りだけど半分寝たきりの祖父ちゃんの世話をしている祖母ちゃんが、少しなら医術の心得があるとダイが主張したことが決め手になっている。


 他にも八歳の男子のダイが、カトリーヌの出産をフォローした実績もカナーノ家に母子を運ぶ後押しとなっていた。

 的確なサポートをダイに指導できるほどウォーリスの医術知識は保証済みだと判断されたのだ。



 また、近隣の人家や村に運ぶ選択肢は、施設の不備や医者や施療人不在の場合のリスクから回避されていた。





「元王国官吏のカナーノ氏の御婦人であらせられますか?」


 ダイとミカのお祖母ちゃん、ウォーリスとカトリーヌの夫アーネストが、この時初めて挨拶を交わした。随行者なのか、部下なのか、松明を灯して携えている夜警隊員は、入室を控えていた。


「本日は、本官の妻が御迷惑をかけ」

 ぐぐっと腕を牽引されたアーネスト。


「堅苦しい挨拶とかは後、後。今はとっても頑張った奥さんと坊やにキスをすることが貴方の義務ですよ」


「坊? 男子ですか?」


 安堵の息遣いが漏れる。


「とっても元気な男の子。さ、何よりもキスです。昨今拘束力はなくなりましたけど、出産の大役を終えた母子にキスして初めて赤ちゃんは世の中に認め」


 ここで、なぜが声が途切れた。

 ミカと並んで、カトリーヌと赤ちゃんが寝ているベットに寄り添ってうとうとしていたダイは、薄目を開けた。残念だけど、暗い部屋だからよくわかんなかった。


「御意」


 アーネストの──もちろん、この時はダイはアーネストの名前を知らない──の軍靴が室内に響く。


「カトリ。アーネストである」


 返事はなかった。この時のカトリ、カーちゃんは、微睡んでいたらしい。


 ──! 部屋が明るくなった。


 今までは、疲労困憊のカトリーヌやダイたちに気遣ってロウソク一本だけだった室内に、オイルランプが灯ったのだ。もちろん、赤ちゃんと対面するアーネストのために、ウォーリスが着火した照明だ。


「この赤子が」


 まるで正体不明の秘宝に触れるように、アーネストは我が子の前髪をいじった。

 極細で軽い巻きが掛かった産毛は、しかしアーネストには予想外なほど従順に方向転換する。


「なんと」


 軽く触れただけで容易に左右するほど脆弱な身体。儚い生命。


「さ、キスです」


 アーネストの背後から、もう一度ウォーリス祖母ちゃんがキスを催促する。


「ん」


 まだ目が開かないから厳密には父親との対面じゃない。でも、それはヤボな突っ込みだ。

 赤ちゃんは父親のキスを、祝福と受け取ったのか、イヤイヤをしたのかはわからない。


 でも、唇をもぞもぞ動かしながらカトリーヌと顔を近づける。近づけて、口を全開する。誕生してまだ半日に満たない赤子では、瞳は見開かれるはずもない。


「大きな欠伸だ」


「ええ、それだけ元気な男の子ですよ」


「だん、な、しゃ、ん」


「カトリ」


 カトリーヌが夫の到着を実感したらしい。


「つぶしや、いけん、し」


 それは結果アーネストが赤ちゃんやダイとミカにのしかかっていた警告だったのか。


「済まぬ。だが、触れば消えそうだ」


「消えなし」


 消えたりしない、と伝えたのだろうか。


「ああ」


 アーネストが、大任を終えた妻の額に唇を載せる。


「消えてはならぬ、消してなるものか」


「だあれぇ?」


 ミカも微睡み。半分起きて半分おネムむでアーネストの体温を実感する。


「ああ」


 立ち上がって室内を改めて一瞥、その後で襟を正しながら、左右に気配りをするアーネスト。


「童子たち」


「ダイだよ」


「ミカだよ、〝おにいちゃん〟」


 了解の意味でうなずくアーネスト。


「それにカナーノ御夫妻。ほ……」


 社交辞令は、それで終わりだった。




「ぅぐっ」


 と。

 そんな文言だった可能性があるが、どうでもいい。


 感極まったアーネストは膝を床に落とし、ダイとミカ、そしてベットで横になっている妻、カトリーヌを抱きしめていた。


 王国軍の平民将校としての威厳とか名家旧家の作法などは一瞬で吹き飛んだ。きっとこの時のアーネストの顔は、絞ってすらない濡れ雑巾と見分けがつかないほどぼろぼろに泣き崩れていたに相違ない。



 出産間近の妻がハーピィに、襲われた。


 そして、今アーネストに抱きしめられているダイとミカ。大人である使用人すら職務を放棄してハーピィから逃走してしまったのに、この兄妹はがハーピィの群れを追い払っただけでなく、子供の出産まで尽力をした。


