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3号塔より、弾雨が降る  作者: 雪原たかし
その身を捧げ、抗う者
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後編

 僕は、そしておそらくソウ先輩も、物心ついた時から《虚人》の脅威を教えこまれてきました。塔隊員となってからこれまで幾度となくその姿を見てきましたが、未だに胸の真ん中から湧き上がる恐怖は消えてくれません。

 一目見た瞬間に誰もが恐怖せずにはいられない存在。何も知らなくても、きらめく姿がどれほど美しくても、あらゆるものを踏み越えてやってくる根源的なその恐怖の由来を、僕たちは不幸なことにすでに知っていました。

 あの時、隊長の体から赤くしたたる血を見て、隊長が《虚人》とは違うということは分かっていました。分かってはいましたが、やはりどうしても、刃先が隊長の体に突き立ったわずかな瞬間に伝わった、キュルリと滑り込んでいくような感触が忘れられませんでした。

 抵抗はある。けれどもガタガタと粗雑なものとは違い、本当は存在するそれを滑らかであるように見せかけて隠している。その一瞬で伝わったものは、言語能力がそれほど高くないはずの僕の心に、はっきりとした言葉を浮かべました。

 『抵抗を捨てた者』という言葉を。






 その日は突然やってきました。

 僕が砂塵の巻き上がる地平線を見渡していた時には、すでにその少し向こうから地を滑り来る速度は極限にまで達していたのです。

 キラリと光るものを捉えたように思ったので、僕は階下に警戒配備の指令をしようとマイクを取り無線のスイッチを入れました。

 そして、顔を上げて再び地平線へと向けようとした僕の目は、はるか手前で止められました。

 《虚人》は大集団で地平線に沿って輝きを放っていました。それだけでも異常なのに、もう既に塔までの距離が中距離射撃域にまで到達しようかというくらい接近している個体が3体。塔までの距離は驚異的な速さで縮められていました。

「緊急配備ッ! 緊急配備だッ!」

 瞬く間に塔に迫る《虚人》を視界に捉えながら、僕は夢中でマイクに叫びました。すぐに塔内に引き返して自分の武器ラックを引き開けました。

 遠近両方の銃火器を取ろうとして、その隣にあった隊長の装備に目が止まりました。止まってる暇などないと分かっていながら。

 隊長は確かに《虚人》ではない。けれど、全くそうではなかったのかと言われても、僕は肯定できない。

 得体の知れない者となってしまった隊長と共に、《虚人》たちと戦う。そこに感じたのは、闇でした。

「おい! さっさとしろヘクト!」

 背後からソウ先輩に怒鳴られて、ようやく硬直が解けました。

「はっ、はい!」

 塔壁からの自動射撃は、すべての砲門から絶え間なく放たれ、《虚人》たちへと降り注ぐ弾雨となっていました。後方の《虚人》の大軍勢は次々にその身を砕かれていきました。

 ところが、先行していた三個体は速度こそ落としたものの、後方の《虚人》たちが遠距離射撃域へ侵入することすらも阻むほど高密度の弾雨をかわしながら、塔へと着実に迫ってきていました。

「あんな動き……」

「射撃地点Bを使用する」

 背後からの声にハッとなって振り返ると、隊長が腕にS型装備をさげて立っていました。

 言葉が、出せませんでした。

「今のところ、通常の《虚人》たちは抑えられている。残りのあれらは任せろ」

 返事も返せない僕と先輩をよそに、隊長は無線を入れました。

「塔に最接近している三個体を、距離順に一式、二式、三式と呼称し、迎撃は私が行う。階下隊員は襲来中の《虚人》大集団の迎撃に尽力しろ!」

 了解、という応答が入ると、隊長は上階へと通じる階段の重い扉を開けました。そして、射撃地点B、すなわち僕と先輩とから隔離された射撃地点へ向かおうとして、こちらを振り返りました。

「…………」

 僕と先輩は隊長の言葉を待ちました。今にも《虚人》が侵入してこようかという時に。

「……すまない」

 隊長の視線は、階段の段差へと落とされていました。

 金属が重く軋む音を立てながら、ゆっくりと扉が閉まってゆきました。






 ワタシたちから先行していた一式が突然、塔壁を見上げて立ち止まった。

 痩身の体躯に、影でかろうじて判別できる目鼻。それが向けられた先にいたのは、塔壁から一箇所だけ突き出た場所に立ち、こちらを見下ろすひとりの男だった。

 まもなく追いついた二式と三式も、同じ場所で立ち止まり、彼を見上げた。

「どうしたんだ?」

 追いついたワタシも同じ場所を見上げた。

 彼は透くような腕を風にさらし、こちらに銃口を向けている。

「あの男はお前たちと違う存在なのか?」

 追いついたワタシは二式に語りかけた。答えがないのは分かっていながら、同じように彼を見上げて。

 目に見える姿は《虚人》だ。だが、彼は《虚人》を撃ち砕いている。そしてなにより、《虚人》の興味を惹く要素はただひとつだけだ。

 彼は《虚人》ではない。

「それだけのために、お前たちは来るのだったな……」

 再び踏み出した瞬間に、彼らは弾雨にその身を散らした。

 ワタシはしばらく彼らの余韻を見つめて、また男を見上げた。

 その瞬間、男と目が合った。

「えっ……」

 ワタシの存在がまた世界から消えようとし始める。

「待って! お前は……お前はッ!!」

 だが、ワタシはその一瞬だけでも確信していた。

 塔のライトが照らす光に溶けていく身体を、最後にわずか繋ぎとめて、ワタシは叫んだ。

「もう一度……また来るから!!」






 装備を解いて身体が戻っていく中、彼は思わず零した。

「なんだったんだ……?」

 あれほどまでに強力に見えた三個体がわずか数発で砕けたのにも驚いてはいたのだろうが、その直後に見えたもののほうが彼にとっては衝撃的だっただろう。

「人間……だったのか?」

 なにもなかったはずの場所に現れた人影。光の反射と見紛うほど儚い姿をしていたそれは、消える間際に彼に向かって叫んだ。

「また……来るから……」

 それは、胸の中にかちりとはまりこむような、自然に入ってくる言葉だったに違いない。

 その言葉の意味も、彼の感覚の理由も、私は分かっている。だが、少なくとも今は彼に教えるわけにはいかない。

 私と彼とが交わすわずかな時間の交信だけで、すべてを教えられるはずもないが。






 3号塔の歴史上で類を見ないほどの大集団による《虚人》の襲撃は、塔側の人的損害がゼロという圧倒的に不自然な結末を迎えました。

 一式、二式、三式という、身体能力に著しい強化が見られる《虚人》の出現はすぐさま基地に報告されましたが、実物が残らない《虚人》の性質上、次に繋がる決定的な対抗策が新たに生まれるわけでもなく、未だに得体の知れない力に頼ろうとしていることが明白な議事録を、僕は破り捨てました。

 僕の手にある真実は今のところ一つだけ。

 あの時、隊長はなにかを見た、ということだけでした。

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