その正体は
よく晴れた日のこと。
何時ものように農作業に勤しむフィンスの姿に近寄ると、リーリエはあることに気がついた。
「あら、フィンス様……その子、大分なつかれましたね」
「ん? ああ、なんか知らんが俺の回りを付いてあるってくれるんだ。最近じゃ収穫もやってくれるぞ」
畑を耕すフィンスの足元をちょこちょこと歩き回るリンゴのような実に手足が生え、顔もついた不思議な生物。彼(?)は雪の降る春の日に生った、ユキザクラの実だ。土から出てくる虫に出くわしては『ピャァァァァ……!』と今にも死にそうな声で泣き叫んでフィンスの足にしがみついてくる。相変わらずその顔は不気味なのだが、その様子をずっと見ていると段々可愛く思えてくる。
「しかし……こいつは一体何なんだろうな。ユキザクラの実だからサクランボに近いと思ったんだが、大きさがどうみてもリンゴだし、見た目もリンゴだ。こんなのどの文献でも見たことがないんだよな」
「そうなんですか?」
「ああ、調べても全く分からん」
分からんと言う割には爽やかな笑顔を浮かべるフィンス。きっと新しい発見が楽しいのだろう。
一方で、リーリエはそんなフィンスに対し不思議そうな顔で首をかしげた。どうしてそんなことをしているのかと言わんばかりの表情だ。
「でも……でしたら、文献を調べるなど回りくどいことをせずに本人に聞いてみれば良いのではないですか? ほら、この子はただの実では無く、生物? 妖精? なのですから」
「意思の……疎通ができるのか? こいつと」
「出来ますよ?」
きょとんとした顔でリーリエはあっさりと言った。むしろ、どうして出来ないのかと疑問に思っているようだ。
「じゃあすまん、早速だがいろいろ聞いてみてくれないか? 俺にはどうも出来なくてだな……」
「フィンス様にも出来ないことがあるのですね。えっと、この子は……」
と、リーリエがユキザクラの実と意思の疎通を図ろうとしたところで、けたたましく城のベルが鳴った。勇者の出現を知らせるあの忌々しいベルだ。
「ッ! こんな時にあのクソ野郎……!」
「こんな時ってどんなときだ?」
「ぎゃああああぁぁぁぁ!?」
心の底から忌々しそうに舌打ちしたフィンスに語りかける一人の勇者。勇者の出現を知らせるベルがついさっき鳴ったばかりだと言うのにどうしてコイツは既に裏庭の畑にきて、しかもフィンスの背後にいるのだろうか。
「ちょ、おま、どうやってここまで来た! 他のやつは! 城にいる連中は!」
「あん? ああ、あいつらがこっちにいるんじゃねって教えてくれたんだぜ。そうそう、聞いてくれよ。あいつら最近、『何時もご苦労様』とか言ってくれるようになったんだよ。いい部下だな!」
「主を売ってる時点でいい部下とは言えないんだけどな……ッ!」
頭を抱えるフィンス。どうやら部下たちはこのアホすぎる勇者の相手を放棄してしまったようだ。どうせ大した目的があるわけでもないし、特別(フィンス以外に)害があるわけでもないし、やはり何よりもアホすぎて放っておいてもいいと判断されたのだろう。
「べっつに、いいんだけどさァ!? こいつの相手できんのも俺だけだしさァ!? むしろこいつ追い掛けて此処までこられても困るんだけどさァ!?」
「怒りすぎるのもよくねーぞ」
「誰のせいだと思ってんだよゴルアァァァァッ!!」
「わはははは」
吠えまくるフィンス。一応恐れられまくってる魔王のはずなのだが、最近その片鱗も見せなくなってきてしまった。
「というかあの……フィンス様、お面は……」
「お面? ああ……こいつ相手には諦めた」
やってる場合じゃねぇ、と必死さがその目から痛いほど訴えられていた。その訴えは脳に直接語りかけられているのかと思うくらい明確に伝わってきたと後にリーリエは語った。
今更な話だが、フィンスが仮面を被って素顔を隠していたのは何もその美貌を隠したかったから、と言うわけではない。
