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3号塔より、弾雨が降る  作者: 雪原たかし
天廊を駆ける、未完の者
6/16

後編

 今回の迎撃時にも隊長は以前と同じ姿になったはずでしたが、基地の方からはそれについてなにも指令がありませんでした。

 確定はしていないとはいえ、もういっそ《虚化》であると言ってもいいのではないかと思うほど、隊長の姿は《虚人》そのものだったというのに……

 未だに防衛任務に当たらせていることから推察して、おそらく完全な《虚人》とはならないようなシステムがあるのでしょうが、前回は隔離までしたのになぜ今回はなにもしないのか。そんな疑問の答えを、僕はなかなか見出せずにいました。

 僕とソウ先輩は隊長に気を遣わないように気をつけてはいましたが、やはり《虚人》と隊長の姿とを重ねずにはいられませんでした。どうしてもふとした瞬間に驚いたり、たじろいだり、後ずさったりしてしまうのは、僕とソウ先輩の至らないところなのでしょう。

 でも、この世界で誰が耐えられるというのでしょうか。すぐそばに、ずっとそれがいるのです。






 ソウ先輩がどんな経験をなさってきたのかを知りませんが、僕はかつて、人が《虚人》に触れて《虚化》してゆくさまを目の前で見ました。

 襲い来る《虚人》を拒もうとして、彼女は言葉ではなくなった叫びを上げながら手を突き出しました。その手が触れた瞬間に一瞬にして身体を透き、彼女の代わりにそこにあったのは窪みでかろうじて目鼻が見てとれる、ガラスのような光沢のある姿。あまりに速すぎて、彼女が《虚化》する瞬間にどのような表情だったのかさえ分かりませんでした。

 襲来した《虚人》と彼女の成れの果ては――そもそも彼女であったのかも確信が持てない新たな《虚人》でしかなかったのですが――揃って僕の方にその目と思しき窪みを向けました。

 その時に僕が感じたのは、恐怖と呼ぶには足りなく、また少し違う感覚でした。名前が表すその虚ろさは、対峙して初めて、僕からもすべてが奪い去られようとするかのような感覚をもって、僕の意識に強く強く押しつけられました。いえ、押しつけるというのは違うでしょうか。彼らの虚無に向かって引力めいたものが働いているかのように感じられました。本当にそんな力があったのかは確かめようもなくても、僕がその時にいた世界ではそれが確かに存在していました。

 だからこそ、仲間の弾雨によってそれらが小さな粒子となるまで徹底的に撃ち砕かれた瞬間、安堵と解放の意識が僕に確固たる決意を刻みました。

 その引力に抗い生きるために、僕は僕を奪おうとする《虚人》を拒む、と。






「起きろヘクト」

 警報以外で起こされたことのないほど規則正しい睡眠リズムを心がけているつもりでしたが、その日は起こされたことを少し残念に思いながら身体を起こしたのを覚えています。

 焦点のはっきりしない寝起きでしたが、声の主を頭が理解した途端、反射的に飛び上がってしまいました。

「すまないな。まだ交代まで時間はあるんだが……」

 隊長が沈痛な面持ちでベッドの横から覗いていました。

「緊急案件だ。もうソウは起こしてある」






 装備を整えておくように指示されたので、ウェアを急いで着てラックからケースごと銃を取り出し、階段を駆け上がって射撃地点Aに急行しました。途中でケースが普段使わない実子線銃のものであることに気がつきましたが、引き返しませんでした。

 隊長は通常装備の狙撃銃を傍らに警戒スペースで地平線を眺めていて、ソウ先輩は申し訳程度に椅子と机が並ぶ警戒スペースの反対側にいて、必要以上の厚着でほとんど窺えない顔を僕に向けました。

「よう。お前が誰かに起こされる日が来るなんて思わなかったぞ」

「ソウ先輩だったらいつも通りのことですもんね」

「言うようになったなぁ、ヘクトも。来た頃はクソ真面目過ぎて呪いでもかけられてるんじゃないかと思ってたのによ。腕のいいシャーマンでも見つけたか?」

「じゃれているところ悪いが、ヘクトもそこに座れ」

 隊長が振り返らずに椅子の一つを指さしました。僕が椅子を引いて座るゴーッ、ガタッという音のしばらく後に、隊長は切り出しました。

「3号軌道基地との通信が途絶えた」

 天候が荒れていることがやけにはっきりと感じられました。






「回線に異常は……」

「階下隊員を派遣したが、ないそうだ。通信自体は通っているが誰も応答しない。そのうえ塔内では上層へ向かう手段がすべて封じられて軌道基地まで行くこともできない。現在までに判明しているのはこれだけだ」

