49.撤退
大量の死者を出したものの、結衣を含めた零班は青龍の捕獲に成功。厳重な警戒の元、輸送車を目指して前進しようとしていた。
―――闇
音も、光も無く、生物の気配さえ感じられない深海の奥底にいるかのような黒一色の世界。
そんな虚無から二つの紅い光が滲み出る。
―――オレの出番だなあ
悍ましい声にはどこか高揚感があった。
結衣が駆け付けた時には、既に自衛隊や支局員達が龍に拘束具を取り付ける作業を進めていた。ベルトや杭、鎖と言ったありとあらゆる道具が龍の全身を雁字搦めにしている。
「……龍?」
「おお結衣。無事か」
その時、宗一郎が安堵した表情で歩み寄った。
「怪我は無さそうだな、でも気をつけろ、まだ探し漏らした爆弾が……」
「―――殺したの?」
結衣の静かで澱みのある問いに宗一郎から柔らかい表情は消え失せた。彼は少し間を置いて答える。
「…いや。だが致命傷は与えた。もう再生も獣化も出来ない」
「……これからどうするの?」
「拘束が終わり次第、支局まで運ぶ。その後は上の方針次第だ」
「……そう…」
我ここにあらずとも言える結衣は宗一郎とは目を合わさずぼんやりと龍の方を見つめていた。着々と拘束具が龍の身体を覆い隠さんとしているのをただ黙って見る事しか出来なかった。
「これで良かったんスよ、清滝さん」
彼女の肩をポンと叩いたのは高月だった。彼も結衣と同じ心境らしく、浮かない顔をしている。
「……龍にこれ以上人を殺させる訳にも、血で汚させる訳にもいかないっスから。これが、最善なんスよ……多分」
「本当に、そう思ってる?」
「―――いきましょ、まだ任務は終わってないっス…」
高月は結衣に顔を合わせようとはしなかった。
支局員や自衛隊の隊員は拘束が済むと龍を担架に乗せて、移動を開始した。彼らの周りには結衣や高月、宗一郎含む『天下三名槍』、艮や雲母坂、身体に改造を施した柊と手練れ達が護衛を務めた。
「―――零班より本部へ、青龍の捕獲、拘束に成功。青龍の搬送の為、護送車の手配を頼みたい」
自衛隊の一人が無線機開き、応答を待った。
『本部より零班へ、そちらの地域の安全化が取れない以上護送車を送ることはできない。代わりにそちらの端末に護送車の座標を送る。その位置まで搬送せよ』
「零班了解……くそっ、命がけで捕まえたんだから車ぐらい送れってんだ!!」
「文句を言っても状況は変わりません、座標の位置まで急ぎましょう」
宗一郎が苛立つ自衛官を宥め、そのまま前進しようとした時だった。
―――コレダカラ人間ハ
その場にいる誰もが足を止めた。同時に皆の視線が一点にゆっくりと集まる。
悍ましい気配。地中奥深くから這い上がってくる様な『死』の気配。
鼓動は強く早くなり、耳の奥までドクドクと聞こえてきた。肺が喉元まで押し上げられるような息苦しさに嫌な汗すら噴き出してくる。布や拘束具で固められたモノからあふれる『死』と『混沌』に誰も動けなかった―――一部を除いて。
「アポカリプス」
艮がパチンと指を鳴らすと、途端巨大な黒い爪が複数現れ、担架ごとモノを飲み込む。
誰もが目を見開いた時、宗一郎が何かを感じ取った。
「伏せろおお!!」
彼が叫ぶと同時に黒い爪に亀裂が走り、瞬く間に破砕され大穴が開いた。宙を散布する黒い破片を掻い潜る様に、死の棘を纏った大蛇が、一番近くにいた自衛隊員を槍衾に刺し貫く。大蛇は激痛を感じさせる暇も与えずそのまま上に振り上げ半裂きにした。血の噴水が辺りにいた自衛隊の迷彩服や支局官のスーツに赤いシミを作り出す。
青龍偃月刀。形はそのままに赤黒く変色し、茨の様な棘を無数に生やした禍々しい獣器。
暗い穴の奥から二つの紅い光が灯ると、干ばつした大地の様にアポカリプスの表面に皹が広がり、轟音と同時に爆散した。
そこには血だらけで満身創痍の龍がダラリと突っ立っていて、禍々しい尾を無機質にうねらせ続けている。
体の中で警報が大爆音でなったせいか、その場にいた誰もが反射的に武器を構え、指先が白くなるまで得物を握りしめた。
「……!?」
誰しもが眼を疑った。突然青龍の身体中から赤黒いオーラの様なものが溢れてきて彼の身体の細部を霞ませ始めた。そして、オーラが晴れ青龍の姿が露わになる―――
「……総員戦闘配置。私も含め死人が出る前提で戦って下さい」
それは獣と呼ぶには余りにも歪な風貌で、息が詰まりそうな重圧は肌をピリピリと痛ませる。
―――きゅるるるる
「…容姿が……」
