9.赤い糸と赤い雨
気づけば龍は人間に捕獲され、拷問に近い実験を繰り返され、心身共に壊れていった。
一方、結衣や高月はABR支局スカウトされ転職、本格的に『獣達』との戦いを繰り広げる。
結衣は表情には出さなかったものの、内心驚いていた。あの勤務希望用紙を提出し、第五ABR支局に転勤して今日で三週間と少ししか経っていないのに、今日で二十一件目の出動と戦闘だ。存在さえ疑わしく思っていたものと対峙し、死線を潜り抜けてきた。
「清滝さん後ろに反って下さい!!」
結衣は考えるよりも早く上体を大きく逸らした。その瞬間、黒い矢が風を切るように結衣の鼻先と豊かな胸を掠めた。
「ぎゃっ」
黒い矢は結衣を後ろから襲おうとしたBEASTの紅く光る右目を射抜いた。目を除けば姿形は若い男性をしている。頭部を貫通している矢にもがき苦しんでいるところに水瀬が押し倒し、白銀に輝く片手剣を喉元に突き立てた。男の頭がごとりと落ちる。
「流石射撃の名手だね、高月君」
「あざッス。でもこれからもっとうまくなるっスよ」
「清滝さんも大分慣れてきたね。動きが前より円滑だ」
「はい、でもやっぱりこのエペタム、アタシにはどうも合わないです。軽すぎて使いにくいし、すぐ折れるし」
「『髭切』のことかい?」
皆それぞれ専用の武器を支給されていた。 ABRが発明、開発した対BEAST専用武器エペタムだ。
これまでの銃火器等の武器はBEASTには効果薄かった。そこで発明したのがBEASTの体質を武器に練り込む事で飛躍的に殺傷能力を上げた武器。「毒は同じ毒をもって制す」発想だ。
結衣が今使っているエペタムは髭切と言う名前で形状だけで言えば反りの小さい日本刀だ。軽くて扱いやすく、量産化が容易なタイプだがコストを削減して作られた分、性能は余り良いとは言えない。切れ味はいいが耐久力に難があり、今回の戦闘で結衣の髭切が折れてしまった。これで三本目だ。
「僕は結構好きだけどね、疲れても扱いやすいから」
「水瀬が疲れたところなんて見たことないけどな」
「君もだろ雲母坂」
雲母坂 浩二と水瀬は昔からの知り合いで、今回水瀬たちの副隊長を務める事になった男だ。濃い顎髭を生やしスーツの上からでもわかるほど屈強な体つきで、水瀬に並ぶほどの身長もある。
「ええと、清滝二等支局官だっけ」
名前を呼ばれた結衣は背筋を伸ばし威勢よく返事をした。雲母坂は優しく笑った。
「いいよそんなに堅苦しくしなくて、俺より上の人がいる時だけでいいから。で、エペタムの事だけど、帰って新しい装備の申請をしておこうか? ちょうど俺の武器も整備に出そうと思っていたところだから」
「本当ですか? ありがとうございます」
「さあ、俺達は戻ろう。もう本部には連絡したから、後は警察と連携して片付けてくれるよ」
高月はふと振り返った。そこには光を失った紅い目を持つ人が三人倒れている。一人は右目を高月が放ったボウガンの矢に射抜かれ、二人は全身のいたるところに深い斬撃の痕もある。仕方がない、相手はBEASTで人間ではない。とは言っても心地いいとは言えない。
「どうした高月? 暗い顔して」
「いや……やっぱり慣れないっスね。BEASTとはいっても見た目は人間なんで…」
「わかる。でもこれが仕事だからね、戦場に立ったらあいつら以上に獣にならないと喰われるぞ」
口調は優しかったがその言葉にはベテラン故に感じられる厳格なメッセージが高月の胸をギュッと締め付けた。
「まあ、まだこっちに来て三週間ぐらいだろ。それでこんなに動けているんだから大したもんさ。俺なんか初の戦場では怖いあまりションベンダダ漏れになって『人間なんて殺せません!!』とか言って泣きじゃくってたなあ」
