フェーデが終わって
「もういいぞ、ミカ。家に帰れ」
「うん」
「は?」
まだ白ひげたちの後ろ姿がはっきりと残っているけど、戦意喪失だから安全圏に突入したと判断したダイ。でも、まさか真後ろに妹が立っていたとは。
「あれ? どうして?」
「〝どうして〟ではなかろう」
ミカの後ろには大木、ではなかった。
振り返ったダイはほっこり一安心する。
「ああ、〝アー〟ちゃん」
「アーちゃんじゃない、アーネストだ」
アーちゃんと呼ばれた男。
鏡みたいに磨かれた略式の鉄板鎧で武装した戦士が直立していたのだ。完全武装に大剣を腰に挿したアーネストは、夜の闇のような漆黒のマントを羽織っている。
密林に聳える大木のような真っ直ぐな姿勢。胸板も腕もぶ厚く太いけど、切れ長の瞳とか引き絞った強弓の弦みたいな口元が、結構爽やかな印象だな。
だからアーちゃんって美男子なんだよ……。
「愛馬と離れるな。なによりも妹御とも離れるは下策」
アーちゃんの右手はいつでも剣を抜ける構え。
って左手に〝とうちゃん〟の手綱を握っている。
「アーちゃん、どうしてここに」
小石を拾うようにダイの襟首をリフトするアーちゃんじゃない戦士、アーネスト。
「だからアーちゃんじゃない。今私は勤務中だ。つまり」
「ああそうか、夜警隊のお勤めか」
夜警隊。
つまりアーネストと呼ばれた男はある表現をすると警察官に相当する集団の一員なのだ。
本来なら大盗賊と夜警隊は仇敵だけど、ダイとアーネストは奇妙な関係にあった。
「わかっているなら、もう少し用心致せ、しなさい。……」
「〝アーちゃん〟、今のおれはダイ。大盗賊ダイだ!」
胸を張る八歳児。
「ならば無用心だぞ、〝大盗賊ダイ〟」
「アーちゃん。ミカもいるよーー」
また掴んだ人形と一緒に両手を天空に突き上げるミカ。
「あれ、どうしたんだ? アーちゃん、不機嫌そうだね」
「不機嫌に非ず。些か立腹しておる。あまり幼なき妹に無茶な真似を演じさせるのは慎め」
「え?」
ダイには怒られるような覚えがないらしい。
「妹君は乗馬と離れて大勢でダイを支援しているように粉飾を実行したのだ」
今度はミカがドヤ顔。
「え? やるな、ミカ。〝ようどうさくせん〟大成功じゃないか。あ、なんだよ痛いよ」
ぐりぐり。
アーネストがダイの頭を掴んで弧を描いたのだ。
「陽動とか偽装云々ではない。子供なら子供らしく、危ない真似をするなと戒めているのだ。第一余が敵の仲間なら、如何とするのだ?」
「もちろん用心したさ。でもアーちゃんはいつから、ここにいたの?」
「ダイばかりを注目していたわけではないが、恐らくスリングの乱れ打ちの最中だろうな」
「ゼンゼン気づかなかったなぁ。なんだかさ、アーちゃんの気配って殺気がないんだよ。あれ、どうして掌で顔を隠しているんだ?」
「それは、その」
正直、アーネストは強い目眩に襲われていた。顔を掌で覆っているのは、そのせいなのだけど。
「うむ。全員捕まえた模様」
話を誤魔化せるネタが到来した。
「あれ、黒ずくめが戻ってくる。あ、そうか」
アーネストより一段階簡素な胸甲の騎士や戦闘員が、黒ずくめを連行している。
ダイに泣かされた根性なしたちだ。夜警隊に確保されたらピーピー泣く声が煩いったらないのだ。
「最近、街道で私闘の名目で金品の略取の訴えが続発していてな。こうして何人か配置して待機していたのだ」
「へぇ。夜警隊って昼間も働くんだ。あ、とうちゃんの手綱、ありがとう」
これには長い長い夜警隊の成り立ちと立ち位置を解説しなければならないけど、多分ダイは散々説明設定をレクチャーされた挙句。
よくわからないやーー。
でお仕舞いになる予感がある。だから、アーネストもきっぱりと明確に返事するのだ。
「まあ、な」
これでやっと子供との付き合いを放り投げて本職に戻れるアーネスト。
「其処な女子が一味の頭目なるか?」
腰に手を添えた姿勢で黒い瞳の背高のテオに尋問する。
砕いた表現をすると、背高の女子がフェーデ集団の首領か確認をした。アーちゃんは、物言いが時々古臭いので、要注意なんだ。
「応えよ」
重低音でアーちゃん。
恰幅のよい身体とか、密かにアーちゃんは〝こうだんし〟だって祖父ちゃんが褒めていた昔話が過ぎって、そして素通りする。
「無礼者!」
凹凸少女の白ひげが叫ぶ。
「あれ、どうしてこいつら縄で縛られていないんだ?」
白ひげを含めたフェーデ集団は左右に夜警隊の徒歩兵士が控えているだけなんだ。これって不自然じゃないか?