「これだけって……もう十分じゃないですか」

 ソウ先輩は狼狽して立ち上がりました。

「見捨てたんだ……基地のやつらは俺たちを、防衛隊員を見捨てたんだ!」

「ソウ先輩落ち着いてください。そもそも見捨てる理由がありません。基地側では糧食問題を解決できないのですよ」

「ここを捨てりゃ、あっちはもう永遠に《虚人》とはおさらばじゃねえか! あっちで技術が開発されれば食い物なんてどうとでもなる!」

「いいえ先輩、そのような技術はまだ開発されていないはずです」

 隊長は僕とソウ先輩とのやり取りを止めませんでした。夜の3号塔へと吹きつけてくる風の音がつかの間激しくなりました。

「おいおいヘクト、なんだその推論は。適当言ってんじゃねえぞ」

「すごく遠回りですが、根拠ならあります。《虚人》から逃れるためならば、基地間通路を封鎖するのではなく切り離すはずではないですか? まだなんらかの機会があれば地上との係留を回復しようという狙いがあるからだと思うのですが」

 ソウ先輩はやり場をなくした手をゆっくりと机に下ろしました。

「わけ分かんねえよ…………」

 そう言いつつ、ソウ先輩は自分が少し動揺し過ぎていたことは分かったようでした。

 ソウ先輩が椅子に倒れ込んでから、ようやく隊長が口を開きました。

「もう一つ考えられるのは、逆に基地の方でなにかがあったから基地間通路を封鎖した、という可能性だ。私はこちらの可能性が高いと考えている」

「もしそうならもっとひどいですけど、今度は俺にも一発で分かるように説明してくださいよ、隊長」

「心配するな。お前も落ち着いたようだし、ヘクトよりかはストレートに話して……クソッ、こんな時に!」

 突然隊長の空気が変わったのを感じ、僕とソウ先輩は緊張を体に走らせました。

「襲撃だ。もうかなり近い。ヘクトは指令所へ戻って警報、ソウは射撃地点Cで迎撃にあたれ。ヘクトも連絡が終わり次第迎撃だ」

「了解」

「了解しました」

 僕とソウ先輩はすぐに立ち上がって、ソウ先輩は射線を分散させるために射撃地点Cへと走り去りました。

 僕も指令所へ走りました。通常ならばローテに入る前は指令所で待機するので誰かが常にいるのですが、今は誰もいないためシステムを全稼働させに行く必要がありました。

 指令所につくやいなやメインデスクに飛び込み、左手でコントロールパネルを操作して迎撃システムを全稼働に切り替えつつ、右手で警報装置のボタンを叩いて警報音を響かせながらマイクを引き寄せ、スピーカーの向こうの階下隊員たちに向けて指令を飛ばしました。

「塔隊員より階下隊員各位。警戒域への《虚人》の侵入を確認。直ちに迎撃態勢に移行の後、プラン4に従い対象を誘導せよ。繰り返す……」

 折り返して階下から配備状況が報告され、僕はシステムが全稼働するまでの間、それらを手動入力してゆきました。タスクが完了し、全情報の共有情報網への同時更新を設定し終えたのを確認して、僕は急いで戻ろうとしました。ところが、通路の中ほどで隊長が通信で叫びました。

「ヘクト待て! 数体が塔内に侵入した! 情報を確認しろ! おそらく状況は『天廊』に移行する!」

 その言葉に僕は無理やり体を反転させ、床へ足を強く打ち下ろしてウェアの強い摩擦で慣性を殺し、再び足を後ろへ蹴り出して塔中央部を貫く『天廊』へと急行しました。






「階下から塔、階下から塔。プラン4は継続不可能。詳細不明なれど10数名が《虚化》。プラン8による後退作戦に移行する。なお処分未完につき塔各員の迎撃に際し個体数増加を理解されたし。……申し訳ない」

「塔隊長より階下。了解した。現存戦力の保持に努めよ」

「階下、了解」

 走りながら塔内戦闘専用の視覚リンクを起動させて状況を確認した僕は、仮想訓練でしか経験したことのないことが現実に起きていることを知りました。

「誘導牢内3体、突破6体、《虚化》16……17…………」

 残った階下隊員は入り組んだ地階区画の通路を利用しながら後退していました。数は半数ほどにまで減らされていましたが、そのまま後退作戦を続けて別の誘導牢へ誘い込めば被害の拡大を抑えられる構えになっていました。

