6.青龍の尾
龍は皮肉にもBEASTの力で敵BEASTを撃破。しかし飢餓感は既に限界まで達しており……
*新キャラ登場。途中から場面が大きく変わります
「大丈夫よ、今衛生兵を呼んだから。気をしっかり持って」
(……すまん、無理だ)
―――いいじゃねえか、腹減ったんだからよ。
青龍の声ではない。これは自分だ。これが素直な自分。
「落ち着いて、助かる―――」
結衣をぐんと引き寄せ口を精一杯開くと首筋に顔を沈めた。
突然後ろからSAT隊員の悲鳴が聞こえ、歯が肌に触れる寸前で俺をこちら側に引き戻した。
「何!?」
振り返ればそこには拘束されたはずの香織が立っていて、隊員の胸にあの鉤爪を突き刺していた。
「良い掌底打ね……」
香織は隊員の首を喰いちぎると投げ捨て、目を固く閉じた。
「あいつを撃って!!」
結衣が指さす瞬間、無数の弾丸が香織に向かって放たれた。香織は俊敏な動きで宙を舞う事で回避した。華麗に着地すると目を見開いた。その瞳にはさっきの紅が再現していた。
「ああ、もうお腹ペコペコ……もうなんでもいいわ」
香織の体がギシギシと音を立て、下半身が爆発的に膨らむと黒光りする何かが皮膚を突き破った。その何かは徐々に大きくなり、やがて巨大なサソリを作り出した。サソリの頭部にはかろうじて人の形をした香織が上半身だけ残っていた。巨大なサソリは気味悪い鳴き声を上げると重圧な鋏で川本を拾い上げ、小さな口でバリバリと齧り取っていった。
結衣が物言わず拳銃を向け引き金を引いた。だがサソリの外骨格は非常に硬かった。軽い音が鳴っただけで銃弾をものともしない。
「撃て!!」
SATたちの制圧射撃が始まったが、効果はほとんどなかった。人間の部分を撃ってもすぐに再生し、ダメージを全く与えられていない。
「食事ノ邪魔!!」
近くにあった車を軽々と持ち上げ投げつけた。数人の隊員が投げた車に巻き込まれ圧殺された。
(くそ、川本を喰った分元気になりやがったな)
鋏で挟み潰したり、反り返った尾で刺し貫く事で、成す術もなく次々とSAT隊員が殺されていった。
「サッキ喰イ損ネタ、アナタカラ」
香織が結衣の方を向き、獲物を定めた蠍は尾を振り回しながら襲い掛かって来た。結衣は俺を突き飛ばすと同時に真横に跳ねる事で、振り降ろされた鋏は俺達を捕らえることなく地面に喰い込んだ。だが鋏や尾は左右上下から次々にやって来た。結衣は拾った銃で応戦したが、銃を鋏で粉砕され、体を掴まれた。鋏の突起が結衣の体に喰い込んでいき、苦痛で顔が歪んでいく。
「捕マエタ。食ベヤスク細切レニシテアゲル」
俺はすぐ近くで倒れているSATの死体を見て装備を剥いだ。結衣が苦痛で漏れ出す声が俺の手を急かした。
「おい、蠍女!!」
香織がこちらに振り返った瞬間に手に持っていたスモークグレネードを投げた。破裂音と共に白い煙幕が散布し、巨大な蠍はたちまち煙に包まれた。
「エンマク?」
煙にまぎれて近づき背中に飛び乗り、香織の背後に張り付いた。SATから奪った小銃で銃口を香織の背中に押し付けた。
(零距離なら!!)
