さあ、始めよう 1
本を開きましょう。
漸く、 見ることが出来た‘彼女’の本。
これで、 教えてあげられる。
真相は、 ……こうだった。
少年は、 一向に起きる気配の無いアジェルを揺り起こす事に決めた様だった。
「マスター。 マスター……起きてください」
彼女は、 微睡みの中で己を呼ぶ声を聞いた気がした。
身体を揺さぶられて、 意識を取り戻す。
うっすらと眩しそうに開いていく漆黒色の瞳が、 己を起こした少年を捉えた。
「……」
「おはようございます」
横になったまま、 少年とアジェルは見つめ合う。
朗らかに少年……シャールが笑いかけるが、 彼女はきょとんとしながら辺りを見回した。
「……?」
「……マスター?」
ゆっくりベッドの上で身を起こした彼女であったが、 ふるふると震えている様に見える。
「……何」
「え?」
「何なのよ、 これ!!!!」
そして、 シーツを握り締めて叫んだ。
「寝起きから元気ですね」
シャールはそう笑って、 アジェルを見ていた。
「此処は、 何処」
言いつつ、 隣を見る。
並べられたベッドに、 キラの姿は無い。
落ち着きの無い様子できょろきょろと視線をさ迷わせるアジェルだが、 シャールはゆっくりとした口調で答えた。
「此処は、 僕等の居る空間です。 ……マスター達の世界での呼び名では、 ……神界? と言うのが近いかも知れません」
「だからこういう空気なのね」
「おかしいですか?」
かくり、 と首を傾げたシャールを見、 アジェルは自身を抱くように身を縮ませた。
「魔力が強すぎるのよ……そわそわする」
「成る程」
「……ところでキラは? あの子は何処に行ったの?私だけ呼んだの?」
「いえ、 彼女は……」
いつもと同じ時間に目を覚ました……つもりだった。
だけど、 休んでいた宿屋とは違う場所で目を覚ました。
最近よく見る夢かと思ったけど、 そうじゃないらしい。
「……ふむ」
隣を見ると、 アジェルはまだ眠っていた。
あれだけ泣いて疲れただろうし、 起こすのは止めておこう。
それより、 現状の確認だ。
幸い、 何か危険な気配と言うのはしないし、 少し出てみる事にした。
扉を開けて、 長い廊下を進む。
一応窓もあるようだが、 外には何も無い。
しかも場所を満たす空気が、 何か違う気がした。
説明しろと言われても上手く表現できないんだけど。
兎に角「何か」が違う。
歩くこと暫く。
大きな木製の扉が出てきた。
今まで窓と小さな扉しかなかったのに、 此処だけいやに豪奢というか。
造りが違う。
だから、 興味が湧いた。
ノブに手を掛けると、 扉は簡単に開く。
観音開きの扉が開かれると、 一番に目に入ってきたのはカウンター。
ついで、 沢山の本が収納された棚。
「……図書館?」
そう呼ぶに相応しい、 広大な、 終わりの見えない本棚達はある意味で爽快だった。
宿屋にこんな物は間違いなく無かったはずだ。
としたら、 やはり別の場所。 もしくは空間という事になる。
こういう経験は無いから、 分析の仕様もないが。
兎に角、 違う場所、 と言うのさえ確信が持てれば良い。
気が済んだので帰ろうとしたオレに、 誰か女の声で静止が入る。
「待ちなさい」
振り返った先には、 箱型の帽子を被った同い年くらいの女の人が立っていた。
女はカウンターの向こうからこちらをじっと見ていたが、 直ぐに傍に寄ってきた。
にこりと愛想の良い笑みを浮かべて、 手を差し出される。
「いらっしゃい。 私の図書館へ」
「え?」
一瞬戸惑ったオレの手をがっしりと掴んで、 彼女がにこにこと笑った。
「貴女はキラね? キラ・エリティア。 貴女が人材だなんて嬉しい!」
「?」
「ようこそ! 待っていたわ!」
「……待ってた?」
「ええ。 貴女の本が記す物語で、 此処に来ると書かれたから。 記されたのは、 ほんとにさっきだけど」
貴女の‘本’?
