始まり始まり
エルフ組のお話。
「むかしばなし -百年前のある出会い-」の直後の色々です。
逃げ果せた洞窟の中で、 朝を迎えた。
深いエルフの森にも光が届く。
空気は刺すように冷たく、 吸い込むと肺が凍てつく様だ。
けれど、 澄み切っていて心地よさを覚える。
先に起きたのは女の方だった。
壁に凭れて目を閉じる男の前を通り過ぎ、 洞窟の外へと踏み出す。
ふわふわとした金髪が朝日を受けて少し光る。
彼女は、 男を庇いエルフの里を追い出された身の上。
左肩に捺された烙印は、 この先一生同族から嫌悪される目印となる。
エルフ族はプライドが高い者が多く、 自分達を貶める者を許さない。
これはその印。
左肩を摩って苦笑すると、 彼女は息を吐き出した。
「これもまた、 必然なのでしょうね」
それきり、 これに関して考える事を止める。
彼女は覚悟を決めたからだ。
残した妹の事は心配だったが、 戻れない事は自分自身が一番よく分かっていた。
「さて、 と」
特に警戒する様子もなく森の中へと歩いていく。
追い出されたとは言え、 勝手知ったる場所だ。
昨晩のお礼も含めて、 何か朝食になるような物と傷が完全に癒えていない彼の為に薬草でも調達しようか。
そう考えて彼女は、 奥へと進んでいった。
「……」
完全に彼女の姿が見えなくなると、 洞窟に残っていた男が目を開ける。
起きていたのだが、 様子を伺っていたのだ。
何かあれば対処できるように剣を抱いて格好だけは眠る様に見せていたが、 抜くことは無かった。
「…………で、 認めた訳か?」
自身の胸に手を置き、 彼は呟く。
怪訝な顔をした彼であったが、 面倒臭そうに吐き捨てると目を閉じた。
「……お人好しだな」
程なくして女が戻ると、 彼はぼんやりとした様子で座っていた。
「……イリアス様? おはようございます」
「……あ、 うん。 おはよう」
彼女を確認すると、 彼は挨拶を返す。
けれども少し上の空。
彼女は採取してきた果実と薬草を荷物の傍に下ろして、 様子を伺う。
ぼんやりとした表情から変わって、 胸の辺りを抑え彼は少しだけ苦しそうに眉を寄せていた。
「……大丈夫、 ですか?」
「ああ、 大丈夫……なんだけど」
「……?」
「〝彼〟が話したいみたいだから、 少し迷惑を、 かけ、 る」
苦しげなまま眠るように目を閉じた彼を見詰めていた。
僅かな時間そうしていたと思う。
心配して彼の傍に寄った彼女であったが、 再び目を開けた彼は、 先程とは違う強い殺気を込めた目で彼女を見た。
「……イリアス様、 ……ですか?」
彼女は不思議そうに疑問を口にする。
違う、 と思ったのは二回目だったからだ。
「……へぇ?」
彼は愉快そうに笑いながら、 剣を掴む。
彼女は少し眉根を寄せて彼を見ていた。
「……貴方、 最初に会った方ね?」
蒼い目が、 薄く笑みを浮べる‘彼’を見据えている。
相手が剣を手にしていても、 声音や表情に恐怖など滲ませない。
彼女は極めて冷静だった。
「女。 お前、 何が目的だ?」
「……目的?」
「俺等に干渉して何の得がある」
切っ先を向けられる。
さらり、 と刃に触れた彼女の髪が少しだけ地面に落ちた。
頬にも触れたのか、 浅く切れた箇所から血が一筋流れていく。
だが、 彼女は冷めた目で落ちていく髪を見、 また彼に視線を戻す。
「何のお話かわかりませんけど、 興味があるから、 と申した筈です」
「興味だけで、 わざわざ危険に足を突っ込むって?」
「それが何か?」
「……お前、 本当にエルフ族かよ」
「……失礼ですね。 貴方だってエルフじゃないですか」
怒ったように返して、 彼女は息を吐く。
彼はこの返答にくつくつと笑った。
