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ワールドクライシス  作者: かたせ真
エルフ組のお話
31/62

五度目の転機

エルフ組の本編後の話。


彼らはキラの招待を受けて、彼女の故郷であるイルへと向かいます。

 ビィとの戦いが終わり、 イリアスとクレシェは再び旅に出た。

 染み付いた癖で人目を避けながらではあるが、 しかし。

 この始まりは、 イリアスにとっては大きな意味を持っていた。


 生まれて一度たりとも、 世界に対して良いと思ったことが無かった。

 ひっそりと生きていた筈だったのに、 一方的に攻め落とされた。

 その後も只管に追い掛け回され、 傷つけられ、 利用され、 死を望まれていた。

 そんな彼には幾度も大きな転機が訪れた。

 まるで誰かが「悪い事ばかりではないのだ」と導いたかのように。


 一度目は、 彼の片割れとして生まれた者が"ヴァルト"であった事。

 ダークエルフはその力の大きさ故に精神を壊す事が多かったが、 ヴァルトは強制的に分けられた人格であった。

 言うなれば、 裏とでも呼ぼうか。

 本来そのようにして生まれた者は、 戦闘に特化し善悪の区別なく己に害を与えるモノを取り除く事で主を守る。

 けれど、 ヴァルトは少し違っていた。

 多くの価値観をイリアスと共有し、 敵対する全てを排除では無く主にとって有益なモノを見極める役目もになっていた。

 そして、 最終的には己を犠牲にする事で主であるイリアスを守った。

 それが一つ目。


 二度目は、 クレシェと出会った事。

 追われ怪我を負った彼がダークエルフだと知り得ても差別せず助け、 結果的に自分の平穏を失っても「それで良い」と笑った。

 以来百年の時を共に過ごしている。

 彼女はいつでも絶対的に彼の味方であり、 大事な局面に置いて反論をした事はない。

 常に傍に居て、 ヴァルトとは違った形でイリアスを支える存在となった。

 それが二つ目。


 三度目は、 十年前のある戦いでの事。

 ライア・エリティアと言う人間の女との出会いである。

 対面した時間も僅かなら交わした言葉も僅か。

 けれども、 彼女は他の誰もが無条件に殺そうとする彼を信じ、 逃すことで助けようと……生かそうとした。

 それが三つ目。


 そして四度目は、 ビィとの戦い。

 この戦いに置いて、 また彼からしてみれば変わった人間たちと出会った。

 もう戦わなくて良いと。 もう辛い思いをすることはないと。 そう、 彼に言ったのだ。

 四度の出来事は、 その都度に彼の価値観を変えるきっかけになった。

 無論、 出会った彼等が特殊でありまだまだ世界には根強くダークエルフを嫌う者もいるだろう。


 誰もが彼の種族の死を願い、 存在するだけで厄災だと言うように、 滅びてしまえと追い立てた。

 けれどどうだろう。

 イリアスが出会った彼等は違う。

 色めがねで見たりはせず、 彼を"彼"として扱った。

 たった、 十年だ。 十年で、 こんなにも違った物を見れた。

 だから、 ……見てみたいと思った。

 今度は自分の目で。

 逃げるばかりで、 追われるばかりで、 まともに見たことなど殆どない。

 世界は、 まだまだ知らない事に溢れているのかも知れない。


 そう、 少しだけ思ったのだ。


 キラ達から別れ道を歩み出した時、 イリアスはそうクレシェに告げた。

 話を聞きながら、 彼女はただ嬉しそうに笑っていた。









 あれから、 半年が経過しようとしていた。







 この時、 彼等はティスラティアと言う国に居た。

 ユーダの南に位置しており、 ひと繋ぎになっている大陸の丁度真ん中辺りにある。

 人の行き来が激しく観光客も多く訪れる様な場所だったが、 人が多い故にいろんな仕事も存在した。

 身元が不明瞭でも雇われる様なギルドにすら所属出来ない者が請け負える事。

 使い捨てにされる様な傭兵達に紛れて、 裏稼業の手伝いの様な事を仕事としていた。

 以前は利用されるのも、 何かの火種になるのも嫌で極力避けていたが、 これも経験だと割り切っている様だ。

 クレシェは元々治癒師である事を活かし、 医者に行くことが出来ないような者を治療して生計を立てていた。

 そんなある日。 彼等の根城にしている宿に、 書簡を付けられた鳥が舞い降りる。

 月明かりが射し込む窓に、 優雅に留まっていた。

 尾の長い僅かに光を放つ鳥は、 魔術で生み出された物の様だ。


「使い魔?」


 クレシェは鳥から書簡を外すと、 きゅい、 と言う小さな鳴き声を聞いた。

 手紙を取り出す間も、 鳥はじっと彼女を見ている。


「あら……」


 手紙には、 整った字が連ねてある。


 "無事に届くと願っています。 イリアス、 クレシェ、 二人とも元気ですか?手紙はあまり書いた事が無いから、 おかしいかも知れないけど。 もし動ける状態なら、 いつか言っていたみたいにオレの生まれた村に来ませんか。 アルミスの北にあるイルと言う村なんだけど。 来れる様なら、 是非来て欲しい"


