ハジメマシテ。
世界には、 嘆く声が溢れている。
‘もう嫌だ’なんて、 何もしないうちから偉そうに。
神の悲しみはキミ達の何倍にもなるのに。
でも……折角だから、 精々怯えて生きておくれ。
そうしてワタシの糧となれ。
もう止められないヨ。
壊してアゲル。
そして、 ……新しい世界を創るんだ。
「話は分かった。 やってみるね」
にこりと笑いかけ、 リアクトはシャールにそう告げた。
「出来ますか……?」
「うん。 多分。 直接契約してないから、 ほんのちょっとの力しか送れないけど」
「いえ……心強いです」
しゅんと肩を落すシャールの頭を撫でて、 リアクトは苦笑する。
「元気出してよ。 キラが戻ったみたいだし、 向こうにはユーダの巫女も付いてるし。 アジェルは大丈夫」
何度も大丈夫だと励まし、 漸くシャールは顔を上げる。
何が起こったのか正確に分かっていないが、 そんな時だからこそ、 こういう励ましが効いたりするだろう。
これは彼女なりの方法であった。
シャールが少し元気になった事に安心したリアクトは、 ふとした疑問を口にした。
「あのね。 私、 ちょっと気になってたんだけど」
「はい」
「あの黒幕って、 悪魔って名乗ってるでしょう? ……じゃあ、 デスターの眷族じゃないの?」
「……」
眷族と言うのは彼等の場合は、 使役できる物を指す。
精霊によって様々であるが、 デスターは闇を統べる物ならばなんにでも干渉できる権限を持っていた。
要約すると、 使い魔、 と言うのに等しいだろうか。
「誰も疑問に思わなかったけど、 ああいう子って全部デスターの管轄でしょ?」
「そうですけど……」
「どうにかならないのかな?」
「出来るならもうやってると思いますよ」
至極もっともな意見に、 リアクトはこくりと頷いた。
「……やっぱそうだよね。 うん、 ちょっと疑問に思っただけ。 御免ね」
そうして、 また安心させるようににへりと笑った。
部屋を出て直ぐに見たあまりにも異質な存在に、 思わず絶句した。
「アナタが……死を司る、 闇の長……ですか?」
「…………なんだ、 その疑問系は」
「いや……あんまりに威厳が無いもので」
そうしてへらへらと笑う男は、 灰色の長髪と漆黒色の鎧。
生き物でも、 魂でもない。
にも関わらず、 此処に平気で入り込んでいる。
闇を纏う癖に、 俺の配下でもない。
それどころか、 取って喰われそうな威圧感さえある。
なんだコイツ。
「此処は、 魂に安息を与える場所。 お前のような輩が来る場所じゃない。 失せろ」
するとそれは、 にたりと笑い俺を見る。
「アナタの眷族は、 皆そんな口の利き方なのですネ」
「は?」
じ、 と見ていると、 ダブって見えた黒い猫のような生き物。
「……」
こいつ。 どこかで……。 前の黒幕か……?
「ワタシの共犯者も、 ワタシにはそんな態度でした。 切りカカッテくるわ、 暴力的だわ、 危ナイったら無い」
「……契約者?」
「意味合いは違うでしょうケドね」
普段気温など感じないのに、 寒い、 と思えた。
視線を落せば、 足元には元々あったものとは違う種類の闇。
それが、 脚に絡み付いてくる。
「で。 黒幕自らなんの用だ?」
「お気づきですか。 流石」
「………………」
「ワタシは悪魔ビィ。 ……神の世界を壊す為、 手始めに喧嘩を売りに来ましタ」
脚を伝って這い上がる闇が、 泥の様に重く感じた。
「誤解を招くだろうが。 悪魔なんて代物じゃ無い癖に」
「……おや? いけまセンか?」
「俺の眷族を名乗るな。 お前、 神が生んだ物じゃないだろ」
「ええ。 タダ便利なので」
くすくすと笑うソレは、 大きな爪を俺に向ける。
「世界を壊す為、 と言ったな。 その目的はなんだ?」
「……この世界は、 余りに無意味デス。 無駄が多い。 だから、 壊シテ新しくシタイのです。 そして、 ワタシが神になる」
ゆっくりと首に爪を掛ける。
パフォーマンスにしては過ぎるな。
「……成る程な」
そろそろ大人しくしてやるのも飽きた。
反撃でもしてやろうかと思った時、 爪が喉に食い込む感触があった。
といっても、 生身じゃないので怪我をする訳では無いが。
この体になってからそんな感覚感じた事無かった筈だが……、 魔力を直接取られてるのか?
