終わってから始まったもの- side イリアス -
イリアスとクレシェの思う事。
フォルト姉妹が話していた内容を、 意図せずして聞いてしまった。
玄関の扉前で口元を自らの手で塞ぎ、 人知れず顔を赤らめる青年が一人。
もう一人の家の住人、 イリアスだった。
早く用事が終わったので家に帰る所であったのだが、 酷いタイミングで扉を開けてしまうところだった。
「……」
彼は荷物を落とさないように抱えなおし、 再び其処を後にした。
暫くして、 時刻は夕暮れ。
再び帰宅を試みる。
聞いてしまった内容に動揺を隠せない様ではあったが、 数時間経過し気持ちもかなり落ち着いた。
平静を装い、 一度深呼吸をしてからノブに手を掛けた。
かちゃり。 と音がして扉が開くが……しかし、 見える範囲には誰も居ない。
「あれ……」
この時刻、 共に住まう彼女は料理をしている事が多かったのだが、 キッチンからは音がしない。
持っていた荷物をそっとテーブルに置くと、 そのまま部屋の奥へと進む。
無数の本棚に囲まれた部屋の窓辺にある安楽椅子。 其処に彼女は居た。
夕暮れの日を受けて赤く染まりながら、 それはそれは穏やかな顔で眠っている。
長い睫毛が整った顔に影を落とす。
それだけで、 絵画の様なそんな美しさを持っていた。
だけど、 何故だろう。 不安が渦巻く。
寝顔を見たことは何度もある筈なのに、 あの水晶に閉じ込められていた様子と重なって顔が引き吊った。
「クレシェ。 その……風邪をひくよ」
「…………ん」
戸惑いつつも揺り起こすと、 ゆっくり目が開く。
碧い綺麗なそれは、 焦点が合っていないのか少しぼんやりしている。
当たり前なのだが目覚めた事にほっとしていると、 彼女は僕を認識して照れたように笑っていた。
「あ……御免なさい。 眠っていましたね」
「いや、 それは良いけど。 寒くなるから、 休むなら寝室での方が」
「大丈夫。 気持ちよくて、 つい転寝してしまっただけですから。 ……それより、 おかえりなさい。 疲れたでしょう?」
ご飯にしましょうか、 と、 慌ててキッチンに向かう彼女を見送りながら小さく溜息を吐く。
「……おかえりなさい、 か」
迎えてくれる人が居るというのは、 特別な事なんだと改めて感じる。
けれど、 ……もしコレが無くなるとしたら?
性分か、 浮かんでくる可能性は悪いものばかり。
重たい足取りで、 僕もキッチンへと向かった。
夕食はとても和やかに終わり、 そのまま今日入手してきた本を広げた。
仕事をすると言っても大した事は出来ないが、 不得手にしている魔術の知識を改めて学ぼうと思っての事だった。
知識も出来る事も多いに越した事は無いだろう。
クレシェはそんな僕にお茶を煎れてくれると、 片づけをしてから部屋を後にする。
「お風呂頂いてきますね」
「ああ」
規則正しいリズムで遠ざかる足音。
少しすると、 やや遠くで聞こえる水の音。
そう大きな家では無いので、 意識しなくても耳には入る。
「……はぁ」
読んでいた本をぱたんと閉じると、 また溜息が零れた。
目を閉じ想い浮かべるのは、 昼間に聞いてしまった姉妹の会話。
考え始めると、 終わりが見えない。
悪い癖だとは思っている。
ぐるぐると巡る言葉は整理が付けられないままに、 段々と増殖して頭の中を埋め尽くしていく。
しかも悪い可能性を構築するというオマケ付きだ。
もう一度言うが、 悪い癖だと思っている。
- これ以上、 傍にいけない -
「悲しい音だったな……」
本の上に突っ伏してみる。
あれは確かに彼女の言葉であるが、 それは僕の気持ちを代弁する言葉でもあるからだ。
特別従者と言う事でも無いのだが、 彼女は僕等の身の回りの世話をしてくれていた。
一定の距離を保って、 いつも味方でいてくれた。
その……かなり最初の段階から綺麗な人だとも思っていたし優しい、 と思う。
結果として、 クレシェは唯一無二の大切な存在だ。
でも、 自分はそう言って良いモノではない。
最初に聞きはしたが、 何故僕等にずっと付いてきてくれたのかも不思議なくらいだ。
長い間、 僕等は独りに成らざるを得なかった。