 最後に、 キラ・エリティアとサインがしてあった。

 其処まで確認して、 クレシェは僅かに目尻を下げる。


「イリアス様。 キラさんからお手紙です」

「…………手紙?」


 はい、 と手渡され字面を追う。

 読み終わると丁寧に折りたたみ、 イリアスは笑った。


「律儀な子だね」

「そうですね。 それで……どうなさいます?」

「折角の申し出だし、 行くよ。 墓参りの約束をしたし」

「お仕事は宜しいのですか?」

「どうせ流れだから平気だろう」

「わかりました。 ……では、 明日には発ちましょうか」


 言いながらクレシェは宿のメモ書きに返事を書き添え、 また書簡に入れる。

 じっと待っていた鳥は、 再び括りつけられた書簡を見、 彼女を見た。

 そっと指先で頭を撫でられると、 心地良さそうに表情を変える。


「キラさんの元へ、 届けてくださいね。 お願いしましたよ」


 再び飛び立つのを見届けると、 荷物を手早く纏めて仮眠を採った。

 追われる様な旅を続けてきた二人は、 元より荷物は無いに等しい。

 翌朝早く目覚めると、 宿を引き払い街を出た。


 移動には一ヶ月程要したろうか。

 街道を避けて進む彼等の前に、 のどかを絵に描いた様な村が現れる。

 到着したのは昼ごろだったが、 村の入口で久方振りに見る赤毛の少女がそわそわと周りを見回していた。

 確認するや否や、 少女は駆け寄ってくる。


「……久し振り、 かな」

「ええ。 キラさん、 お久し振りです」

「手紙、 有難う」

「うん。 二人とも長旅お疲れ様」


 出迎えたキラは、 以前よりも幾分歳相応に見える笑顔で出迎えた。

 剣も携えずマントも装着していない。

 彼女にとって安心できる場所である証拠だろうと二人は感じていたが、 そのまま村の奥へと案内しようとするのをイリアスが咎める。


「……あの。 僕は人が多いところを歩くのはちょっと」

「そうかな。 此処でエルフの人って珍しく無いし、 平気だよ」

「……そういう事じゃなくて」

「大丈夫。 何かしてくるような人は居ないよ」


 ほら、 とキラはイリアスの手を引いて歩いていく。

 その様子を微笑ましそうに見つめながら、 クレシェは後をついていった。


 キラの言葉通り、 村の中では何も無かった。

 村人に会わなかった訳ではない。

 ただ、 普通に皆挨拶を交わしていた。

 なんなら旅人を歓迎している節もある。

 エルフ族の者も住んでいて、 彼等はイリアスやクレシェを見ると面食らった様に顔を変えたが。

 それだけだった。

 クレシェはきょろきょろと周りを見ながら、 歩んでいく。

 そうして一際大きな家の前にたどり着くと、 一先ずイリアスの手を離しキラは扉を遠慮なく開けた。


「兄さん。 連れてきたよ」


 言いながら、 中へと入っていく。

 それも束の間。

 直ぐ様足音が増えて戻ってきた。

 現れたのは、 キラとよく似た赤毛の青年である。

 幾分年上と言うくらいでエルフの二人から見れば子供であったが、 とても穏やかに笑う人間であった。


「初めまして、 エイルです。 イリアスさんと、 クレシェさんですね? キラから話は聞いています。 どうぞ中へ」


 特別、 何か警戒するような素振りも無い。

 青年に案内されるまま家の中へと入っていく。

 リビングには大きめのテーブルがあって、 四人で囲むには十分だった。

 まだ余裕がある程だ。

 が、 イリアスは複雑そうな表情で客人にお茶を用意する青年を見ていた。


「すまないが、 僕等はお茶を頂きに来た訳では無いよ。 ……話が、 あるんだろう?」

「そうですね。 じゃあ、 単刀直入に言います。 此処に住みませんか?」


 にこりと笑っていう青年があまりに普通に言ってのけたので、 両者は素直に驚いた。

