リベンジ 2
子供の頃に比べたら、 多少は強くなれたと驕ったのかも知れない。
君を守ると約束したのに、 見ているしか無かった。
己の無力さを痛感した。
どうすれば、 太刀打ち出来るのだろうか。
「……成る程。 それで彼は帰ってこないのか」
ふむ、 と納得し、 イリアスは入口に目をやった。
ビィとの戦い。 そして、 キールがこの場を去ってから既に数時間が経過している。
帰りを待つ間、 イリアスはこれまでの経緯をキラから聞いていた。
話を一頻り聞き終わった頃、 焚き火を囲む皆からは少し離れ彼は考え込むようにして目を閉じた。
「守るべき人の前で無力なのを痛感するのは、 精神的に酷いダメージになるものだしね」
「……」
「……取りあえず、 生き物にこの土地の気候は厳しいと思うけど。 彼は帰ってくるのか?」
「そろそろ帰ってくると思います。 このタイミングで無茶はしないと思うので」
心配そうに入口を見つめるキラ。
その隣でハーティは暫し自分の魔力をアジェルに分け与える補助魔術を使っていたが、 今は疲れて眠っている。
「……申し訳ありません、 何も出来なくて」
突然に、 クレシェが申し訳なさそうに言った。
彼女は、 記憶がそうさせるのかビィが出現してからずっと震えていた。
一度イリアスがビィを切り捨てた時は回復したが、 二度目に現われた時はもう声すら出せない状況だった。
そんな彼女を庇うようにしていたイリアスも同じく何も出来なかったと、 申し訳なさそうに肩をすくめた。
「……いや……。 誰も止められなかったし、 二人が気に病む事じゃないですよ」
「…………ですけど。 このままでは」
「アジェルをこのままになんてしません」
「……」
「助けます。 あの悪魔には好きにさせないし、 やられっぱなしで引き下がれない」
ぐっと拳を握り、 決意を固めるキラを見つめながらエルフ二人は複雑そうに顔を見合わせる。
「だが人間だけでは、 アレに傷一つ付けられないと思うが」
「そうです……。 私も、 微力ながらお手伝いします」
「……。 クレシェ。 また君はそんな」
クレシェの発言に対してイリアスが何か言いかけたが、 先にキラがあわあわとしながら言葉を返す。
「あ! 二人は、 もうこれ以上アイツに関わらない方が良いと思うんです」
「……え?」
「何故だ?」
きょとんとしてイリアスが問えば、 クレシェも同じような顔をして彼女を見た。
「今まで一杯辛い思いしたと思うから。 戦いにはもう、 関わらない方が良い。 これは、 オレ達とビィの戦いです。 この戦いに、 巻き込まれなくても良い。 ……このまま逃げてください」
にこりと笑ってみせるキラを見つめ、 目を見張るのはイリアスだった。
「君は……」
「え?」
「前に僕等に逃げろと言った、 あの人間か?」
「イリアス様。 私もそうやって思いましたけど。 あれから大分時間が過ぎている筈ですし、 キラさんはあの方より幼い。 同じ人では無いですよ」
幼い、 に、 若干引っかかりながらも、 キラは手を振り否定した。
「さっきも思ったんですけど。 前って……前の戦い?」
「……そうだな。 もう十年程前になるだろうか」
「それは、 ……多分母さんだと……」
「……、 ……母親?」
「はい」
頷いたキラを、 改めてまじまじと見詰める。
視線を受けながら、 イリアスの顔が悲しげに曇るのをキラは見ていた。
「……生きているのか? あの人間は」
「……いえ、 ……今は」
キラが言いかけた答えを察し、 イリアスはぽつりと呟く。
「…………あの時か」
イリアスが目を伏せる。
クレシェは口元に手を当て、 彼女もまた、 悲しそうに顔を曇らせた。
「……僕はあの人間に謝らねばならない」
「何をですか?」
「クレシェをクリスタルに閉じ込めたのは、 あの人間だと思っていたからだ」
「……」
「戦いが終った後で良い。 ……墓はあるのか?」
「あります」
「謝りに行かせて貰えないだろうか……」
