ここにいる意味
サラサの朝は早い。
ゴースト族であるサラサは本来ならば昼間は寝ていて夜に活動を始めるのだが、ここに来てからというもののそんな生活はできなくなった。種族的には不健康的だが、端から見れば健康的な日夜逆転である。
早くに起きたサラサは、自分の家を出ると広大な城の裏庭で水やりを始める。この裏庭には何種類もの作物と花があり、それを枯らさないよう維持し続けられているのはこうしてサラサが毎日水やりをしているからである。
ゴースト族であるが、サラサの得意属性は水だ。だから、水やりも基本的には魔法を使って行われる。中には繊細な作物もあり、魔力を含ませてはいけないものがあるため、そういったものはジョウロで水をやらねばならない。
サラサはこの城の中で唯一畑仕事を専属に行うフィンスの部下だ。故に存在を知るのはこの大きな城の中でフィンスと、最近ここに加わったリーリエだけである。
「サラサ様はどうしてここで働こうと思ったんですか?」
リーリエがこの裏庭にすみ始めてから、サラサが水やりをしている最中にリーリエがジュースを届けに来るようになった。それは今日も例外ではない。
「様なんてつけなくていいよー」
サラサはリーリエからジュースを受け取りながら、軽い様子でそう答えた。表情は相変わらず真っ黒で分からないが、きっと笑っている。「んー、ここで働き始めた理由かー」
言いながら、水やりを終えたサラサはジョウロをその場におき、袖のような部分を使って草をむしりはじめた。袖が汚れるのだって気にしない。効率よく、且つ綺麗に草をむしっていく。
「別に、自分から働きたいと思った訳じゃないんだよ」
「違うんですか?」
「うん」サラサは恐らく笑っている。「フィンに直接勧誘されたんだよ」
◆
今から五十年ほど前。
なんやかんやで魔王になってしまったフィンスは、なる前までと違って農業に費やせる時間が減ったことに頭を悩ませていた。
なんせ、やることが山ほどある。
まず、魔王を討伐すべく、何故か勇者とその仲間たちが定期的に城に来る。フィンスがなにもしてなかろうがなんだろうがやって来る。はた迷惑な奴等だ。
次に、魔族たちを統べること。魔王だからという理由で突っかかってくる奴や、自分は強いと思い込む厄介な奴を黙らせなければならない。知らねぇよと言いたいところだが、放っておけばいつ襲いに来て畑をめちゃくちゃにされるか分かったものではないので、どうにかしなければならない。
また、魔王になったことで土地が着々と増えている。お陰で、時間は減ったのに畑の面積は増えていく一方だ。
もういっそのこと、不老不死だし睡眠時間や食事の時間などを削ってしまえばいいのではないか。忙しさの余り、フィンスはそんな思考に至った。
「……ねむい……腹へって胃が痛い……力でねぇ……」
思い立って実践し始めてから五日。フィンスは限界を迎え始めていた。当たり前だ。飲まず食わずの五徹で農業と魔族や勇者との戦闘を繰り返しているのだから。
「フィンス様ーッ! 勇者が!」
「フィンス様ーッ! こっちには魔族の集団が!!」
裏庭にいるフィンスに向けられる使用人達の悲鳴とも呼べる叫び声。
「あーはいはい。まとめて相手するわクソが」
フィンスは深いため息をつきながら気だるい身体を引きずって侵入者たちがいる方へ向かった。
「これで終わりにしてくれ……『空虚なる物語の終焉』」
仮面とマントを身につけたフィンスがそう唱えると、満身創痍の勇者たちと魔族たちにトドメの一撃として真っ暗な霧が襲いかかった。彼等はこれに成す術もなく倒れ、そして強制的に何処かへテレポートさせられる。
「つかれ……た……」
「フィンス様ッ!?」
その場に侵入者が居なくなると同時にフィンスもその場に倒れた。使用人達の驚きの声が上がるか、フィンスの意識は既に無かった。
何てことがあったため、フィンスは翌日、自分を手伝ってくれる者を探しに外に出た。使用人たちには勿論黙って、だ。言えば止められるに決まっている。
さて、手伝ってくれる者だが、探しているのは勇者達の相手をしてくれる者ではない。そこに代わりが出来たら苦労などない。探すのは、農業をしてくれる者だ。
今、広い畑は全てフィンスが一人で管理しており、水やりは小さなジョウロを使って地道に行われている。
「クソッ……何故俺は闇魔法しか使えねぇんだ……!」
負担が大きい要因の一つを、フィンスは常に嘆いていた。
「水魔法が使える奴がいてくれればいいんだよなぁ」
そう呟きながらフィンスはとある場所に向かって歩く。ちなみに、外に出る前に使用人たちの情報を漁ってみたが、水魔法を使えるものが一人としていなかった。ある意味絶望を覚えたフィンスである。
魔王城の近くには、『死の湖』と呼ばれる湖がある。木々に囲まれた静かな湖なのだが、その湖に近付くと、湖に引きずり込まれ魂を奪われてしまうという噂があるのだ。フィンスは、それを魔族の仕業だと考えていた。更に言えば、水魔法が使える魔族だったらいいなと勝手に思っていた。
「さて、ついたな」
湖に到着する。が、すぐには何も起こらないらしい。
フィンスは、噂の正体が早く姿を見せるようにするため、ズンズンと迷いのない足取りで湖に向かっていった。
「ダレダ……」
すると、湖まであと二メートルといったところで、この世の全てを恨んでいるような声が聞こえた。続いて、湖から不自然に蛇行する水の塊が飛んでくる。
「ふんッ」フィンスはそれを片手で軽々と弾いた。そして、何を考えているのか判らないとよく言われる三白眼で湖を見つめつつ言う。「めっちゃいい水だなこれ」
「え……?」
その予想外の発言に、水を放った主と思われる一匹のゴーストが戸惑いながら姿を見せた。戸惑いすぎて姿を隠すのを忘れてしまった、という方が正しいだろうか。
「お前、俺の元で働いてくれないか」フィンスはその姿を見るなり言う。「給料は勿論出す。出来れば住み込みで働いてほしいな……食衣住は俺が責任を持って保証しよう。お前のその力を存分に生かして欲しい。どんな要望も可能な限り応えよう。何だ、何だったら引き受けてくれる?」
「いや、えっと……」
半ば興奮気味のフィンスにゴーストは更に戸惑う。こんな奴を見るのは初めてだった。一体何なのか、理解が追い付かない。
「まずは名乗れ」
混乱したゴーストは、引き受ける引き受けないの前にそう言う。確かに名乗ることは重要だが、微妙にずれた問である気もした。
「俺か? 俺は一応そこの城で魔王をやらされてる。フィンス・ヴァルツェだ。お前は何と言う?」
「……サラサ」
サラサは魔王という単語に更に戸惑いながら名乗る。
そう、これが二人の出会いだった。
◆
「こんな感じだよー」
出会いを一通り語ったサラサが締め括るように言った。
「本当に変わりませんね、あの人」
リーリエは相変わらず過ぎるそのエピソードに突っ込むことができなかった。