そういえば、 前にも何処かで同じような事を聞いた気がする。
「でも、 本当にライアにそっくりね!生き写しみたい!」
「……え?」
「あ、 自己紹介が遅れたわね。 私はリアクト。 時を司る者。 ……貴方達の呼び方だと、 神様? 的な感じの」
「……え、 と」
輝く様な目をして迫る女にも驚きはしていたが。
話が突拍子も無さ過ぎて、 正直、 混乱していた。
キラが混乱していた同時刻。
若干戸惑っている人物が、 もう一人。
「……あいつかよ……」
デスターだった。
図書館に入りかけて、 キラの姿を発見し足を止めた。
昨日精霊全員で決めた話の後、 四大元素は向こうへ帰り、 残り三人はこちらで人間二人を迎える役割を担った。
確かに、 アジェルともう一人呼ぶとは聞いていた。
アジェル自体とは面識があるし、 キラも気配では知っているが。
知っていたところで、 どうして良いか分からない訳で。
大体、 呼ぶのが彼女だとは一切聞いていない。
「……こういうのは、 対面とは言わないだろーが……シャールの奴……」
正確に言うと、 まだ対面はしていないのだが。
結局、 くるりと方向転換して、 自室に戻ろうとする彼であった。
「……キラ!」
扉が盛大に開かれ、 入った図書館で。
カウンターで本を読むキラと、 彼女の為に紅茶を淹れるリアクトを目にして、 アジェルは脱力した。
「おはよ、 アジェル」
「いつも元気だね」
「……マスター。 慌てなくても大丈夫ですよ」
追ってきたシャールに促されながら、 近くにあった椅子に座る。
ぜいぜいと息を切らしていたが、 案外と大丈夫そうだったキラを確認すると、 はあ、 と溜息を吐いた。
そんな様子にキラは苦笑し、 読んでいた本を閉じた。
「これ、 有難う」
「いいえー。 どう致しまして」
にこりと笑ってリアクトが本を受け取る。
赤い革の表紙には、 キラ・エリティアと刺繍が施されていた。
もう一冊積んでいた本には、 ライア・エリティアと刺繍がある。
「と、 取り合えず……事情を説明して頂戴」
ほっとしたのも束の間。
次は状況を確認したいと、 思いつく限りの質問を矢継ぎ早にしていく。
そんなアジェルを見ながら、 キラは淹れてもらった紅茶を飲んでいた。
創造主達が眠り、 起きた出来事。
紡がれた夢と、 向こうに降りた神託。
どうしてアジェル達を此処に呼んだのか。
一通りの説明をシャールから受け、 アジェルが話を終わらせた。
「ああ、 成る程。 ……そうなの……そんな事が」
「ええ」
「……って言うか、 そうよね。 神託が降りたなんて言うんだから、 巫女の所に行かずに貴方達に聞けば良かったのよね」
あーあ、 と肩を落としたアジェルだが、 気を取りなおしてシャールを見る。
「で?要するに、 キラに戦争の矢面に立てと言うのでしょう?どうしてそんな結論なの?」
「……非常に言いにくいのですが、 マスターアジェル。 貴女ではこれ以上の力は習得出来ないからです」
「……言いにくいって言う割にはハッキリ言ってくれるじゃない」
申し訳なさそうに言いながらも、 シャールは事実を伝える。
当のアジェルも自分で良く理解しているのか、 苦笑するに留めた。
「それで、 キラに?」
「……はい」
「何故、 キラなの? ……大体、 呼ぶにしても急すぎるでしょう……」
「……それは、 事態は一刻を争うと思い、 取り合えずこちらに来て頂いた方が良いかと僕が判断しました」
「拒否権はあるんでしょうね。 キラは、 ライア様から託された大事な子なの……に。 ……あれ」
「……マスター?」
「……託されたのよ。 十年後、 ディフィアへ行くように。 キラを連れて。 まさか……ご存知で?」
「ライアがですか?」
「……そんな事、 無いわよね」
神妙な面持ちでどんどんと深刻化していくアジェルを見ながら、 キラが息を吐いた。
視線をライアの本に移し、 そっと手を伸ばす。
抱きしめるように持った本が、 ほんのりと光を帯びた。
キラは自分の本は読んでいたが、 ライアの本は置いていただけだ。
時間も無かったが、 見るのも怖い気がしての事である。
懐かしむように腕の中に収めるキラに笑いかけて、 ライアの本を受け取りリアクトは二人に声を掛けた。
