大きな大きな樹の下で
なんとなく、国王から呼び出しがかかることは想像していた。だから、何を言われたところで特に驚きもなかった。
「フォーアロよ、世界樹の調査に行って参れ。この際魔王は二の次でよい。あれに何が眠っているのか、特に有効なものは持ち帰って来てもよいぞ」
フォーアロと呼ばれた茶髪の青年は「はーい」と間延びした余りやる気を感じさせない返事をした後に玉座の間から出て行った。そして城を後にしながらフォーアロは思う。
世界樹が突然出現したのは一か月ほど前のことだ。その日は、普段物事を深く考えることのないフォーアロですらかなり驚き、何がどうしてそうなったのかしばらく考え込んだ。あんな巨大な樹が突然現れたのだ。気にならない方がどうかしている。
だから、日々魔物たちに頭を悩ませ心を痛めている国王たちにしてみれば、世界樹の出現は決して無視できるものではない。だから確実にフォーアロは世界樹に関する命令を下されるだろうと考えていたのである。むしろ、一か月もかかってようやくお呼びがかかったことに対して驚いている。何故すぐに呼び出さなかったのだろうか。あれが本当に世界樹なのかどうか調べていたのだろうか。
世界樹の伝説は人間にも広く知られている。世界樹の内部にはその水を飲むと不老不死になれる泉があるだとか、願えばどんなものも手に入るだとか、世界樹さえあれば千年は食糧に困らないだとか、そんな真偽が定かでないものばかりだが。だが、それらが本当だとするならば、人間側としては喉から手が出るほど欲しいものばかりだ。特に王族は不老不死になりたがる者ばかりだ。フォーアロはそれをよく知っていた。
そして、だからこそ王族は不老不死である魔王を目の敵にするのだということも。
「……にしても、でっけーなぁ……」
世界樹の根元まで来ると、フォーアロはしげしげと眺めてそう呟いた。どんなに見上げても根元からでは天辺が見えない。なんなら上の方は雲に隠れているようにも見える。この大きさは最早山だ。
視線を元に戻すと、今度は来た道の方を向く。大きく伸びた根に沿って人間側の領域から歩いてきたのだが、ここまでに来る途中、いくつもの畑と小さな町を見てきた。どれも魔物たちのものだったが、人間が作る畑や町となにも変わらなかった。ちょっと住民が違うだけだ。
「先入観を捨てて、見たもの、感じたものをそのまま受け止めなさい」とはフォーアロが育ての親によく言われた言葉だが、今はこの言葉に従うのは難しいかもしれない。今まではそこらに住む魔物たちの暮らしなど見たこともなかったので、かなりの衝撃を受けたのだ。
「……いや、魔王が魔王なんだから、魔物がこうでもおかしくないのか」
フォーアロの記憶の中にある魔王城のことを思い出して頭を振る。魔王城は国王の城と同じような造りをしていたし、凶悪なトラップが仕掛けられているわけでも、悪趣味な装飾が施されているわけでもなかった。むしろ、四季折々の植物で彩られ、常に綺麗に清掃されていた印象が強い。ただそこの主人に角が生えていて不老不死だというだけで、人間は魔王城を恐れ脅威とし、攻撃を繰り返してきた。
今思えば、魔王から直接人間側へ攻撃されたことなど一度もなかったのに。
「まあ、いいや。俺、難しいこととかわっかんねェし」
先入観を捨てて、見たもの、感じたものをそのまま受け止めればいい。
フォーアロは心の中でそう呟くと、世界樹への入り口を見つけ、そこから内部へ入って行った。
「……すっげ」
世界樹の中に入るなり、フォーアロは感嘆の声を漏らした。それもそのはず。目の前に広がったのは、外でみた町よりもずっと立派な美しい街並みだったのだから。
樹の内部とは思えないほど明るく、陽すら差しているように感じるここは一体なんなのだろうか。などと、フォーアロは最早考える事すらしない。足は自然と動き出し、青い瞳は少年のように輝いていた。
