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『大盗賊ダイ』  作者: 提灯屋
124/132

どなたです。公妃殿下とは?


 色とりどりの名花。

 彫刻や意匠を凝らして宝石のように輝くオブジェ。

 手入れの行き届いた庭園。


 夢の国のような場所を判事職の代名詞である真っ黒な法服姿でズカズカ歩くパウロ。


 誰も、この巨体の進行を止めようと試みなていない。


 やがて。



「姉ちゃんいるけ?」


 衛兵が左右に控える正面玄関にフリー、顔パスで到着したパウロ。




 ばばばば。


「はい、アレシア。もうだっこはお終いですよ」

 母親に包まれた赤子は、懸命に髪の毛を引っ張って抵抗する。


「やーーやーー」

 半べそ。そして宝石よりも透き通った瞳は刹那洪水に襲われる。


「はい、お嬢様。お母上様はお仕事ですよーー」

「やーーー」

 言葉巧みに、操り方もお上手に小さくて丸い身体を上下させながら熟練の乳母ナースが乳飲み子を抱きとる。


「いつもゴメンなさいね」

 さっきまでは母親。今は乳母の髪の毛を引っ張る。おイタも元気な赤ちゃん、アレシア嬢。


「お嬢様、いくら引っ張っても無駄ですからね。乳母(私)の髪はカツラですから」

 さすがベテラン乳母。


 そんな幼い赤子と乳母、そして母親の愛情あふれるふんわりとした光景に割り込む若い影がある。


「公妃殿下」

 若い侍女が跪いて挨拶をする。でも、これは小さなミスを犯していた。ペネは、若い侍女に顔を向けないで一言。


「どなたです。公妃殿下とは?」

 頭を垂れたままの侍女が固まる。失言を自覚したのだ。


「それでは〝子爵夫人〟、そろそろお時間です」

 単純には公妃殿下は子爵のそれの数段格上なのだけど。ナースは若い侍女のミスを一瞬で埋め隠した。


「そうですね。ところで、〝あの子〟はどうしてます?」

「あの子?」

 固まっていた侍女が、再起動。強張りも解除モードのようだ。


「パウロ判事卿ならば、先程ご到着と報せが御座いました」

「あの子は……」

 自分をあえて格下の子爵夫人と訂正させた淑女。

 そう、今まで散々ダイと関係・繋がりを持っている司法院判事、ペネその人なのだ。


 以前、マーちゃん。こちらは()子爵令嬢のマルグリーテが寄宿している、『カノッサ勤労女子修道院』の舎監の推測通り、ペネは人妻。さらに複数人のお母さん。そして、司法院の資料館に、とある少年が入り浸っている噂を聞き流しているある姉弟の、姉でもある。


「まあ。ナニをして控えているか尋ねる必要もないでしょうが」

 子爵夫人がふっと息を吐き捨てたのを若い侍女は見逃さなかった。


「一緒に来てくださる?」

 乳飲み子のご機嫌が最優先な乳母は、黙って正夫人の影を慕うように続く。




 館を支配している夫妻の趣味がそのまま反映して、一年中花盛り。花園と呼んでもいい華麗な庭園の一角の青天井にて──。


「んだな。も一個来


 テラスや四阿ガゼボと呼ばれるような屋根ではなく、ベンチに腰掛けているパウロ。

 パウロの周囲を彩るピチピチ若いメイドたちの歓声が花園の静寂を破壊している。


「やるーー。パウロ様ーーー」

「じゃあじゃあ。もう一個行ける?」

 はやし立てるメイドたち。

 手に手に食料を抱えている。


「んだな。じゃあ」

 パウロあつメイドにむんずと手を伸ばす。

 ワザとか偶然か、メイドは抱きかかえる姿勢で堅パンを所持していたのでパッと見はパウロに程々の大きさでも弾力のあるメイドの胸を狙った構図。


「あん」

 もちろんメイドの可愛い悲鳴は不発になる。パウロは狙いを外さないで堅パンだけを掴むと、ひと噛みひと飲み。あっという間にこの世から一個のパンが消失してしまった。


 んぐんぐ。メイドたちの注目など無関心に咀嚼そしゃく音もなく口を動かすパウロ。


「パウロ様?」

 一応正夫人の実弟。様つけくらいはされていた。


「さすがは姉ちゃんの窯のパンだ」

 ごくり。パウロの喉が僅かに動いて一言。

 まるでモンスターの食事光景に、大はしゃぎのメイドたちだった。


「すごーー」「パウロ、やっるーーー!」

 おいおい。


「はははははははははは」

 オチもないままひたすら笑うパウロ。


「おーーー。姉ちゃん」

 パウロを包囲していたメイドたちが全員跳ねた。

 夫人の気配などマッタク感じていなかったし、そもそもサボってパウロに一気食いをさせていたのだから。


「姉ちゃん、おはようだな」

 メイドたちの緊張もお構いなしのパウロは無邪気にブンブンと手を振った。もう逃げられないと悟ったメイドたちは諦めたか、膝をついて花園の主、ペネを迎える。


「おはよう。ではないでしょうパウロ」

「だどん、朝だへ?」

 メイドたちの挑発にノってバカ食いをしていた悪びれなど微塵も意識していないパウロ。そんな弟に、ペネはため息で答える。


「また大食いをして、この子は」

「んだな。うまかった」

 乳母ナースメイドだけは、ペネが刹那目を大きく見開いて、そして瞬く間に普段の表情に戻った事実を見逃さなかった。でも、それだけだ。


「貴女達、この子を焚きつけるのは禁止したハズです」

 ひゃーーーー。

 〝子爵家〟正夫人のひと睨みに、敷石にファーストキスを捧げてしまいそうなメイドたち。


「んでな、姉ちゃん。俺が腹減った呟いたからこン娘たちはメシ、くれただな。叱っちゃ可哀想だえ」

 メイドたちのホッとした息が漏れる。


「なにが〝んでな〟ですか。わかりました、では急ぎますからついて来なさい」

 回れ右するペネ。


「んだな」

 ベンチに腰掛けていたパウロが大地に立つ。正確には敷石の小路だけど。


「じゃな。ごちそうさん」

 まだ頭を下げたままのメイドたちにもブンブン手を振りながらパウロは花園を去る。




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