 そして言葉を失った。

 ぽかんとしているのを見かけて、 キラがおずおずと話し始める。


「あ、 その……。 オレが提案したんだ。 二人が良ければ、 どうかなって」

「……あの、 キラさん? 私達に其処まで心を砕いて下さって嬉しいのですけど、 ご迷惑になるのでは……」

「それに、 その……。 自分で言うのもなんだけど、 何か要らぬ揉め事が起こるかも知れないし」


 キラの好意だとは分かっているので、 辞退したいとハッキリ言えず困ったように顔を曇らせる。

 だが、 それを打ち破ったのはエイルであった。


「キラもそうですけど、 お二人がこちらに住む事を熱望している人が居るんです」

「……ねつ、 ぼう?」


 訝しげに見るのはイリアスだけで、 クレシェは首を傾げている。

 話題に上がったのが聞こえたのか、 それともただ、 タイミングが良いのか。

 たたた、 っと走ってくるような音が聞こえたのは丁度この時だ。

 酷い音を発てて扉が開かれたと思えば、 息を切らせてエルフの女が登場する。

 金色の髪は少々乱れ、 けれど碧眼の瞳はきらきらと輝いていた。


「……あ、 やっぱり!」


 嬉しそうにそう言うと、 そのままクレシェに抱きつきに行く。


「姉さん!!」

「…………ペルナ?」


 ぎゅうっと抱きしめるペルナに遅れる事暫く、 驚いた様子でクレシェが見詰める。


「姉さん……!! また会えるなんて思ってなかった」

「まあ……久し振りね」


 泣きそうな顔で抱きしめ合う二人を見、 エイルは貰い泣きしてしまいそうだった。

 イリアスは一体何が起こったのかと困惑して見つめ、 キラはホッとしたように顔をほころばせる。

 感動の再会を終えると、 クレシェは改めてイリアスにペルナを紹介した。


「この子は、 私の妹なんです」

「……妹?」

「はい」

「初めまして。 ペルナ・フォルトです」

「……ああ、 初め、 まして」


 ペルナは体制を立て直し、 キラとクレシェの間……丁度お誕生日席になるような形で椅子に掛けた。

 にっこりと笑う顔を、 ついまじまじと見てしまう。

 背格好から顔立ちまで、 姉妹と言うだけあって似ている。

 そんな様子を楽しげに見ながら、 クレシェはペルナにも笑いかけた。


「でも、 キラさんと知り合いだとは思わなかったわ……。 どういう繋がり?」

「キラちゃんとエイル君のお母さんと友達で、 その縁で此処に」

「……そう」


 笑みのまま言うペルナだったが、 イリアスの顔には影が差す。

 クレシェもまた少し顔を曇らせたが、 それでも、 目の前の三人を見ていた。


「……彼女と関わりがあるのなら、 尚更僕等は此処には居られないよ」

「何故ですか?」


 あくまで優しげに笑って、 エイルは言った。

 対してイリアスは僅かに苦しげに顔を歪める。

 だけれど、 はっきりと伝えた。


「君達の母親は、 僕等を助ける為に死んだんだ」


 事情を知っているキラは、 兄の様子を見ていた。

 印象を悪くするかも知れないと、 黙っていたからだ。

 庇うような言葉を何か言おうともしたが、 何も浮かばない。

 ただ、 見ているしか出来なかった。

 ペルナも心配そうに、 エイルを見詰めた。

 彼女もライアが何をしに最期の戦いへ赴いたのか知っているからだ。

 幼い日の彼にどうしてもとせがまれ、 話して聞かせた事もある。

 けれど、 エイルは微笑んだままで彼等を見つめていた。


「母は、 それが成すべき事だと思ったからそうしたんだと思います。 助けようとしたなら、 きっと貴方達の幸せを願った筈。 此処に"居たくない"と言うなら止めませんけど、 母が死んだ事を罪だと感じて"居られない"と言うのなら。 それはどうか止めてください」