雲母坂はしみじみと思い出しているとパトカーのサイレンが少しづつ大きく聞こえてくる。高月は恐る恐る聞いてみた。
「…その中に知り合いはいたんスか?」
「―――いたよ」
雲母坂は柔らかい表情で答えたが目を合わせなかった。
「三人殺した。一人は高校の同期、二人はとある花屋の夫婦。きつかったなあ、BEASTとわかった時は。もっときつかったのは上の人があえて俺を指名して討伐を命じたんた」
「どうして?」
「その方が成功率が高かったんだ」
水瀬が何かを察したのか割って説明した。高月はその何かがすぐに分かった。
「三人ともとっても心優しいけど警戒心が高い上にかなり強いBEASTでね。当時腕が立って尚且つ彼らに警戒されない雲母坂が選ばれたんだ。作戦はうまくいったよ。皮肉にもね」
「上の人はとんでもない薄情者だな…ムカつく」
山田が不機嫌そうに言い放った言葉には、指示した人間への嫌悪感が充満していた。雲母坂は軽く笑った。
「うん。やっぱり若くてまだまだ青二才だな山田。そんな感情的になっている様じゃあ、晩飯を食う前に晩飯になるぞ」
ぶすっとした表情を隠しもせず、更には舌打ちもしたことに結衣は腹を立てた。
「ちょっと山田!!」
「いいよ清滝、その内思い知るさ。まあとにかく、君らも親しいものとかち合う事があるかもしれないから心の準備はしておいた方がいいよ」
この時結衣は親しいものと聞いて脳裏に一人の顔が浮かび上がった。だが結衣はそれを慌てて掻き消した。
戦闘の後は意外とやるべきことが多い。武器の補備や修理点検、その時の状況を記した報告書。討伐したBEASTの調査、どれも時間がかかる内容だ。まだ現段階では水瀬や雲母坂の助けを借りないと、とてもとは言えないが作業が進まなかった。
「清滝さん、確かこの書類は一度印刷するんスよね?」
「そうそう、そして第2課の所で提出――」
「や、久しぶりだね結衣ちゃん」
結衣の肩に色白い手が乗った。結衣は振り返る前に大きなため息を吐いた。
「何か用? 東雲晴海」
「用がないと話しかけちゃダメなんてことないだろう? ここで出会ったのも何かの運命なのだからさ」
結衣はギロリと鋭い視線を差し向けたが東雲晴海はそんな事にも臆することなくしばしの間結衣との再会で浮かれていた。
東雲晴海は結衣より少し背が高いくらいの身長で、整った顔つきは水瀬に勝らずとも劣らない。女性に人気がありそうな雰囲気だ。高月は聞こえるギリギリの声で結衣に尋ねた。
「この人が東雲晴海って人っスか?」
「ええ、ストーカー兼ナルシストって言う素晴らしい属性を持ってる最高で最悪の男よ」
「……そ、そうスか…」
高月は引きつった笑みでやんわりと会話を断ち切った。
「いやあ、結衣ちゃんと同じ小隊なんて天にも昇る気分だ」
「そのまま逝ってほしいわ」
「そのツンデレっぷりもまたキュート!!」
晴海は左手を額に添えて軽く仰け反った。高月は唖然とし、結衣は無視して書類に目を戻した。職員の視線を一気に集めたが、もう彼の行為が日常化してしまっているためか、またいつもの騒々しい職場に戻った。あるものはパソコンのキーボードで素早く文字を打ち込み、あるものは印刷機の前で次々と出てくる書類を整理した。
雲母坂が東雲の狂気じみた仕草に気付き、近寄って来た。
「お、東雲? 清滝二官と知り合いなのか?」
「雲母坂特官、知り合いも何も、僕ら二人は運命の赤い糸で――」
「晴海、明日の朝日を浴びたいなら今すぐその口を閉じなさい」
雲母坂は結衣の険悪な雰囲気から事情を読み取ると苦笑いした。
「はは、そうか……まあ赤い糸は切ってもいいけど仲良くはして欲しいね。同じ仲間として」
「…善処します」
「それでいいよ。ところで東雲、調査はどうだった? 柊と艮はどうした?」