不思議なもので、足は美味しそうな匂いのする方へ誘われていく。そうして歩いているうちに、フォーアロは商店街のような区画にたどり着いた。様々な店が立ち並び、そこら中から食欲をそそる音や匂いがする。こんなのはもう、食べないわけにはいかなかった。
「おっさん、串一本」
「おう、まいど」
フォーアロが最初に声をかけたのは一番近くで串焼きを売る店だ。マタンゴのオヤジが様々なキノコを串に刺して焼いている。マタンゴがキノコを売るのだ。美味しくないわけがない。フォーアロの腹は我慢しきれず合唱を始めようとしていた。
「へいお待ち……ん? なんだぁ? 兄ちゃん人間か?」
焼きあがった串をフォーアロに手渡そうとすると、マタンゴのオヤジはきょとんとした表情を浮かべた。やっとフォーアロが人間だと気付いたらしい。
「やっぱり人間は来ちゃ駄目だったか?」
「いーや、兄ちゃんが初めてだがそんなきまりもねぇだろ。……いや、お互いの領域は侵さない決まりだったか? まぁ、んなこたぁどうだっていいんだよ。そんなもんより、俺ァこいつが兄ちゃんの口に合うかが心配でな。なんせ人間に食わせたことなんてねぇからよゥ!」
がっはっは、とマタンゴのオヤジは豪快に笑って見せた。口では心配と言っておきながらも、実際は全く心配していないように見える。
「確かに」とフォーアロもつられて笑うと、代金を支払って串を受け取った。そしてなんのためらいもなく焼きたてのキノコにかじりつく。
よく焼けた肉厚のキノコには特製の甘辛ダレがかかっていて、汁と一緒に口の中へ流れ込んでくる。噛みごたえも十分で、キノコではなく肉を食っているような気さえした。一本と言わず、いくらでも食べられそうなほど食が進み、気付けばキノコに刺さっていた串だけがフォーアロの手に残っていた。
「いい食いっぷりじゃねぇか!」
そんなフォーアロを見てマタンゴのオヤジも上機嫌だ。どうやらフォーアロのことを気に入ったらしく、「サービスだ」なんて言って焼き上がった串を渡した。
フォーアロもこの串を気に入ったので遠慮なくいただいて、食べながらマタンゴのオヤジの話を聞くことにした。
「俺ァ元々森に住んでたんだが、この木がいきなり生えてきたもんで、住むところが無くなっちまったんだよ。そんで、どうしたもんかって考えてたら魔王様が来たのさ」
「魔王が?」
「ああ、魔王様だ。どういうわけか魔王様は分けも言わずに俺らに頭を下げたんだ。そんで、住む場所が無いならここに住んでくれってな。家まで作ってくれたんだぜ。ありゃあ本当に魔王様だったと思うか?」
「知らんがな」
だろうなぁ、とマタンゴのオヤジはまた豪快に笑った。聞いた限りではとても『魔王』とは思えない。人間側で畏れられている『厄災の魔王』では無いと断言出来るほどには想像のできない話だった。
きっと、魔王を騙る何者かがそんなことをしたのだろう。そうやって笑い飛ばされる類の話だ。
「魔王様がねぇ、新しい畑を下さったんだよ」
「上の階層は見たか? 魔王様が森を作ったんだよ。ありゃあすごいぞ」
「魔王様に働いて生活するって道を示してもらったんだ。奪わずに飯が食えるっていいことなんだな」
しかし、色んな魔物たちの口から出る話を聞くと、どれもこれも冗談なんかじゃなく本当のことなんだなと思わざるを得ない。
食べ歩きながら聞く魔物たちの話は少し新鮮で、でも同じ世界のよくある日常だった。そして話を聞いているうちにフォーアロは漠然と思う。
「俺もここに住んでみたいな……」
世界樹の中で、農業か何か仕事をしながら自然と触れ合って日々を送る。国王の呼び出しも無く、なにより自分の価値観に素直に生きられそうな気がする。
思い立ったが吉日だ。そうとなれば、早速ここに住むための準備をした方が良い気がする。きっとそうに違いない。
フォーアロは物事を深く考えない男だ。そして決断力の化身と言われるほどの決断力と、若さゆえの行動力がある。
この世界樹に住むには、恐らく魔王に直接話をした方がいいのだということは、魔物たちの話を聞いてなんとなく察していた。人間であるフォーアロが住むのだ。ここの主に言って許可を得るのが良いに決まっている。問題は、どうやって魔王に会うかだ。