反射的にソレを見た。
笑う顔が目に入る。
「じゃあ、 お前を消せば取り合えずこの馬鹿げた騒ぎは終るんだな?」
腕を掴んで、 力いっぱい握る。
ぎ、 ぎ、 と軋む音。
この空間においても、 コイツは実体はあるらしい。
「取り合えず、 ですケド、 ね」
くすりと笑う。
「余裕だな」
「いえ。 意外とお強いノデ楽しくナッテ来ただけです」
「なら。 ……もう、 終わりにしよう。 飽きた」
掴んでいた腕が、 爪が、 砕ける音がした。
人間で言う骨では無く、 硝子が砕けるような感触。
「……おや……酷い」
「次はどうして欲しい? 面倒なのは嫌いなんだ。 その身体を滅せば終るのか?」
「それはどういう意味デスか?」
「どれが本体かと聞いているんだ」
愛用の大鎌を出して、 首に刃を掛ける。
別に躊躇など無い。
そのまま引くと、 首が取れた……様に見えただけだった。
「……加減無しですね。 まあ、 今日は出直しますヨ」
ご挨拶したかっただけなので、 と取れた首はつまらなそうに言って、 体ごとそれは消えた。
自己紹介が一頻り終った頃、 朝食が始まった。
本日の料理当番はキール。
全員と顔見知りだから、 と、 いう事で女性陣が話をしているうちに作り出していた。
材料諸々はアジェルが出したものだが、 それを上手に料理し出来上がった物に感嘆の溜息が漏れた。
「わ……凄い」
「本当に。 キール様はお料理も上手なんですね」
「道具と材料が良いからですよ。 さ、 どうぞ」
にこりと笑う青年が出してきたのは、 ちょっとした宿屋で出して貰えそうな朝食。
簡単に作っていた割りに、 サンドイッチの種類が選べたりして至れり尽くせりだ。
「……なんであれだけで此処まで出来るのよ」
「アジェルが不器用なんだよ」
「ち! 違うわよ! キールが器用すぎるの!!!」
あわあわと全力で否定するアジェルを横目に、 涼しい顔で食事を採るキールを見て。
キラは小さく笑う。
ハーティはちょっと遠慮しながらも、 それでも楽しそうなその様子に笑みを零した。
そんな時だ。
「……あ」
アジェルが右目を押さえた。
「……アジェル?」
袖口から見えた黒い文様。
心配してキールが手を取る。
「大丈夫かい?」
「……ええ。 ちょっと痛んだだけ」
「……?」
アジェルに顔を近づけ覗き込むキールの様子を見て、 キラとハーティが慌てる。
彼はそれには構わず、 じっとアジェルを見つめた。
「何?」
当の本人は、 慣れているのか顔色一つ変えずぱちぱちと瞬きをするに止まった。
「……目の色が違うね。 紫に戻ってる」
手を掴んだままだったのを開放し、 ぽつりと呟くと首を傾げた。
魔術の素養が一切無く、 知識もあまり無いキールはそれが何故だか検討が付かないようで。
ただ単純に不思議だからと気になったようだ。
「あ」
「え?」
「色?」
アジェルがはっと思いだし、 隠すように顔を逸らすが。
今度はキラとハーティが順番にアジェルの目を覗き込んだ。
「ほんとだ」
「……アジェル様。 お手を」
かくりと首を傾げたキラの隣で、 ハーティが彼女の右手を取る。
「失礼しますね」
しっかり掴まれたまま袖をまくられると、 手首から甲にかけて文様が浮かんでいた。
「なんだ、 これ」
「……まあ」
しげしげと見つめるキラの横で、 ハーティは困ったようにアジェルを見つめる。
「巫女殿は、 これが何かご存知ですか?」
「知ってるなら、 私にも教えて頂けますか……?」
「……ええと」
言い難そうにしたハーティだが、 けれども、 ホアルから本を取り出しぺらぺらと捲って見せた。
彼女の小さな手には余る程の大きな本は古ぼけていて、 時の流れを感じさせる。
丁寧に修復した跡も見受けられる程、 大切にされている物の様だった。
その本の、 ある頁が開かれる。
ジャンルは呪詛。