「柊はエペタムの修理のついでに『ヨナバリ』の様子を見に行くって言っていました。艮特官は知りませんが、いつも通りアレを大量に買ってから帰ると思いますよ」
結衣は思わず東雲の方を振り向き立ち上がった。今の彼女は東雲を無視しても『ヨナバリ』、囚われの身となった幼馴染の名を無視することなど出来なかった。
「ん? どうしたの結衣ちゃん」
「あんた今『ヨナバリ』て言ったわよね? どこにいるの?」
鬼気迫る結衣の圧力に流石の東雲もたじろいだ。
「隣の隊舎の研究施設にいるけど?」
「雲母坂特官、そちらまで案内お願いしてもよろしいでしょうか」
「え、え?」
結衣の急な要求に雲母坂は驚き、髭を触りながらあぐねた。「できるけど…」とは言っているがどこかはっきりしない。
「その研究施設は一等支局官以上の人か局長の許可がないとなあ」
「なら局長に合わせてください、この通りです」
結衣は深々と頭を下げた。雲母坂は慌てて手を振った。
「とんでもない、会うだけでも大変なのに研究施設に入れろなんていくら俺でも無理だ」
「お願いします」
「俺からもお願いっス」
高月も立ち上がり頭を下げた。雲母坂は困惑した。
「どうしてそこまで?」
「……『ヨナバリ』は、吉隠龍はアタシの幼い頃からの親友です」
雲母坂は言葉を失った。既に自分と似た様な体験をしている人が目の前にいた。
「…マジか」
「これは僕も初耳」
雲母坂は一呼吸置くと二人の頭を上げさせた。そしてタコと古傷だらけの大きな手を二人の肩に優しく置いた。二人の目には雲母坂のきりっとした面が映っていた。
「…なんとなくだけど事情は分かった。でも私情で入れるわけにはいかない。仮に入れるとしても『ヨナバリ』に会いに行くことはやめておいた方がいい」
「どうしてですか?」
「それは…」
「いいじゃないか雲母坂、入れてあげようよ」
そこに水瀬が割って入って来た。様子から見てさっきの一部始終を見ていたらしい。
「でも水瀬も見ただろ? 今この子たちには…」
「どう見るかは彼ら次第だよ、僕らがとやかく言う事じゃない。局長には僕から伝えておくよ。あの人とは知り合いでね」
「いわゆるコネってやつですね」
「うん、ついでにこのことを内緒にしてくれると助かるなあ? 年間BEAST討伐数ナンバー2の東雲一等支局官?」
水瀬が志望を込めた視線を送ると東雲はニヤリと笑った。
「このあいだ近くの駅前で上手いラーメン店を見つけたんですけど……?」
「いいよ、来週の日曜日でいいかい?」
「チャーシューは三枚でお願いしますよ。じゃ僕はこれで。またね結衣ちゃん」
東雲はウインクするとは鼻歌を歌いながら部屋を出ていた。雲母坂はため息を吐いて額を手で覆った。
「…自己責任で頼むよ。おいで」
「ありがとうございます」
結衣と高月は雲母坂と水瀬に導かれるようにして部屋を出た。
移動の間は結衣と『ヨナバリ』との関係を聞かれた。小さい頃に隣に引っ越してきて遊ぶ機会が増え、同じ学校に通っていた事。あの悪夢の日、彼が人類の敵に変貌してでも自分たちを守ってくれた事。
「そうか……でも清滝、本当にいいのか? 俺はマジで見ない事を勧める」
「アタシ、時々頑固なんです」
雲母坂は小さな溜め息を吐くと肩をすくめた。
「……分かった…ここの部屋だ。担当に話してくるから暫く待っていてくれ」
雲母坂が先に部屋に入り、結衣、高月、水瀬、山田は白一色で統一された廊下で待機した。
「この部屋に、あいつがいるんスか」
「うん。ここでは捕獲したBEASTを尋問したり、死体を調べてリストを作ったりしているんだ。でも一番行われているのは『素体』の製造かな」
「素体? 何ですかそれ」
