さあ、始めよう 3
不安はある。
怖いとも思った。
でも、 やると決めたから。
進むと決めたから。
さあ、 ……始めよう。
「……帰ってこないわねー……キラ」
「心配ならちょっと見てきたら?」
「嫌よ。 リアクトこそ見てきたら? デスターが気になるんでしょう?」
カウンターで、 リアクトは仕事をしながら。
アジェルは向かいでライアの本を見ながら、 時間を潰していた。
シャールの姿も在りはするが、 特に何か発言をする事はしない。
「あーあ……」
ぺたり、 と、 カウンターに突っ伏してアジェルが息を吐く。
「どうしたの?」
そんなアジェルの向かいで、 リアクトは彼女を見ていた。
「……キラちゃんに、 無理させちゃったなと思って」
「無理?」
「泣いちゃったの、 私、 あの子の前で。 戦争って聞いて、 昔のこと思い出して。 理由は言ってないけど……。 でも、 そんな事しちゃったら、 キラちゃん頑張っちゃうと思うのよね」
「……ああ、 成る程」
「負けない事、 進む事。 私も、 約束した以上はちゃんとしなきゃ駄目ね」
ふー、 と息を吐き、 顔を上げた。
そんなアジェルの視線にあわせ、 リアクトはまじまじと彼女を見つめた。
「アジェル」
「んー?」
「貴女、 キラの前だと自然体なのね」
じっと見つめて言われた言葉に、 アジェルが小首を傾げた。
「え?」
「キラの本に少し触れた時に、 これまでのほんの少しの時間を垣間見たけど。 本当に、 キラは穏やかに日々を過ごしている。 あの子の特性もあるけど、 アジェルが自然体な証拠でしょう?」
「……まあ、 そうかも知れないけど」
「じゃあ、 それで良いんじゃないの? 偽る必要は無いし、 一緒に泣いたり笑ったりして信頼と言うのは生まれるものでしょう? それに……分かってるみたいだけど、 頑張ってしまうのはあの子の性格でもあると思うよ」
「……ええと」
「彼女は責任感が強いのかな。 だから、 ああ言う場面では、 どうしても頼まれごとを引き受けてしまう」
言ったリアクトは苦笑を浮かべるが、 アジェルはあから様に不機嫌になった。
「……知ってて頼むのも、 意地が悪いわね」
「知ってた訳じゃないわ。 でも……アジェルだって、 知ってても頼むでしょう?それしか術が無いのなら」
言われた言葉は、 確かに事実だ。
代われるものなら、 代わってやりたい。
だが、 それしか術が無いから、 成り行きとは言え、 同じ手段を取った。
「……まあね。 でも、 代わりに私は全力であの子を守るわ」
「私達だって、 ただでは頼まない。 押し付けるのは余りに酷だもの。 ……だから、 彼女には私達の力を授ける。 無事に役目を終えられる様に。 私達の我侭に付き合ってくれるお礼に。 怖い思いをさせる代償に」
物語を読むように穏やかに、 リアクトは言った。
「……契約者にするの?」
「僕等には貴女が居るので無理ですが。 多分、 デスターが契約すると思いますよ」
これまで黙っていたシャールが、 にこりと笑ってそう言った。
身体を起こし、 アジェルがシャールの方を向く。
「縁があるって言ってたけど……、 一体何なの?あの態度も、 何かおかしいし」
「デスターにとって、 キラさんとの縁はそれ程大切と言う事です」
「……んんん??」
「機会があったら、 彼から聞いてください」
「はあい」
大人しく返事をしたアジェルに笑って、 シャールは目を伏せた。
「デスターが怒るのも当然でしたが。 ……キラさんには、 酷な事を僕等は強要しています。 人間の普通の女の子に頼む様な事ではない。 でも、 ライアの様に死なせはしません。 マスター。 貴女もです。 ライアが大切にしていた人達を人柱にしたくはありませんから、 僕等は今回全力でサポートします。 それはひいては、 僕等の主様達が幸せであり続けられることでもあると思っている」
「……じゃあ、 ライア様の時は何故……助けられなかったの?」
アジェルは悲しそうに言うが、 責めている訳ではなさそうだ。
「ライアは契約を破棄して、 彼と対峙しました。 破棄された以上、 僕等は何も出来ない。 契約者であれば傍に出て行く事も出来ますが、 あの時は出来ませんでした……。 国も、 家族も、 貴女も、 僕等でさえも、 ライアは守ってくれたんです。 結果的に」
「……うん、 そうね。 出れなかったって、 言ってたよね。 ……御免、 シャール」
「いえ」
お互い浮かべる笑みが悲しげな二人を見ながら、 リアクトは想いを馳せる。
ライアの本に手を添えて、 目を閉じた。
が、 それも束の間。