「母さんも、 二人が生きている事を知れば喜ぶはずですから、 是非」
「……キラさん」
イリアスの申し出をキラが受けたと同時に、 クレシェが詰め寄った。
顔を寄せられて、 キラは思わず後ずさる。
「は、 ……はい?」
「……キールさんがお戻りになられたら、 ビィと戦いに行くのでしょう?」
「のつもりですけど」
「やはり私達も、 同行いたします」
「………、 クレシェ」
「……良いでしょう?」
「僕等が行っても足手まといにしかならない。 分かるだろう」
「分かりません。 戦えなくとも、 サポートなら出来ますもの」
「無理はするな」
困ったように顔を顰めるイリアスが、 キラから引き剥がすようにクレシェの肩を掴む。
離されながら彼女は、 う、 と言葉を詰まらせた。
怖がって震えていた彼女を思っての発言を、 当の本人が汲み取れない訳が無かったからだ。
「……では、 貴方は? 私が無理でも、 ……」
まだ顔を顰めたままの彼をじっと見つめて、 クレシェは、 あ、 と呟いた。
彼の右側の頬をそっと触れる。
驚いて一瞬遅れて身体を引いた彼を、 また悲しそうに見つめた。
「…………イリアス様」
「……?」
小首を傾げるキラに、 イリアスは苦笑してみせる。
「すまない。 何でも無いんだ」
「……」
「兎に角、 僕等は行ったところで役に立てない。 悪いな」
「いや、 だから、 良いんですって」
また一人で慌てふためくキラの目の前で、 イリアスはキールの剣を手にした。
炎の揺れる光を受けて輝く剣は使い込まれ、 よく手入れされている。
几帳面なメンテナンス結果は見れば一目瞭然で、 イリアスは小さく笑った。
「だけど、 やられっぱなしで引けないのは僕も同じだ」
「……え?」
「彼が帰ってきたら、 僕から提案をさせて欲しい事があるんだがどうだろう?」
「提案?」
なんだろうと興味を示したキラに、 彼は内容をざっと説明し始めた。
「世界には、 憎しみが、 怒りが、 悲しみが、 恐怖が、 溢れている」
リアクトは、 いつもと変わらず図書館で本を開いていた。
世界の歴史が刻まれる、 大きな本だ。
ぺらぺらと捲られる本に、 タイトルは無い。
捲った頁が黒く埋まる頃、 また、 彼女は頁を捲る。
それを只管繰り返していた。
「……世界を司る柱は眠り、 眠った命は再生の時を待つ。 けれども、 再生を司る者もまた眠り、 今はただ、 世界から消えていくのみ」
不思議と、 吟遊詩人が優美に歌う詩のようにも聞こえた。
単調に読み進める本を、 彼女が時折声に出して読む。
泣きはらした目は、 見るに痛々しく感じた。
「……ライア。 ……この戦いの先にあるものはなに?」
祈るように呟かれる言葉。
「主様達。 あなた方の創りたもうた夢の場所。 放っていたら、 荒れちゃいますよ……?」
くしゃりと顔を顰めて、 俯く。
「シャール。 貴方が居ないと、 何もまた始められない」
ぽろりと涙を零して、 彼女は泣いた。
「……デスター。 終わらせる役目、 貴方も担っているんだね……」
「……御免。 心配かけた」
幾らなんでも遅いとキラが探しに行こうか考え始めた頃、 キールが帰ってきた。
アジェルは眠ったままだが、 ハーティは漸く起き出し、 クレシェと一緒にアジェルの回復に当たっている。
意識を戻す為と魔力を多少なりともアジェルに与えたまでは良かったが、 やはり意識が戻らない。
当初は奇跡の力を持つ回復の魔法で、 と言っていたが今は状況が悪すぎるらしい。
弱りすぎたアジェルには威力が強すぎるとの事で、 魔力を少しずつ分け与えながら様子を見ていた。
そんなアジェルの状況を見、 キールは苦しげに顔を曇らせた。
「……お帰り。 遭難したかと思ったよ」
「……うん。 でも御陰で冷静になった」
遠い目をして言う彼に、 キラは苦笑を返す。
思えば愛用の剣は此処に投げ捨てたまま、 外には魔物だって居る筈だ。
