シアワセの形 4
―― 夢を見ていた。 幸せらしいが、 何処か歪。 でも、 シアワセ……?
ふわり、 と羽の様に舞い降りて銀糸の髪の少女は床に着地した。
ゆったりとした動作で長い睫毛を持ち上げると銀色の瞳が覗いた。
見回してみるが、 片割れの少年は不在である。
いつかの様に消えているのでは無く、 ただ、 単純にこの場に居ないだけだった。
少女は宝石の様に煌めく瞳を扉に向け、 歩み出す。
音も無く、 長い廊下を進んでいく。
後ろで束ねた身長よりも余る長さの髪を引き摺り、 やがて目的地に辿り着いた。
小さな手が扉に手をかけて、 無遠慮に扉を開いた。
広がるのは暗く、 ……優しい幻想的な光景だ。
床に溜まる黒い靄は、 けれど恐ろしい印象は無く。 視覚で受ける印象とは違い、 温かで穏やかだ。
ほわり、 と浮いては降りていく泡の様な優しい光を纏って青年は目を閉じていた。
黒を基調とした色は彼の性質そのものと言っても良い。
安寧を約束する闇は光を呑み込んで、 暫しの休息へと誘っていく。
そんな時だ。 不意に青年が目を開ける。
うっすらと瞼を上げていく過程で、 何が己の傍にあるのか理解しぎょっと目を見開いた。
「……げ」
開口一番に呟かれたのは、 そんな音だった。
銀色の少女は表情一つ変えず彼の失礼な対応を流し、 歩みを進めた。
青年の傍まで寄ると、 じっと見上げる。
胸よりも下の位置から宝石の様な目が青年を見ていた。
居心地悪そうにしながらも、 けれど流石に顔を背ける訳にもいかず。
「……その……。 ルディア……?」
眉間に皺すら刻みながら、 訪ねた。
少女は彼の服の袖を掴みしゃがむように催促する。
促されるままに青年は床に膝を着く。 合わせられた銀の目は鏡の様に彼を写しこんでいた。
「……デスター」
言葉は静かに響いていく。
紛れて消えてしまいそうな程に小さな声は、 鉱物がきぃんと鳴る、 そんな一つの現象の様だ。
「幸せの形は、 合っている?」
「……、 は?」
少女は尚も無表情に彼を見つめながら言った。
声音も揺らぐ事は無かったが、 問われた彼は驚きを隠せない様で少し身を引いた。
「……なんだ、 急に」
「幸せ、 が、 何か歪。 願いは叶っている? 貴方は……シアワセ?」
断片的に発せられる言葉。
けれども、 一言毎に彼の表情は曇っていく。
「さて、 な。 何が歪か知らんが、 願いは叶っている」
「……では、 どうして……」
それきり、 続かなかった。
じぃ、 っと見詰める少女は小首を傾げて問いかける。
追い詰める程の力は無い。 自身へ投げた問いらしく、 ただ、 淡々と言葉を発している。
一方で彼は、 続く言葉に何が来るのか注意深く聞いていた。
胸の内に渦巻く思いは色々とあるにせよ、 一応現状は幸せであり持っていた願いは叶ったと判断している。
だが、 どうだろう。 目の前の少女は、 それが歪だと言うでは無いか。
少女は彼のみならず、 世界を作り上げた神の片割れである。
きっと己の心の中など容易く見破っているのだろうと思い当たると、 僅かに身構えた。
「貴方は、 人に成りたい?」
「……」
返答が出来なかった。
少女の提案は、 見透かされているのだろうと思った彼の思考を飛び越えていた。
驚きの余り瞬きを忘れた彼に、 少女は尚も告げる。
「愛している? 想いは、 創造物と成り得なければ貫けない?」
まるで子供が親に尋ねる様に、 少女は言った。
青年は漸くゆっくり瞬きをすると、 寂しげに顔を曇らせる。
「そんな事は無い。 今でも、 十分すぎる程……本当に、 幸せなんだ」
「……届けられない〝愛〟は幸せ、 なの?」