突然目を見開いたかと思うと、 険しい顔つきで別の本を開いた。
両手で抱える様な大きな本は、 世界の歴史を記している物だ。
「……シャール、 大変」
「どうしたんですか」
「……動き始めた。 世界が、 ……壊されていく」
床に描いた魔法陣の中心に座り、 目を閉じる。
『魔を集め、 形と作れ。 さあ、 行け。 闇よ。 世界の全てを喰らうが良い。 血肉を貪り、 恐怖を呼べ。 我こそは、 魔を支配する者』
霧が生まれる。
黒い霧は、 生き物達の恐怖が生み出す、 負の感情。
中から生まれてくるのは、 無数の魔物達。
「次は何処にしましょうか?ユーダ?エルフの里?ティスラティアでも良いですね」
地図を広げて、 指でなぞる。
生き物が集まる主要な場所を順番に指で指して行く。
何処でも良いのだ。 襲う場所など。
生き物達に恐怖を与えられればそれで良い。
ついでに数も減らせば後々楽になるだろう。
「精々怖がって、 美味しい餌になってくださいね?」
神が紡ぐ世界など、 興味は無い。
‘幸せに’と紡がれた夢は、 ほら、 こうして変えられるじゃないか。
「……なっ」
エルフの聖域で、 ウインドは突然出現したそれに嫌悪感を顕にしていた。
定位置である大木の下。
フェイと共に、 彼女は見た。
聖域を荒らす、 魔物と呼ぶに相応しい異型の姿。
黒い霧の様な形状は、 聖域に迫る勢いだ。
霧が覆った場所は、 木々が枯れ果て、 また、 霧の中では沢山の魔物が蠢いている。
生まれいでる混沌は、 今まさに侵食を始めている。
「なんだ、 アレは……」
「……うわぁ……なかなかグロいな」
「……行くぞ、 フェイ」
「了解」
言うが早いか、 目にもとまらぬ速さで駆け出していく。
状況を確認せずとも分かる、 異質な空気の中で。
『さあ、 始めヨう』
そんな声が、 聞こえた気がした。
「……これは……」
ユーダ国、 中央都市ザラト。
その城門前で、 キールは驚愕していた。
馬で移動していた彼は、 あれから五日程度でザラトに到着した。
其処で見たのは、 街を覆う黒い霧。
中で蠢く、 異型を見つけ目を疑う。
「……アルミスと、 同じ?」
街の入り口で馬を放し、 中へと駆け出す。
混乱し我先にと城門へ向かう人々をすり抜け、 進む先。
霧が一層濃く見える場所へと辿り着く。
其処は、 ユフィリア大聖堂だった。
「……騎士様!」
「……?」
キールに駆け寄る人影が見えた。
見知らぬ中年男性ではあるが、 彼は神官の様だった。
必死の形相で彼にすがり、 助けを求める。
「巫女様を……ハーティ様を、 お助けください!中にまだ!」
見れば、 ローブは血に染まっている。
ぼろぼろの様子は、 逃げるだけで精一杯だった事を示していた。
「分かりました。 必ず!」
そう男性に返すが早いか、 キールは駆け出す。
彼が大聖堂に消えて直ぐ、 霧は街を飲み込んだ。
夜の様な闇の中、 彼は奥へ奥へと進んでいく。
「……誰か……助けて……、 きゃぁあああ!」
祭壇の上で、 今、 まさに巫女が魔物の手によって葬られ様としていたその瞬間。
キールが間に割って入った。
大きな爪を剣で受け止め、 払いのける。
「ユーダの巫女殿、 ですね?大丈夫ですか?」
「は……はい」
涙を流し、 恐怖に震えて小さくなっていたハーティの無事を確認すると、 そのまま手にした剣で魔物を切り裂く。
両断された魔物は、 霧となって辺りに散った。
「行きましょう、 立てますか?」
差し出された手を恐る恐る掴みながら、 ハーティはなんとか立ち上がる。
何処も怪我をしていないのを確かめて、 キールは手を引いた。
大聖堂の中は然程広さもないはずなのに、 立ち込める霧が邪魔をする。
時に戦い、 時にかわしながら外に出た頃には、 惨劇が広がっていた。
「……なんて事……、 ……これが始まりなのですか……?」
涙する巫女を連れて、 彼は街の外へと向かう。
ハーティは連れられ逃げる間に、 崩れ落ちていく街を、 大聖堂を、 見た。
声にならない悲しみを胸に、 けれども立ち止まる事は許されず逃げていく。
戦いの火は、 少しずつだが確実に広がり始めていた。
「大変……」
彼女の手にした本が、 凄い速さで頁を黒く染めていく。
リアクトは本に手を翳し目を閉じて、 それを読み取っていた。
その様子は、 占い師が水晶を使って占う様によく似ている。
カウンターの奥では、 先程まで見当たらなかった本の山が幾つも出来始めていた。
「リアクト。 ……向こうで何が起こっているの?」
「……何か、 ……魔物が暴れているみたい」
「魔物、 とは穏やかではないですね」
