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3号塔より、弾雨が降る  作者: 雪原たかし
願いを想い、選んだ者
11/16

前編

 ひとつの時代がすでに終わっていた。


 私が生まれた時にはすでに《虚化》から無条件で逃れられる地などなかったという。大地を離れたのは人類のほうで、それでも地球上の生命体でありたいと願い、軌道基地から伸ばされたのが『塔』だった。

 軌道基地が宇宙へ打ち上がる頃には、もはや移住者を限る必要さえもなくなっていた。生存するためだけに限れば、技術自体はとうの昔に確立されていた。《虚人》の脅威は永遠に消えることがないと思われ、それでも退けることが不可能であるとは思われなかった。実際、私も塔隊員になるまで《虚人》のことを真に脅威と考えたことはなかった。いや、それ以前には《虚人》や《虚化》について自分から考えたことがまったくなかったのだ。

 だから、単なる確率で塔隊員になることを決められても、私は拒まなかった。ひどく退屈で変化の少ない世界を、私は簡単に捨てることができた。あえて選びはしないものでも、迷う理由はなかったのだ。

 そうして踏み入った世界は、それからどんなに望んでも、ほんの一片さえも幻ではなかった。

 ソウやヘクトのような新世代たちは知らない。私たち塔隊員や階下隊員が文字どおり懸命に守ってきた『塔』は、そこにあることに価値などないことを。誰もが『塔』に絶対的な意味と不変性があることを信じているが、本当はどこでもよいのだと、そしてそもそもどこにもなかったとしても滅びたりしないのだと、幸か不幸か、彼らは知らない。

 『塔』が誰の願いから生まれたものだったのかはもう定かではなくなってしまった。願う者がいなくなっても願いは消えず、人類はかろうじて大地とつながりながら、それが絶えてしまわないように《虚人》の脅威を撃ち砕き続けた。

 いつか再びあの大地を人類の生存圏にしようという反攻の意思が消えたのはいつなのだろうか。

 《虚人》たちは絶えない。そして必ず私たちのもとへやってくる。望まれなくても、引き寄せられているかのように。それは、私たちがまだかろうじて『持つ者』であることの証だ。彼らはそんな私たちに()れることで自身の虚空を満たそうとし、だがそれは決して叶うことがない。

 《虚化》とはどこの変化を指すのだろうか、と実験の初期に考えたことがある。それを研究主任――――基地長は当時、研究主任として私の担当官をしていた――――に言ってみると、彼女はしばらく考えこんでから「やはり心だろう」と言った。そして、彼女は私自身がどう考えているのかを尋ね返してきた。

 私の答えは――――






「あなたの言ったとおりだったのかもしれませんね、基地長」

「『言ったとおり』って、なんのことかな?」

 変わらない笑み。

「《虚化》が心の変化だと言ったこと、私は覚えています」

「そうかい。なら、教えてくれないか? どう変わるのかを」

 これまでの記憶を呼び起こす。そして今へも続いている。

 私の、心。

「たったひとつのことにさえも執着できなくなる。それが《虚化》の作用です」

「執着できなくなる……なるほどね。ならば君は……」

「私は《虚人》ではありません。それが答えです」

 そして、私は《虚人》になれない。

「君は本当に……昔と変わらないのだね」

「あなたと違って」

 かつて互いの理解を深め、永久に見守ると誓いあったのに、私はもう彼女を想うことができない。

「それもそうだ。君にとって、君たちにとって、これは人類の可能性たりえないだろうしね」

 彼女の身体は頭部から末端へゆくにつれて透けてゆき、手足はもはや輪郭をわずかに示すばかりになっている。

 彼女の選択が私の現実に刃を突きつけていた。

「そうか、執着できなくなったのかわたしは。だから人口区を捨てたのか。ようやく納得できたよ」

「私は……」

「君が望むものは、もう決して叶うことはない。分かっているんだろう?」

「それは……あなたが決めることではない」

「今さらわたしが決めなくても結末は変わらないよ。はるか昔から、人類がこうなることは決まっていたんだからね」

 彼女が至ったのは、すでに選択を終えた過去存在たちへの回帰だった。《虚化》を拒むのではなく、その虚空へと自身を、そして人類すべてを導くことで、彼女は到達しようとしたのだ。わずか前まで存在していた生存の停滞を超えた、必然の世界へと。

 私はそんな彼女の夢に最も近い存在でありながら、もはや決して同じにはなれないのだ。そして、私ひとりを置いて、人類は進む。


「そもそもね、《虚人》もかつては人間だったのさ。君も気づいていたようにね。もちろん、人間が彼らに()れて《虚化》することからでも推測できることだけど」

 私は察する。彼女が語るものを、私のできる限りをもって記憶に残さなければならないことを。

「停滞期の焦燥感が全人類を覆うようになっていくらもしないうちに《虚化》は始まった。そして《虚人》たちは人間を、つまりは“中身や意味を確かに持つもの”を求める。彼らが前時代の創作物に群がっている観測映像を、確か君は規制前に観ているはずだね? いったいなぜなのか。それは……もう話の流れで分かるね?」

 答えないこともまた答え。

「人間が空虚な存在となっていった理由。《虚人》が実質を求め、喰らうこと。不連続な変化だった《虚化》の段階化。君たちのおかげでわたしは多くのことを知ることができた。知れば知るほど、人類の不可避の未来が明確に分かってしまったけどね」

 流れが変わる。

「さあ、始めようか。あるいは終わらせると言うほうが正しいかな? まあ、もうそんなことも分からなくなる――――」

 私は最後の武器に手をかけた。

 そして、彼女は全身を透明に変えた。

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