「ガキは黙りな」
無礼者はアーネストに、今度はダイを睨む白ひげ。アーネストは黙している。
「ああ、そうね。こんなガキじゃ知らなくて当然よね。教えたげる」
「いいよ」
ブンっと鉄棒を左右に動かして否定の意思表示をするダイ。
「つまり……え?」
「だってつまらなそうなんだもん。な、ミカ」
ほらね。と内心自分の行動に賛辞を贈るアーちゃん。
「しかし」
これまで当事者でありながら、話に全く関与していなかった農夫たちにアーネストが苦言を呈する。
「抵抗まで願わぬが、通報なり努力せぬか。無謀ではあるが童子ですら凶賊と対峙したのだぞ。その間隙をみすみす放置するは不義理也」
「へ、へぇ」
平身低頭で侘びをする農夫たち。
「ミカもしたよーー。あと、とりさんもいるよーー」
ダイが愛馬とうちゃんの尻に乗せた荷物は伝書鳩の鳥籠。
もしもの時は、これでアーちゃんと連絡できる優れモノなんだ……って時代が時代だからね。
「ああ」
アーちゃんが目を細め唇を尖らせた。でも、すぐミカをナデナデしてくれる。
「このように五歳の幼女ですら、知恵を駆使して凶賊と対決、手配するのだ。大の大人が泣き通せるものではないぞ」
言葉の罠に引っ掛かったアーネスト。
「ダイの大人じゃなくて、〝大盗賊ダイ〟だよ、アーちゃん」
「ようじょじゃなくて、ミカだよーー」
迂闊。アーネストはイライラが蓄積しているけど、ここは我慢ガマン。
「子供とは」
アーちゃん、アーネストが整った顔をひくひくさせながらため息をつく。
「だから」
だだんと足踏みをする白ひげ。ついでに揺れる胸。
「凶賊じゃなくて、『猫の足音団』。王都で露天からかっぱらいをしているチンピラと同じ扱いなんて侮辱だよ」
「自ら一味の名乗り上げるとは」
厄介な集団を捕らえたとアーネストは一層イラついていた。
強制私闘の罠を張るのは、確かにチンピラではない。
フェーデは基本的に貴族名家なり高貴な人種の名誉を守るのが題目である。腕にそこそこ自信があり、そして自称僭称でもそれなりの家柄と関係がある。
もちろん、吟味したら実は名家貴族の三件隣に住んでいたとか、嘘同然の無茶設定がほとんどだけど。
「さ、私たちをどうするんだい」
「不敵な笑み也」
白ひげはアーちゃんに詰め寄る。
「ならば望み通り、余が汝達の名誉とお相手を仕ろう」
するりと鞘から抜かれる大剣。柄まで入れるとミカの身長に近い、長くて太い剣が陽の光を浴びて輝く。
「え?」
「白ひげとテオ、急いで謝っちゃいなよ。アーちゃんは〝へいみん〟で三十歳前に王国軍の中尉まで登り詰めた優れモノだぞ!」
「ダイ」
威張るつもりはなかったアーネストが、ちょっと困惑顔をダイに向ける。でも、おしゃべりではないアーネストの物凄さの代弁を勤めた。
「平民で?」
バルナ王国の規定では平民の出世は大尉までと規定されている。
中尉って部隊長にはなれない微妙な立場なんだ。
だって軍隊で幹部の末席に勘定されるのは大尉から。アーちゃんはその下。
少佐とか将軍と比べれば下役でしかない。それでも平民が将校に登用されることには意義がある。アーネスト中尉は貴族社会に風穴が穿たれた数少ない開けた実例なんだ。
「先ず、順番に手下から」
「ちょちょちょっと待って。私は降参します」
『猫の足音団』団員、だんごさん、アウト。
「降伏となれば」
アーネストが屈んで、だんごの丸い身体に手を伸ばす。
「いや、触らないで」
「黙れ。汝は降伏の身ぞ」
アーネストの目的はだんごの乙女の身体ではなかった。さっきまで農夫を脅していた短剣を引き抜いて。
「平凡に四分された紋章か」
「あ!」
『猫の足音団』、総員がビクついた。白ひげやテオが尋問を拒む姿勢を示していたけど、簡単に正体が発覚する小道具がありふれていたのだ。
「表に家名を隠していても、所詮子供で御座いますな、伯爵令嬢。御尊名はエリ……」
「ごめんなさーーい」
「あ、黒いカエル」
ダイには、だんごが馬車に轢かれたカエルみたいに見えた。
つまり、短剣に刻まれていた紋章で家名があっさり暴露。年齢で名前も決定したんだ。な、アーちゃん切れ者優れモノだよな。
「次は」
「ぶ、無礼者」
農夫を足蹴りした黒ずくめ、〝鼻高〟の番だ。って全然鼻は高くないけど、こちらも細身の剣を奪われる。
「こ、こ、こんな細い剣に、もも、紋章なんてないよ」
分かっているよと目を細めるアーネスト。
「剣には刻印や彫刻はない。成れど」
「痴れ者。寄るな!」
