8.人ならざる者
自分の身体は獣でも心は人間だと言い張り、北条のテロリズムを批判し、共闘を拒んだ龍。そんな彼を待ち受けていたのは……
『お前、何で玄武の誘いを断った?』
青龍の声で目が覚めた。ゆっくりと起き上がれば目の前には見た事ある風景が待っていた。下は恐ろしく透き通った果てしなく広がる水面。上は雲が流れる蒼天が屋根となっている。
(またここか。確かに深層心理とかなんとか……)
そして振り返ればあの神話が蟒蛇の様にとぐろを巻いている。
「あんな誘いに乗るなんてよく思えたな」
「オレはお前の心の陰だ。本音は知っているぜ」
「……」
「まだ素直じゃないな、だから弱い。難しく考え過ぎなんだよ、憎い、恨めしい、気に入らないとか思えばこの力に―――」
「黙れ。確かにあの時は『BEAST』の力を借りた。だがそれは状況が状況だったからやむなく使用しただけだ。もうあんなのはゴメンだ」
あの沸き上がる力は一言で言えば凄いものだった。ただの人間がBEAST二人を倒したのだ。それでもあの感覚は思い出したくない。一度死んでまた生き返った様な不気味な感覚。ほんの一時でも人を捨てたと気付いた時のなんとも言えない悍ましさ。
『……お前は二つの間違いに気付いていない。一つはこの力の価値を理解していない』
「二つ目は?」
『オレはあの時、お前に力を貸していない』
「…何だと?」
青龍の言葉に異様な焦りと悪寒が身体を撫で回した。
「おい嘘をつくな、俺は覚えているぞ!! 死にかけた時に感じたあの感覚を!!」
『オレはお前にもっと素直になれって言っただけだ。あれはお前がやった事だ』
「嘘だ」
『正直オレの方が驚いたんだぜ? お前、BEASTの力を借りずとも自分でBEASTになったんだよ」
「嘘だ!!」
『嘘かどうかはこれからわかる。ほら、あれ』
一対の紅い瞳の視線を辿っていき、真後ろを向いた瞬間あの二色しかない空間がなくなった。代わりに現れたのは真っ白で狭い部屋。目の前にあるのはシミ一つない天井。
(どこだ? ここ)
身体を起こそうとした時だった。手首と足首を動か事ができない。不審に思い頭を起こすとワイヤーの様なもので固定されている。
(何だよこれ!? 他に誰かいないのか? 捕まったのか?)
混乱を隠せない中、辺りを見渡すと右の壁の上の方には濃い茶色をした部分があった。マジックミラーだろうか。さらに視線を巡らせた。左の壁の中央が四角形にへこんでおりドアノブが付いていた。きっとあれが出入り口の扉。
するとドアノブがガチャリと捻りだし、ドアが開いた。
「あ、ちょうど良かった!! そこの人、助け••••••?」
部屋に入って来て来たのは術着を着た男が二人。俺の助けの請いを止めたのは男が押して入って来た移動台、ではなくその上にズラリと並べられた手術道具や大量の刃物。その工具が言葉を奪い視線を釘付けにしていた。メスやコッヘル、注射器。工具はペンチ、鋸、釘、細く尖った杭、多種多様だ。
「番号004、回収された右腕とDNA、血液、皮膚組織、その他全て一致しています」
「サンプル『ヨナバリ』で間違いないな」
(は? サンプル?)
さっきからこの男たちは何を言っているのだ?