引き金に指を掛けようとした時、聞き慣れない音が背中から聞こえ、胸から黒く鋭い何かが血を纏って飛び出していた。訳が分からないまま全身から力が抜けていき、代わりに以前にも感じた事のある、似たような痛みが広がっていく。
「残念、煙幕マデハ良カッタケド……」
煙が晴れていくと痛みの原因が正体を現した。蠍の尾の棘が自分の体を貫いていたのだ。尾はそのまま俺を高く持ち上げた。胸から足腰を伝って血が蠍の背甲に落ち、赤く染めていった。
「龍!!」
俺の無残な有様を見た結衣が一時の間、苦痛を忘れ俺の名を叫んでいた。
(……死ぬ…)
『おいおい、何度腹に風穴開けられりゃ気が済むんだよ?』
青龍の小馬鹿にする笑い声が聞こえたがどうでもよかった。もうすぐ純粋な闇が俺を包み込み、終わる。
『終わる? いや、これからだぜ。お前はまだまだ力を使いこなせていない、まだたりない。もっと、もっと素直になれ……お前はそんなぬるいはずじゃない。心の獣を解き放てよ!!』
すると穴の開いた風船の様に抜けて行ったはずの力が、熱を帯びて舞い戻って来た。動かなくなった体や四肢が少しづつ産声を上げた。
『本当のお前は人を憎み、妬み、何かあればすぐ「殺意」を湧き出す。さあ殺せ、今すぐ殺せ!! 誰かのためじゃない、ただ己の怒りに従え!! 本当の自分になれ!!』
全身を釜茹でにされた様な錯覚が起きた。不思議な熱が体を再起動させている。
「いたぞ、あそこだ!!」
声が聞こえた方向にはあの水瀬がSATと同じ小隊を連れて突入してきた。
「隊長!! こいつです!!」
「分かった、高月君は下がって!!」
SATが陣形を展開し、香織を包囲した。香織は焦燥にかられた。
「動クナ!! ソレ以上近ヅイタラ、コノ女ヲ半分ニスル!!」
香織が鋏で挟んでいる結衣を突き出した。思わずSATたちの滑らかな動きに僅かな混り気が出来た。
「もうすぐABRが来る、無駄な抵抗はやめるんだ!!」
「隊長、こいつは端から殺す気です!! アタシに構わず―――」
突然水瀬が固まり、SATたちも構えていた銃から顔を離し、照準を解いた。結衣の耳に入ったのは、聞いたこともない不気味な唸り声。人なのか獣なのかもわからない。結衣は唸り声のする方へ向いた。
「―――龍?」
『さあ、反撃といこうか!!』
全身の筋が切れそうなほど力が入る。力は開放を求め皮膚を突き破り、形を作る。その太く長い尻尾は鮮血をまき散らしながらうねり、先端には偃月刀の様な鋭利な刃が光を反射している。
「吉隠君!?」
「瞳が、紅い……」
青龍の尾を鞭のように撓らせ蠍の尾を切断した。着地して一度距離を置くと刺さっていた棘を引き抜き放り捨てた。ぽっかりと大きな穴が開いた空いた胸は、音を立てて塞がっていく。
「コイツモ、ビースト!?」
風を切るほどの加速に香織の視線は追いていなかった。その隙に蠍の鋏の関節を狙って尾を振り上げ切断した。重圧な鋏が体液を巻きながら跳ね上がり、結衣が自力で脱出した。続けて足の関節に踵落としをして足を折り香織をよろめかせ、青龍の尾で香織の上半身を狙って切り裂いた。香織は悲鳴を上げ、血を噴き上げた。残された鋏を振り回して抗戦するが掠ることなく、頑丈な外骨格は青龍の尾で容易く切り裂かれ、拳や蹴りで砕かれる。
「清滝さん!! こっちだ!!」
