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3号塔より、弾雨が降る  作者: 雪原たかし
追跡者を追い、叫ぶ者
8/16

後編

 訓練校の生徒だった頃、『天廊』の登攀は数ある訓練の中で一番苦手でした。苦手とは言っても、平均よりはできるほうでしたが、他はすべて最上位だった僕にとって、平均程度だった登攀の成績は異常なように思えました。

 今でこそ熟練の塔隊員に負けないくらいするすると登れるようになりましたが、かつての僕は『慣れることによる習得』というものを経験したことがなく、ずっと登攀を避けていました。必要に迫られても、可能な限り単独になるように策を巡らせました。

 そんな僕のいじましさに、最初はからかっていた同級生たちも次第になにも言わなくなりました。そうやって訓練を続けて、1号塔に配属されてからも、日々の登攀を訓練だと思ってひたすら速さを追求しました。




 隊長を追っているというのになぜそのようなことを思い出すのか、自分でもわけが分かりませんでした。無心とは言わないまでも、追跡に集中しなければならない状況だというのに。

 それでも、ガキィン、ガキィンと規則的にフックの音を立てながら登っていき、僕は塔と軌道基地の境界にたどり着きました。隔壁は大きく穿たれ、閉鎖が解かれています。僕はそこから起動基地側へと進入しました。

 隊長を指し示すアイコンはすでに消え、機密上の理由から無線通信範囲外となっている第5階層まで到達したのが、最新かつ最後の情報でした。

 起動基地の領域に入ったとはいえ、第2階層からの基地中枢へはまだ登らなければなりません。第1階層を貫く軌道エレベーターの電源が生きていたので、僕はそれを使うことにしました。

 ゴンドラの中に入り、レバーをふたつ引き下ろすとゴンドラは動き始めました。僕は加速に備えてゴンドラの床にあるフックに装備のフックを掛けて身体を固定しました。

 しばらく慣らしが入った後、ゴンドラは急激に速度を上げていきました。僕は大きな加速度を耐えるために、身体に力を入れました。

 猛烈な速度で上昇しているのに、ゴンドラにはほとんど振動が伝わらず、感じるのは底面に押しつけにくる力と、身体の中を突き通してくるようなすさまじい高音だけでした。

 しばらくしてゴンドラはゆっくりと減速を始め、音が次第に低くなってゆきました。そしてゴンドラは中枢でピタリと停まりました。駆動音も止んで、反響も消えていきました。

 緊張の段階が一気に上がったのが自分でも分かりました。装備の機器のまばらな作動音以外には、自分の身体中から立つ音だけが聞こえていました。

 フックを手早く外し、装備をもう一度確認した後、僕はゴンドラの扉を開けました。

 静けさがかえって耳を圧する、無音の空間が広がっていました。ホールには誰もおらず、通常ならば他の起動基地と連絡しているはずの左右の回廊は隔壁で封鎖されていました。

 異常事態を察することはできましたが、その異常そのものが何なのかを察することはできませんでした。天廊の隔壁が破壊されているのですから、警報のひとつでも鳴っているのが普通なのに、まったくの無音。どの装備も異常を示しませんでした。

 高摩擦ウェアが僕の歩く音も消してしまい、自分の身体の中で響く音、特に血液が流れては消え、流れては消える、そのゴゴゥゴゴゥという音が不快なほど大きく聞こえてきました。唾液が粘性を増して口の中に留まるようになり、ひと飲みの音も大きくなりました。

 僕は中央の通路をまっすぐ進みました。そちらにしか進めませんでしたし、隊長のルート履歴も同じ方向を指していました。

 そしてなにより、そちらに向かって床に落ちていたのです。あの白い微粒子が、まるで印付けの白線のように。




 窓が一切ない通路を、僕は進み続けました。延々と無機的な視界が続いて、僕はここが地球の重力圏外であることを忘れそうになりました。わずかずつ縦に曲がっている通路に、地上とは違う法則性に従う軌道上の様式を見てとり、なんとか完全には忘れないようにはしました。忘れると危険なことがあるのは知っていましたから。

 道標はその細さを変えることなく続いていました。決して直線的ではなく、かといって大きく蛇行してもいません。そこになにかを感じ取れ、と言われても本当ははっきりとは答えられないでしょうが、でも僕には不思議と分かっていたのです。隊長が、僕の追跡対象が、追跡者でもあるということを。僕ではなくて、もちろんソウ先輩でもない、存在も知らない誰かを追っているのだということを。

 冷静に情報をつないでいけば、それも確定的なものにもできたのでしょうが、そんなことをする必要もないと思ってしまえるほどに、この時の僕にとってそれはなんの抵抗もなく受け入れられてしまう推論だったのです。




 軌道基地第5階層の最深部、基地中枢伝令所の機械扉の前で僕は立ち止まりました。そこでぷつりと切られたかのように微粒子が途切れ、また有人であることを示す青色灯がゆっくりと点滅しています。

 そこ以外はほとんど確認してきましたし、特に第5階層に入ってからは基地とリンクした無線情報網が使えないので範囲の狭いパーソナルソナーを使わなくてはならず、それまで連動情報頼みにしていたような末端部まですでに隈なく捜索してまわっていました。もし第5階層から出れば隊長のアイコンが再び出現して履歴が残るはずですから、隊長がいるとしたらここ以外にはありえない、と状況が示していました。

 僕は左右を確認してから、装備の状態を確認して、銃のグリップをじわりとした感覚がなくなるくらいまで強く握りしめました。

 ここまでなにもなさすぎて、もしこの中にその分の凄惨さが詰まっていたら、と考えてしまいました。誰かの死体はなおのこと、けが人であっても、そしてもはや普通の健康な人間でさえも、その中にいることを想像すると怖く思えてしまいました。

 もうなにもなければいいのに。そんな、どう考えても不可能な状況を願ってしまうほどに、僕の思考は極端に振れてしまっていました。なにかが起きていたり、誰かがいたり、なにかがあったりすることがどうしようもなく恐ろしくて、心臓が無理に引き延ばされているような痛みさえ感じました。

 そんな状態で突入すべきではない、ということさえも考えられず、僕は言語にならない叫び声をあげながら扉の把手を掴んで強引に引き開け、伝令所の中へと突入しました。

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