 信じられない物でも見るように、 イリアスは驚いて目の前の青年を見ていた。

 エイルはずっと微笑んでいる。

 少し悲しそうだがそれだけで、 かつて彼等を助けたいと願った彼女と似た顔で笑っていた。


「母は、 多分悲しみます。 その……僕も"ダークエルフ"と言うものに関しては話に聞いた事があります。 けど、 あくまで御伽噺の様なもの。 居るだけで何か悪い事柄を引き寄せるなんて、 可笑しな話だと思っています」


 そうでしょう?と続けてエイルは、 一度席を外した。

 用意しかけていた紅茶のポットごと、 ティーセットを人数分持ってきた。

 慣れた手つきで配膳を終えると、 また笑ってみせる。


「イリアスさん。 貴方が今までどんな扱いを受け、 どんな人生を歩んだのか僕には分かりません。 辛い事も多かったでしょう。 苦しくて、 悲しい扱いも多かったかも知れません。 初めて会ったような僕を、 安易に信じるなんて出来ないでしょう。 だけど、 もし母の事以外に理由がないのなら少しだけ居てはくれませんか?」

「……君は何故、 其処までして僕等にこだわる?」


 漆黒色の目が見詰める。

 エイル青年を見極めようとしているのは明らかであり、 それは少し殺気にも似ていたかも知れない。

 隣に座るクレシェと、 向かいに座るキラは成り行きを見ていた。

 ペルナだけは静かに紅茶を飲み、 目を伏せる。


「何故って。 強いて言うなら、 僕の家族が皆、 貴方達を信じるし構うからです」


 しれっと言ってのけた理由に、 イリアスは呆気に取られて瞬きをした。


「は?」

「すみません。 お会いして間もないので、 僕自身の意見が入っていないのはお詫びするところなんですけど。 母は助けようとし、 妹はお二人にお世話になったそうで。 ペルナとクレシェさんが姉妹かも知れないとわかると、 キラもペルナも揃って二人を此処に住まわせるべきだと言い出すし」


 笑みを苦笑に変えてエイルは続ける。

 優雅に紅茶を飲むペルナを、 クレシェがちらりと見た。

 彼女もまた、 周りをよくよく観察している様である。


「ペルナは兎も角、 キラが其処まで強く言うのは珍しいので会ってみようと思いました」

「兄さん!!」


 珍しく声を荒らげるキラは、 照れているのか大慌てで兄の口を塞ごうと強硬手段に出ようとしていた。

 それを慣れた様に躱しながら、 エイルは言った。


「どうでしょう。 他に住まいがあるのなら、 構いません。 僕は他の場所にはあまり行ったことが無いので比較もできませんが。 この村もなかなかに良いところだと思います。 もし気が向いた時にでも、 また来て頂ければ歓迎します」


