ケンカして
四星大陸の東部に位置するバルナの王都の郊外。
ダイの家の周囲は雑木林。いや、森の中に埋もれたようにダイとミカの家がある。
だから、八歳と五歳の兄妹は、少し歩けば深い森でサバイバル体験が可能。
豚鬼や鬼などのモンスターとの遭遇は滅多にないけど、隠れん坊が命懸けなくらいワイルドな環境に生活している。
「ついてくるなって」
倒木を乗り越えた途端、振り返って怒鳴るダイ。
ふぇ。
ミカの動きが止まる。くりくりした瞳も涙目になりそうだ。
「かしらぁ、まってぇ」
ぶんっ。
『銘刀木の枝』を大振りして、ミカを近づけさせないダイ。
「来んなっ」
「か」
天空を見上げ、号泣するミカ。
「かしらーなんてーーー」
また木の枝をブンブン振り回すダイ。
「おれだって、グズグズしてすぐ泣くやつなんて、大キライだ。だから、来るな!」
「イヌみたいにおこるににーーなんてヤだーーー!」
「なんだと!」
拳骨を握るダイ。
「ミカ、かーちゃほしいーーよーー!」
「バカ!」
意外な事実だけど、手折った木の枝で、倒木の枝が斬れるものだ。
それだけ、兄は本気で怒ったのだな。
「いないもんは、いないんだ」
木の枝を振り上げる。
ミカとはかなり距離があるから、当たりもしないし、まして斬れるわけがないんだけど。
「ばーーーちゃーーん!」
ミカは反り返るんじゃないかってくらい首を上げて泣く。
わんわん泣く。
「なんだよ。なら、ばーちゃんのとこ帰れ!」
ミカが泣き崩れて、しゃがみ込んだ。妹の追跡断念を確認すると、ダイは木の枝を乱暴に左右に動かしながら、森の奥に進んでいった。
──もしかしたら。
ミカは、身体の具合がよくなかったのかもしれない。
朝──。
ダイがお寝坊さんを起こす時から、ミカはグズッていた。
「今日は歩いて森の奥に入るぞ」
食卓で、もう辛抱たまらないと木の枝を握っていた兄。
「ミカ今日はいかない」
ダイは、お出かけ前に雷雲来襲をうけた気分。みるみる不機嫌顔になった。
「じゃあ、来んな」
それから、兄妹は会話なく朝食を摂った。
いかない。
そう宣言したはずのミカが、ダイが森の奥に進んでいると後から追跡している。五歳の幼女が森を歩く手助けになりそうもない、むしろ邪魔な人形二体が、見えていた。
だからダイのイライラは増加してしまう。
「来るなら、もっと速く歩けよ」
これが蓄積してエスカレートして、幼い兄妹は爆発した。
「ばぁ。ちゃん。か!」
ダイの耳にはミカの鳴き声がまだ反響している。
「なんだよ。祖母ちゃんバアちゃんってさ。ミカがいつもくっついているじゃないか」
ダイとミカは祖父母と暮らしている。〝ははかたのそふぼ〟だそうで、両親はいないと聞いている。
「いつもいつも、何かあると祖母ちゃんに泣きつくんだから。このこのっ!」
これが本当の戦闘場面なら、記録的な虐殺。
ダイが『銘刀木の枝』を振ると、木々の枝葉がばさばさと飛散する。たまに虫が逃げる。
「ふん。やっぱり大盗賊は孤独にお勤めするのが一番なんだ」
と言いながら、ダイは足元付近にある、お宝を発見する。
「あ、木の実だ。これを、そうそう」
ズボンのポケットに木の実を蓄える。魚ではないけど大漁だ。ダイが森に入った目的の一つは達成しつつある。
「それから」
森の贈り物が落ち葉の上に程よく配置されている。甘い果実が熟れて地面にたくさん落ちているのだ。
「これ、これ甘いんだ」
まず一口。そして、迂闊な発言をする。
「ミカ、これ、あ、ま……」
来るなと命じた妹を呼ぶ、愚かな兄。
妹にも好き嫌いがあったのに押し付けていた兄。
自分は自分。ミカはミカで遊べばいいのに、拒絶した兄。
そんな兄の瞳は潤んでいた。
「ミカに持って帰ろう」
でもダイはミカの兄だ。
そしてダイは大盗賊だ。だから、いつでもお宝を逃さないように袋などの持参は怠りない。
「余れば、祖母ちゃんに使ってもらおう」
革袋を果実で一杯にすると、さらに前進。