よく生きて帰ってきたものだと感心すら覚える。
だけれどそのあたりは全てスルーして、 イリアスはキールに彼の剣を返してやった。
「有難うございます」
「剣を持つものが、 それを投げ捨てるのは感心しないな」
「……気をつけます」
「でもよく手入れされてる良い剣だ。 大事にしているんだな」
「……」
柔らかな物腰に、 気を遣われているのかとキールが苦笑してみせる。
そんな彼に、 イリアスはいたって真面目に言葉を続けた。
「キール。 君に僕から提案がある」
「……、 提案?」
イリアスを見るキールの目は、 不安と期待を織り交ぜた其れだ。
「ただ、 それを受ける資格があるか試したい」
「……え」
「僕と勝負をしないか」
柔らかい言い様だが、 キールは警戒を解かない。
勝負と聞きつけ、 クレシェが処置をしながらではあるが、 凄い形相でイリアスを見た。
「判定は、 キラにしてもらう。 良いだろう?」
「……構いませんけど」
「じゃあ、 外で」
すたすたと歩いていくイリアスの背を見るキールの顔は複雑そうなそれだ。
話の経緯をきちんとされてない状況で勝負と言うのは、 流石の彼でも不安な様だった。
そんな彼を安心させるように、 キラはキールの肩をぽんと叩いた。
「イリアスは、 悪い人じゃないよ」
「……」
「前に、 ビィに対してどうしたら良いだろうって、 言ってたよな。 あの答えをあの人はくれると思う。 だから、 乗ってあげよう? な?」
「……でも」
「キールの為になると思うよ。 大丈夫」
「……分かった」
返された剣を見つめ鞘に収めると、 キールも再び外に出て行く。
後ろからキラが付いて行こうとすると、 近くに寄っていたクレシェが彼女の腕を引いた。
「……キラさん」
「はい?」
「イリアス様が無茶をされないように見ていて下さい」
「……でも、 ビィ相手にあれだけ戦ってたし。 無茶なんて」
「右目が、 よく見えてないみたいなので」
「え?」
「……教えてはくれませんが、 多分そうです。 だから、 キラさんの判断で良いので。 もし危険な状態になるようなら、 その前に、 止めてください」
そっと耳打ちで教えてくれたその情報を頭の中で復唱し、 こくりと頷く。
「お願いしますね?」
そうして、 彼女はまた処置に戻っていった。
外はいつの間にやら吹雪いていた。
雪のヴェールは視界を悪くさせ、 吹き付ける風は強く体温を奪っていく。
ばたばたと派手な音をさせてマントがはためいた。
「……少し、 風が強いか」
イリアスが、 風が吹き付ける方を見た。
「悪条件ではあるが、 大丈夫か?」
「……お気遣い無く。 勝負とのことですが」
固い声でキールが言えば、 イリアスはにこりと笑ってみせる。
外見的にはさして違いは無い……と言うか、 イリアスの方が若干幼くさえ見えるけれど。
エルフと名の付く種族の人が、 外見通りの年齢である筈は無い。
中身の年齢差は、 イリアスの方がかなり上だろう。
心の余裕の違いというか、 多分そんなものからくる雰囲気の違い。
傍観しているからまだ良いけれど、 オレがキールの立場ならもっと顕著にプレッシャーを感じたかも知れない。
「ああ。 君の本気が見たいんだ」
「……何故ですか」
「生憎と、 起きてから君が戦ってるところを見てないもので」
「……」
「その必要があるのか、 という質問だったか? 失礼。 守る人が居ると言うのは、 良いことだと思う。 僕にも居るし、 ……守れなかったと知った時の無力さがどれ程かも少し分かる」
「…………」
「でも、 君はビィに対抗する術を持たない。 だから、 協力したい。 協力するに値するのか見極めたいから、 勝負したい。 以上」
「……」
き、 と睨みつけたキールに、 イリアスはまた笑って見せた。
「まあ、 兎に角。 始めよう」
「……じゃ、 行きますよ」
「ああ。 本気で頼むよ?」
「大丈夫かしら……」