 ペルナによって引き剥がされていくキラを見ながら、 彼は笑った。

 イリアスは毒気を抜かれたように苦笑する。


「……どうも、 君達親子と会話する時は調子が狂う」


 零した言葉を聞き届け、 クレシェはふと彼を見る。

 彼女には、 その言い方が少し引っかかったのだ。

 そして、 イリアスよりも先にエイルに言葉を返した。


「エイルさん。 明日またお時間頂けませんか? 少しだけ、 考える時間を下さい」


 思わぬ方向からの言葉だったが、 エイルは「はい」と頷いた。

 しかし今度は、 キラを捕まえていたペルナが凄い形相で姉を見やった。


「え、 なんで? なんで姉さんがそんな事言うの?」

「……ペルナ。 なんて顔するの」

「だって! 折角! ……姉さんは何が気になるの!」


 けれど、 彼女への回答はなされなかった。

 クレシェはただ穏やかに笑って、 それから煎れてもらった紅茶に口を付ける。

 ペルナは少し震えていた。


「キラさん。 この村にお宿はありますか?」

「あ、 うん。 案内するよ」

「お願いします。 ……イリアス様、 行きましょう」

「そうだね。 ……では、 失礼する」

「あ、 紅茶有難うございました。 美味しかったです」


 にこりと笑い、 クレシェは深々と頭を下げた。

 席を立つ二人の後ろからキラが追いかけて行く。

 彼等を見送るペルナは複雑な顔だったが、 エイルはにこりと笑いかけた。


「ペルナ。 君はイリアスさんがどんな扱いを受けていていたか、 知ってる筈だよ」


 かつて、 まだ彼女がエルフの里に居た頃。

 クレシェが居なくなったのは"ダークエルフの所為だ"と言われていた。

 傷つけられた同朋を見、 如何にかの種族が凶暴であったのか。 どれほどに危険な物なのかを、 散々言い聞かされた。

 けれど、 ペルナはその言葉に不信感を抱いていた。

 彼女の手元にはクレシェが残した手紙があったからだ。

 暫くして里を飛び出し、 巡り巡ってアルミスで働いて居た時。

 ライアが戦場に向かうその時も、 見聞きしていた。

 アスミスが国として"ダークエルフ"に対してとった行動。

 いや、 アルミスだけでは無い。

 世界がとった行動を。

 故に、 エイルよりは遥かに彼の事を推し量れるはずであった。


「お姉さんがああやって言ったのは、 ペルナを嫌がってでは無いこともわかるよね」

「……うん」


 エイルを見ていた瞳は、 やがて扉の方へと向けられる。


「でも、 それでも。 また一緒に暮らしたいなって、 思ったの」














 外に出ると、 夕暮れが近づいていた。

 家から入口の方へとまた歩みを進めながら宿屋へと向かう。


「……キラ」

「何?」

「有難う、 僕等の為に」


 キラが振り返ると、 イリアスは少しだけ笑っていた。


「結論は明日にまた、 エイル氏へと伝えるよ」

「うん、 分かった」

「明日も、 今日と同じ時間に伺えばお邪魔になりませんか?」

「いつでも良いと思うけど。 二人の都合がそれで良いなら伝えるよ」

「では、 お願いしますね」


 クレシェもまた笑ってみせた。

 宿に案内して貰うと、 キラとはそこで別れた。


「じゃあ、 また明日に」

「うん、 また明日」


 ひらひらと手を振るクレシェは、 少しだけキラを見送り宿の扉を開けた。

 部屋を確認し、 宿屋の主と話をする。

 基本的に、 こういう手続きはクレシェが行うのでイリアスはただ見ているだけだ。

 だが今日はいつもより少し会話が長いような気がして、 首を傾げた。

 気のせいか、 宿の主は彼を見ていた。 しかも笑顔でである。

 途端に不信感を露にした彼であったが、 代金を支払い鍵を受け取った彼女が改めて戻ってきたのでやめた。

 受付を上がってすぐに延びる廊下の両脇に部屋があり、 全部で四室ある奥の右側が彼等の本日の宿となる。

 扉を開けると、 イリアスはちらりと彼女を見る。


「クレシェ?」

「はい」

「ベッド一つしかないけど」

「此処しか空いてなかったので。 ……それにイリアス様、 ベッド使わないじゃないですか」


 実際そうなので、 それきりこの話題には触れない事にする。

 そして、 彼は合点が行ったように先程の光景を思い出していた。


「とすると、 あれはただの興味本位か……」

「?」


 不思議そうな顔をしながらクレシェがさっさと鍵を閉めてしまうと、 彼は丁度窓枠の傍に立っていた。

 窓から見える景色を見ている訳では無く、 窓の造りと何処に繋がっているのかを確認している様だ。