世界中から嫌われた僕等ダークエルフは、 誰とも一緒に居られないのが当たり前だと思っていた。
奪われ殺されていくのなら、 誰か傍に置くなんて恐ろしくてできなかった。
そんな僕が初めて「大切だ」と思った彼女。
けれど先の戦いでは、 僕の所為で傷つけた。 ……殺してしまうところだった。
再び、 そうなるのが怖かった。
僕が怯えているのを、 クレシェは知っている。
だから多分、 距離を保ってくれている。
でも、 今は。 少なくとも、 此処は平和だ。
それは理解しているつもりだ。
なのに言い出せないのは何故だろう。
答えは簡単に出た。
百年なんて長い時間に培ったものを壊したくないからだ。
壊したく無いのだが……前に進むのも、 何か怖く思えてしまっていた。
「いつまで怖がっているんだか……情けない」
言葉同様、 情けない自分の声音に更に気分は落ち込む。
情けなさ過ぎてなんだか泣けてきそうになって、 顔をあげぼんやりと瞼を持ち上げた。
そして。
「……何が情けないんですか?」
きょとんとして見つめる彼女を確認し、 直ぐ様体を起こした。
いつから居たのかとぎょっとしている僕を見る彼女は、 既に風呂上がりと言った様子。
思いの外長い時間落ち込んでいたんだと気づき、 また、 隣に立たれても気配に気づかない程だったことを反省した。
平和なのは良いことだが、 流石に、 これは……。
「……今日、 何かありました?」
「い、 いや、 なんでも」
心配そうに更に見つめてくる目から逃げるように顔をそらすと。
彼女は苦笑して、 頭を撫でてくれる。
少しだけ、 温かく感じた。
「元気が無いから、 また何かあったのかと思いました」
「……またって、 酷いな」
小さく息を吐くと、 彼女は少しだけ笑う。
「繊細な方ですから、 心配なだけです」
「……そうかな」
「ええ」
一頻り撫でられると、 彼女の手が離れる。
「何が怖いか分りかねますが、 ……貴方でしたら大丈夫でしょう? 情けないと自身を責めるよりも、 自分を信じて差し上げた方が良いと思います。 イリアス様は、 ご自身が考えるよりも、 もっとずっと強い方なんですから」
手を追って見上げた先。
君はとても優しげに笑っていた。
忌み嫌われる僕等を、 君は初めからそうして受け入れてくれた。
差別せず、 ダークエルフだと知っても、 ごく普通に接してくれた。
……ずっと、 ずっと。
僕等が何をしようと、 どんな道を選ぼうと。
笑って、 傍に居てくれた。
自分の君に対する気持ちなんて、 随分前から知っていた。
けれど、 伝えることで失いたくないし、 変わってしまいたくない。
そうして怯える半面、 伝えたい。 と思う自分も居た。
今は、 そんな伝えたい自分が、 勝ってしまいそうだ。
先程とは違う何かが、 涙線に働きかけてくる。
込み上げる何やら熱い感情は、 なんだろうか。
感じた事が無いこの緊張感は、 なんだろうか。
ただ、 ……今なら言える気がした。 というか、 今しか言えない気がした。
「そうだね。 ……たまには、 信じてみるよ」
かたん、 と、 椅子が鳴る。
「クレシェ」
「……はい?」
「あの。 ……。 ……ちょっとだけ、 聞いてほしい」
「はい」
立ちあがって、 隣に立ったままの彼女の顔をじっと見た。
別段意味は無いんだけど、 ……その、 緊張してと言うやつだ。
心臓の音が五月蝿い。
僅かに震える手を握り締めると、 そんな僕の手をそっと包んで君は少し笑ってくれる。
「大丈夫。 ちゃんと此処で聞いていますから」
「……」
「……ね? 落ち着いて」
「……あの……。 …………どう言って良いのか、 わからないんだけど」
言葉を選ぼうにもうまく頭は機能してくれない。
怖いと怯える自分も居るし、 伝えたいと言う自分も居る。
ああ、 でも……大丈夫。 言える。
「僕は……、 ずっと、 君を大事に思ってた」
「……?」
「大切で」
ぽつぽつと零れる言葉を、 君はじっと聞いてくれる。
震えながら口にしたのに、 手を繋いだままで居てくれる。
どんな言葉なら適切だろう。
どんな言葉なら、 伝えられるだろう?