「話し中悪いんだけど」
「なんですか?」
「ライアが仕組んだみたいな言い方、 止めて貰える?」
「そういう訳じゃないけど……」
「真相を、 教えてあげる」
リアクトの胸にはしっかりと抱かれたライアの本が。
先程と同様に、 ほんのりと光りを纏っていた。
雨が降りそうだった。
雷鳴が遠くで轟く。
私の目の前には、 形式上、 私が討たねばならないダークエルフの男と、 エルフの女が一人ずつ居た。
見渡す限りの雪原に、 私達だけ。
最初から話が目的だったので、 誰も連れてきてはいない。
付いていくと聞かなかったアジェルちゃんも、 危険だと言い聞かせて置いてきた。
正真正銘、 一人だった。
「私は、 アルミス軍指揮官のライア・エリティアです。 貴方のお名前は?」
「……」
まあ、 リアクションは予想通りではある。
敵の大将だと言われている人物のところに一人で乗り込むなんて、 自殺行為だと思うもの。
でも捕らえた無法者達に、 ダークエルフの容姿を聞いたが皆、 違うイメージを伝えてきていた。
とすれば。 やはり、 彼等は利用されたに過ぎない、 と私は踏んでいた。
話し合いをする為に来たので、 武器も何も無い。
焼け石に水な気もしつつ、 少しでも敵意が無い事が伝わればいいのだけど。
もし万が一危なくなっても、 多少のピンチなら乗り切る自信はあるし、 大体今回の戦争では私は死ぬ事になっている。
神様の紡いだ夢は絶対だそうだけど、 逆に言えば、 確定されているその時までは無事であれると思っていた。
「私は、 貴方を助けたい」
手を差し伸べる。
彼は私の手をじっとみて、 それから酷く悲しい目で私を見た。
彼の後ろでは、 エルフさんがこちらのやりとりと見守っている。
戦いの中ではあるけれど、 私が危害を加えるつもりが無いのを分かってくれているのかしら。
エルフさんの目は、 ……特に彼を見る目は、 とても優しい。
「貴方の望みは?」
「……静かに、 幸せに生きたいだけなんだ……」
ああ、 やはり戦いを起こしたい訳ではないのね。
そう思うと嬉しくなって、 顔も自然と笑みになる。
「わかりました。 ……じゃあ、 このまま逃げてください。 貴方の大切な方と。 私は貴方達を助ける為に、 此処に居る」
望む未来があるのなら、 それを実行して欲しい。
見た感じ、 彼からは危険な感じはしない。
少し精神が乱れる気配はあったけど、 "エルフ"と言うだけあって長く生きている人なのでしょうね。
自分で制御できるみたいだし、 一緒にいる彼女がきちんと見ていると思う。
これなら安心ね。 準備してきた事は、 取り越し苦労になったかしら。
でも、 事態は楽観できる程、 甘くは無かった。
『させナイよ』
いつの間にか、 雨が降り始めていた。
低い、 ……地の底から響く様な声。
背中が産毛がぞわぞわする、 嫌な感覚。
ダメだ、 そう感じて本能が警笛を鳴らす。
「!!」
嫌な予感。 嫌な空。
雨が強く、 強く降り始める。
「危ない!!」
激しい閃光に包まれ、 身体が強く叩きつけられた。
気付いた時には既に遅く、 避ける事が出来ないまま醜態を晒す。
魔術の形跡を感じた。
……何、 誰なの。
『……人間……邪魔ハさせなイ』
「……な」
爆発跡のように抉られた、 この場所。
クリスタルに閉じ込められた二人を、 地面に這い蹲りながら見た。
丁度真ん中で、 ソレは言う。
『世界ヲ壊す為に、 餌が必要ナンダ』
「……な、 に……」
『壊れなきゃ……夢も、 世界も、 君も、 アレも。 ……君、 苦シイのは好き?』
黒い、 ソレ。 もやみたいな物が、 鋭い爪を振りかざした。
「…………ぁ、 っ」
私の腹に穴をあける。
気絶しそうな程の痛み。 熱い。
脳が沸騰しそう。
痛みにもがく私を見下ろしながら、 ソレが笑う。
『黒の子は、 まだ利用スルんだ……。 ……君は此処まで。 残念でした』
楽しそうに言い残して、 クリスタルごとソレは消えた。
なんて事……。 予想外だった。
最初から戦争を仕組んだ存在があったって、 ……そういう事じゃない。
便乗しての戦争ではなく、 意図的に起こされたもの……?