結衣は急いで物陰に隠れている水瀬の所へ駆けつけた。
「大丈夫かい清滝さん!?」
「はい、それより龍が……吉隠三曹が」
「ああわかっているよ、まず落ち着いて」
水瀬が無線機を取り出し交信した。
「各隊員こちら01、先ほど示した場所で待機。『二匹』のうちどちらかが倒れた時にこちらの合図で制圧射撃。04から09までは持っている手りゅう弾すべてを投げつけろ、送れ」
『04から09、了解』
「待ってください!! 吉隠三曹を見捨てるのですか!?」
「アレはBEASTだ、『吉隠龍』は存在しない」
「そんなの……何かの間違いです!!」
「落ち着いて、君は錯乱しているだけだ」
水瀬が物陰から僅かに顔を覗かせると無線機のボタンを押した。
「各隊員こちら01、準備良ければ送れ」
『04から09準備よし』
『こちらも準備よし』
「了解、合図を待て」
確実にダメージが通っているのがわかる。香織の動きが散漫になり、こちらの動きについてきていない。あちこちで外骨格は剥がれ落ち、人間の部分も再生が追いついていない。止めの一撃のために尾を振り上げた時、蠍の口から何かが噴き出し顔にへばりついた。吐き出した血が目をつぶし、急いで手で拭い払った時には右肩と脇の下から強烈な圧迫感が押し寄せてきた。右肩を鋏で挟まれた。
「捕マエタゾ、トカゲ野郎!!」
やっとの思いで俺を捕まえたのか、殺意で満ちた香織の紅い瞳はぎらぎらと輝いていた。
(……)
鞭のようにしならせた尾は、自分の右肩を撫でるようにして切断した。
「自分デ自分ノ腕ヲ!?」
右腕の自由を失った代わりに体の自由を得る事で、素早く後ろに回り込んだ。そして尾が鎌首をもたげると香織の頭へ一直線に伸びた。香織の頭部が宙を舞うと蠍の動きが止まり、崩れ落ちた。辺りが一瞬にして静寂に包まれた。
崩れ落ちたのは俺も同じだった。あれほど湧きあがって来た力はどこかへ姿を消し、重力の井戸へ突き落されたかのように体は動かなくなった。呼吸すら忘れていたせいか、今になって吸う、吐く動作を繰り返していた。
ふと自分を客観的に見ると醜い姿をさらしていることに今更気付いた。全身血みどろで青龍の尾が生えている。
(化け物だな、こりゃあ……)
軍隊の戦闘服を着ているがこれは今となってはただのラベルに過ぎない。
「撃て!!」
聞いたことのある声を合図に四方から銃弾の嵐が、静寂を切り裂いて襲い掛かって来た。銃弾は体中を僅かに、だが確実に喰いちぎっていく。
(ウソだろ……助けたのに…)
地面を這いつくばって少しでも逃げようと無駄だった。むしろ伏せた事で動作が鈍く動きにくくなり、より銃弾の的になるだけだった。ましてや今は右腕がない。見たことある黒い球体が目の前に転がって来た。
(……ふざけんなよ…)
手榴弾が炸裂音と共に大量の煙を巻き上げ、散弾を拡散した。銃弾もそうだが手榴弾を生身で受けるのは初めてだ。激痛と灼熱が体中を抉り、衝撃波が内臓を潰した。それが二個も三個も来たとなると無事でいられるわけがなかった。気付けば俺は血を含んだボロ雑巾になっていた。
恩を仇で返されるとはこの事なのか? 何をしても自分の出た行動が裏目に出る。この世が自分の思い通りにならないようになっているなら、何のために世界は、存在しているんだ?