「エペタムを作るための素材だよ。僕たちが使っているエペタムはBEASTの血肉や骨を科学の力で武器に変えて出来ているんだ……例えば、今山田君が使っているエペタムの『バクロ』。元は馬喰と言う名のBEASTが素体になっている。まあ、名前自体は持ち主が決めるんだけどね」
「……それって」
「ああ、ABRは人体実験をしていることになる。こんな事、公には到底公開できないからね。だからこそ階級が高い人しか入れないんだ」
暫くすると扉が開き雲母坂が出てきた。
「担当が話の分かる人で助かったよ、入りな」
空を覆う灰色の曇天が生暖かい雨を降らし、辺りを憂鬱な雰囲気に包んだ。本来なら活気あふれる午後の町も静まり返り、車が水たまりを弾き飛ばす音が町全体のBGMとして流れている。
「いやあ、天は私たちに味方してくれたようだね。雨の日は血も音も掻き消してくれる」
「天気なんかど~でもいいけどさあ、さっさとやっちゃおうよ。要はあのヘタレを回収すればいいんでしょ? 早く帰って熱いシャワー浴びたい」
「……彼の元へ行くまでは気付かれてはダメ…隠密が基本」
「うっさい中国女、わかってるわよ」
北条はサイレンサーを装着したハンドガンを手に取りマガジンを込めた。
「…思うんだけど北条、ぶっちゃけいらないんじゃないのそれ? 金と時間が掛かっただけにしか思えないんだけど?」
「私の『玄武』は対多数向きだ。それに、雑魚にいちいち使いたくないからね」
北条はポケットから小型の無線機を取り出し耳に引っ掛けた。
「作戦は昨日伝えた通り。私と鈴盟ちゃんが侵入、敵を排除しつつ青龍の奪還。陽菜ちゃんは我々の退路の確保及び逃走の際の援護。指示があるまで上空を迂回。無線は常に開けておいてね」
「あいよ」
南原の肩から鮮やかな紅を放つ巨大な翼が皮膚と服を突き破り、羽を舞い散らせた。
三人の紅い視線の先には、ある者にとっては救世主、ある者にとっては天敵の存在。彼らは後者にあたる。鉄門に書かれている文字は『第5ABR支局』。
「さあ、作戦開始だ」
霊獣が上下に散り、急速に近づいていく。獣狩りの集団が居座る城へ。
歩哨は二人以上、定期的に決まったルートを巡察し、侵入者や以上の有無を調べ報告する。今回の様に雨の日は特に時間をかけて調べるのがこの第5支局の決まりだ。
『本部よりコノエ01、応答せよ』
「こちらコノエ01」
歩哨係の二人が無線機のスイッチを押した。
『Aコースの12にセンサーの反応あり。ただちに急行し異常の有無を報告せよ』
「了解」
「珍しいな、あそこのセンサーが反応するなんて」
Aコースは今巡察しているコースでポイント09の位置だ。ここからポイント12の位置まで歩いても三分程度だ。
「まあ、のんびり行こうぜ。雨だから丁寧にな」
「ああ。給料前なのに仕事を怠ったらシャレにならない」
羽織っているレインコートの上からひっきりなしに雨が打ち付ける。時間は十七時、辺りはより暗くなりはじめ視界も大分悪くなるほどの大粒の雨だ。
「クソッ なんて天気だ」
「そうイライラすんな……よし着いた。俺がセンサーを見てくるよ、警戒頼む」
「気を付けろよ」
一人が柱に巻き付けられているカメラとセンサーにライトを当てた。くまなく探した。だが特に異常は見られない。破損していないし、電線にも問題はない。
「こっちに異常はないな、そっちはどうだ?」
「野良猫一匹いねえよ。センサーのミスだな多分」
無線機を開き本部を呼び出した。
『こちら本部』
「Aコースポイント12を見たが平和そのものだ、多分センサーの誤作動だ」
『了解、引き続き巡察を続行せよ』
無線機を切り、二人が引き返そうとして振り返った時だった。足の裏に接着剤を塗られたかのようにピタリと足が止まった。
(……おい、なんだこれ?)