「『よろしい、実験開始だ。まずは再生力についてだ。エペタムを使用せよ』」
部屋の中全体にマイク越しのぼやけた指示が聞こえた。なんの指示かは分からない。だが第六感は猛烈に警報音を鳴らしていた。肌を締めつける様な不安と緊張がやって来る。
「よし、膝から分解するぞ。E仕様杭と金槌」
男が黒光りする杭を手に持ち、尖った先端を膝に添えた。
「……おい待て」
男はもう片方の手で金槌を握るとぐっと高く振り上げた。
「待て待て待―――」
金属同士がかち合う音が鳴り響いた瞬間、焼けた鉄の棒を捻じ込まれた様な痛みが膝から全身を駆け抜けた。痛みの余り大声を上げて暴れだすが、動けば動くほど激痛は増していく。激痛が増すことでさらに暴れ出す、この繰り返しだった。
男は続けて杭を金槌で打ちつけた。甲高い金属音と自分の悲鳴が一つの非道を演奏していた。顔が涙や汗、鼻水で醜くなっても御構い無しだ。
一定のリズムで打ち続けられると、急に右膝から爪先が身体に痛みを刻みつけて感覚を失った。もう一人の男が俺の足を持って扉の方へ歩いていくのが見えた。杭が膝を貫通し、膝から下が千切れていた。血が鼓動に合わせて噴き出てきた。
「なるほど、霊獣でもエペタムは有効だな。次は指だ、鋸」
男は建築業に使うような大きな鋸を手にして、刃を指の根元に押しつけた。もう一人が俺の指と腕を押さえつけている。男が鋸を前後させると自分の声なのか、そもそも人の声なのかも分からない様な悲鳴が上がった。皮や肉がズタズタになっていく。全身の骨や関節が砕け散るような勢いで暴れ出し、手術台がガタガタ揺れた。それでも鋸は動きを止めなかった。
「おい、しっかり押さえておけ。やりにくいだろう」
「はい、すみません」
刃が骨にまで到達すると肉を引き裂く感触が無くなり、ゴリゴリと硬い音が鳴り出した。更に激痛が増し、骨を削る振動が頭にまで響くと吐き気まで催した。鋸の動きが止まったかと思えば、切り落とされた指がコツンと床を打った音が聞こえた。
びくんと体が震えると右足と手の指から何かが這いずり出て来るような感覚を覚えた。肉が、骨が、別の生物として生きているかの様に動き出し、断面から出て来て見る見るうちに大きくなっていく。自分の体であるが故に、見ているだけでも卒倒しそうだった。
「おお、もう生え変わった。再生力も中々だな、足も元通りだ」
「先生、サンプルの瞳が紅くなっています」
「獣眼の確認良し。次は眼球摘出だ、そのあと―――」
その後も拷問とも言える実験は続いた。手足を切り落とされ、眼球は抉り出された。男の手には紅く光る小さな球体。
痛い 熱い
男は俺の悲痛を見ることも聞くこともなく、血にまみれた工具を淡々と持ち替える
怖い 逃げたい
そして自分の体が再生する度に、自分がより化け物だと自覚させられる。
いやだ 気持ち悪い 認めたくない 助けてくれ
―――何で
男がメスに持ち替えてギラリと光を反射させた。ゆっくりと鋭利な刃が顔面に迫って来る
―――何で、俺がこんな目に
頑張ったのに、助けたのに、怖くても立ち向かったのに。なのに何でこんな目に遭う?
(……結衣)
突然想い人の名と笑顔が脳裏に浮かんだ。何故だ? 自分でもよくわからない。
「よし、右顔面皮膚組織剥脱完了。次は骨髄だ。うつ伏せにしてくれ」
俺の顔の皮をメスで半分剥ぎ取られたことに気づいたのは随分と後の事だった。
補足
・獣器
BEASTが人を襲う時、または戦闘時に体内から放出する攻撃器官。爪、牙、翼、尾など形状は様々だが、共通して生物の一部に似ている。
・獣化
姿そのものを異形の生物に変えるBEASTの能力。未知の領域まで力を発するが、一度発動すると強烈な飢餓感に苛まれ、自我を保つ事も元の姿に戻る事も非常に難しくなる。獣化にも段階があるらしい。
・霊獣
現在状、BEASTの亜種と位置付けているだけで正体は不明。この世に4体のみ存在する。「ある感情」が膨大に膨れ上がると極々稀に人が、もしくはBEASTが霊獣に変貌する事があるらしいが詳細は不明。