魔王としての
「ふむ……」
フィンスは突然悩ましげな表情を浮かべ、芽かきをする手が止まった。しかし、目の前の小さな芽を摘み取るかどうするかで悩んでいる訳ではない。悩んでいるのは、魔王として今日もせっせと仕事をしている分身から得た情報に対してだ。
このところ、魔物側の領地で度々人間が現れては魔物に攻撃を仕掛けてくるらしい。目的は定かではないが、勇者ではないことは確かだという。恐らく、以前ラクリィの元へ行った際に遭遇した人間と同じような輩なのだろう。あれだったら確かに勇者ではない。
『人間にも魔物にもそれぞれの生活があるから』
確か、そんな理由で勇者という制度が生まれた。勇者が魔王を倒した場合、全ての魔物は人間の配下となり、逆に魔王が勇者を倒した場合は全ての人間が魔物の配下となる。後者の場合は配下というより食糧になるのかもしれない。
勇者と魔王の間で決着がつくまではお互いにお互いのその他の民には一切の手出しをしない。魔物は絶対に人間を喰らわないし、人間は絶対に魔物を狩らない。そういう約束付きの制度だ。
その約束を逆手に取って、フィンスは襲い来る勇者達を適当にあしらって、決して倒すことなくこれまでやってきた。下手に倒してしまえば、本格的にフィンスが王になってしまい非常に面倒くさいからだ。正式な王になってしまえば最後、農業など絶対にできないだろうという恐れがあったのも理由の一つである。
それを何年も繰り返しすぎた代償なのだろうか。制度の意味を理解していない若者が増えてしまったからこんなことが起こりつつあるのだろうか。
とはいえ、そんな勝手にやって来る人間共をフィンスがどうこうするわけにはいかない。手を出せば人間との全面戦争になってしまう。それだけは絶対に避けたかった。
「そもそも、魔物を狩ることに対して魔物が罪悪感を抱かないからなぁ……」
魔物の世界は弱肉強食。弱いものは強いものに喰われる運命。だからそこに人間が割り込んできても文句は言えない。人間が弱ければ喰うし、人間が強ければ喰われる。それだけの世界だ。
だが、だとしても、フィンスとしては出来る限り争い事は起こしたくない。戦いなどという無駄なことに時間と労力を割くぐらいなら、作物を育てることに全てを使い果たしたいし、人間を喰いたいとも思わない。美味しい作物が食べたい。もっと言えば、人間に農業のノウハウを伝授していただきたいぐらいだ。同種狩りを行わない人間の方が、技術はずっと進んでいる。
「よし! こっちも農業を広めよう!」
そこまで考えたフィンスは唐突にそんなことを思いついた。とりあえず農業を広めて、魔物同士で喰い合うのではなく、作物を食べる。そうすれば争いはぐんと減るし、ついでに農業をしていれば人間もこっちを襲い辛くなるのでは無いだろうか。いやはやこれは名案だ。フィンスは思わず自分の天才さが恐ろしくなった。
自画自賛したあとはそれを誰かに話したくなるというもの。フィンスは近くで作業をしていたリーリエに全てを話すのだった。
「農業を営む魔物なら既に居ますよ? やっぱり、強い魔物に襲われてままならないみたいですけど……」
意外にもリーリエからそんな反応が返ってきた。どうやらコメという植物があるかどうか、世界中の植物の声を聞いている最中でそんな話を聞いたようだ。
詳しく話を聞いてみると、農業を営む魔物は各地にポツリポツリと居るそうで、その中の一つがこの魔王城の近くだそうだ。
「それはもう早速行ってみるしかないよな」
そこまで話せばこうなるのは当然の事で、この話をした時点で勘付いていたリーリエも素直に出掛けていくフィンスを見送ったのだった。
とはいえ、そのままの格好で出掛ければ騒ぎになってしまうので、フィンスは多少の変装をしていくことにした。変装といっても、マントを脱ぎ厚めのローブを着てフードを被るだけなのだが。出来ることなら特徴的なツノをどうにかしたいところだが、フィンスはあまり変化魔法が得意ではなく隠す事が出来ないのだ。姉であるウルティの薬に頼る方法もあるが、副作用が怖いのであまり手出ししないことにしている。