(わかんねえ、何か……)
二人とも感じた何かが同じと言うのは言うまでもない。肌がぞわりとざわめき、息が荒くなってしまうほどの殺気。目に見えない死の眼差しが二人の足をすくませていた。
「ひっ」
一人が木の影から覗き込む死そのものを見つけた。それは紅い残光の尾を引いていて、講義で教わった人類の敵で間違いなかった。
「で、出てきやがれ!! ぶっ殺――」
ひっくり返った声で腰に携帯していた拳銃を抜こうとした時、彼の頭が宙を舞った。ごとりと地面を転がり落ちた頭は光を失い始めたばかりの虚ろな目を持っていた 。もう一人は訳が分からず血の雨に打たれながら茫然としていた。
「な」
言い切る前にもう一人の額が爆ぜた果物の様に飛び散った。飛散した血が雨で濡れた地面に滲んでいく。男の背後にはハンドガンを構えている北条がいた。
「ダメだよ鈴盟ちゃん、殺気を漏らしすぎだ」
「……すみません」
鈴盟のぼそぼそとした口調は降りしきる雨で今にも掻き消されそうだった。
「陽菜ちゃん聞こえるかい? そっちは?」
『言われた通り屋上の見張りは片付けたよ~』
「よし、順調だね。このまま潜り込もう。この方向へ直進すれば研究施設の隊舎だ」
北条と鈴盟は倒れた死体を跨ぎ、道沿いに進みだした。
目の前の大きな隊舎から少し離れた位置にコロッセオに似た円柱型の建物がある。そこが彼らの目的地だ。北条は建物の角から僅かに顔を覗かせて、見張りがいない事を確認した。後ろの鈴盟にハンドサインを送ると研究施設の裏口の扉まで突っ走った。扉の近くには監視についていたと思われる男の死体が二人あった。二人とも首をざっくりと深く切り裂かれていた。
「さすが陽菜ちゃん、仕事が早いねえ」
『でしょ?』
北条は扉のドアノブの下に銃口を向けると3発続けて発砲した。施錠を破壊して扉をそっと押し、中へ侵入した。
北条の推測は当たっていた。この時間は課業が終わっている時間で、特に研究施設で働いている隊員や研究員の多くは支局から出ていく。人が少ない時間帯を狙っていたのだ。
「クリア」
人気が無くがらりとした廊下を曲がり角の手前まで走り、壁に背を預けまた止まった。北条は穏やかに呼吸して、気配を廻らせた。
「…三、四人ぐらいかな。鈴盟ちゃんわかるかい?」
鈴盟は鼻をすんと鳴らした。彼女は飛び切り感覚器官が優れ、特に鼻と耳はずば抜けて鋭い。
「……四人、距離約十八メートル」
「了解、合図と同時に突っ込んで片付けよう…いくよ」
鈴盟は黙ったまま頷いた。北条が指を3本伸ばすと、一定のリズムで一本づつ指を折っていく。そして全て指を折ると一気に走り出し二つ先の角を曲がった。そこには白衣を着た研究員四人が缶コーヒーを手にして雑談していた。そのうちの一人がこちらと目があった瞬間、北条は一人に3発の弾丸を放った。一発は外れ、二発は右胸を捉えた。
「だ、誰だ!?」
鈴盟が目にも留まらぬ速さで詰め寄ると、薙ぎ払った刀の様な鋭い上段蹴りを放った。顎部に当たり、拡散した血と砕けた骨が壁に赤いシミを広げた。残りの二人が声を上げて逃げようと踵を返した時、北条は五発連射した。三発外れ、二発の弾丸はそれぞれの後頭部を撃ち抜いた。
「う~ん、やっぱりサイレンサー付きだと当てにくいね」
北条は弾が尽きたマガジンを捨て、新たなマガジンをハンドガンに押し込みながらも移動を続けた。階段を駆け上がり、地図の位置を何度も確認した。
「いやあ、歳かな。老眼になってきた。鈴盟ちゃんも陽菜ちゃんも若くていいねえ」
「……北条はいくつ?」
「四日前に四十八歳になったよ」
『お~い北条、聞こえる?』