零れていくのは、 君を想う気持ち達。
「……大好きだよ」
「……」
「………………あいしてる」
「……っ」
ああ、 これが一番適切なのかも知れない。
しっくりくる言葉に出来た事に一瞬ほっとしたけど、 君の顔に視線を戻すとそれどころでは無くなった。
ぽろぽろ零れていくのは、 涙。
「あ……、 ……御免」
慌てて解いた手。
どうしようと思ったその時、 ぎゅっと抱きつかれる。
胸に顔を押しつけて、 表情は分らないけど。
震えて泣いているのだけは分る。
「……クレシェ、 ……ごめ」
「謝らないで!」
「……」
「……謝らないで下さい」
震える声は、 僕の胸に突き刺さる。
胸が痛くてたまらなくて、 涙が滲んだ。
でもそのまま居る訳にもいかないから、 あやす様に頭を撫でた。
やっぱり、 悪いことなんだ。 そう、 頭の中で響いた。
言わなければ良かっただろうか。 そう、 ……後悔しかけて。
「……」
見上げられている事に気づいた。
「……、 ……?」
不安な僕を余所に、 君は涙で濡れる目を細めいつもそうしてくれるように優しげに笑った。
「…………有難うございます」
「え?」
「嬉しくて、 泣いてしまいました」
言われた言葉の意味を理解するのに、 少しかかる。
絶対的な自信など、 在るわけ無かった。
なのに。
君の、 その返答を聞いて。 ……僕の頬を涙が伝った。
「……良かった」
安心した。 嬉しかった。
体同様、 声も震えてしまう。
「…………良かった」
嬉しくて涙が流れる事があるのだと、 この時初めて体験した。
それから、 暫くして。
ある日の昼下がり、 ペルナに借りていた本を返す為に彼女が営む薬屋へ脚を向けた。
扉を開けると彼女以外は誰も居らず、 ペルナは笑って出迎えてくれた。
「イリアスさん、 いらっしゃい。 お薬が必要?」
「いや、 本を返して置こうと思って。 有難う、 勉強になったよ」
「いえいえ。 必要なら作り方も教えますから、 言ってくださいね」
「有難う。 ……習得できるかわからないけどね」
「魔術使わないものだから大丈夫だと思いますよ」
にこりと笑ってくれる顔がクレシェと重なって、 慌てて頭を振る。
本当に……最近平和ボケが過ぎる。
「イリアスさん?」
「何だい?」
「姉さんの事、 お願いしますね」
「……急に、 何」
驚いて見やると、 ペルナはきらりと目を光らせて笑った。
「得に意味は無いんですけど。 姉さんには笑っていて欲しいから」
「……わかった。 肝に銘じて置く」
「はい」
それじゃあ、 と店を出かけた時、 ペルナは更に続けた。
「お義兄さんになる日が来たら教えて下さいね! 全力でお祝いしますから!」
悪気はないのだろうが、 返答出来なかったのはここだけの話にしておきたい。