 気が済んだらしい彼は、 ベッドに座る彼女に見上げられている事に気付いた。


「イリアス様。 エイルさん達の申し出、 どうします?」

「……断ろうかと、 思ってはいる」

「でも、 迷っていますよね」


 じっと見上げてくるクレシェの言葉に、 素直に頷いた。

 そして壁に背をあずけ、 腕を組む。


「何を迷っておいでですか?」

「……彼等は、 信じてみても良いと思うけど」

「けど?」

「一箇所に居た事なんてあまり無いから、 本当に、 居ても平気かなと」


 彼はそれだけ沢山の揉め事に巻き込まれてきた。

 しかも多くの場合、 原因は"彼が其処に居たから"である。

 殺されそうになる体験を山ほどした以外にも色々とある様だったが、 彼が危惧する理由はこれだけでも十分だとクレシェは考えていた。


「本当に、 僕が居ても何も起きないだろうか」

「心配なのですね」

「ああ。 ……もう誰かを巻き込むのは、 嫌だから。 ……クレシェは此処に残るかい?」

「置いていく気ですか」

「……」


 曖昧に笑ってみせる。

 クレシェはすくっと立ち上がると、 それから、 ぺちんと彼の頬を叩いた。

 非常に弱い力ではあったが、 イリアスが驚くには十分だった。

 なんせ彼女は、 こういう事をした事が無い。

 彼に触れる時はいつも優しげであった為に、 思考が停止するほど驚いた。


「良いですか? その回答は、 今回貴方を想ってくれた全ての人の好意を踏み躙ります」

「いや、 でも……」

「でも、 では無くて。 前向きに考えるのはとても良い経験ですから、 問題ありません。 ですが、 回答には容赦なく訂正をいれます」

「……」


 閉口する彼をじっと見詰めた。


「私は今回の件は良い機会だと思います」

「……」

「キラさんは、 此処ならば安全だと思って呼んで下さったのだと思います。 旅を続けるのも良いですが、 留まる事もまた経験かと」

「……そう、 かな」

「はい」


 避けるように、 視線を窓の外に投げる。

 彼女が見詰める横顔は、 不安げなそれだった。


「信じてみても良い、 と先程仰ったでしょう?」

「うん」


 クレシェは、 彼の頬に手を添えると自分の方に向けさせる。


「裏切られるかと思って不安ですか? それとも、 平穏が怖いですか?」

「……」


 終始静かに話していたクレシェが怒っているのではと感じた彼であったが。

 その声音と、 浮べる表情が穏やかな物であると認識する。


「信じたいから、 不安になるのだと思います。 壊れる日が怖いから、 平穏を恐るのだと思います。 だけど、 信じたいと思ったなら、 信じてみるのも大切です。 もし思う結果にならなくても。 そうなっても私はずっと傍に居ますから。 ……一人にはさせませんから」


 一度言葉を区切って、 クレシェはまた話し始めた。


「それに。 此処でなら、 イリアス様は"ダークエルフである"なんて事気にしなくて良いようになると思います」

「……それは、 どうしてそう思う?」

「どうしてかしら……勘?」

「クレシェの言葉にしては、 曖昧だな」

「そうかも知れませんね」


 苦笑したイリアスは、 泣きそうに見えて。

 クレシェはそっと、 彼を抱きしめた。


「貴方は追われて傷付けられる生活に慣れすぎて、 新しい場所に飛び込むのが恐ろしく思えてしまうのだと思います。 でも……本当はどんな生まれであろうと関係ない。 命の価値は等しい筈。 得られる権利も等しい筈。 幸せに憧れましたよね。 平穏でありたいと願った筈」


 それはいつか、 ライアに言った言葉だった。

 敵として対峙した筈だったのに、 彼女は彼等の願いを聞き届け微笑んだ。 「逃げて欲しい」とさえ言って、 手助けをしようとした。

 そんな人だって、 確かに存在したのだ。


「イリアス様がそれを手にしようとも、 誰も何も責めたりしない。 大丈夫」

「……でも……」

「?」

「憧れた事で……彼女は死んだ。 ヴァルトも消えてしまった。 ……クレシェも死ぬかも知れなかった」


 消え入りそうな震えた声だった。

 抱きしめられたまま、 彼は言う。


「また繰り返しはしないかな? 生かされたのは、 罪を償う為では無いかな……」

「今日は少し弱気ですね」


 安心させるように出来るだけ穏やかに彼女は言う。


「生きている事が罪だなんて可笑しな事」

「……」

「繰り返さないと言い切れないかも知れませんけど、 貴方も私も、 次はもっと上手に対処出来ます。 だけどそれも、 憧れた事とは違うお話。 生かされたのは、 ただ、 貴方に幸せになって欲しかったからだと思います」