彼の返答は無い。 少しだけ優しげに笑っただけだ。
少女は袖を掴んだままだった手を離し、 そっと彼の胸に手を置いた。
生き物であるならば心臓がある場所に小さな手を重ねる。
青年は微動だにせず、 ただ流れゆくままに受け入れた。
「貴方の形は少し、 痛い」
ふむ、 と少女は頷き、 手を引っ込めると目を閉じた。
青年はそんな様子を見遣りながら、 苦笑する。
「〝愛〟の形も〝幸せ〟の形も、 沢山……」
少女はぼんやりと目を開けながらそんな事を呟いた。
青年は言葉を聞き届けながら、 けれども何も返す事は無い。
立ち上がると、 彼の動きを追ってまた少女が見上げる形になる。
「……もし、 彼女が愛を成す為に望むのなら。 貴方は人に成る」
ぽつり。 決して大きくはない音量で溢れた言葉に、 彼は首を振って否定した。
「まさか。 アイツが愛だ? それは無いだろ」
「貴方が決める事ではない」
「……」
「彼女の想いは彼女のモノ」
「……本当にそんな事あるのかよ。 ……同じ魂だから、 想いも宿るのか?」
「魂は何も作用しない。 知っているでしょう? 望まれるなら、 それは純粋に彼女の願い」
「だって……そんな。 出来すぎだろ。 ……随分俺に甘くないか?」
訝しげに顔を顰めて彼は言う。
少女は一度瞬くと、 何でも無いように続けた。
「私達にも計り知れない沢山の可能性が有る。 〝幸せ〟とは一つでは無いと知ったけれど、 ならばどんな物があるのか知りたい」
「……」
「精霊として存在する貴方達にも等しく幸せになる権利がある。 だから訪ねている。 ……貴方はシアワセ?」
彼女の言葉をきっかけにした、 のかはわからないが。
突然、 扉が乱暴に開く。
覗いたのは金髪。 必死の形相で、 少年が入り込んだ。
「ルディア様……! 良かった……」
「……シャール」
くるりと少女は振り返り、 少年と向き合う。
シャールはその場で崩れる様に膝を折り、 肩を落とす。
「居られないので、 どうしたのかと」
「……此処に居た」
余程心配だったのだろう。
泣きそうな顔で何か言いかけたが、 己の中で整理し、 手を差しのべる。
「行きましょう。 フォート様がお呼びです」
体制を立て直し立ち上がった少年のほっそりとした手に手を重ねて、 共に歩き出す。
だけれど、 一度だけ振り返って少女は言った。
「デスター」
「……?」
「求める物があるのなら、 きちんと向き合った方が良い。 手を伸ばせば、 きっと届く」
言うだけ言ってしまうと少女はもう振り返らない。
感情が目に見えてわからない少女の背は、 この時は少し寂しげに映った。
代わりに少年が申し訳なさそうな顔を青年に向ける。
「すみません、 デスター。 お話中にお邪魔しました」
「……あ、 いや」
余程急いでいたのか、 彼が言い終わる前には視線は合わなくなっていた。
直ぐ様少女等は扉の向こうに姿を消し、 残った青年は溜息を零す。
ぐるりぐるりと言葉が回る。
痺れるような感覚。 甘いそれでは無い、 ずきりと痛みが伴うような痺れ。
じ、 っと床を見詰めた。
辺りに浮かぶ光は、 また揺らぎながら休まる場所を求めて靄の中へと沈んでいく。
「少し、 痛い。 ……歪な幸せ、 か」
胸に手を置き、 目を閉じた。
ふむ、 と納得し、 その言葉を受け入れる。
苦笑して、 それきり。
求める何かは彼には明確にある。 けれど、 それから目をそらした。
心静かに、 また魂達の声に耳を澄ます。 ……そんな時である。
じくり、 とまた首が痛んだ気がして彼は笑った。
「……もしかして、 時間が無いのかもな」