鼻高の髪の毛を触る。
「あ、よさぬか」
アーネストの手袋には、眩しい純金製の耳飾りが握られていた。どうやらこの耳飾りは着脱は容易なタイプらしい。
「ドロボウ」
無理矢理決闘が夜警隊をドロボウ呼ばわりする。
「耳飾りの金細工に『火を吹く白い鷹』」
はい、正体判明頂きました。すると、意外に素直にお嬢様と認めた鼻高。
「そ、そうだ。我が父、男爵閣下が貴様の無礼を知ったら三族揃って命はないと覚えよ」
この足蹴り黒ずくめは男爵令嬢で、親の威光で夜警隊の小隊長を脅しているんだ。
「ほぅ。〝どう御伝え成される所存〟?」
意訳──やれるものなら、ヤッてみろ。
「うぐっ」
「あくまでフェーデと主張されるか? この男達がどの様な無礼を? 挙句、こちらの」
ダイとミカに視線を配る。
「幼き兄妹の猛攻に不覚にも泣きを入れたと御報告されるか? 女子でも貴族たる御身分で敵に背を向ける真似がどれほど不名誉か御忘れか? そもそも汚名を晴らす決闘にて名乗りも致さず覆面されるのは如何な所存でありましょうや?」
「それは」
「本官は軽輩では御座いますが大君、バルナ八世陛下……」
ここで一旦拝礼。アーちゃんは、オカタイんだ。
例えその場にいなくても礼を尽くすべき人の尊名を口にする時は、目の前にいるのと同じ対応をするらしい。
「……陛下から直々に領主領地の境界を超えて王国を護衛せよ小隊長と命じられた、グアンテレーテ・アーネスト中尉であります」
「グアンテレーテ!」
確保されている立場で強気だったテオや白ひげもびっくり。
アーちゃんが平民出身で中尉に駆け上がった功績は有名らしい。
「ひ、百人斬りのグアンテレーテ!」
「助けてぇ」
この二つ名にはテオも頭ががくんと折れる。
「戯言を。一本の剣でそうそう斬れるものではない」
ゆっくりと、でも滑らかに剣を抜き放つアーちゃん、ことアーネスト。
「やめて」
鞘から解放された剣は、別の黒ずくめの首筋に当てられる。
「オークたちの首筋ばかりを狙って三十体までは本官も記憶がありますがね。なにしろ十年以上も昔。彼我乱れる戦だった、故」
三十程度の撃破は事実だと公言した。『猫の足音団』は都合六人。
「隊長、二十四人余りますね。手足も切りますか」
夜警隊員がフェーデ集団の恐怖の灯火に油を注ぐ。
「令嬢がフェーデの返り討ちに倒れては、いっかな王室御用達の商会も今後の商いに差し障るのでは? 確か主力商品は」
最初の二人と違い、持ち物を手に取らないで見抜く。
「お詫びします。ちょっとした遊び、悪戯だったんです」
夜警隊の小隊長に業務中、身分を証される意味は辻強盗と同意義語のフェーデ集団でも予測できるはずだ。
アーネストに家名を名乗らせては、おしまいなんだ。
「うむ。次は」
正体を暴露された『猫の足音団』は三人。アーネストは続々と残りの団員の影を踏む。
「その涙と痛み、篤と心に刻むがよい。しかし」
後ろ手の姿勢で、テオに向き直るアーネスト。
「其方小娘、何者だ?」
「アーちゃんもわからないの?」
ダイは、両手を地面につけた、OrZ体勢のテオを覗き込む。
「ねぇ、素直に謝っちゃいなよ。アーちゃんが本気なら、さっきの仲間だってお家の名前バラしちゃってるぞ」
ダイは、辛うじて奇妙な尋問の意図を読み取ったらしい。
アーネストは、実際は家柄を元手に喝上げ(カツアゲ)を働いていた不良娘たちに言葉の焼き鏝を押し付けているんだ。
これはフェーデが黙認されていて、法的にも告訴が難しいか事情があるため。ギリギリの一線で面倒な裁判とかを経過しないで不良貴族にダメージを与えているんだ。
「ダイ、去がってなさい。それから」
事実はオーク兵三十余。噂では百人斬りのアーネストもダイには、近所のお兄さん扱いに堕ちている。
なんて大胆な盗賊団なのか──ってアーネストは、グアンテレーテ家はダイとミカに貸しがあるのでアーちゃん呼ばわりは控えてくれとは言いにくいのだ。
「それから?」
大人の事情の真っ最中が退屈でタイクツでたまらない兄妹の、それぞれの腕を撫でるアーちゃん。
「我が家で遊んでいなさい。妻もダイたちが遊びに来るのを楽しみにしている」
「うん、そのつもりだったんだーー」
「わーい、アーちゃんありがとーー」
「隊長」
夜警隊員も、ダイとグアンテレーテ家の関係は知っている。知っているから、尋問の最中に割り込んだり、夜警隊に囲まれているのに、きゃっきゃとはしゃいでいる兄妹を叱れない。ま、それだけじゃないんだけど、ね。