優しい眠り 3
帰りたい
帰りたい
ママに抱きしめて欲しい
パパに笑って欲しい
お家に帰りたい
「おかえり」って言って欲しい。
だけど……私、 ……私の 名前……?
朝方。 まだ夜が明けて間も無い頃だろうか。
ひやりとした空気を感じて、 彼女はぼんやりと目を覚ました。
シーツ一枚とは言え無いよりマシだったらしい。
上着も着ないまま眠ってしまったせいか、 睡魔を追いやるには十分だったようだ。
ベッドの上で身を起こすと、 ゴシゴシと目元を甲で拭う。
何か悲しい夢を見た気がする、 と、 感じていた。
そんな中。
扉の近くで、 かたん、 と音がする。
寝惚け眼で見やると、 其処には怒って出ていった筈の彼の姿が見て取れた。
朝日もまだ昇らぬ時間に、 彼は溶ける様に其処に立っている。
「……」
掛ける言葉に迷って、 結局何も言えずにいた。
けれど、 彼も何か言いたげにしている。
働かない頭で考えていた彼女に、 彼はついに重たい口を開いた。
「キラ。 頼みが、 ある」
「…………、 え?」
彼の言葉を聞いた瞬間、 彼女はまるで頬を打たれたような衝撃でぱちりと目を開いた。
そして、 まじまじと彼を見やる。
なんせ、 名前で呼ばれるなど滅多に無いことだ。
しかも「頼み」だなんてオマケ付き。
「……あの後何かあったのか?」
「あったから頼んでいる。 ……良いから、 話を聞け」
怪訝な顔をして、 彼は扉付近からキラが身を起こすベッドへと歩み寄る。
狭い部屋なのでさして距離も無かったが、 二歩ほど進んだだけで彼女も違いが分かった。
「子供?」
彼の後ろに隠れて、 フードを被った小さな影が付いてきた。
ととと、 なんて音がするような歩み方でベッドの脇に来る。
「……この子、 どうしたんだ?」
「こいつの願いを叶えるのに、 協力して欲しい」
「……協力?」
首を傾げて、 子供を見やる。
手を伸ばそうとする子供に触れようとしたキラを、 やんわりと制した。
「今は止めとけ。 お前は全部見ちまいそうだから」
「……見る?」
「?」
キラと子供の両者に見つめられて、 彼はそうそうと適当に相槌を打って終わらせた。
「で、 どうすれば良いんだ?」
彼女の中ではもう協力するのは確定事項らしい。
複雑そうな顔をしてデスターは彼女を見遣った。
「……言い出しといてなんだけど」
「うん」
「頼むから、 ほんと……もう少し警戒心を持ってくれよ」
「今回はデスターが付いててくれるんだろう? それなら平気。 それより、 早く内容」
呆れたように言った筈だったのに、 彼女の台詞に一瞬閉口する。
言葉に込められたのは、絶対的な信頼。 そう受け取れたからだ。
「……デスター?」
「いや、 ああ。 うん。 内容だな」
「そうだよ」
子供は二人のやり取りを大人しく聞いていた。
「こいつと一緒に眠ってやってくれ」
「……え、 それだけ?」
神妙に頷いたデスターを真似して、 子供がこくりと頷いた。
「なんで?」
「終わったら教えてやる」
「ふぅん。 まあ、 良いよ」
おいで、 と手を伸ばしかけて、 再び塞き止められた。
彼女よりも早く子供を抱き上げ、 彼は言った。
「だから、 ちょっと待てって」
「なんだよ……段取り悪い」
「五月蝿い。 ……都合があるんだ」
抱き上げられた子供は、 キラの方へと手を伸ばす。
子供の小さな手を握り締め、 彼は困ったように顔を顰めた。
「お前も、 少し待て」
子供が、 ぷく、 と頬を膨らませた様に見えた。
けれど、 大人しく待つと彼は子供の頭を撫でる。
「"形を与えてやる"」
極普通に話していた筈だったが、 どうやら何かの力だったらしい。
子供を包むように僅かな光を放った後、 改めて床に下ろした。
とん、 と音がする。
