雪の降る日
「だーかーら! テメェに構ってる暇はねぇんだっつーの!!」
春の陽気に雪がちらつく一年に一度しかない今日。
魔王フィンスはいつになく苛立った様子で勇者の相手をしていた。
「まず俺世界巡ってから出直せって言ったよなぁ!? なんで相変わらず素手なんだよお前はよぉぉぉぉ!!」
「拳ってロマンだろ?」
「勇者がロマンとか言ってんじゃねぇ!!」
スパァンッと乾いた音が鳴り響いて勇者が沈んだ。フィンスの掌底が決まったのだ。相変わらずこの魔王は相手が素手なら自分も素手というフェアな魔王である。
勇者を沈めたフィンスはいつもなら部下に出す指示を出さずに、一目散に庭園へ向かった。
今日は一年に一度しかない特別な日。
勇者なんぞの相手をしていられるような日ではないのだ。
「ま」庭園でへたれこむとフィンスは安堵のため息を漏らした。「間に合った……」
庭園の一番奥。ポツンと植えられた苗木。魔王の近くに転がった小さなジョウロ。
「フィンス様、その苗木は何なんですか?」
膝をついたフィンスの後ろからひょっこりと顔を出したリーリエが尋ねた。手伝うと言っても断られるし、サラサですら手伝いを頼まれず水やりもしなきこの苗木が不思議で仕方ないのだ。
「ホシクズのジュースをご用意致しましたが如何なさいますか?」
「ああ……もらおう……」
汗だくのフィンスはその場に腰を下ろすと、リーリエから瓶に入った宇宙のような色のジュースと、真っ白なタオルを受け取った。汗を拭き、ジュースを一口飲むと清涼感が喉を突き抜けていく。
「あー、で、この苗木だが」一回伸びをするとフィンスは急に生き生きとした表情になって語り出した。「『ユキザクラ』という木なんだ。一年に一度、この雪が降る日にしか育たない木でな。夜に満開になる。凄く綺麗だぞ」
「今日一気に育って咲くってことですか?」
「そういうことだ。明日になれば枯れる」
少し寂しそうにフィンスは笑った。一年に一度しかない見ることが出来ない儚い花。どんなに頑張っても一日限り。作物を愛するフィンスにとって、これほど寂しい植物はないだろう。
「ただ、この花、面白いことがわかってな。きっかり一時間に一回水をあげ続けると、花が散ったあとに実が成るらしいんだ。今日はそのためにコイツにつきっきりになってやらなくてはいけなくてな」
「だからあんなに急いでらっしゃったんですね」
そろそろ水をあげなくてはいけない時間だというのに勇者が現れてしまったのだ。苛立つのも仕方無いだろう。
「でも……時間を私に教えてくださればお手伝いできましたのに。サラサ様もいますし……ご自分で育てたい気持ちもわかりますが、どうしてもというときぐらい頼ってくださっても」
「気持ちは嬉しいんだがな。こいつだけはそれすら出来ないんだよ」
困ったように笑うフィンスに、リーリエはその意味がわからず首をかしげた。
「水をやるときに一緒にほんの少し魔力を込めるんだ。一回でも違う魔力が混じると苗木自体枯れるらしくてな……だから、コイツは一日俺がどうにかするしかないんだよ」
「なんていうか……大変ですね」
「全くだ」
訳のわからないユキザクラの特性に、リーリエはそれしか言うことが出来なかった。そして、そんな大変なことをしないとならない実を誰が発見したのだろうかと心の底から疑問に思った。ついでに、発見した者は相当の変人で暇人で几帳面なのだろうとも思った。
なんとも言えぬ気持ちでリーリエがフィンスとユキザクラの苗木を見詰めていたのも束の間、唐突にベルの音が鳴り響いた。
「あれ……? これ、勇者が現れた合図ですよね……? でも、先程フィンス様が倒したばかりですし……」
不具合でしょうか、とリーリエは不思議そうにしながら城のてっぺんを見た。ベルは城のてっぺんにあるのだ。
そんな呑気なリーリエとは違い、フィンスは般若のような表情で立ち上がる。彼は気付いていた。
「あんのクソ勇者! 不老不死かよ畜生がァァァァアッ!!」
腹の底から、突っ込みどころ満載に叫ぶ。