向けていた剣は効果が無かった為に下ろしている。
「なんだ、 本当に変な奴なんだな」
「……」
「〝お前等〟が同じだと言われるのを一番嫌がったのに」
事実〝ダークエルフ〟と同一視される事を一番拒んだのは〝エルフ〟だった。
似て非なる物であるのに変わりは無いのだが、 二つの種族同士は特に仲が悪い。
ダークエルフが数を減らした背景には人間や他の種族による武力制圧もあったが、 エルフによる策略も噛んでいた。
「まあ、 良い。 様子を見る事にしてやるよ」
「……」
「でも〝イリアス〟に何かあったら直ぐ様殺すからな」
「……貴方」
「なんだ」
「いえ、 ……分かりました」
彼女の回答に満足したのか、 彼はまた目を閉じる。
そして。
「……」
目を開けたかと思うと顔を青ざめさせ、 彼は必要以上に狼狽していた。
「ご、 ごめん、 その……」
「……?」
その様子にすっかり毒気を抜かれて、 彼女は笑った。
「イリアス様、 大丈夫ですから落ち着いて下さい」
「いや、 でも……傷が」
悲しそうに見つめていたのは、 先程彼の剣で斬られた頬だった。
彼女は手袋をした手で拭って見せ、 大丈夫と繰り返す。
「すぐ治ります。 それより、 先程の方はどなたですか?」
「あ……その、 ……信用して貰えるか分からないんだけど」
そうして、 不安げにぽつぽつと彼が語るのは〝彼等〟の話だった。
そもそも魔力とは、 精神に直結した物である。
魔力の容量自体は生まれついた物で余程の事がない限り変動は無い。
極端な話、 その容量が全くない者だって居る。
そういう生き物は、 魔術が使えないだけで特に何か困る事はないのだが。
魔力の容量を多く持って生まれた者には避けられない問題が発生する。
それが、 精神……心と結びついた問題である。
魔力が大きく減れば、 精神に負担が掛かる。
マイナス思考に陥ったり、 最悪の場合は自我が崩壊する事があった。
これが人であれば多少心が不安定程度に収まるのだが、 エルフは違った。
現存する種の中でずば抜けて高い魔術の素質を持っている。
個々が持つ魔力の容量も大きく、 操れる魔術もエルフ独特の大きな作用を齎す物が多い。
エルフ族ですら、 余りに大きな力を持つ者は自我の崩壊すら招きかねない事態に陥るのだが。
それが〝ダークエルフ〟と呼ばれる物になれば、 容量も危険性も輪をかけて大きくなる。
成長すればする程、 持つ力が大きく強くなり、 結果として心を壊す。
それ故に、 ダークエルフはある時代までエルフ族と呼ばれるにも関わらず短命であった。
他の種族に追い回されていた事も理由ではあるのだが。
自我を崩壊させた同朋を、 同じ種の者が討った為とも。 或いは、 自ら死に至ったとも伝えられていた。
けれど、 流石にそれでは数を減らす一方であり彼等は知恵を絞って考えた。
そして生み出されたのは、 強制的に精神を分ける、 と言う手段。
結果として、 人工的に二重人格にしてしまったのだ。
その方法は秘密とされ、 一部の者以外が知る事は無かったのだが。
この方法を持って、 ダークエルフは僅かばかりの延命に成功した。
向かい合わせに座りながら話を聞き終えると、 彼女は「成程」と頷いた。
彼はそれを視界の端で見ながら、 また視線を地面に落とす。
「つまり、 先程の方はイリアス様の片割れと言うことですね?」
「そう、 だね……。 嘘みたいな、 話だけど……君は信じる?」
「はい」
即答された言葉に、 彼は思わず顔を上げた。
「……、 ……え?」
「本では読んだ事があったのですが。 自分の目でも確かめましたので」
不安そうにしていた彼に、 彼女はもう一度はっきりと告げた。