「……いいぞ。 後は任せる」
「だってさ。 おいで」
手を伸ばすと子供はそれはそれは嬉しそうに掴み、 キラを見た。
ベッドによじ登るのが困難そうだったので、 デスターがひょいっと抱き上げ手助けをする。
無事にキラの傍に来れたのが嬉しいのか、 フードを少し外して顔をのぞかせた。
「眠るんだろ? フード外す?」
子供はこくりと頷く。
そっとキラがフードを外すと、 金髪の柔らかな髪と左右で色の違う瞳が見えた。
左は夜の海の様な濃紺、 右は宝石の様な碧だ。
「……わぁ……綺麗だね」
褒められたのがわかるのか、 子供は満面の笑みだ。
キラも思わず笑みを零す。
「ハーフ、 だね。 綺麗な色を貰ったんだな」
いつの間にやら腕に納めて、 よしよしと撫でている。
子供は心地良さそうに笑っていたが、 安心したのか思い出したように小さくあくびをした。
「ああ、 そうだ眠いんだよね。 休もうか」
笑いかけると、 子供は頷いた。
もぞもぞと横になると、 枕元に置いてあったブローチを発見した。
「……あ、 危ないよ」
起き上がりブローチを手にする子供から回収しようと試みたが、 いやいやと首を振る。
「パパ」
「……え?」
遂には猫の様に丸まって抱きしめる様に大事に持つ子供をじっと見やる。
「パパ?」
そして、 視線は傍らで椅子に掛けるデスターへ。
彼は意外そうな顔をして、 キラに視線を投げていた。
「……お前、 なんでそんな物持ってるんだ」
「仕事の報酬のおまけ。 エルフの男の人に貰ったんだ」
言いながら、 キラはこの少女に昼間のエルフの面影を重ねる。
何処か似た印象を受けて、不意に思い当たる。 きっと行方不明になっている娘とは、 この子供の事だろう。
同時に、 この少女が生きては居ない事を知り悲しげに顔を曇らせた。
「貸して。 付けてあげる」
キラの申し出に喜んで、 いそいそとベッドの上に座り直す。
受け取った金細工の薔薇のブローチは、 ローブの胸元に付けてあげた。
少女は嬉しそうに「有難う」と笑う。 ブローチに負けないような、 華やかな笑みだった。
「うん、 可愛い。 ノエル、 だよね。 よく似合ってると思う」
にこにこと笑い合う彼女らの傍で、 デスターが愕然として見詰めていた。
「おい」
「……え?」
「今なんて言った?」
「よく似合ってる?」
「その前だよ。 なんでお前、 こいつの名前」
「……ああ、 ブローチを貰った時名前を聞いたんだ。 娘はノエルって言うって。 違うの?」
少女を見やると、 頬を薔薇色に染めてにこりと笑っていた。
「ノエル。 ……うん、 ノエル」
うんうんと満足げに頷き、 キラにぎゅうと抱きつく。
キラは、 少女ノエルの柔らかな髪を優しく撫でながらデスターを見た。
「喜んでるみたいだけど……」
「いや……良い。 手間が省けた」
「それなら、 良かったけど」
一頻り喜べば満足したのだろう。
ノエルは改めてキラと共に横になるとしがみついて目を閉じた。
けれどもぞもぞと落ち着きは無く、 何処か不安げである。
「……眠れない?」
キラの問いに、 ノエルは泣きそうな顔をして答えた。
「こわい、 夢を見る」
長きに渡り捕らえられていた魂に染み付いた想いは、 少女を蝕んでいた。
死してから今日まで、 一体何度繰り返し怖い思いをしただろう。
先程の喜びも影を潜め震える少女に、 キラは出来るだけ優しく抱きしめて笑い掛ける。
「一緒に居るよ。 悪い夢は追い払ってあげるから、 大丈夫」
いつか記憶に残るこの言葉。
いつか記憶に残る優しい思い出。
キラは僅かに残る記憶の中で母がしてくれた様に、 腕の中の少女に優しく告げる。
髪を撫で、 安心するまで。
眠りにつくその瞬間まで、 ずっと、 抱きしめる。
「……安心して御休み」
