慌ただしい日
この日、リーリエは最近にしては珍しく庭園ではなく城内にいた。場内の大掃除を手伝っていたのだ。
フィンスの城では年に二回、夏と冬に大掃除が行われている。以前は年に一回だったのだが、その度に大変な思いをしていたので回数を増やすことでそれを回避しているのである。
そんな大掃除でリーリエは何をしていたのかと言えば、場内の装飾品である花を全て新しいものに変えるという作業だった。あまり掃除とも言えないきがしなくもない。
リーリエは花の妖精である。そのため、その能力を使って場内の花全てをリーリエが作り出し、そして管理している。こういった大掃除の時ぐらいしか新しいものに変えることが出来ないらしく、花の維持は中々に大変らしい。
そんな、一年に二度しかない作業を進めていると、謁見の間で見慣れた横顔を見つけた。
闇のように暗い黒髪、真っ赤な宝石のような瞳。この城に使えるメイドの殆ど全てが憧れるその美貌を持った城の主フィンス・ヴァルツェ。
彼の趣味を知るまではリーリエも他のメイドと同じくフィンスに憧れていたのだが、今ではそうでもなくなってしまった。あんな、無邪気に農業に勤しむ姿を見たら当然だろう。魔王であるときのフィンスは紛い物だと言っても過言ではないのだから尚更だ。
そんなフィンスが謁見の間にいる。ということは、彼は今その紛い物である魔王モードなのだが、それを差し引いてもリーリエはその横顔に違和感を覚えた。
フィンスであって、フィンスではない。
その違和感の正体が分からないまま、心にモヤモヤとしたものを抱えたまま、リーリエは謁見の間を後にする。
そして花を変える作業を終える頃には、そんな違和感などすっかり忘れて、自室のある庭園へ帰るのだった。
「リーリエお帰りー」
リーリエはすっかり忘れていた違和感を、自分を呼ぶその声で思い出した。そして、その違和感の理由と正体を同時に知った。
「おう、リーリエか。サラサ、悪いがこっちを手伝ってくれ」
「いいよー」
「…………」
泥塗れになりながら作業をするサラサとフィンス。いつもと大差ない光景なのだが、一部だけ異変が起きていた。
「フィンス様、あの……」戸惑いながらリーリエは問う。「何故、作業着を」
そう、フィンスは魔王としての仕事の片手まで農作業をしているから、普段はそれっぽい服装に身を包んでいるのだが、今日は何故か魔王であることなどすっかり放棄して、農業に本腰を入れていることがまるわかりな作業着姿なのだ。戸惑わないわけがない。しかも無駄に似合っている。
農業が趣味であることを隠していたのではなかったのか。そんな疑問がリーリエの頭の中を一瞬過ったが、それはすぐに解消された。
隠すために、あの謁見の間のフィンスがいたのだから。違和感どころか、あのフィンスは偽物だったのである。
「いやぁな、この庭も広くなったから大掃除ついでにちょっとした模様替えをな」
「模様替えってレベルなんですかこれ!?」
「配置を変えるから模様替えだろ? サラサ、このソルトツリーを動かしてくれ」
「あいあいさー」
ずぽっと片手でそれなりに育った木を地面から引っこ抜き移動するサラサ。
幽霊なのに片手で。
普段からふわふわと浮いている、もはや布だけの腕(袖)で。
「はッ!? ええええぇぇぇぇ!?」
「あん? なんだよ、そんなに驚いて。知らなかったのか? サラサは俺よりもよっぽど力があるんだぞ」
「ふふふー、フィンよりも力持ちだよー」
どすんと地面を揺らすような音をたてて、空いた穴へ持ち上げた木を下ろすと、サラサは力自慢をするようにポージングする。勿論幽霊だから力こぶなど見えない。存在しない。
「えっ、いや、あの……サラサ様はゴーストですよね?」
「……リーリエ。ポルターガイストというものがあるだろ?」
「? ありますね」
「あれは、ゴーストたちが実際に持ち上げて起こす現象だぞ」
「えっ」
「家具とかよく動くんだから、このぐらい持てるに決まってるだろ。両手で別々の家具を動かすことだってあるんだ。力がないと出来ないだろ」
「え、ええええぇ……」
分かるには分かる。だが全く釈然としない説明だった。まずポルターガイストが力技というところから納得できない。霊的な力で浮かせているのではないのか。ロマンもくそもなく夢をぶち壊された気分である。
なんて、リーリエの夢が壊れたことなど知る由もなく、フィンスとサラサは作業を進める。その内容は主に生えている木を引っこ抜いて植え直すなど、随分と大掛かりな大移動で通常じゃ出来なさそうなものだ。
「なんでそんなに大きく動かしてるんだ?」
「ああ、それはな……庭がまた広くなってな、手入れしてない部分が向こうにあるんだが……そこに、わき水が出てるポイントを見つけたんだ」
「わき水、ですか」
「ああ。で、折角だからそこに泉を作ろうと思ってな」
「泉」
「ついでに川もつくって庭の中を流そうと思ってな。水路にもなるし便利だろ?」
「川」
全くついていけない話だった。最早農作業の領分を越えてしまっている。まず、泉を作るとはどういうことなのだろうか。
いや、確かにわき水があるのだから、そこにちょっとたまるように作ればそれにはなるのだろうけど、だからといって何故。いくら魔王の城だからといって、そんなものは普通庭にはないと思われる。リーリエはそんな疑問を抱いていた。
そんななか、リーリエの疑問を知ってか知らずか、フィンスがたった一言でそれを打ち砕く。
「水辺があれば、サラサも元の住み処に似た暮らしが出来ると思ってな。多少狭くなるし、深さもないから完全に、とはいかないが」
「狭くてもいいよー。泉ができたらそこを部屋にしていーんだよね?」
「ああ、勿論だ。泉の近くに今の家も移動させよう」
「やったー!」
サラサは元々湖に出没するゴーストだった。しかし、フィンスが半ば強引に勧誘して以来、サラサは水辺を離れ、森のようなこの庭で暮らしていた。本来住む環境と違う状態でずっと暮らし続けていたのだ。フィンスは、その事をずっと心の片隅で悔やみながら過ごしていたのである。
そんな理由を聞いてしまえばもう、リーリエは何も言う気になれなかった。そして、泉ができたら、サラサが住んでいた泉の周辺に咲いていた花をここにも咲かせようと、そっと考えたのだった。




