伝説の樹
「弟よ! お姉ちゃんを助けて欲しいんだけど!」
なんの前触れもなくやってきた嵐の如く少女は、よく通る声でそう叫んだ。
ウルティ・ヴァルツェ。フィンスの姉であり、世界最高の薬屋であり、自身の薬の影響で幼女化してしまった元傾国の美女である。
「嫌だね」
フィンスはウルティの方を見向きもせずにそう言うと、それ以上は何も言わずに作業を続けた。
ゲッカという柑橘系の果物が成る木がある。ゲッカは枝に長くて鋭い棘を持ち、その棘に当たると果実がスッパリと切れてしまう。だから、ゲッカの棘は定期的に剪定する必要があるのだ。今日のフィンスの作業内容はそれである。
慎重に、丁寧にハサミで一つずつ棘を切って確実に鉄製の箱に入れていく。この棘、踏んでしまうと平気で靴底を貫通して足も貫いて来るのだ。だから木製の箱なんてものにいれてしまえば、箱はたちまち穴だらけになってしまう。
ゲッカの棘はナイフやハサミなど、刃物として加工されることが多い。きっとフィンスが鍛治も出来るようだったらこの棘たちは有効活用されていたことだろう。
今のフィンスにはそんなこと出来ないので、残念ながらこの棘たちは燃やされ灰になり、肥料の一部になるのだが。
「はッ! 思わず作業を見守ってたけどそうじゃないわ! 話ぐらい聞きなさいよフィン!」
「絶対に嫌だ。ゲッカの棘を取るより大事なことじゃないだろ、それ」
「むっきぃぃぃぃッ! 否定できないところがなおムカつく! いいもんね! お姉ちゃんに対してこんな扱いをしたこと後悔するような仕返し絶対にしてやるんだからね!」
あとはリリーに聞いてもらうもんね、とウルティが背を向けて走り出すとフィンスの手が止まった。フィンスにとって聞き捨てならない一言だったのだ。
リリーに聞いてもらう。
リーリエに聞いてもらう。
フィンスの代わりに、リーリエに助けを求める。
「待てウルティ! お前リーリエに……ッ」
「イーっだ!」
「待てゴルァ!」
とても五十年以上生きている兄弟だとは思えないような低レベルなやりとり。そのままウルティとフィンスの鬼ごっこが始まったところも併せて子どもらしさ全開だ。
まあ、その速度が子どもが出すようなものでないのだが。
ついでに言えば、姉とはいえウルティは今幼女なので、大人の男が幼女を追い回すという非常によろしくない絵面なのだが。
「あっはっは、安心したまえ我が弟! ルゥは畑を荒らすなどという愚行はしない!」
「あったりめぇだ! 少しでも荒らしてみろ、絶対に全力でぶん殴るからな!」
庭園を飛ぶ様に駆け回る二人。時には本当に飛んで畑を飛び越したり、木のてっぺんまで駆け上ってそこから飛び降りたりする。それは常人にとっては目にも留まらぬ速さであり、爆速と表現するのが最も相応しい。
しかしながら、二人ともほぼ飛べるのに何故か基本は地面を走っている。謎だ。
「そもそもリーリエに何を言うつもりだよ! 事と次第によっては絶対にリーリエに会わせねぇからな!」
「ふーんだ! フィンには教えてあげないもん! だって最初に話を聞いてくれなかったのはフィンだもんね!」
「だからってリーリエに頼るなよ!」
「だってリリーなら話を聞いてくれそうなんだもん。それにフィンよりも絶対にリリーの方が詳しい!」
「それって植物の話ってことだな!? 俺の知らない作物の話なのか! それはどういうやつだ俺にも育てられるのか!?」
「知りませーん! っていうかそれを今から聞きに行くんだしーッ!」
「それもそうだな! で、どういう植物なんだ!?」
「だからフィンにはもう教えてあげないってば! もーね、本っ当にフィンってばめんどくさい! しつこい男は嫌われるって知らない!?」
「はっ、ウルティに嫌われようが何だろうが関係ねぇな! そうしたら薬の実験に付き合わないだけだからな!」
「そんなこと言っちゃう!? 後でどうなっても知らないんだからね! よーく覚えておくんだね!」
「……あの、何をされているのでしょうか……?」
その瞬間、猛スピードで駆け回っていた二人は慣性の法則をぶっちぎりで無視してピタッと動きを止めた。そして二人揃って声の主──リーリエの方に視線を向ける。
「とんでもないスピードだったので会話の内容までは分かりませんでしたが……お二人の声、多分城中に丸聞こえでしたよ?」
呆れたような表情のリーリエ。それもそうだ。城中に響き渡るくらいの声量でギャーギャーと騒ぎながら庭園中を駆け回るいい歳の大人を目の当たりにしたのだ。呆れない方に無理がある。
二人は少し恥ずかしくなると、姿勢を正してリーリエに小さな声で「ごめん」と謝罪した。その後でウルティが口を開きリーリエに質問をする。
「ねぇ、リリー。知ってたら教えて欲しいんだけど……『世界樹』って、この世界にある? あるとしたらどこにあるのかな」
世界樹とは世界に一本だけ存在することがあると言い伝えられる超巨大な樹木のことだ。その存在が実際に確かめられた記録はなく、ほぼ伝説のような存在ではあるのだが、かといって単なるおとぎ話として笑い飛ばされるほど信憑性の無いものでもない。
世界樹の内部は迷宮のようなものがあり、外部とは違った独自の環境を持ち、様々な植物や鉱石などが存在するという。世界中のものが全て世界樹の中にあるのだ。
一説によれば、世界樹が全てを産み出しているという。まだこの世界に存在していない植物があったとしても、世界樹に願えば新しく産み出されるんだとか。本当にそんなことが出来るのだとしたら夢のような話である。