リーリエが発見した農業を営む魔物は小さな山の中で暮らしているらしい。その魔物が何を作っているのかまでは聞かなかったので、フィンスは山の中で作物を育てるとしたら何が最適だろうかと考えながら目的地へ向かっていた。中々充実した時間だったようだ。
様々な想像を膨らませながら木々に囲まれた斜面を登って行くと、あるとき急に視界が晴れた。
「うぉ……」
木々が唐突に無くなって視界に飛び込んできたのは、几帳面に整備された一メートル程の高さの低木が一面に広がる光景だった。その美し過ぎる翠緑にフィンスは思わず声を漏らす。足は動きを止めていて、本能が圧巻とも言える美しい翠緑を可能な限り目に焼き付けようとしていた。
一面に広がる低木は茶の木だろう。これだけ美しい色をしていれば、かなり上質なお茶を作ることができるはずだ。こんなものを作り上げることの出来る魔物がいるなんて知らなかった、とフィンスは素直に感心した。
辺りを見回してみると、一箇所だけ茶の木が途切れるところがあった。よくみてみれば、小さな赤い屋根が見える。一メートルの高さの茶の木から屋根が見える程度なので、家の高さも一メートルと少し程度だ。となると、かなり小さな種族が暮らしているということになる。
「よーぅ! 小人共ーッ! 今日の生贄は何処のどいつだーッ!?」
「あ……?」
見事な茶の木を見てすっかりテンションの上がったフィンスの気分を害する声が唐突に響いた。その下卑た声は小さな家の向こう側から聞こえてきており、フィンスの足は自然とそちらに向かっていた。
近づいて見ると、下卑た声の正体はすぐに見えてきた。
美しい一面の緑には不釣り合いな真っ赤な体。木の陰から現れたのは体長が二メートル程のミニドラゴンだった。
なるほど、あのサイズのドラゴンであれば、一メートル程の高さしかない家に住む者など簡単に呑み込めてしまうだろう。食事をするのにここの住人はもってこいなのかもしれない。
フィンスはそう解釈しつつ、ドラゴンの方へ向かう足の動きを早めた。
「無視ってのはいっちばんよくないよなァ? それとも、全員纏めてオレ様のディナーになってくれるってか! キヒヒ、なら家ごと丸焼きにして──」
「やめろクソトカゲ」
ドラゴンが口から紅蓮の炎を吐き出そうとしたその瞬間、フィンスは自分でも気付かないうちにドラゴン目掛けて鮮やかな飛び蹴りをかましていた。
「げうゥッ!?」
不意打ちの攻撃を食らったドラゴンはそのまま力の作用する方へ吹っ飛んでいく。勿論フィンスはその辺にも抜かりはなく、ここの住人の家も、茶の木も無い方(森)へドラゴンが飛んでいくよう向きを計算していた。
吹っ飛ばされたドラゴンは全身を木に強く打ち付け、しばらくその痛みに悶えた後で自分を突然襲った犯人を認識することになる。
認識することになるのだが。
「ここは火気厳禁に決まってんだろうがこのアンポンタンッ!」
激しく怒鳴られながら、今度は思い切り頭を地面に叩きつけられた。その力が余りに強すぎて、ドラゴンは自分の脳みそがもうシェイクされすぎて跡形もなくなっているのでは無いか、なんて錯覚をしながら意識を失った。
ドラゴンが動かなくなったのを確認すると、フィンスは小さな家の中に隠れていたであろう住人達に「もう大丈夫だぞ」と声を掛ける。
すると、フィンスの一番近くに建っている家の扉が恐る恐る開いて、身長三十センチ程の少年が顔を出した。
「…………」
茶の木の葉と同じ翠色をした瞳がフィンスを見つめつつ、その小さな口が動く。その声もかなり小さく、風の音でかき消されてしまった。だがそれでもフィンスは彼の声を聞き取ったらしい。
「お礼なんていいさ。俺はたまたま通りかかっただけだ。それに、この茶の木が燃やされるなんてたまったもんじゃないからな。思わず首を突っ込んでしまった」
「…………」
「ああ、俺も茶の木が守れてよかったって思ってるよ。この茶の木はお前たちが育てているのか?」
