お手製絶景ポイント
そういえば庭園の端から端まで行ったことないな、とリーリエは唐突に思った。そして、特に用もない日に庭園を散策してみることにした。
庭園には様々な植物が生い茂っている。視界を埋め尽くす緑が唐突に晴れた時、リーリエの目に飛び込んできたのは信じられないような光景だった。
「……うみ?」
一言『青』と表現するだけでは足りない、神々しいまでに清い水面。水はどこまでも透明で、水底までハッキリと見えそうだ。
正確に言えばこれは海ではなく湖だ。ここから対岸を目視するのは難しいが、周囲はしっかりと陸に囲まれている。
しかしそんなことはどうだっていい。重要なのは、何故こんなものが、こんなところにあるのか、というただ一点だ。リーリエが恐ろしく方向音痴でない限り、ここは庭園の一部のはずなのだ。
いや、心当たりはある。
まず、こんなものをここに作るのは一人しかいない。そして、それをいつ作ったのかというのも何となくわかる。庭園の模様替えをしつつ泉を作った時だ。
そう考えれば、湧き出た水が最終的にここに流れてきて湖を形成しているのだと、ごく自然に考えられる。
「……でも、フィンス様が作物と関係の無いものを庭園に作るとは思えないんですよね……」
問題はそこだ。
別に、作物に水を行き渡らせるだけなら泉から各方向へ川を走らせれば事足りる。では、わざわざその川をまた集約して湖を作ってしまった理由は何なのだろうか。それにこの美しさ、どう考えてもきっちりと管理されている。環境を整えていなければ作った湖がこんなに綺麗になるわけがない。
一歩湖に近づき、覗き込んでみる。すると、水の中では色とりどりのキノコとサンゴのような植物が生き生きとしていた。まるで海底の奥底を見ているような気分だ。陸地からただ見下ろしているはずなのに。
「キノコもサンゴも勝手にここには生えてきませんよね……ということは、フィンス様はこれを育てるために湖を?」
なるほど、そう考えてみれば納得のいく話だ。今更規模に関しては突っ込む気もない。あの魔王はそういうことばかりするのだから。
ふふっと少し面白くなって一人笑うと、リーリエは湖を眺めつつ畔をゆっくりと歩き始めた。
あまり風の無い今日は水面を揺らすものがない。フィンスによって徹底的に管理されているこの庭園では、外部からの飛来物も無い。湖に落ちるものがあるとすれば周囲の植物の葉ぐらいなものだが、今はそんな時期でも無いので水面は沈黙を保っていた。
だというのに、リーリエがしばらく歩いた後で急に水面が不自然に揺れた。
「何かが居る……?」
足を止めて目を凝らしてみると、少し離れたところで泡が出ているのが見えた。細かい泡では無い。比較的大きな泡だ。生物が呼吸をして発せられているような、そんな。
次第に泡の音が大きくなっていく。ゴボリゴボリと何かが上がってくるのが分かった。しかしいくら水が透き通っているとはいえ、リーリエから少し離れたところなので何が上がってきているのかは見えない。
湖は泡の音以外は何も聞こえない。不気味なほど静かで、一層泡の音が強調される。
一定まで音が大きくなると、それは唐突にそして勢いよく飛び出した。
「ッぷぁ!」
「…………」
水に濡れた漆黒の髪。鋭い真っ赤な瞳の、爬虫類に似ている整った顔。水も滴るいい男を正しく体現しているその人物は、言うまでもなく魔王、フィンスだった。
フィンスは水面から顔を出すと、そのまま泳いで陸に向かう。浅いところまで来ると立ち上がり、ザブザブと出て来た。
水の中から出てくるとフィンスの身体がよく見えた。
農業によって鍛え抜かれた引き締まった身体。水着をはいただけのフィンスはその肉体を惜しみなく晒していた。
分かっている。水中に潜っていたのだから服を着ていないのなんて普通だ。しかしここは庭園だ。側から見れば異様な光景でしかない。それに、どういうわけか左手に持っているいつもの愛用のクワ──古の剣、だったか──が更にその異様さを際立てていた。
「お? リーリエ。珍しいな、こんなところで」
陸に上がり、濡れた髪の水を絞るとフィンスはリーリエに気付いたらしく、パアッと笑顔を見せて寄って来た。
膝よりもやや短い、シンプルなデザインの水色の水着が目を惹く。どんなものでも着こなしてしまうのがこの魔王の困ったところだ。例え片手にクワを持っていようと絵になってしまう。
「ええ、こんなところに湖があるだなんて知らなかったので」
多少トゲを含んでリーリエはそう答える。しかしフィンスがそれに気付くわけもなく、フィンスはやや上機嫌に「ああ、泉を作ったときに一緒に作ったんだ」と返すのだった。リーリエ、ご名答である。
それからフィンスは続けて「どうしても自分の手で良い肥料を作りたくてな」と言う。当然の事ながら、湖と肥料がどう繋がるのか分からないリーリエには首を傾げる事しか出来ないのだった。
「そこにサンゴが生えてるのは見えるか? あのサンゴの枝を採って燃やして灰にするんだ。出来た灰はそのまま撒いてもいいし、他のと混ぜて肥料にすることも出来るんだ」
リーリエが疑問を持つことを予め予想していたのか、フィンスはあまり間を空けずにそう説明をした。湖と肥料の繋がりが見えたのでリーリエは素直に「なるほど」と納得を示す。
だがそれだけでは足りない。
湖にはサンゴだけでなく、キノコも生えているのだ。
だからリーリエは素直に疑問をぶつけた。
「フィンス様、どうしてキノコも育てているのでしょう?」
「ああ、あれは質のいいサンゴを育てる為だ。あのキノコは水質を落とさずに栄養を作ってくれるからな。水質が落ちるとサンゴは全部死滅するんだ。あとあのキノコは食べると美味いぞ」
時期になったらキノコパーティだな、とフィンスは笑った。
更に話を聞いてみると、今日はサンゴの株分けをしていたらしい。だからクワを持って湖の中に入ったのだとか。
一つ一つ話を聞いてみれば納得がいくのだが、それを魔王がすることなのかと改めて考えてしまう。
「……まあ、こういうお方だと私もようやく分かってきましたが」
「? なんか言ったか?」
「いいえ、なにも」
分かってきてしまったのもどうなのだろうとリーリエはヘラヘラと笑う主人を前にため息をつくのだった。