フォーアロの記憶が正しければ、魔王城はこの辺りにあった筈だ。しかし今は世界樹が生えている。となると、魔王城は一体どこに行ってしまったのだろうか。
「魔王城? ああ、それならここの最上階にあるわよ」
そう教えてくれたのはスムージー屋のアルラウネだ。それから商店街の中心部の方を指差し、「あそこにある門が上層階につながっているわよ」と教えてくれた。
親切なアルラウネに礼を言うと、フォーアロはスムージーを一つ購入して、それを飲みながらアルラウネが教えてくれた門の方へ向かった。
すると、タイミングが良かったのか門の目の前まで来ると、門が淡い光を放ち、光の中から人影が現れた。どうやら誰かが上の階から降りてきたらしい。どうせなら今降りてきた彼に使い方を聞けば良いだろうとフォーアロはさらに門へ近づく。
そして上の階から降りてきた彼の姿を見て動きが止まった。
「……!? げぇええええッ!? 勇者じゃねえか! 何しにきたんだお前ッ!?」
驚いたのは相手も同じだったらしく、だが彼は動きを止めることなくむしろ喧しく動きながら叫ぶようにそう言った。
「よう、魔王。ちょうど良かった」
あまりにも相手が喧しすぎるから冷静になったのだろうか。落ち着きを取り戻したフォーアロは、魔王──フィンスに向かって軽く微笑むと、小さく手を挙げてフランクな挨拶をする。そしてそのまま軽い調子で「俺、ここに住みたいんだよね」と本題を切り出す。
「ここに?」
「そう、ここに」
「そうか。ここに住むのか……」
そうかそうかとフォーアロの言葉にフィンスは頷く。それから少し間を置いて、「ん?」と首を傾げた。そして「住むのか? この世界樹の街に?」と確認するように問う。
「おう。ここに住みたい」
フォーアロの意思はブレない。ニッカリと笑って、ストレートに自分の要求を何度でもフィンスに伝える。
しかし、当然ながらそれを簡単に飲み込めるフィンスではない。
「いやいやいやいや! おかしいだろ! ダメじゃないけどダメだろそれ、人間的に! お前自分の立場分かってんのか? 勇者だぞ? 魔王を打倒するために人間側から唯一送り込める勇者なんだぞ、お前。しかも勇者ってあれだろ、数年に一人ぐらいしか適性のある奴が出てこないって奴だろ? そんな奴がここに住むって国王が許可するわけないだろ。下手したら戦争だわ」
「なら国王に言わなきゃいいんじゃねーの? あと、俺が勇者辞めれば解決だろ」
「そんなアッサリ勇者辞めるとか言ってんじゃねーよ! 聞いてたか人の話!」
「でも、俺もう魔王討伐する気とかねーし、だったらやりたい奴にやらせればいいんじゃねえかなって」
「あんなに殴り込んでおいて何言ってんだお前!」
フォーアロにはフィンスが何を問題視しているのかさっぱりわからない。確かに、勇者の使命として何度も殴り込みには来たが、それはそれである。それに対してフィンスが恨みを抱いているというのであれば話は別だったがそうではないのだ。
なんせ、フォーアロは祖父であり育ての親でもある元勇者、アンファが現在フィンスと親しいことを知っている(厳密に言えば最近知ったわけだが)。フィンスを殴り倒し脅威を与えた度合いで言えば、アンファの方が圧倒的だ。ならば、それに及ばないフォーアロが恨まれるはずもない。
「あー! とりあえずあれだ、まずはお前の独断で決めるんじゃない。今日のところは帰ってアンファの許可を得てから来い!」
困り果てたフィンスは、最終的にそう言ってフォーアロを追い払うように手を振った。
純粋なフォーアロは面倒ごと扱いされているなんてことを全く考えず、「分かった! じいちゃんに話してみる!」と元気よく言うと、嵐のようにそこから走り去って行ったのだった。
それから一週間後、アンファから『孫を宜しく』という手紙が届き、フィンスが頭を抱えるのはまた別の話。