「暴走……にしては、雰囲気が違いすぎますね」
艮は相変わらず無表情で大して驚愕もしないが、雲母坂は思わずイージスを握る手に力が入った。
寒気もする嫌な鳴き声をあげる青龍の胴、手足、頭部は鋭い凹凸や突起が並ぶ甲冑に包まれ、最早全身が凶悪な獣器と化している。その中でも兜の奥で灯る獣眼の紅い光と白い歯を覗かせる歪んだ口元がより恐怖を引き立てた。
「『御手杵』!!」
「はい!!」
見た感じ、あの鎧は生半可な物理攻撃は効果がない。狙うは関節裏側や頸椎。甲冑でも覆い切れない部分への攻撃。櫛笥は背後から襲いかかり、槍を翻すと鞭のようにしなる銀の光を走らせた。
だが青龍は櫛笥に背を向けたまま槍を尾で防いだ。櫛笥は内心かなり驚愕していたが直ぐに意識を切り替えた。
「ジェニー!!」
「オーライ!! 『蜻蛉切』!!」
ジェリコは櫛笥が尾の動きを止めている間に上から飛びかかり、BEASTにも引けを取らない膂力で槍を振り下ろした。槍の斬れ味と自身のパワーが相乗した蜻蛉切をまともに受けて無事に済んだBEASTはこれまで一匹もいない。だからこそ、青龍が槍の穂先を何事もなく掴み取っていた事に戸惑った。
「オーマイガー……」
「退がれ! 総員一斉射撃!! 僅かで良い、時間を稼げ!!」
櫛笥とジェリコは真後ろに飛び退き、自衛隊員が放つ銃弾の嵐から離脱した。青龍は無抵抗だったが、身に纏う禍々しい甲冑が小銃の絶叫を物ともせず、鉛玉を悉く弾き返していた。
「艮!!」
「分かっています」
艮が手を差し出すと青龍の頭上に眩いほどの光が集まり、青白い稲妻が落ちる。筆舌しがたい衝撃と威力は神の鉄槌をも連想させた。
「―――え?」
自衛隊員がほんの一瞬赤黒い光が見えた時には、首と胴体が別れた。それも複数人同時に。
土煙の中から無傷の青龍が姿を現した。あれだけの雷を直撃しても甲冑が僅かに燻んだだけで、ほぼ無傷。それどころか近くにいた自衛隊員や支局官複数人を一瞬で刎頸した。青龍の足元には人の頭部があちこちで血の池を広げている。
青龍が両手を地に着け、 四足歩行の形になると姿が霞んだ。
「―――がっ」
気付いた時には一番後ろで構えていた支局員の胸からどっぷりと血を被った鋭利な籠手が飛び出していた。青龍が目にも留まらぬ速度で背後に回り、貫手で人体を無慈悲に貫いていたのだ。
「ハ……ハハ」
青龍の口元がじわじわと横に広がった。
『 ハハハハハハハ!! 』
張り裂けんばかりの笑い声を上げながら、貫いた支局官を壁に押し付け、猛烈な速度で走り出し、無残な肉片に変えるまで削り付けた。
「おいおいおい! なんかすげー事になってんじゃねえか!!」
「よせ柊! 今の青龍は危険だ!!」
柊は雲母坂の制止を聞き入れず突っ込み、エペタムを振り下ろした。青龍はぶち抜いた右腕を引き抜いた流れで裏拳を放ち、柊を弾き飛ばした。吹っ飛んだ柊は真横の壁に叩きつけられたが、苦しむ素振りも見せず距離を取った。
「拳一つでウロボロスが粉砕しちまうか!! でも己を喰わせれば―――」
柊が腕の中のスイッチを起動させようとした時だった。青龍が腕を差し出し柊に掌を見せた。
「―――あ?」
すると柊の腕からギシギシと軋むような音が聞こえだし、肌が波打ち、赤黒い触手のようなものが腕の縫い痕や皮膚を突き破って這い出てきた。まるで枯れ木の隙間から這い出てきた大量の百足に見え、肌が粟立った。
「なんだよ、これ…?」
青龍が伸ばした腕の手を握り締めた途端、大量の触手が不気味に蠢きだし、柊の腕と右半身を包んだ。それと同時に―――
「がっ あ、ああ、あああああああ!!」
「柊!? どうした!?」
「―――喰われてますね。元々は青龍の身体の一部ですから、乗っ取られたのでしょう」
大量の触手は柊の肉体を貪りついたのだ。肉皮が裂かれ蠢く触手の間から鮮血があちこちで吹き出した。身の毛もよだつ光景に結衣や高月たちは血の気が引いたが、本人の柊は想像を絶する痛みの中、恍惚にも似た蕩けた顔をしていた。
「ヤバイヤバイヤバイ!! 喰ってやがるぜコイツ!! はははは!! ははは、はは…は…………」
だんだんと柊の興奮の波は静まっていき、やがて膝をつくと地面に野垂れた。触手は右半身に留まらず、ゆっくりと柊の全身を包んで行った。
艮は無線機を開いた。
「零班より本部へ。捕獲した青龍が暴走、分隊はほぼ壊滅。零班はこれより一部の人員を残置して撤退する」
結衣は思わず艮の方を見てしまった。