しかも、 人間同士の争いでは無くて、 もっと違う物だった。
「……」
でも、 もう考えても仕方ない。
頑張って仰向けになると、 雨の雫が掛かった。
血が無くなり過ぎて、 頭は妙に冷静になる。
体が急激に冷えていくのも理解出来ていた。
ああ、 痛いな、 なんて思いながら……終わりは、 もっと楽なのが良かったとも思った。
準備はしっかりしたし……こんなに痛い目みたんだから、 私……報われる……かしら?
でも出来たら、 私があの二人を助けてあげたかったな……。
きちんと終わらせて、 それから、 子供達には、 もっと違う事を始めて欲しかったな……。
キラ。 エイル。 アジェル。 キール。
終わらせる事を、 貴方達に託してしまってごめんなさい。
きちんと終わらせられたら、 新しい、 幸せな何かを始めて欲しい……。
「此れが皆の知らなかった、 終わる直前の真相。 我がマスターへの誤解は晴らせたかな? アジェル?」
リアクトがにこりと笑った。
これにはシャールも驚いた様に彼女を見る。
リアクトは、 自分で契約を交わすモノを選べる唯一の精霊。
彼女が生まれてから、 後にも先にも契約者はただ一人。 ライアだけだった。
故に、 彼女はライアの本を何より大事にし、 本棚には戻さず常に出せる場所に置いていた。
「キラ・エリティア。 貴女も、 もし誤解をしている様ならば改めるように。 貴女の母は、 戦争に向かわせる為にディフィアへ導いたのではない。 予想外の事態に導いた何かを排除し、 ダークエルフと、 従者のエルフを救うことを託したのです。 貴女は、 ライアの心を継いでいる。 力ある者を特別視しない目と、 違う物を受け入れる心。 それを持って育った。 だから、 貴女は選ばれたのでしょう。 ライアの死から始まった、 救う物語を終わらせる人材として」
「……リアクト……」
「アジェル・ディーティ。 貴女はライアの事になると、 思考が行き過ぎる感があります。 それではいけません。 貴女にライアが託したのは、 ライアの持っていた力。 世界のバランスを守る、 我が同族の力。 強い力を正しく使える貴女だから、 ライアはキラを貴女に託したのです。 予想外の事態に立ち向かう為に、 協力をする人として。 けれど、 大きな力を使う為には、 冷静でなければいけない」
灰色の目が、 真っ直ぐに彼女らを見ていた。
珍しく真面目なリアクトの言動に感動すら覚えたシャールだが、 はて、 と首をかしげた。
「リアクト。 そういう事態が分かっているならば、 どうして僕等に何も言わないんですか」
「……え?」
視線をシャールに移して、 彼女は困ったように笑った。
キラの本とライアの本を両手に持って、 シャールに見せる。
「ライアの本は、 鍵が掛かっている場所が多くて私でも簡単に見れないのよ。 さっき、 キラが本に触ったら見れるようになった場所が増えて……。 ……今わかったんだもの、 怒っちゃヤダー!」
「……何が、 ヤダーですか。 ……別に怒ってませんし。 ……しかし、 これで主様達の夢を壊すものの存在は明らかになりました。 キラ・エリティア。 お願いです。 どうか、 我が主様達の見た夢を覆す事、 頼まれてくれませんか……?」
「ライア様は、 自分では力不足だったと言っていた。 ……それに勝てば、 ライア様との約束は果たした事になるかな? それなら、 私はキラに協力する。 でも……キラは、 どうする?強要は出来ないけど」
いつに無く弱気なアジェルと、 頭を下げるシャールと。
リアクトはキラを真っ直ぐに見ていた。
重たい空気は、 決断を迫るようにキラにのしかかる。
慣れない状況にキラが参っていると、 ぎ、 っと扉の軋む音が聞こえた。
「……それじゃ、 強要してんとの一緒だろうが」
苛々した声は、 青年のそれ。
言葉が発せられた方を向くと、 漆黒色の彼が居た。