 それ以上でもそれ以下でもない事実。



「ほれ、子供が痛がるよ、旦那、しゃん」


「だいじょうぶだよーー」


「ふかふかーー」


 アーネストの逞しい抱擁に少なからず感動していたダイ。だって祖父ちゃんは、ダイを抱っこしてくれない、できない。


 素早く抜け目なくカトリーヌの方に身体を摺り寄せていたミカ。



 そんな子供たちの事情など一切知らないまま、嗚咽か。あるいはうめき声なのか、ともかくアーネストは啼いた。


 泣きじゃくるアーネストが、ダイやミカに有難うと伝えるには、赤子がおっぱいを欲しがって泣き出すタイミングまで待たなければならなかったほどの号泣だった。




「ところで、少年」


 半身を起こしたカトリーヌが、授乳中。


「ダイ、おれは大盗賊ダイだよ」


「ミカだよーー」


 それだけの価値はあるけど、両手を突き上げる兄妹。バンザイのポーズだ。


「それは?」


 名門であり、裕福なグアンテレーテ家には、印刷でも写本でも書籍が充実していた。


「『大盗賊ダイ』は、童話ではないのか? 『三百諸侯の英雄譚』から派生した作品と覚えるが?」


 アーネストの実家の蔵書に、何冊か『ダイ』関連の物語が揃えられていた記憶がある。でも、一切自分では読み開いていないのだけど。


「それ、全部おれのお勤めさーー」


「しかし、『大盗賊ダイ』はバルナ大王陛下より遥か昔の、とある人物を模した」


 大雑把な計算でも百年単位の大昔。伝記伝承とも創作とも物語とも判別しない人物のはずだった。


「いいんだよ。少し早めにだれかが書いたんだ。きっとおれがお勤めするから」


「ああ」


 子供が現実と物語と、ごっこ遊びの区別がついていないのだとアーネストは結論した。




「ところで、お父さん」


 祖母ちゃん、ウォーリスがお盆でお茶を運んで来た。


「赤ちゃんのお名前は?」


 振り出しに戻ったアーネストの都合。


「なんと迂闊な。そこなのです」


 妻と子供の命の恩人がダイ兄妹であり、カナーノ一家だ。


「ダイ」


 本名の詮索を諦めて質問をする。


「貴殿は投射兵器のみならず乗馬が得意、しかも物知りなようであるが」


 アーネストは移動中に、子供だけで小旅行をしてハーピィから妻子を救った背景を教わっていた。


「うん、とうちゃんとおれは、じんばいったいさ」


 聞き齧りの文言を使ったダイに苦笑ではなく、眉をひそめたアーネスト。


「とうちゃん?」


「うん、ここに引っ越した直後、とうちゃん、とうちゃんになったんだ。子馬はどこか行っちゃったけど」


「うむ」


 この瞬間、赤ちゃんの名付け親候補としてのダイは消えた。まだ幼稚で知識が足りないダイでは、名門グアンテレーテ家の一員として違和感のない命名は期待できないと判断したのだ。


「カナーノ殿」


 ベットをカトリーヌに譲っていたダイとミカの祖父、シンプソンに問いかける。

 帝国官吏をしていたこの人物ならば、名付け親を依頼しても安心だ。


「失礼でなければ、我が子の名付け親になっては頂けますぬか?」


 胸に手を添えた拝礼で、命名を願うアーネスト。

 ここは祖父ちゃんの家だし、ダイとミカの祖父だからシンプソンが名付け親に就任するのは筋違いではない。


「初めて、言葉を交わす内容が貴殿の赤子の命名とは、奇妙なご縁です。謹んでお受け致しましょう」


 ベットから移動して腰掛ける幅広の椅子から、同意の体を示すダイの祖父、シンプソン。


「へんなのーー。〝はじめまして〟じゃないんだねーー」


 どうしてか、アーネストが、口をつぐんだ。


「ダイ、いいからこっち来なさい」

「はい」


 ウォーリスに促されてあるアイテムを受け取るダイ。


「祖父ちゃんに渡してね」


 ぶ厚い束みたいなものだ。

 これが、大法典のミニ本と祈祷書だとダイは後日説明される。


「ミカも渡すーー」


 ミニ本の表紙にタッチしたミカとダイが移動。二冊のミニ本を託す。


 この時、幼い兄妹はシンプソン祖父ちゃんが、面白い行動でもするのかとワクワク注目してウォーリスに背を向けていた。


 ウォーリスは、既に部屋が明るいのに追加で銀の燭台にロウソクを灯し、重ねた小皿をカチカチ鳴らしていた。

 小皿のカチカチ音は、魔を追い払う目的をもっているけど、魔ならさっきダイがスリングで撃退しているじゃないか──?


 でも、これは儀式だから。



 銀の燭台、カチカチ音。その他諸々。


「おばあちゃん、なにしてるのーー?」

「お皿、割れない?」


 これは『命名の儀式』の作法の一部なのだよ、ダイにミカちゃん。



「では、グアンテレーテ・アーネストとその妻カトリーヌ」


「はい」


 指を折り重ね祈りを捧げる姿勢をするパパママ初日のアーネストとカトリーヌ。


 シンプソンは紙の束──大法典に掌をべったり載せてから、妙な手の動きをした。これが、祝福の動作だとはダイとミカはもちろん知らない。


「本日、数多の邪悪な手から逃れ無事この世に生を受け、両親に対面した赤子を、『パーシバル』と命名する」


 ふーーーーー。


「あれ、旦那しゃん。長いため息だへ」

 本当に安堵していた夫。


「パーシバル。『本日の賢者』の御名で御座いますな」


 誕生月の花や宝石、イベント同様、この時代セカイでは一年中全ての日付に祝福や守護の偉人が規定されていた。

 わかりやすい事例だと、あるゾロ目月日産まれの女子に、織姫と名付けるようなものだ。


 ダイとミカがグアンテレーテ母子を救ったこの日は、遥か過去の賢者パーシバルがダイヤムで大学を設立した日だと設定されている。もちろん、古式を尊ぶ人種は『パーシバル』の日と呼ぶ。


 なら男子は賢者パーシバルに因んだ命名が常套セオリーで、シンプソンは平凡に赤ちゃんに命名したのか?


「賢者偉人の暦を暗唱されているとは。感激です」


 名門旧家には馴染みのあっても、もう時代遅れな命名作法になっているのだ。

 さすがにシンプソンはアーネストの期待に見事応えていたのです、パチパチ。



「パーシー?」

「パーシーちゃん、かわいいねーー。わたしミカだよーー。明日いっしょに遊ぼうね」


 ……。ダイに名付け親を頼まなくて良かったと痛感するアーネスト。




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