決意の日
幼い日の事を思い出す。
遠い記憶。
胸にはいつも、 その日の誓いが息づいている。
アルミス国北部にイルと言う村がある。
のどかを絵に描いた様な穏やかで小さな村だった。
そんな空気を、 がしゃがしゃと騒々しい雑音が乱していく。
武装した兵士達が五人ほど集まり、 列をなして村の奥へと進んでいった。
此処は、 先日まで世界を恐怖に陥れていたダークエルフとの戦いを収めた英雄ライア・エリティアの故郷でもあった。
彼等は、 そんなライアの生家に用があったのである。
村の奥にある一際大きな家に兵士達は集まり、 隊長と思しき青年が代表して扉を叩いた。
扉を開けたのは、 エルフの女性である。
様子を伺う様にそっと覗いたために、 長い金の髪がさらりと流れていった。
普段は愛想の良い笑顔を浮べる彼女の碧眼は、 今、 警戒心を露にした様子で扉の向こうを見ていた。
「……アルミス国の兵士様達が何用ですか? 此処は……」
「ライア・エリティア様の生家ですね。 存じております。 自分はアルミス国近衛隊小隊の者です」
「……近衛隊? どうして貴方達の様な武術専門の人が此処に?」
「女王陛下からの手紙をお届けに参りました。 ご家族の方は居られますか?」
「ライアの家族はあの子の子供達だけです。 今は私が保護者。 手紙なら私が代わりに受取ります」
「……そうですか。 失礼ですが、 貴女は?」
青年が困ったように顔を曇らせる。
彼女は、 ちらり、 と青年を見、 目を伏せた。
「……私はペルナ・フォルト。 ライアの友人よ」
彼女。 ペルナの名を聞くなり、 青年は背筋を正し頭を下げた。
「フォルト様とは知らず、 失礼致しました。 ……では手紙は貴女に」
青年は後ろに控える兵士の一人から手紙を受け取り、 彼女に渡した。
真っ白な封筒に封蝋。 象る印は女王が好んで使う月と薔薇の刻印であった。
「ああ、 確かに女王陛下からのお手紙ね。 確かに受け取りました……有難う」
「いえ。 ……あの」
「何かしら」
「エリティア様のお子様達は、 まだ幼かったですよね……?」
「そうね。 ……それが、 何か?」
青年は、 悲しそうに目を伏せて言葉を詰まらせた。
控える兵士達も、 皆何処か悲しげである。
ペルナはそれに対して今は追求せず、 言葉を待った。
「これから大変だと思いますが。 ……その。 お母上は我々にも良くしてくださったと。 有難う、 とお伝えください」
「…………」
「あと、 もう一通。 これはフォルト様宛に」
「……私に?」
「はい。 それでは。 また近いうちに会うこともあると思いますが、 今日はこれで」
失礼します、 と兵士達は去っていった。
ペルナは彼等を見送り扉を閉めた後、 二通目の手紙をまじまじと見詰める。
白い封筒なのは変わらないが、 こちらは封がされていない。
自分宛だと聞いたこともあり、 彼女はまずこちらから読むことに決めた。
便箋は一枚だけ。 開くなりメモの様な短い文面が飛び込んでくる。
― ライア様は戦死された模様。 アジェルは憔悴していますが、 帰ってきました。 ―
文末にはキール・リテイトとサインしてある。
ペルナは俯き、 僅かに震えながら手紙を握り締めた。
ぼろぼろと涙が溢れていく。
「……ああ。 そうなんだ」
呟いて、 目を閉じた。
それから少しだけ、 扉を背にして泣いていた。
「ペルナ、 一生のお願いよ」
ほんの少しだけ時間を遡る。
それはある夜の事だった。
ライアが戦いに行く一年前。
よく一緒に使っていたティルア城の喫茶室ではなく、 わざわざペルナの部屋に訪れてライアは言った。
「私の子供達を、 イルで育ててくれない?」
あまりに突拍子も無い言い分に、 流石のペルナも驚きを隠せなかった。
「何、 急に。 ……取り敢えず、 立ち話もなんだし椅子に座ったら?」
「え? ああ、 有難う」
「……うん、 それでどうしたの?」
「だから、 言葉通り。 エイルとキラを育ててくれない?」
お願い、 とペルナの手を掴んで言うのだ。
ライアは基本的には全部自分一人でやろうとする人物であった為、 あまり頼み事をする事は無かった。
けれどこの日は違う。
何処か必死な形相で、 けれどもペルナは掴まれた手とライアを交互に見やりながら、 首を傾げる。
「戦争が激化しそうだから? ……でもティルアの方が安全じゃない? どの道避難所としてこっちに来ないといけなく……」
「ならないわ。 今回は、 ……多分。 ね、 お願いだから」
「……ライアちゃん? あの……理由がわからないと流石に。 キラちゃんなんてまだ小さいし、 子育てなんてしたこと無いし」
「貴女が一番安心できるの。 ちゃんとした目を持ってるから、 ペルナになら、 お願い出来るの」
「……時々、 私にもわからないこと言うよね」
困って顔を顰めたペルナであったが、 ライアの子供達とは既に何度も遊んでおり懐いては居た。