少し違う形式であるけれど、 似たような文様が描かれていた。
「此処にありますが……魔力吸引の呪です。 ドレインとも呼ばれていて、 永続魔法の一種です」
「……ああ、 やっぱり」
成る程ーと呑気に答えるアジェルに、 キラが呆れて彼女を見た。
「呑気に言ってる場合じゃないだろ。 目の色が変わる位、 既に魔力を取られてるって事じゃないか」
「ああ、 うん、 そうよね」
「いつ?」
「えと、 ……こないだ黒幕のアレと戦う機会があって。 その時かも」
「……気づかなかったのか?」
「私もさっき気づいて」
「…………む」
「……お、 怒ってる?」
見た夢と、 別れる時のイメージを重ねて、 キラは複雑な表情を浮かべる。
そんな彼女を見つめながら、 申し訳なさそうにアジェルが肩を竦ませる。
「……怒ってないけど……。 それで、 これは術を解いたりは出来ないのか?」
「私は知らない。 ハーティ様はご存知?」
「この本の物と少し違うみたいですけど……試してみますか?」
「ええ」
「では……私の手袋を、 持って頂いて宜しいですか?」
「……分かった」
「掛かった術を、 こちらに移してみます。 それでは、 参りますね……?」
ハーティの白い手袋を握り締め、 アジェルは目を閉じる。
ハーティは文様の上を二本の指でなぞりながら、 目を凝らす。
「‘アナタの住処は彼方。 在るべき所へ移りなさい’」
ばちっ、 と火花が散る。
次第にそれは大きくなったかと思うと、 アジェルが握っていた手袋を燃やした。
「……きゃっ!」
驚いて手袋を離したアジェルだが、 ハーティは深刻そうな顔で手を握る。
「アジェル様……」
「あ、 御免なさい。 手袋」
「いえ……それは良いのですけど。 この呪詛……」
続いた言葉を脳内で何回も繰り返し、 それでも確認したくてアジェルは尋ねた。
「……掛けた相手が解くか居なくなるまで、 術が解けないって、 ……ほんとですか?」
「やはり、 侮り過ぎた……カナ」
城に戻り、 溜息交じりでそう呟いたのはビィだった。
魔法陣の近くにある椅子に、 ヴァルトが座っている。
右半身を抱くようにして、 目を閉じていた。
ビィは其処に近づき、 にこりと笑いかけた。
「痛い? 意識はアルの?」
「……」
返事は無い。
ただ、 閉じていた目はビィを見ていた。
「魔力、 マダ、 残っているんだろう?」
「……」
「貰って良い? 戦争を起こす代価として、 命をくれるんだよネ?」
戦争を起こす為に、 彼から魔力を奪い続けた。
結局は、 戦争というよりは一方的な殺戮だが。
世界に復讐する為、 と言うのが目的だった戦いだ。
異論はないだろうと、 彼は笑った。
「彼女を出してあげなきゃいけないんだったよネ」
「……」
「どうしようか」
ふふ、 と笑って、 ビィはヴァルトの右頬を撫でる。
「君が出してアゲル? その方が彼女も喜ぶよね、 多分」
答えは返らないが、 楽しげなビィの笑い声が部屋に響く。
「再会に相応しい演出をしてアゲル。 準備は任せてよ」
「……」
「ただ、 それまではしっかり働くんダヨ?」
「……え?」
「だから、 ……励ました後で言いにくいんだけど」
リアクトが山積みにした本から一冊引き出して、 シャールに見せた。
その本はアジェル・ディーティの本。
綴られた彼女の本に、 また新たな頁が加わる。
「アジェルは、 呪詛を掛けられたみたい。 しかも其れは、 掛けた本人にしか解けない物」
「でも、 僕等なら……」
「普通の物なら解けるけど……シャールの力も奪ってしまえるような代物だよ?」
「……でも。 ……じゃあ、 結界を」
「……効果は期待できないけど、 良い?」
「ええ。 今、 僕が頼れるのはリアクトだけですから」
お願いします、 と、 言った彼の声が弱くて、 リアクトは泣きたい衝動に駆られながらこくりと頷いた。