「ん? 何か飛んでるぞ?」
聞き耳を立てて、音源に接近する。
「うわっ。蜂の巣だ」
自称大盗賊ダイ。
野蜂との戦いが突然幕を開けた。
「ふぅ。ヒドイ目に遭ったな」
でも、それだけの価値のある戦いだった。損害も軽微だ。
「おいミカ。結構お宝ゲットしたぞ」
返事はない。
「ミカ。隠れてないで出てこいよ」
さわさわ。
木々や葉っぱのざわめきだけ。
「おい、ミカ。本気で怒るぞ」
ミカだけじゃなくて、いつもならこれくらい森を歩けば必ず遭遇するウサギなどの小動物の気配がない。
動物なんてどうでもいい。妹の姿が見えない。
「ミ・カ・!」
きまぐれな風が葉っぱのざわめきを残すだけだ。
「これ!」
見慣れない糞が森の中の獣道に落ちている。
「まさか! ミカ、ミカ!」
ダイの知らないデカい野獣の糞かもしれない。
『銘刀木の枝』で枝葉を刈払いながらダイは駆け出した。
「もしかしたら、家に帰ったかも」
いない。
邪魔な木々や枝。葉っぱがダイの全力を阻止する。
「このこの。ミカ、どこなんだよ。帰ったのかよ?」
息が乱れてきた。
イキナリ走ったから、なんか足が突っ張っているし。
「ちくしょう。ミカ」
スピードダウンを承知で、周りを偵察しながらダイは走る。
「あ! 〝おれ〟だ!」
ダイが、〝ダイ〟を発見した。
もちろん、発見されたダイは、ミカのお宝であるシルク製の人形のことだ。低木の枝にひっかかっていたのだ。
「ミカ、ミカ!」
ダイが見渡す範囲にはミカの影はない。
でも、お気に入りの人形を落としている。
「だから二個持つのは危ないんだよ」
もう一度キョロキョロ。
「家に戻ろうか。でも」
振り返って、軸線を確認する。
さっきまでダイが居た場所と〝ダイ〟の発見現場を直線に結んでも、自宅を通過していない。
「ミカ、どこかに歩いて行ったんだ。どこに?」
〝ダイ〟をギュッとするダイ。
「思い出せ。ミカが独りで遊ぶ場所がある。きっと」
兄のダイと比べれば行動力も機動性もない妹の移動半径。
そして、五歳の女子が興味を持つ場所。
「あの大木?」
ダイは方向を変えて再ダッシュする。
もちろん、大事にもう一人のダイを小脇に抱えて。
大木──とっても大きい木が、ダイの家から少し冒険する場所に根を張っている。
ダイは、この大木がなんて名前か知らないし、外出が少ない祖父母からも教わっていない。
でも。
「あそこは、あの木には穴があった」
──ある雨が降った日。
濡れたくなくて、でもまだ遊びたい兄妹が、雨宿りした場所。
兄妹が密着すれば雨露を凌げる場所があった。
「あの、木の穴だ」
木の穴。
うろと呼ばれることが多い、自然のイタズラの産物だ。主に樹皮が剥がれた隙間が腐敗して侵食拡大。その空間にアリや蜂が設巣したり、その結果蜜が溜まっていたり、小鳥の巣にもなる。
小指程度の穴だったら、低木にだって発生する天然のワンダーランドだ。
「ミカ!」
木の根の、うろから可愛らしく挨拶をする靴が見える。
茶色の革袋の靴。今朝、妹が履いていた靴だ。
「ミカ!」
すぅすぅ。
ミカは、お宝にしていたもう一体の人形を抱いて寝ていた。
妹の少し汚れた顔に、白い筋が残る。涙の軌跡だ。
明らかに大泣きした形跡が、血の気が引く想いのダイをチクリと刺す。
「ミカぁ」
妹をナデナデする。
ゆっくりと薄目を開けて、そして目を堅く閉じながらプイと横を向く。
「……」
深呼吸して、ミカにもっともっと謝る手段を考える。そして実行。
「〝ごめんね。ミカちゃん。ごめんね〟」
正直、芸としては稚拙。お上手じゃない。
「〝おにいちゃんが謝っているよ。ミカちゃんに謝っているよ〟」
でも、お気にの人形が目の前にある優先事項が、ヘタな演出をスルーさせている。
「〝ダイ〟! どこいってたの?」
うろから飛び出すミカ。
しっかりとお人形のダイを抱き締める。
「〝ぼくはお兄ちゃんといっしょだったよ〟」
「頭」