震えていた少女は、 いつしか安堵の息をつき永久の眠りへと落ちていく。
穏やかな寝息が、 少しの間だけキラの耳に届いた気がした。
リアクトは図書館でデスターに魂の回収を依頼した本を読んでいた。
エルフと人のハーフとして生を受け、 差別も多少受けたようであったが。
本人は明るく活発に育ったようだった。
両親は異種族でありながらも愛し合い、 娘にも沢山の愛情を注いだ。
彼女の人生は、 温かいものであった。
けれど、 どうだろう。
死の直前の事である。
捕らえられたのは箱の中。
これは他の記憶からの抜粋となるが、 魔術の実験に使われたようだ。
脚を切り落とされたまま一体どれだけの時間を箱の中で生きただろう。
再び光を浴びた時、 知ってしまった恐怖の大きさに耐え切れず、 彼女はショックで死んでしまった。
肉体は朽ち果て跡形も残っては居ない。
けれど、 心は箱の中に閉じ込められたままであった。
誰にも見えず、 感じ取られず、 術者にゴミの様に捨てられて。
それから五十年余り。 たった一人、 魂になっても箱に繋がれたまま今に至る。
「……」
溜息が出た。
リアクトは本の記憶と同調する事で読み取る。
沢山の生き物の時間を疑似体験するのと似ていた。
「寂しかったよね……怖かったよね」
泣きそうになりながら、 表紙を優しく撫でる。
すると、 幸せで安心の中眠る思いが流れ込んでくる。
掠れたままになっていた名前が改めて刺繍された。
「ノエル……? ああ……良かった。 名前を取り戻せたのね」
翌朝キラが目覚めると、 少女の姿は無くなっていた。
まるで夢であったかのように、 全ては消え去っている。
ただ違うのは、 目覚めるまで彼が居たことか。
「……おはよう、 デスター」
「ああ。 ……おはよう」
律儀に椅子にかけたまま、 彼女が目覚めるのを待っていたらしい。
呑気に挨拶を交わすキラに、 挨拶を返して彼は言った。
「キラ」
「……何」
「その……助かった」
「うん。 あれで本当にノエルの願いが叶ったのか?」
「大丈夫だろう。 安心して逝けたみたいだし」
けれどキラはまだ引っ掛かるらしく、 難しい顔をしてデスターに訪ねた。
「でもなんで一緒に寝るだけで良かったんだ?」
「安心感があるだろ。 お前そういうの得意そうだし」
言われた事に疑問を覚えるキラであったが、 デスターは構わず話を続ける。
「それに。 名前、 呼んで貰えたのが相当嬉しかったんだろうな」
「……知ったのは偶然だけどな」
「この世に偶然なんてねぇよ。 あるなら必然だ」
「そっか。 ……うん、 じゃあ役に立てたって事で、 喜んでおく」
「そうしてくれ」
それじゃあ、 と姿を消しかけてデスターは言った。
「まあ、 その……なんだ。 疑いもなく人助けするのも、 お前の良いところかもな」
認めてくれるんだ! と喜び勇んで彼の顔を見つめるが。
それでもいつも通り不機嫌そうに、 彼は言った。
「ただし、 危険だと一ミリでも感じたら呼べよ。 良いな!」
そうして今度こそ、 姿を消した。
「なんだその捨て台詞」
そうは言いながらもキラは笑って、 枕を抱きしめる。
心配して言ってくれているのは彼女だって十分分かっているのだ。
怪我をすることもある。
危険な目に遭うこともある。
よかれと思っても迷惑になることもあるだろう。
だけど、 少しずつ学んでいければと思う。
だって笑ってくれるのはやはり嬉しいと思うから。
これからは心配を掛けないように。
頼ったりも、 してみながら歩んでいければと思う。
あれこれと考えながらも、 嬉しそうに笑ったノエルの顔を思い出してあたたかな気持ちで満たされていく。
部屋に一人、 幸せそうに笑いながら彼女の魂が安らかに眠れることを祈った。