「ええ。 ……世界各地で、 ……場所にもよるんだけど」
「……アルミスは?アルミスは大丈夫なの!?」
詰め寄るアジェルをシャールが制し、 リアクトの言葉を待った。
本から僅かに光が発せられる。
開かれた目は虚空を見詰める様だったが、 リアクトはしっかりとした口調で語った。
「アルミスは、 市民や兵が殺されている。 街の中を血で染めた。 今はエルフの里、 ユーダが攻撃を受けている。 攻撃しているのは、 魔物……造られた、 モノ。 魔力は、 ……南、 ディフィアから、 感じる。 ……多分、 主様達が見た、 夢の存在」
「……あのダークエルフでは無いのね?」
「違う。 ああ、 えーと……少しだけ、 彼の魔力を感じるけど。 そもそも、 違う‘モノ’」
「そう……。 ……南の地で、 ではなく。 南の地から、 始まってしまった訳ね……」
アジェルが複雑な表情で目を閉じる。
「まずいわね……先に動かれてしまった」
「でも、 まだこれからな気がする。 ……休み休み、 してるみたい」
「リアクト。 それが何か見えますか?」
「……分からない。 まだ。 でも、 ……闇。 靄みたいな。 何か、 怖いけど……ライアの最期に見たアレかしら」
ぱちぱちと瞬きしてリアクトの瞳に光が戻る頃、 図書館の扉が開かれた。
扉の向こうには、 目を腫らせたキラと普段通り若干不機嫌そうなデスターが居た。
が、 二人は部屋の異質な空気に揃って顔を顰めた。
「……なんだ」
「どうしたんだ?……アジェル?」
てて、 とキラはアジェルの元に走って行った。
意を決した様に、 アジェルが目を開きキラを見つめ。
一瞬驚いた様にぱくぱくと口を動かし、 深呼吸し。
数度瞬きしてから、 それはそれは爽やかに笑いながら手近の本をデスターに投げつけた。
「いってぇ!!!……何すんだよ!」
直撃を受けたデスターの苦言は無視して、 アジェルはキラの頭を撫でる。
「どうしたの? デスターに虐められたの?」
「……え?」
「アジェル!!」
珍しく声を荒げるデスターを、 アジェルが睨みつける。
キラが寒気を覚える程、 それはそれは冷たい眼差しだった。
そんな二人に挟まれて狼狽えるキラだが、 リアクトとシャールにはそんな皆の様子が微笑ましく映っていた。
デスターは少々可哀想だが、 先程の空気とは変わり少し和やかになったからだ。
「五月蝿い。 私の大事なキラちゃんに何したのよ。 事と次第によったら、 あんたただじゃ置かないわよ」
しかし、 当事者達は和やかさなど欠片も無い。
臨戦態勢なのは変わらなかった。
「こっちに来た途端にぴりぴりしすぎだろ、 お前」
「いつも不機嫌なあんたに言われる筋合い無いわよ」
だが、 確かにデスターの言う通りではある。
元々感情的な部類に入るアジェルだが、 こちらに来てから更に感情的になる事が多い。
「こっちの空間は、 精神的な作用が大きいですから、 仕方ないですよ」
「そうよー。 年上なんだし、 デスターが大人になってあげなきゃ」
「……おかしいだろ、 その理屈」
理不尽な主張をしてくるリアクトとシャールを睨みつけ、 デスターは大きく息をついた。
深呼吸ほど深くは無いが、 リアクトが言う「大人になる」態度を実行する前準備らしい。
「……話し聞いてやってただけだ」
物凄く不服そうではあるが、 投げつけられた本の件は流すことにしたらしい。
視線をはずしてそう言うと、 手近の椅子に座って足を組んだ。
アジェルはくるりと向きを変え、 キラに向かうとまた頭を撫でた。
「ほんと?」
こくりと頷くキラに、 ほっとした様子でアジェルは笑った。
「そう。 それなら、 良いんだけど。 ……御免なさいね、 デスター。 早とちりして」
「……。 ……アジェル。 お前、 俺に対してどんなイメージ持ってるんだよ」
呆れて言う彼に、 アジェルはきょとんとして答えた。
「……聞きたいの?」
一瞬の沈黙。
触れてはいけない話題だと察し、 デスターは不機嫌に言い放った。
「やめとく」
「賢明ね」
複雑そうにアジェルを見つめたが、 もう此れに対して関わるのはよそうと決めてデスターは黙ってしまった。
そんな彼の変わりに、 今度はシャールが口を開いた。
「キラさん」
「なんですか?」
「僕等のお願いを受けてくださったお礼に、 貴女に、 力を差し上げたいと思います」
「力?」
「はい。 僕等が与えられるのは、 魔力。 貴女は受け入れる素質もありますから、 大丈夫でしょう。 あと……」
一端視線を、 不機嫌に目を閉じるデスターに向ける。
それから、 キラに戻してシャールはにこりと笑った。
「守る者を、 貴女に」