「あー……世界樹ですか……」
そんなウルティの質問に対し、リーリエは残念そうな表情を浮かべた。その顔だけで大体の答えは察したが、それでもリーリエの口から出る答えを待つ。
「私もつい最近探してみたのですが、今のところ世界のどこにも存在はしていないようです。苗木のようなものも見つかりませんでした」
残念ですが、とリーリエの口から出た答えにウルティは「そっかぁ」とだけ言う。それから少し考えて、どんな方法でその結果が出たのか気になったらしく「どうやって調べたの?」と質問を重ねた。
「全世界の植物たちに聞いたんです。別件でとある植物を探しておりまして、やっぱり見つからなくて。その後で世界樹の存在を思い出したので、今度は世界樹について全世界の植物たちに聞いたんです。だけどやっぱりダメでした」
「なるほどなるほど」
うんうん、と納得したようにウルティは頷いた。しかし、口元は微笑んでいるが目が全く笑っていない。何かに対して怒っているのだろうか。目つきが先程に比べて明らかに鋭くなっていた。
「よーく分かったことだし、リリー今から女子会しよっか! あ、もちろんフィンは来ないでよね! じゃあね!」
「えっ? きゃあぁッ!?」
「おい、ちょ、ウルティ!?」
言うが早いか、ウルティは突然リーリエをお姫様抱っこして、先程フィンスと追いかけっこをしたのとほぼ同等のスピードで走ってどこかへ消えていった。
まさか自分の半分ほどの身長しかない幼女に抱きかかえられてそのまま猛スピードで走られるとは夢にも思わなかったリーリエは悲鳴をあげることしかできないし、フィンスは呆気にとられるしかない。
慌ててその後を追ってみれば、辿り着いたのはリーリエの家だったが、しかしかなり強固な結界が張られていて中に入ることは出来なかった。そこは流石に魔王の姉である。
「さーて、と」フィンスが家の中に入ってこれないのを確認すると、ウルティはリーリエと向かい合うように座って、リーリエの目をジッと見詰めながら口を開いた。「何でそんな無理をしてるのかちゃんと話してもらおうかな」
言いながらウルティはリーリエの首の辺りを指差した。そこには薄紫色の花がピアスの飾りのように咲いていた。その花がシオンであり、それが何を指しているのか、ウルティは大体知っている。
「ルゥがあげた薬は飲んだ?」
「ええ、とても美味しかったです。ありがとうございました。お陰ですごく調子が良くって」
「それで世界樹を探したと?」
「……まあ、そうなりますね」
ウルティは深いため息をついた。
リーリエが三回も行なった世界中の植物に問いかけるという術。それは大量の魔力を消費するものであり、術者に多大な負担をかけるものだ。『バカ魔力』と称される程の魔力を有しない場合、一回術を使うだけでかなり命を削る。
「仮にも薬屋だからね。ある程度の症状ならルゥは詳しいよ。リリーの場合、花がいっぱい咲くってことは身体が限界に近いってことだよね」
リーリエは否定も肯定もせず、ただにっこりと微笑んだ。分かっていてやっているのは明らかだった。
「ねぇ、リリー」だからウルティは聞かざるを得ない。そんなことをしてまで、自分を犠牲にしてまで、自分の命を賭してまで、フィンスのアホみたいな願望を叶える必要があるのかと。自分の弟にそこまでの価値があるのかと。「リリーはなんでフィンに尽くそうと思うの?」
魔王だから、という理由でないのは確かだった。仮にウルティが魔王だとしても、否、魔王でなくともウルティがリーリエの主人だったとしても、リーリエはここまで尽くすことはないだろう。それは確信的だ。
「……そうですねぇ……それは……フィンス様が愛して下さるからでしょうか」
少し悩んだ後でリーリエは照れながらそう答えた。ふざけているのかと聞き返したくなるような返答だったが、リーリエは至って真面目にそう答えていた。だからウルティは何かを言う前にリーリエの注釈を待つ。
「……ええっと、勿論それは私個人に向けられた愛ではないんです。でも、全ての植物に向けられた愛なんです。こんなに深く全ての植物を愛して下さるお方だから、それに報いたいと、そう願ってしまうんです」
まるで恋する乙女のようにリーリエは言う。
なるほど、と思わずウルティは理解してしまった。リーリエの言う通り、フィンスが植物を愛しているのは明らかだ。そして、与えられた愛に愛を返したいという想いも分かってしまう。
それが自分を犠牲になるという結論に至ることについて納得することは出来なくとも、理解することは十二分に出来る。
「それに」今度は何かを悟ったような瞳でリーリエは付け加える。「新しい仲間を増やすことが出来るなら、本望ですよ」
種族の違うウルティには絶対に分からない感情だった。だからウルティは納得することを諦めて「そっか」と短く答えた。
「リリーがそう決めてるなら、ルゥはもう何も言わないよ。だけど一つだけ覚えていて」
椅子から立ち上がり、家の出口に向かいつつウルティは言う。ドアノブに手を掛ける直前で立ち止まると、リーリエの方を向いてかつての傾国の美女を思わせる、魔王のような笑みを浮かべて言うのだった。
「それをした後、ルゥが何をしようと、それはルゥの勝手だよね?」
それだけ言い残すと、ウルティはドアを開けることなくその場から煙のように居なくなった。