「……そう、 かな」

「ええ、 そうです」


 瞬いた拍子に涙が一粒溢れていった。

 それを知らない振りをして、 彼女は一際強く抱きしめた。










 そうして、 次の日の昼がやってきた。









 再びエリティア家の扉を叩くと、 待っていたと言わんばかりにキラが出迎えた。


「いらっしゃい、 二人とも」

「お邪魔致します。 エイルさんは?」

「奥に居るよ」


 昨日と同じように、 またリビングへと通される。

 今日は既にお茶のセットもされており、 これまた昨日と同じ場所に座った。


「結論は出ましたか?」

「……ああ」


 エイルは変わらず穏やかに笑っている。

 対してイリアスは少し、 緊張した面持ちで頷いた。


「申し出を、 受けようと思う」

「……そうですか」


 良かった、 とエイルは笑い、 キラもまた嬉しそうに笑う。

 そして。

 閉められた扉の方からかたんと音がした。


「……ペルナ? 居るのでしょう?」


 苦笑してクレシェが呼べば、 扉を開いたは良いが、 小さな子供の様に両手を握り締め震える彼女が其処に。

 一呼吸の後、 再び姉に抱きつきに行った。


「姉さんも住むのよね? これからはまた一緒にいられるのよね!」

「ええ。 でもペルナ……お願いだから少し落ち着いて」

「……あ、 はい。 御免なさい」


 素直に謝ると照れたように笑う。

 クレシェはそうして、 隣で顔をこわばらせたままのイリアスの袖を少しだけ引っ張った。

 緊張するなと言いたい様だ。


「でも、 こちらにお世話になると言いましても……空いているお家があるのですか?」

「この家がもうすぐ空くから、 此処に住めば良いんじゃないかな?」


 キラはそう言って、 「ね?」とエイルに確認を取る。

 エイルもすかさず頷いてみせたが、 面食らったのはイリアスだった。


「いや、 それは……流石に困る」

「出来れば、 もう少し目立たないところが……」


 流石のクレシェも驚いた様で加勢すると、 次はペルナが手を挙げた。


「あ、 それなら私の家はどう?」

「ペルナの?」

「ええ。 あんまり広く無いけど、 良いでしょ?」









 話が大まかに纏まったところでエイルに礼を述べ、 仕事があるという彼を残してエリティア家を出た。

 少し歩いた後に到着したペルナの家で、 イリアスは思い出したように同行していたキラに疑問を口にした。


「キラ」

「……何?」

「そう言えば、 どうして君は此処に?」

「え?」


 二階では物音が絶えずしている。

 人数が増えるので、 姉妹で部屋を片付けている最中らしい。

 イリアスとキラはリビングで姉妹が戻るのを待っていた。

 そんな状況で尋ねられて、 キラは首を傾げる。


「旅に出ると言っていなかったかと思って」

「ああ。 うん、 そうだよ。 ちょっとの間旅をしてて、 そしたらペルナに呼び戻されて。 帰ってきて何があったのか話をしたら、 二人を呼ぶ流れに」

「呼び戻された?」

「そう。 ……あ、 此処に住むんなら近いうちにペルナが言うと思うんだけど……」


 内容を聞いて「ああ、 それは目出度いね」と返した彼であったが。

 心中では、 ある疑念が。


「出来るだけ早くクレシェに伝えた方が良いと思うと、 ペルナ嬢に言っておいてくれないか」

「え?」

「彼女は多分、 そういう話は事前に本人からきちんと聞いて知って置きたいと思うだろうから」

「うん、 分かった」


 そうして、 彼等の一日は終わろうとしていた。


 新しい生活を始めるきっかけになった五度目の転機はこんな出会いによって齎され、 彼等は漸く逃げるばかりの日々を変える一歩を踏み出したのだ。


 これからどんな時間を紡いていくのかは、 また別のお話。

 けれど、 それはきっと。

 彼にとっては経験したことのない、 穏やかな物であるのかも知れない。


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