「私は、 貴方を信じます」
「あ……有難う」
笑い掛ける彼女を見、 安心したように胸をなで下ろす。
話は一段落し、 彼女は改めて採取してきた薬草を手に取った。
「ところで、 イリアス様?」
「…………何?」
「昨晩はうっかりしてましたけど、 怪我の治療をしませんと」
にこりと笑みを浮かべたまま、 詰め寄る。
事実、 完治させたのは切り裂かれた腹部だけで、 あとは殆ど何もしていない。
体中傷だらけだった事は確認していたし、 即座に回復するような体でも無いはずだ。
何より放置して良いレベルの傷だけでは無かった、 と彼女は記憶している。
「動けるからいいよ……」
「駄目です。 薬草と治癒術とどちらが良いですか?」
「…………」
困惑して視線をさ迷わせる彼に、 彼女はまた、 ずいっと迫る。
「きちんと治さないと。 動けると言っても痛いでしょう?」
「……まあ」
曖昧に答える彼に、 クレシェはまたにこりと笑った。
「御自分で治癒出来るなら、 何も言いませんけれど」
「…………」
ぎくり、 と彼が動きを止める。
ダークエルフが魔術、 剣術共に優れているのは世間の通説だが。
当の本人達は万能ではない。
破壊を主とする術とは相性が良かったが、 癒す、 守る、 と言った物とは相性が悪い。
特にイリアスはその最たる者で、 本人の努力も虚しく習得は出来ずにいた。
「……その様子ですと、 苦手なのですね」
暫しの沈黙の間に見せた憂い顔に、 クレシェは苦笑する。
何も言わずとも、 ご丁寧に顔に書いてあるかの様だったからだ。
「……どうしても嫌なのでしたら私も考えますが」
治癒師として放って置けないと息巻いた事を反省していた彼女だが、 彼は本当に申し訳なさそうに顔を曇らせる。
「……悪いなと、 思って。 僕なんかの為に魔力を消費させるの」
「………………」
「だから」
「…………イリアス様?それが断る理由ですか」
そうだ、 と言わんばかりに真面目に頷く彼の手を掴んで、 クレシェは問答無用で術の詠唱を始めた。
振り払い掛けたが、 止めた。
流石に彼にも分かったからだ。
彼女は明らかに怒っている。
洞窟内には僅かばかりだがあたたかな光が生まれ、 それは彼の身体を包んでいく。
処置は直ぐ様終わり、 掴まれていた腕は開放された。
「……」
再び、 じ、 と彼女が見つめている。
無言のプレッシャー。
まるで母親が、 子供に自らの被を認識させるかの様である。
どう対処していいのか分からず困ったまま見つめ返してみると、 彼女は漸く口を開いた。
「勝手ながら、 御怪我をされた場合は即座に治療します」
「……え」
「嫌なら怪我をしないこと。 私が勝手にするのですから、 悪いだなんて言うのは無しです」
何か言いたげな彼ではあったが、 それも止める。
「……分かった。 すまない」
「謝るのも無しです。 あと……お願いですから〝なんか〟って言わないで欲しい」
悲しげに顔が歪む。
彼はきょとんとして首を傾げた。
「無意識なのでしたら、 どうか意識的に直して下さい」
「……あ、 あぁ」
気圧されて頷く。
今度は彼女が申し訳なさそうに顔を曇らせる番だった。
「……なんだか色々とご免なさい。 お節介が過ぎましたね」
「いや。 そんな事は無いんだ。 ……ただ」
「……ただ?」
「昨日も言ったけれど、 僕等を殺そうとする者は居ても……君みたいに心配してくれる人なんて居なかったから」
困ったように、 でも努めて笑おうとしていた。
「……うん。 有難う。 助かる」
照れている様だ、 と思い当たると彼女もまた目尻を下げる。
「……どういたしまして」
そうして、 彼と彼女と〝彼〟の生活は始まった。