 僕がいた層から『天廊』に開く穴に着き、白色ライトに照らされる階下を覗きこんだ時、僕は一瞬、遥か階下へと引き込まれる心地がしました。それは高所から見下ろす時に感じるものだけではなく、僕の知っている感覚でもありました。

 心拍数が高どまりするなか、僕は思考だけは冷静に保って、《虚人》の侵攻状況を確認しました。

 『天廊』は塔の中心を貫く円筒空間で、外壁以外では各階層間の移動ができる唯一の空間です。内壁には各階層へ開いた穴以外にほとんど段もなく、壁に等間隔に取り付けられたフックに専用の装備を用いてカギを引っ掛けながら移動します。

 塔での任務が長くなれば次々にカギを掛け替えて壁面を滑るように移動できるのですが、《虚人》たちが遥か下方から『天廊』を駆け上がってくる速さはそれをはるかに超えていました。

 携行型のコントロールパネルを操作して数百層手前から各層の隔壁を緊急で閉じましたが、《虚人》が自らの身体から創り出す粒子射出兵器の威力の前には1層あたり数秒ほどの足止めにしかなりません。

 僕は200層ほど壁を上がってから、階下を臨む姿勢で壁に張り付くことができるように体を固定し、パネルの画面上で刻一刻と近づいてくる《虚人》を示す白丸を見つめました。

「こちらソウ。現在第1730層迎撃地点へ急行中。タスク完了まで残り30秒ちょっと。お前の位置はどこだヘクト」

「第1700層で固定完了です。先輩は外壁を登ったのですか?」

「俺は外の方が得意なんでな」

「知ってます。隊長、そちらの状況は」

 返答はなく、呼吸音だけが聞こえました。

「隊長……? 隊長っ!?」

「……おっとすまない。私は外壁を降下中だ。残りは65秒。《虚人》の現状は?」

「第1300層付近です。第1456層までは隔壁を作動させています」

「よし、隔壁はそのままだ。私は第1680層で迎撃にあたる。ヘクトが実子線装備だから、ソウとヘクトはおそらく最奥にいると思われる今回の最強種の牽制をしばらく頼む。ソウは分かるな、射線を躱したやつだ。可能なら撃破してもいい」

 訓練においては上官が最上層に配置されるはずだったので、それは不可解な配置でした。

「りょ、了解」

「ちょっと待ってください。なぜ……」

 僕は思わず尋ねてしまいました。

「私は今、『亜虚化』状態にある。お前たちがそんなものに背中を向けて集中できるはずがない。まだ前にいるほうがいいだろう」

 『亜虚化』という言葉は初めて聞いたのですが、それがどういうものかは察せました。僕もソウ先輩も返答できませんでした。

「万が一ということもある。下でやられて数も増えている。もしもの時は……分かっているな?」

「……はい」

 もしその時になれば、どうやって隊長なのか《虚人》となってしまったのかを判別するのか。それについて僕もソウ先輩も訊けませんでした。

「現着した。これより固定を開始する」

 そう通信が入ると同時に、前方に白色の反射光がきらめきました。

「うっ」

「眩しいか」

「はい……」

「迎撃に支障が出るな。反射を抑えよう」

 反射光は徐々に弱まり、位置が辛うじて特定できるほどに収まりました。

「そんなことまで……」

 ソウ先輩が感嘆の声を洩らしたその時でした。

 システムが一段階上の警告音を発しました。

「来るぞ!」

 隊長の声とともに、最後の隔壁が粒子の矢に貫かれ、轟音を立てて階下へと崩れ落ちてゆきました。その間を縫うようにしていくつもの光が上がってきました。

「仮称マークワンだ。頼んだぞ!」

 視界の中に1のマーカーが現れました。そこにあったのは、他の《虚人》が壁に垂直になって駆け上がってくる中、ほぼ水平近くまで前傾している緑の反射光の《虚人》、マークワンの姿でした。

「こちらからでは射線が通りづらいです。ソウ先輩!」

「おびき出すッ!」

 壁の損害などお構いなしに、ソウ先輩の銃が幾筋もの射線をマークワンの前に叩き込みました。一瞬止まったのを見逃さず第二波を浴びせますが、マークワンは半円を描くようにして反対側へと壁を回りました。