体中のいたるところに銃創が作られる中、頭をよぎったのは近づいてくる死に対する恐怖でも、走馬灯でもなかった。ただ純粋な「怒り」。怒りはぶつける対象を見つけ出そうと躍起になっていた。
―――殺されるくらいなら
目が開いた。ばねで跳ね返されたように上体を起こした。
「……? どこだここ?」
掌から伝わるのは柔らかく自分の体温でほんのりと熱を帯びたソファベッド。腰から下は毛布を被っていた。視覚から伝わるのは生活感がありながらも殺風景な部屋。散らかった本を背負っている机に、汚れのないキッチン。
「…俺の部屋じゃないよな……」
「ウチ『たち』の部屋よ」
声に振り返るとどこかで見た茶髪と制服を身に纏い、携帯電話をいじっている女がいた。
「お前!!」
毛布を投げ捨て立ち上がろうとした途端、全身に電気が走ったような痛みに襲われ動けなかった。
「大人しくしとけば? 食事を済ませてほぼ再生しているとは言っても、あんなに蜂の巣にされて、四日間ねたきりじゃ暫くは動けない」
惜しいが茶髪女、『スザク』の言うとおりだ。見たところ体のどこにも目立った外傷はない。だが動こうとすれば、それを制止するように痛みが走る。今は完全に回復するまでソファベッドで仰向けになるしかなさそうだ。
「……食事?」
「は?」
「食事って、『喰った』のか俺は!?」
何をそんなに驚いているのか理解に苦しむスザクは眉をひそめた。
「…当たり前でしょ? つ~か、八人も食べておいて覚えていないの? マジバカじゃん」
心臓が止まったかと思った。全身の血液が漏れ出して青ざめていく気分だった。ゆっくりと指先を口元へ運び、唇に触れた。ヌルリとした感触は指を赤くしていた。
「嘘……だろ。やめてくれよ」
証拠はない。でも分かる。この血は絶対、自分の物じゃない。それもただの血じゃない、何か色々混じっている。
目の前の現実を見た途端何もかもが壊れそうで怖くなった。がたがたと震え出し、息も荒くなった。
「……一応言っておくけどその八人の中にあんたの知り合いはいないから」
「そう言う問題じゃない!! 俺は…俺は人を喰っちまったのか!?」
「だからなに?」
「だからなにって……お前は人を喰い殺しておいて何とも思わねえのか!!」
スザクは携帯電話から目を離さず答えた。
「じゃあ何? あんたは豚肉や牛肉、魚を食べて可哀想と思った事ある? どうせ、きっつい訓練の後『腹減った~』とか言って食堂へ行って飯食ってたんでしょ?」
「それは……」
「そんなもんよ、ウチたちからすれば。ウチたちは人間しか食べないけど、人間はより多くの命を犠牲にして飯食ってんのよ。その分ウチたちの方がよっぽど――」
「その辺にしてあげなさい」
また扉が開くと身長の高い中年男性が入って来た。細い目に彫刻の様な深いしわが印象的だった。
「気分はどうだい? 吉隠龍くん」
「……どうして俺の名を」
「軍人は戦闘服に名札を縫い付けているだろう?」
男は向かい側のソファベッドに腰を下ろした。
「……あなたもBEASTか?」
「いかにも」
男が細い目を僅かに開けると紅い瞳をちらつかせた。
「…俺は、あの日の事をあまり覚えていない。ただ、途轍もない飢餓感に襲われて、それでも仲間を助けようとして……」
指にへばりついた血を見た。まだ手は震えている。
「聞きたい事が山ほどあるだろうけど、まずは体を休めて、回復に努めるんだ。明日詳しく話そう、今の君には整理する時間が必要だ」
男が俺の肩を優しく掴んだ。
「自分が何者かしっかり目を向けなさい、青龍」
優しくかけてきた言葉の中にも、真が通った意志が感じられた。
胸を押し付けられたような違和感が渦巻き、目元が熱くなってきた。手で顔を覆うが遅かった。膝の上にぬるい涙が手の隙間をかいくぐって落ちた。
「俺は……どうしたら…」
「ここなら、きっとわかる」
ゆっくりと顔を上げて男を真っ直ぐ見つめた。
「私は北条麗亀、『玄武』だ」
補足
水瀬 崇 みなせ たかし
吉隠たちの小隊長。高学歴、高身長の爽やかイケメン。誰にでも親しく接し、甘い笑みを見せることから人気が高い(特に女性)。また飛び抜けた格闘センスを持っており、全日本大会で成績を収めているほど。
どの分野でも高成績を収めているが、何故か水泳だけは苦手。
好きな物 ウインタースポーツ、格闘、読書、ピアノ伴奏、デッサン
嫌いな物 食べた感想を「ヤバい!」の一言で済ます人