ナンシー……8
「やはり、おれにはこの獲物が一番だな。たった今から、これは『銘刀木の枝』だ」
お頭の呼称にこだわった兄は、道筋の樹木から手折った太めの枝を太刀のように持ち構える。
不思議なことに。
頭が持つ枝は一本だけ鉤のような小枝が残っていて一枚だけ葉っぱも頑張っている。
ガキ大将の必需品は、こうした異世界でも共通なのだ。
「しかし、ナンシーお婆さんが赦してくれたからよかったけどさ」
『銘刀木の枝を』ブンと一振りしたダイは少し遅れて歩く妹のミカをチラ見。
「うん、お婆ちゃん、ルシアさんときっとなかよしだんだよ」
ナンシーの隠し箱に蓄積に蓄積された手紙を燃やしてしまった自覚のないミカは、たくさんのお土産に上機嫌。兄ダイの気苦労などどこ吹く風だ。
「ミカ」
もういいや。ダイはすっと手を伸ばす。
「おててつないでーー」
気持ち速度を上げたミカはダイと手をつないで道を逆歩行する。
「あーー、お金もお宝もシルクもダメかぁ」
と嘆くダイの背嚢にはナンシーからもらったパンが収められている。保存用の結構な堅焼きで、そのまま齧るのは厳しいけど日持ちする、当時の庶民の味方だった。
「シルク?」
ミカは、これこそお宝だと、こちらもナンシーから贈られた人形を誇示する。
「これ、たぶんシルクだよ」
「あのシルクとおれのねらったシルクはさぁ」
そうじゃないと、どうしたら妹に伝わるのか。
人形をプレゼントされてミカのハッピータイムに水を差すのは兄としては避けなければならないし。
「そうだな。じゃ急ごう。〝とうちゃん〟が道草食って待ってる」
「うん。あ、お兄ちゃんちょっとまって」
ミカは人形を、あかちゃんをあやすようにぽんぽん叩きながら顔を覗き込む。
「どうしたんだ、ミカ」
兄と手が離れる。置いてゆくぞの姿勢で歩みを止めないダイ。
「あれあら、〝ナンシーちゃん〟どうしたの?」
は?
「おまえ、それ、人形の名前か?」
三歩ほどで兄、振り返る。
「うん、こっちのピンクの髪の毛でオレンジのワンピース、ベストが桃色のこが〝ナンシー〟。お空みたいに青いシャツのこが〝ダイ〟」
「おれ人形かよ?」
破顔一笑。
「うん」
すぐそばにいるのに人形の名前に使われたダイは、もちろんむっとした。お人形をつかった〝ごっこ〟遊びでオモチャにされるのは、兄なりに面白くないのだ。
「いくぞ」
「あれあれ、ダイくんは〝しとみしり〟ですね」
どんな芝居か、背中を持った人形を裏返した。〝人見知り〟でダイにそっぽを向いた設定だろうか。
「〝ひとみしり〟なくらい用心深いほうが盗賊の頭にはちょうどいいいんだ」
また歩く。
ずんずん歩く。
田舎道の砂埃が飛び散る道端に、痩せた犬が鼻を鳴らす。
「……」
ダイはそれでも進む。
ミカと十五、六メートルほど距離ができると、道は緩やかなカーブ。これ以上進むとミカと視界が遮られる。
「ミカ!」
両手を腰に当てて、ダイは叫ぶ。
「ああ、お兄ちゃんまってよ」
小芝居中止。ミカは人形を抱きしめて駆け出した。
「お兄ちゃん、あれ」
走ってダイが素通りした痩せ犬に気づく。
くぅぅん。
「一個だけだよ」
「おい、ミカ!」
ミカは屈んで犬の頭を撫でる。
「ミカ」
「一個だけ」
今度はダイが唇を噛んで一瞬だけそっぽ。
「お兄ちゃん」
「お前な、もしこの犬が後々人を襲ったりしたら」
「一個」
「……」
ダイは、背嚢を下ろして、堅焼きのパンを一個取り出した。ナンシーがくれた、この夏みかんサイズのパンならば、犬一匹で数日分の食料に匹敵するかも、だ。
「えい」
硬いから短剣の尻でパンを叩き割る。まだパンがダイが想定したサイズに砕ける前から犬はパンを貪ろうと走る。
「お兄ちゃん、ありがと」
「一個だけだからな」
念のため革袋の水を注いで柔らかくしてから痩せ犬に与えるダイ。
「ありがと」
「ふん」
どちらが先だったのかなんてどうでもいい。また結ばれる兄妹の手。
往路は荷馬車で移動した距離を歩いている。
パンを与えた犬の気配が遠くなってからダイはつぶやく。
「犬も使いようによってはお勤めの役に立つんだ。今日のは先行投資さ」
「うん」
「まぁあの犬は痩せすぎてるから。そのうちいい盗賊犬をみつけるさ」
「うん」
「だから、ミカに頼まれたからじゃないからな」
「うん」
ナンシーの荷馬車を待ち伏せしていた時は頭のてっぺんに輝いていた太陽は沈みかけていた。兄妹の影は薄く長い二本の柱に連絡橋で連結されている。
「お兄ちゃん」
「うん、やっとだ。歩くと意外とあったなぁ」
刃研ぎとか歩いた疲れが消し飛んだ。
ダイとミカは、しっかり手を繋いだままラストパート。
「帰ったぞー〝とうちゃん〟」
「おまたせーー」
こうして盗賊兄妹の一日が終わろうとしている。