そわそわとし、 落ち着き無く外を見るクレシェにハーティは苦笑した。
「心配なのですか?」
「勿論です!」
「……」
「あ……御免なさい」
急に大きな声を出したせいか、 ハーティが驚いて目を丸くした。
クレシェは、 かあっと赤くなりしゅんと肩を落としたかと思うと、 困ったように笑ってみせる。
「目を離すと、 すぐ無茶して傷を作って、 血まみれで帰ってくるんです……」
「血まみれ……?」
「その度に治療しなくちゃいけないし、 着替えさせなきゃいけないし……」
「……なんだか、 クレシェさん」
「はい?」
「お母さんみたいですね」
「……。 ……え」
ハーティの言葉に、 再びかあっと赤くなり、 それからぶんぶんと首を振った。
「ち、 違います! ……お世話するのがお役目ですし……それに」
「それに?」
「……結局、 戦うのはあの人が生きる為。 ……あと、 ちょっとだけ私の為なのです」
悲しげに呟くと、 クレシェは白い顔をしているアジェルの頭を撫でてやる。
ぴくりとも動かないままで、 相変わらず呼吸も弱い。
ビィの文様は既に顔の左側と左足を残すのみで、 体中に見られた。
僅かに残る魔力すら搾り取る様に、 今もまだ奪われ続けている証拠だった。
「……今の世は、 ただ生きていくと言うのは難しい。 必要以上に命を奪いとって生きていきます。 そんな世を生き抜くのに、 私は余りに弱かった。 だから、 彼等が代わりに戦ったのです。 私を守ってくれていた。 ……キールさんは、 彼等と近いものを感じます。 悔しくて、 悲しくて、 ……無力感に襲われていたことでしょう。 アジェルさんを守れなくて」
「……」
「大切なモノを失う気持ち、 イリアス様は彼に味あわせなくないのでしょう。 お互いに生きていないと、 片方だけ生きていたって仕方が無いのです。 残った方は、 辛いから」
「クレシェさん」
「だから。 アジェルさんを、 むざむざと死なせるなんて出来ません。 頑張りましょうね、 ハーティさん」
「……はい!」
経験の差から来るのか、 若干イリアス優勢で戦いが始まった。
スピードが尋常じゃなく速いのは、 ビィとの戦いで分かっていたけれど。
構え方を見るに、レイピアとして使っているのかも知れない。
あれ程細身では無いにせよ、 切るよりは突く方に特化している風に見える。
クレシェが右目の心配をしていたけど、 さして問題ないようにも見えた。
「やるね」
「お褒めに預かり光栄です」
注意してみていたら、 確かに右側からの攻撃は多少反応が遅れているみたいだった。
それでも、 見えていないというのは言い過ぎかも知れない。
ただ、 ほんの少しだけ……反応が遅い。
あれが右目の見えていない人の動きというならば、 どれだけ身体能力が高いのだろうか。
エルフ族が特別凄いとは聞かなかったはずだけれど、 ダークエルフは違うのかも知れない。
というか、 オレが知らないだけかも知れない。
だけどキールだって、 押されっぱなしではない。
本気を、 って事だったけど。
キールもキールで、 対処が早い。
幅の広い剣は相応に重く、 威力の変わりに速さは無い筈なのに。
そんな事を感じさせない動き方だ。
迷いは無く、 次の行動の決断が早いのかも。
そして、 己の未熟さを痛感した。
「……今は冷静かい?」
「まあ」
「それは良かった」
ふ、 と、 イリアスが笑った気がした。
一度、 大きく後ろに下がり、 距離を開ける。
「良い腕だ。 人間で僕についてこれる奴が居るなんて思わなかった」
「……貴方も凄いですね」
「有難う。 でも、 そろそろ決めようか」
走り出したイリアスと迎え撃つキール。
息を呑むその極僅かな間に、 決着はついた。
「……引き分け、 だな」
お互いの剣の切っ先が、 目の前にある。
凄いものを見た。
感動すら覚えるオレを横目に、 イリアスもにこりと笑う。
「本気で戦えば強いんじゃないか。 十分だ。 君になら、 任せられる」