城にいた頃の子供達はライアの私室と職務室からは出る事が出来ず、 閉鎖された空間の中で育ったので良き遊び相手であったのだ。
「うん、 まあ……貴女が其処まで言うのなら引き受けるけど。 一生のお願い、 なんて……ほんと一体どうしたのよ」
じ、 っと見つめると、 赤毛の女はにこりと笑った。
夜の深い海の様な藍の瞳を細めて、 穏やかに笑う。
「準備をしているの」
「準備?」
「何があっても良いように。 ……取り越し苦労になれば良いのにって思いながら」
「何それ」
「さあ、 なんだろう」
今度はライアが困ったように笑って、 それから掴んでいた手を放す。
「でも、 有難う。 ペルナちゃんに頼めるなら安心だわ」
「ライアちゃん?」
「何?」
小柄な人の子は、 年齢よりも幼い顔で笑っていた。
心底安心したと言う様で、 ペルナは其処に胸騒ぎを覚えた。
「……大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「……そう?」
「うん。 ……あのね。 私、 生まれたからには幸せになるべきだと思うの。 笑いあって愛し合って、 何気ない時間が平和だなって、 そうやって生きていたい」
「ライア……?」
「皆、 平等に与えられた権利だと思う。 でも、 実現させるには力が必要だったから……私が全部終わらせるから」
顔は笑顔であった。
胸を張り、 任せろと言わんばかりに叩いて見せる。
ライアはいつも、 こんな調子で笑っていた。
この時だって、 そう。
いつもと同じ様に、 努めて笑っていた、 ……のかも知れない。
泣き腫らした目を冷やし、 気持ちを落ち着けてからペルナは一緒に住んでいる兄妹を招集した。
どう伝えるべきか悩んだが、 きちんと伝えるべきであると判断した結果だった。
時刻は夕暮れ。
夕飯を食べてから、 並んで座る子供達に昼間兵士から預かった手紙を見せた。
「……エイル君、 キラちゃん、 良く聞いてね」
赤毛の子供は揃ってこくりと頷いた。
何が起こるのか分からないけれど、 ペルナがいつになく真面目であるのが分かったようである。
子供ながらに真剣な面持ちで、 差し出された手紙を見詰めていた。
「二人には、 辛い事だと思うけど。 お母さんは、 ……もう帰ってこないの」
二人は静かに聞いていた。
キラは大きな目をじっとペルナに向けていた。
エイルは「どうして?」と尋ねる。
「死んでしまったんだって。 戦争を終わらせる為に戦って、 それで、 ……死んでしまったんだって」
泣くまいとして淡々と言うペルナであったが、 言葉にすると自分の中に染み込んでいく様で。
また、 じわりと涙が滲んだ。
「エイル君にもキラちゃんにも寂しい思いはさせないから。 …ライアちゃんの代わりになるように頑張るから」
ペルナは笑おうとして、 けれども上手く笑えなかった。
キラは大きな目に涙をいっぱい溜めている。
「もう、 お母さんにあえないの?」
呟いたが早いか、 涙がこぼれ落ちていく。
しくしくと泣き出した妹の隣で、 エイルは唇を噛んで耐えていた。
キラを見やり、 けれど自分も泣いてしまいそうでぎゅっと拳を握っている。
ペルナは座っていた椅子から離れて、 そんな二人を抱きしめに行った。
― 力があったって、 良い事なんて無いけれど。 でも、 力が無いと変えられない事があるんだね ―
あれから一年が経過した。
ライアの葬儀も終わり、 イルにて埋葬も終わっている。
ペルナと共に生活をしながら、 エイルとキラの幼い兄妹は共に変わっていった。
剣術を学び始め、 悲しみを振り払う様に熱心に打ち込み始めたのである。
ペルナはそれで気持ちが向上するならと見守り、 健やかに育つよう気を配った。
そんなある日である。
今日も剣術の稽古に行く為に家を出た二人は、 道中でこんな会話をした。
「兄さん」
「何?」
「私、 今日から変わるよ」
「……え?」
この時、 キラは七才になろうかと言うところであった。
真っ直ぐに前を見つめながら、 決意するように兄に告げる。
「私、 お母さんみたいに強くなるの」
兄はそんな妹を見やり、 自分もまた頷いた。
「じゃあ、 僕も。 キラやペルナ姉さんを守れるくらい強くなるよ」
「……うん。 もっと強くならなくちゃ。 もっと……頑張らなくちゃ」
エリティアの家は、 元より剣術の師範代を務める様な家柄であった。
そして村を統べ括る家柄でもある。
ライアは村を出てしまった為に今は別の者が代理を務めているが、 大きくなればエイルがその場所に据え置かれるだろう。
小さな肩に重圧を背負いながら、 それでも進むと決めた。
兄は言葉通り、 自分の守りたい人を守れるだけの力を得ようと奮闘した。
誰に頼らずとも、 大人に並んで生きていけるように。
妹もまた、 誰にも迷惑を掛けないように一人で歩んでいけるように強くなろうと努力した。
力を求めて、 そして。 見てみたいと思った。
母が目指したモノ。 追い求めたモノを。