フィンスの質問に対し少年は小さく頷いた。
ある程度予想して質問をしておきながら、フィンスはその回答に少し驚いてしまう。茶の木の高さは一メートル程。フィンスにとっては低木だが、しかし身長三十センチの彼らにとっては低木ではない。普通に立っただけでは茶の木の天辺など彼らには見えないのだ。だというのに、山の斜面に広がる茶の木は全て同じ高さに切り揃えられている。その技術には感服するしかない。そして思うのだ。彼らの技術を決して無くしてはならない、と。
「よし、決めた。お前たちがこれからも安心して生活ができるようにしてやる。元々そのつもりで来たんだしな」
「…………?」
不思議そうな表情を浮かべる少年には特に何も答えずに、フィンスは少年に背を向けた。そして、地面に突っ伏したまま動かなくなっているドラゴンを強制的に起き上がらせると、べしべしと往復ビンタを始めた。
「おーい、起きろー。お前にさせたいことがある」
「んぁ……あァ? アァッ!? イッテェな、誰だオマエ!」
「うるせぇ」
容赦ないビンタがドラゴンを襲った。痛かったのでドラゴンは若干涙目になった。しかしフィンスはそんなこと気にも留めない。作物を蔑ろにした奴にかける情けなどないのだ。
「俺が誰だとか今は関係無いんだよ。それよりも聞け、お前は今日からここの用心棒になれ」
「はァ!? ……ア、ゴホン。えっと、何を言ってやが……おられるんですかね」
チラチラとフィンスの顔色を伺いながらドラゴンは己の態度を改めていく。最後のビンタが相当効いたらしい。或いは、フィンスの持つ魔王としての何かに屈服し始めているのか。
「何ってそのまんまの意味だ。お前は今からここを全力で守れ。ここの住人を食おうとする輩を全力で蹴散らせ。あとはここの手伝いをしろ。『なんで?』? 決まってんだろ、お前が俺の目の前でここを襲おうとしたからだよ。丁度よく俺の前に居たからだ。……あー、そうだな、肉を食わなきゃやってらんねぇってんならこいつらに頼み込んで食わせてもらえ」
「っは、オレ様がそんなワケのわかんねー命令に従うと思ってんのか? それに、誰かもわかんねーオマエの命令なんて従うワケが──」
フィンスの拳がドラゴンの顔面の真横に突き刺さった。文字通り拳はドラゴンの後ろにあった木に突き刺さり、拳大の穴が開いた。
木に突き刺さった拳を抜きつつフィンスはジロリとドラゴンを睨む。気付けばドラゴンは消え入りそうな声で「ハイ」と返事をしていた。
「お前に拒否権はない。やれって言ってんだ。やれ。俺としてはお前が今夜の俺のディナーになったっていいんだけどな。あいにく俺はお前みたいなトカゲの肉を食いたいとは思わないから勘弁してやる。その代わりにここを守れ。分かったな?」
魔物の世界は弱肉強食。
皮肉なことに、そんな世界を脱する為に始めた一歩は弱肉強食を存分に生かしたことで始まるのだった。
「じゃあ、そういうわけだから、お前たちは引き続きここで暮らして、出来ることならこの茶の木を育て続けてくれよ。ああ、そうだ、このトカゲの為にこの苗木も一緒に育ててくれるか? ああ、勿論お前たちも食っていいからさ」
ドラゴンを完全に屈服させたフィンスはくるりと振り返ってコロボックルの少年にそう声を掛け、一つの苗木を手渡した。プラートの苗木だ。うまく育てば毎日肉を食べ放題になる。
「……、……?」
「いいっていいって。ま、どーしてもってんならここの茶を俺のとこに持ってきてくれよ。ユマって配達屋知ってるか? そいつに渡してくれればそれでいいからさ」
戸惑う少年にフィンスは伝えたいことだけ伝えると、マイペースにその場を後にするのだった。
ちなみに後日、フィンスの元になんだかとても高級そうな茶葉が届いたとか届いていないとか。
その茶葉で入れた茶のあまりの美味しさに、思わずフィンスは彼らへの弟子入りを真剣に考えてしまったとかそうでないとか、それらはまた別の話である。