「顔バレすると人間の村に行きづらくなるだろ? でもこいつにバレたところで人間に俺の顔の中身が伝わらない気がするからな」
「それはどういう意味でしょうか……」
「なんかよくわっかんねーけど、近くのミノリ村なら俺も出禁喰らってるし安心しろよな!」
「魔王よりも酷いのかよこの勇者!」
本当にこいつは勇者なのだろうかと疑惑が芽生えるような発言である。
しかし、そんな鋭い突っ込みを入れられたところでめげるような勇者ではない。むしろその言葉の意味を分かっていないので朗らかに笑っている。更には、無邪気な顔でフィンスの装備に対する疑問を素直にぶつけるのだった。
「つーかその武器なんだ? 剣か? クソ魔王の剣って初めて見るわ俺」
「ゲッ」
笑顔で勇者が指差した先にあったのは、フィンス愛用のクワだった。さっきまで畑を耕していたのだから、当然ずっと持っていたのである。
「こ、これは……」言い逃れは出来ない。武器ではないなんて言えないし、しかしクワだとも言えない。不幸中の幸いはアホ勇者がこれがなんなのかわかっていないことだ。だからフィンスは堂々と嘘を浮くことにした。「これは土の加護を受けた古の剣だ」
「いにしえのつるぎ」
余りに堂々とした態度にリーリエはリアクションも忘れ、ただその発言を反復したが、フィンスは止まらなかった。畳み掛けるように勇者にこれが剣だと信じこませるために嘘を重ねるのだった。
「驚くなかれ、こいつの一振りで大地を揺るがし恵みをもたらすことすら出来る」
「めぐみをもたらす」
「並の者では扱うことはまずない剣だ。この世界では……そうだな、俺ぐらいなものだろう」
「つまり魔王の剣ってことか……!」
すっかり信じた。
後半が微妙に嘘ではなかったのだが、それでも勇者にこれが『古の剣』なのだと信じさせるには十分だったようだ。
「さあ、受けてみるがいい……王の剣を!」
「やってやらぁぁぁぁ!」
そして次の瞬間、フィンスのクワと勇者の拳は激しくぶつかり合った。その激しさは衝撃でリーリエが尻餅をついてしまうレベルだった。
「く、クワと拳なのに……」
信じられないようにリーリエは呟く。そして何より、それよりも信じられないのは、そのクワを勇者が拳ひとつで止めきった事だった。とんでもない力に押され、決して力が弱いわけではないフィンスの力をもってしてでもびくとも動かない。
「な、なんだ、この力は……? まさか、これが勇者の内なる力」
「すっげーだろ! 筋トレの成果だぜ!」
「筋トレ」
違った。ただの腕力だった。ただの脳筋野郎だった。
しかしその筋肉に打ち勝つことはできず、フィンスはクワを一旦引いた。こんなことは初めてだった。
さあ、どうすればいい。毎度拳同士でぶつかり合って気絶させてどうにかしてきていたが、今回はそうはいかないかもしれない。なんせクワを止めたのだ。相当な筋トレをしたのだろう。よく見れば勇者の腕はムッキムキだった。出来れば筋トレではなく剣の腕を磨いてほしかったところではあるのだが。勇者だし。
「アアァ……」
「あ?」
そこへ突然、ムッキムキの腕を前に困惑するフィンスを庇うように、フィンスの頭から突き出された勇者の腕に飛び移り、ユキザクラの実が現れた。そのぎょろりとした目が勇者の目とあう。
それから数秒、両者は見つめあったまま止まる。
「おあぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
先に動いたのは勇者だった。
跳ね上げるように腕を振ると、ユキザクラの実を振り落とし、物凄い勢いで半回転して一目散に去っていく。
後に残されたのは状況が理解できず、ぽかんとした表情のまま立ち尽くすフィンスとリーリエ、そして勇者に投げ飛ばされたユキザクラの実だった。
「えっと……なんだったんでしょう?」
「分からん……あ、そういえばそいつ、何て言ってるんだ?」
「あ、えっと……彼、リンゴらしいです。ユキザクラって品種の」
一先ず分かったのはそれだけだった。