北条は無線機を強めに押し付けた。
「どうした?」
『新しい歩哨がもう歩き出してる。どうすんの? このままじゃさっきの死体が見つかるまで数分もかからない』
北条は腕時計を見た。歩哨は決まった時間に交代で巡察に向かうはずだが、想定していた時間よりかなり早い。だが北条には動揺の色など微塵もなかった。
「陽菜ちゃん、Bコースのポイント06のセンサーを作動してくれるかい? 駐車場があって、その近くの電柱に設置されているはずだよ」
北条が指示した位置は、北条と鈴盟が殺した歩哨の位置と真逆の位置。第5ABR支局の敷地は広く、歩いて移動するなら八分以上かかる。
『できるけどさあ、素直に歩哨を殺した方が早くない?』
「最終地点に着くまでは極力リスクは抑えたいんだ。センサーを作動させて目を背けさせるだけでいい」
南原の気怠そうな返事が通じると北条は「あ、そうだ。もうひとつ」と何かを思い出した。
『まだあんの?』
「少し予定変更だ。陽菜ちゃんは退路の確保と援護と言ったけど内容をがらりと変えるよ」
『マジで? 何すんの』
北条の口元が少し緩んだ。
「『暴れろ』それだけでいい」
無線を通じて南原の笑い声が響いた。ケタケタと笑う南原は楽しみを見つけた無邪気な子供の様だった。
『オッケ~、任せてよ』
「でも指示があるまでは監視を頼むよ」
『わかってるって』
無線が切れると再度行動を開始した。扉を開け、素早く左右を確認しまた廊下を走る。
北条は扉の上の札の文字を見て、最初の目的地に着いた事を確認した。懐から手の平サイズの黒い球体を取り出し、カチンと安全ピンを外した。
「放送室に到着」
独り言をぼやきながらドアノブをそっと捻じり僅かな隙間を空けた。そしてその隙間に球体を投げ込んだ。僅かな間が空くと、部屋から炸裂音が鳴り響き白い煙が散布した。その瞬間に二人は部屋に押し入り、北条はサイレンサー付きハンドガンで確実に隊員の頭部や腹部を抉り、鈴盟は体術で首を折ったり、急所への一撃で無力した。煙が晴れると床や放送機材の上に倒れ込む隊員が六人いた。
「……あんな指示して、いいの?」
「大丈夫さ、陽菜ちゃんは強いからね」
北条は血を流しながら倒れ込む隊員を乱暴に蹴飛ばし、マイクや機材を操作し始めた。
「…違う。さっきの指示だと、わたしたちの脱出が困難になったことになる」
「案外そうでもないよ。彼も利用するからね。それに、『教育』を受けた彼の姿を見てみたい」
普段は無表情の鈴盟だが僅かに表情が険しくなった。
「……仮にそうだとしても、まだ彼はBEASTに来てから日が浅い。リスクが高すぎる」
「彼の経験値を増やすいい機会じゃないか。何事も練習が大事だよ、鈴盟ちゃん……よし、完了」
北条は機材の回線を開く操作を終えるとマイクを握った。
『研究施設一階で火災発生、繰り返す。研究施設一階で火災発生。これは非常事態訓練である。』
補足
・エペタム
ABRが独自に発明、開発した対BEAST用特殊武器。討伐したBEASTの能力や体質を科学の力で武器にした物。形状、性能は素体となったBEASTによって様々だが共通点として、素体が強力になるほど高性能且つ量産困難となる。
強さの基準としてランクが存在する。上からA+++(トリプル) A++(ダブル) A、B、C、Dがある。
:髭切 ランクB
清滝結衣が所持、使用。反りが少ない日本刀の様な形。斬れ味は良いが脆い。
:フラガラッハ ランクA
水瀬 崇が使用。刀身が白銀に輝く片手剣。非常に軽く丈夫。
:E仕様矢 ランクD
高月 吟が使用。エペタムの性能を有したボウガンの矢。