かなり強めに殴って気絶した筈の勇者が起き上がったのだ。何時もなら気絶している間に城の外に捨てさせているのだが、今日はそれがなかったために悠々と城の中で動き出したのだろう。しかもベルがなったということは、かなり元気であることが分かる。
「暫くこの世界から隔離してやらァ!! 覚悟しとけクソ野郎ッ!!」
そう叫んで、フィンスはとてつもないスピードで走って勇者がいるであろう謁見の間まで向かうのであった。
「走るんだ……」
そのケンタウロスも顔負けな速度にリーリエはただただ呆然とするしかなかった。
「どこ行ってたんだよクソ魔王ー探しちゃったじゃーん」
「探さなくて良いし帰って欲しかったし起きるの早いししかも元気すぎんだろお前! 『探しちゃったじゃーん』じゃねぇんだよこちとらお前なんぞに構ってる暇は無いんだよボケェ!」
中指を突き立てるフィンス。だが勇者になにも効いていない。勇者はヘラヘラ笑っている。
「っていうかあの変な仮面やめたのな。なんだよクソ魔王イケメンじゃーん。爆ぜろ」
「えっ? あっ!?」
勇者に指摘されてはたと気付くフィンス。そう、急ぎ過ぎたがためにいつもつけていた仮面を忘れてしまったのだ。
素顔が露になってしまったことに気付くと、フィンスは勇者に親指で首を切る仕草をされてるのを気にも留めずに慌て、そして行動に出た。
「消えろ!! いや、消せ!!」
それは記憶をという意味だったのだが、慌てすぎたためか勇者が突然闇に飲まれて消えた。これはフィンスの魔法の中の一つで、闇を経由して相手を異世界に飛ばすものである。次元破りなどの技を使わなければまず異世界からの脱出は不可能であり、これで実質勇者の存在はこの世界から消えた。
「これで……静かになる……っ!」
フィンスは心の底からその事実を喜んだ。
そしてその夜、ユキザクラは無事満開を迎えた。
白のような、桜色のような、触れてしまえば消えそうな存在の危うい花。満開と同時に散り始め、花びらなのか、それとも今日一日降り続けた雪なのかは分からない。空は妙に明るく、だが暗い。その中でユキザクラと雪が光を放っているような、そんな気がした。
「綺麗ですねー……」
その近くにフィンス、リーリエ、サラサはベンチを用意して座り、静かな花見をしていた。
「この景色を見ると、春が来たんだなって実感するんだ」
「春だねー」
言うとサラサはふわりと浮き、ユキザクラの方へ向かっていった。すると、赤いぼろ布が雪と桜を纏い出す。
「これぞ本当の雪化粧!」
「サラサがおめかしするのもこの日ぐらいだもんなー」
はしゃぐサラサを微笑ましげな目で見るフィンス。そう、農業をやっているがゆえにお洒落をする時間など無いのだ。フィンスの服は魔王であるからこそメイドに用意され、常に清潔で機能よりもデザインを重視された状態になっているが、サラサは違うのだ。
「それはそうと、フィン。なんか実っぽいもの出来てるよ?」
「本当か!!」
「うん、なんかリンゴっぽいものが出来てるよー」
「見るぞ見るぞ」
本当に今までのやり取りと空気を一変させて、勢いよく立ち上がりサラサのいるところへ向かうフィンス。なんだか台無しである。
「本当だ……しかももう収穫できそうだな」
一日かけて苦労して水をやった結晶。それをフィンスは迷いの無い手でもぎ取った。
「…………アアァ……」
すると、今にも死にそうな声が聞こえてくる。何処から聞こえたのかと探すまでもない。その声はフィンスがたった今もぎ取った実から聞こえていた。
「アアアアァ…………」
「うわぁぁぁぁッ!?」
ギョロリとした真ん丸の目が開きフィンスと目があった。フィンスは驚きのあまり実をぶん投げた。しかし、実は何らかの妖精なのか遠くまで飛ばされることはなく、一定の場所で止まるとフィンスのところへふわふわと戻ってきた。
「アァ……ア……」
今にも死にそうな声は何かを訴えているようにも聞こえる。ついでに、いつのまにか腕と足のような細い棒っぽいものが生えていた。ついてに口もきちんとあった。
「えっと……?」
これには流石のフィンスも戸惑いを隠せない。幾らか考えた後でフィンスはやっと結論を出した。
「とりあえずここで育てよう」
「飼うのかよ!」
一部始終を見たリーリエの鋭い突っ込みが冴え渡った瞬間である。