「よし、浮いたな」

「……いきます」

 起こされてから慌てて取り出したのは、いつも任務で使うほうではなく、”僕に慣れた”ほうの銃。射線として用いられる実子線の性質上の問題から滅多に使うことのなかった『実子線銃』でした。なぜそれを選んだのかは自分でも分かりませんでしたが、僕はこれを撃つことがある意味で運命なのかもしれない、と思いながら、僕はトリガーを引きました。

 その射線は放たれた瞬間に限りなく細まり、手前の《虚人》たちをまるで射抜くことによるエネルギーの欠損を嫌うかのように躱し、そこを抜けた瞬間に曲げた線を正すかのように真っ直ぐにマークワンへと向かい、その右半身を綺麗に貫きました。そして、追随したエネルギーがマークワンの身体を爆砕しました。

 亜光速の実子線は、かつてと同じように、最も虚ろな者を貫きました。

「よっしゃあ! よくやったぜヘクト!」

「ありがとうございます……あれ?」

 異常に気づいたのはその時でした。

「隊長?」

 十数体の《虚人》が未だ健在の中、隊長は一発も撃っていなかったのです。

「隊長! 応答してください隊長!」

 聞こえるのは荒く激しい呼吸音だけ。

「しかたねえ、他の《虚人》も俺たちで……」

 ソウ先輩が最後まで言い終えなかったのは、僕と同じ感覚をその身に受けたからでしょう。

 聞いたこともない警報音。『S2発動』だとか、『虚色限界値到達』だとか、無機質な音声が誰にも分からない状況を知らせていました。

 この世のすべての生物は、もしこの場にいたならば、その生存本能の限りを煽り立てられたことでしょう。隊長がいた場所は目も向けられないほどの眩い閃光が絶え間なく発せられ、そこへ向かって膨大な引力が働いていました。

「隊長ッ!」

「今はそっちじゃねえぞヘクト! シェード作動させろ!」

 僕は再び銃を構えて視覚支援の遮光を作動させ、最前列の《虚人》に向かって銃を構えました。そしてスコープを覗いて、僕は信じられない光景をそのレンズ越しに目の当たりにすることになりました。

 隊長はもう壁に張り付いてなどおらず、《亜虚化》ではなく全身が半透明と化し、まるで階下の《虚人》たちの前に立ち塞がるようにして、壁面に垂直に立っていました。その周囲には数個の水晶球のような球体が浮遊していました。

 冷静な思考が、理性が、一刻も早く迎撃を再開すべきだ、と僕の身体を操作しようとしましたが、それは暗い底から伸ばされた手に掴み止められました。

 そうこうしている間にも、《虚人》たちは止まることなく駆け上がってきていました。

 その時――――

「ソウ。ヘクト」

 キンとした音の混じった隊長の声でした。

「もう大丈夫だ。よく見ておけ」

 僕は無意識のうちにトリガーから指を離してしまいました。

「まったく……《亜虚化》とはなんだったのやら…………」

 隊長がそう言ってため息をついてからのおよそ10秒間、僕は、そしておそらくソウ先輩も、階下で起きたその迎撃と呼ぶのか分からなくなるような隊長の姿に釘付けになりました。






 隊長の周りに浮かんでいた水晶球がひとつずつ壁に沿って互いに等間隔を保ちながら円を描き始め、すべてが円に加わった瞬間、白く、でも眩しくはない光線を階下へ向けて射出しました。

 さながら白い糸が通るように、それは壁面の《虚人》たちを貫きました。ところが、パキィンという音は響いてもそれらは砕けず、その粒子の糸に繋がれたように吊り下がっていました。

 その糸の縛りを躱したのは2体。どちらもその瞬間に壁から飛び離れていました。

 隊長が銃を構えた時にはまだそれらの速度ベクトルは上を向いていました。そのベクトルは、ひとつは隊長が追って放った弾雨に消え、しかしもうひとつは壁もないのに隊長に向かい続けました。

「あぁ……ははっ……はあ…………」

 迫り来る最後の《虚人》を見つめながら、隊長は恍惚とした声を洩らしました。

「ああっ!」

 その10秒間の最後、なんと隊長は壁を蹴り出してその《虚人》に向かって飛び込みました。

 そのまま落ちてゆく後の結末が僕にははっきり想像されていましたが、隊長に頼まれたことをしようという気もそれができる力もなく、ただ見ていることしかできませんでした。

 その瞬間の僕は隊長を見捨てたも同然でした。でも、僕の想定は実際とは少し違っていたのでした。

 隊長の腕は《虚人》を捕まえ、でも触れてもなお識別子は《虚人》に変わることなく、そのままともに落ちていったのです。

「隊長ッ!」

 追おうにもその手前には貫かれたままいつまた動き出すとも知れない《虚人》が連なっていて危険でした。

 僕とソウ先輩は無我夢中で動かぬ的に撃ち続けました。すべてを砕き尽くした時には、もう隊長のアイコンは地階にまで到達していました。ともに落ちていった《虚人》の反応はありませんでした。