「ミカ」
目と目が合う。
「ミカ、ごめんな」
「頭。ミカね、頭に見せたいものがあるの」
あれ。この二人、さっきまでケンカしていたんじゃないのか。
「なんだい?」
「だっこして。ミカと木にのぼろ。ミカ、たかい木にのぼれなかったから、〝ダイ〟をおとしちゃったの」
「わかった」
「頭。そろそろはじまるよ」
「へぇ、なにが始まっているんだ?」
ダイは男の子だから、大盗賊だから木に登るのは平気だ。
でも、ミカはそれほど上手じゃない。
ダイにお尻を持ち上げてもらって一番地面から近い太い枝に到着。
「なにがあるんだ? あ?」
「あ、はじまった」
ミカを包み込めるほどの特大サイズのうろがある樹木。
それは偶然、ある種類の蝶の幼虫が好む葉っぱを生やしている木だったのだ。
「ちょうちょだよ」
蝶が幼虫、蛹、そして羽化を経て森の中を舞い始める。
その時が、たった今だったのだ。とんでもない大集団での羽ばたきの刹那だ。
「うわーーー。すげーー」
子供でも兄妹二人が載ってもちょっと揺れるだけの枝ぶりにダイが跨ったと同時に一斉に乱舞する蝶の大群。
「頭、ミカこれを頭とね」
うんうん。
「ミカ、これはお宝だ。すごいぞ」
ダイは真後ろから妹をぎゅぎゅっと包む込んだ。
「うん」
「こんな蝶々、だれにも盗めないよな。ミカだけのお宝だ」
兄の、いや頭のナデナデで上機嫌。ケンカしていた記憶もトンでいるダイとミカ。
「ミカと頭のおたからだよーー」
「そっか。ああ、ここは祖父ちゃんの土地だからみんなのお宝だな」
「うん」
その後で、木から降りるミカと一騒動あったけど兄妹には忘れられない風景になった。
「なあミカ。これ食べよう」
ダイの掌にはさっき集めた果実。
「あ、すっぱーー」
口がすぼむミカ。でも、笑っている。
「甘くて酸っぱいだろ?」
「おいしい」
「はちのこもあるぞ」
「ミカ、木の実がいい」
上半身を大きく動かしてはちのこをイヤイヤするミカ。あれ、美味しいんだけど、見た目がね。
「じゃあおれがはちのこもらうぞ」
もぐもぐ。木の実とはちのこをパクつきながら、蝶がひらひら飛ぶ光景を見物している。
「頭、ちょうちょさんどこ行くの?」
伴侶を選んだのか、ペアで美しく旋回する蝶もいるけど、大半は南に飛んでいる。
「あのままだと、王都を過ぎて南部州だな」
「〝なんぶしゅう?〟」
「今度石板か紙に書いて教えるけど、バルナは王都と中央州と、北部州、南部州、東部州、西部州に分かれているんだ」
「ふーーーん」
わかってなさそうなミカ。
ダイは、もう一度反応が薄い妹の頭をナデナデする。
これってミカの頬に残る落涙の痕跡は消せないけど、妹の頬は緩ませることには成功している。
「こんどは、〝とうちゃん〟と来ような」
歩行困難な祖父と介護の祖母は残念だけど、この大木まで導いてあげられなさそうだ。
「うん、ちょうちょさんも、またくるね?」
「それは、どうかなぁ」
「だってミカ、去年もいっぱいいっぱいちょうちょさん見たもん。だから頭にみせたかったの」
今日は森の奥に行かない。
その理由をやっと兄は理解した。
「いや、去年の蝶と今年の蝶は……」
「頭、この実おいしいね」
去年の蝶。ほとんどは外敵に食われているか寿命で死んでいる。
こうして美しい羽ばたきを披露している蝶は、去年の蝶の弟妹か、もしかしたら子供のはずなんだ。
でも、今日ミカが見せた初めての笑顔。
「そうだな。きっと〝同じ蝶〟だな」
確かに宝石のような羽をした美しい蝶が貴婦人の腰帯のように羽ばたく情景は、盗まれざるお宝と形容する価値がある。
でも、現実には邪悪──あくまで蝶主観だけど──な蜘蛛や鳥たちには、この動く宝石箱も、ただ単に餌が孵化し移動しているに過ぎない。
飛んで行った蝶が、どんな生涯を過ごして、どんな運命と巡り合うなのか。
そして蝶を見送った本人たちの運命は、どうなるのか。
それは、まだ幼い兄妹は知らない。