 僕とソウ先輩は自由落下とほとんど変わらない速さで壁を下ってゆきました。やがて目前に弱々しい光が見えてきました。

 着地できる限度まで速度を緩めて、僕とソウ先輩は地階にたどり着きました。少し離れたところには鈍い輝きを放つ隊長の姿がありました。

 その時、ここまで追ってきたにも関わらず、僕は隊長の方へ歩を進められませんでした。

 隊長は落下の衝撃で弱っていたのではなく、ただその輝きを変えていただけだったのです。それどころか、真っ直ぐに立ち、自分の身体を見ていました。

「隊長……」

 ソウ先輩もまた、隊長に近づいていませんでした。

 隊長は軌道基地へと伸びる『天廊』を見上げました。

「これからどうすればいい? 聞かせて……聞かせてください! 基地長!」

 そう叫ぶなり、隊長の身体は再び輝きを増し、凄まじい速さで上昇を始めました。誰の目にも明らかに、軌道基地を目指して。

 やがて封鎖を突破されたと警報が鳴り、ソウ先輩が落ちてくる瓦礫からかばうように僕を抱えて『天廊』から脱出しました。

 轟音が収まってしばらくして、地階の暗い通路の中、積み上がってまだ少し煙る瓦礫を見つめて、そうか、隊長は行ってしまったのか、と僕は考えました。

 塔隊員として守るべきもの。それを示す道標。あの時の僕の決意。それらすべてが消えてしまったように思いました。

 離れた。なくなった。消えた。去っていった。終わった。頭の中で滅茶苦茶にそんな文字が飛び交い、誰のものかも分からない声が響き、埋め尽くされてゆきました。

 ソウ先輩は僕を壁にもたれさせると、通信を入れました。

「塔より階下。塔より階下。非常事態につきこれより俺、ソウが指揮を執る。階下隊員の残存戦力はただちに塔から出てすぐの所に集合してくれ。戦力にならない者は放置だ」

「階下、了解」

「……ソウ先輩?」

 ソウ先輩はしゃがみこんで僕の目をじっと見つめました。

「いいか、今から俺とお前は別行動だ」

 僕は思わず目を見開きました。

「なにを――」

「お前と階下数名で軌道基地へ向かえ。景気のいいことに封鎖は隊長がぶっ壊してくれたから、今なら上の状況も分かる。外壁を登ってAまで行けば『天廊』へ出られる」

 ソウ先輩が僕の頭を掴み、顔を近づけました。

「いいかヘクト。お前は今からやるべき事を与えられた人間だ。お前にはやるべき事がある。だからお前はそれのためにお前の持てるもの全部持ち込んでもいい。なにもかも、全部だ」

 ソウ先輩は僕に目を逸らすことを許してくれませんでした。その言葉をほんの一瞬でも聞き逃させまいという、見えない力を僕にかけて。

「お前が思ってる以上に、俺はお前を知っている。今、なにを考えてるのかも大体想像がつく。そんでもって、お前がちゃんとやれるのも知ってる。違うか? ヘクト」

 ふと、僕はさっきからずっと止まっていたことに思い至りました。そして、まだなにも消えてなどいないことに気づきました。今度は、なぜそう思っていたのか自分が理解できなくなりましたが、そこに絶望は欠片もありませんでした。

「申し訳ありませんでした。動揺してしまって…………」

 ソウ先輩は少し表情を緩め、僕の頭を離して立ち上がりました。

「俺だってそうだから気にするな。さっきはお前のほうが、今は俺のほうが気が確かなだけだ」

 ソウ先輩は立てかけていた実子線銃を取り、僕に差し出しました。

「そんじゃまあ、さっさと行くぞヘクト。俺たちは誇り高き塔隊員だ。階下隊員たちを導いてやらねえとな」

 僕はしっかりとそれを掴みました。冷静な思考が蘇ってきて、こなすべきタスクを頭の中で描き始めました。

 僕は立ち上がり、ソウ先輩とともに通路を駆け、塔の外へ出ました。いつの間にか風は収まり、塔壁のライトが照らす向こうには、静かな夜の闇が広がっていました。

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