神託
‘彼女’が終わらせた戦いの傷跡が、 漸く過去に成り始めたと言うのに。
神の創造された夢は、 なんと残酷なことか。
それに従うしか術の無い者たちの、 なんと、 無力なことなのか。
予定よりも幾分遅れて、 キラとアジェルはユーダの中心ザラトの門を潜った。
国の中心地である事もあり、 ザラトもアルミス同様門から始まり街をぐるりと一週するようにレンガを積み上げた壁が築かれている。
背の高い物では無いが、 少々威圧感を与える作りだ。
「なんだか、 騒々しいわね」
のんびりと言うアジェルに習い、 キラも街を見回す。
聖職者の多い町と言うだけあって、 神官が着るローブを着用した者を多く見受けるが。
そんな人達ですら、 顔を不安げに曇らせ顰めながら兵士と一緒に物々しい空気を作っていた。
けれども、 アジェルは特に興味も無さそうに入口直ぐに建てられている地図に寄って行った。
「さて、 と。 宿はどの辺りで取りましょうか」
ザラトは円形の街だ。
中心に大聖堂と呼ばれる教会と広場があり、 其処には国の最高権力者が居る。
アルミスは王族が居り、 王位を継承していく国なのだが。
ユーダは‘神の子’として認められた者が、 国を治める事になっている。
居るのか居ないのか分からない教皇に変わり、 現在は年端もいかない少女がトップに据え置かれ大人たちがサポートをして成り立っていた。
一緒に地図をのぞき込んでいたキラは、 ふと空を仰ぐ。
晴れた空。 吹き抜ける風は心地好いのだが、 キラの表情は冴えない。
「……なんか、 嫌な予感がするな……」
何故だろう?なんて事を考えていると、 アジェルが手を引いた。
宿に目星を付けた様だ。
道中、 彼女らは武装した兵士とまたすれ違う。
彼等が足早に去るのか、 それとも二人がのんびりしているのか。
すれ違う人達はあっと言う間に視界から消えてしまう。
どうも、 中心地に向かって行くようだ。
「アジェル」
「なあに?」
「皆、 同じ場所に行くみたいだけど」
「この街、 お祈りの時間があるから。 それじゃない?」
「ふぅん」
ちらり、 とキラが見やる。
大聖堂と呼ばれる建物の立派な作りが見えた。
程なくして、 こじんまりとした宿に到着する。
旅人向けなのか、 宿の中には小さな商店も併設されていた。
アジェルはカウンターへと歩いていくと受付に居る愛想の良いおばさんに滞在予定日数を伝え、 チェックインを済ませる。
彼女ら以外は客は居らず、 手続きも直ぐに終わった。
カウンターを離れようとした時、 奥から店主らしい男も出てくる。
よく見ると、 二人揃って星形のような紋章を象ったネックレスをしていた。
「お嬢さん方、 大変な時に来たね。 ……旅の途中かい?」
「まあ、 そんなものですけど。 何が大変なんですか?」
「昨日、 ハーティ様が神託をお受けになられたんだ」
「神託? ……珍しいですね」
「だろう。 しかも、 それがまた悪い知らせでな……」
「はあ」
「開戦宣告だったそうだ。 ……また、 戦が起きるらしいよ」
「……は?」
「俺もきちんと聞いた訳じゃねえから、 何処で、 なんて詳しい事も知らんのだけど……。 旅を続けるなら気をつけた方がいい」
カウンターの向こうで、 二人にそんな言葉をかける。
アジェルは、 にこりと笑って礼を述べると、 部屋の鍵を貰ってカウンターを後にした。
部屋は二階の奥。
カウンター脇の階段を上り、 部屋へと急ぐ。
キラは黙ってその後ろを歩き、 部屋に入るとすぐ扉を閉めた。
「開戦宣告とは、 穏やかじゃないわね」
「また、 戦争が?」
「そうみたい。 ……そんな動きは無かったと思ったんだけどなぁ」
今は休んでいるとは言え、 アジェルは仮にもアルミス国の外交官だ。
世界状勢に疎くては話にならない。
「アルミスは田舎だし、 戦争ってあまり身近な話題じゃないから……」
「慰めてくれてる? ありがと。 でも、 キラちゃん。 アルミスって、 言う程田舎じゃないのよ?」
奥側のベットに座ったキラが言った言葉に、 アジェルは笑って返す。
実際問題。 アルミスは六つある国家の中で、 最大勢力を保っている。
世界で唯一エルフ族と共存し、 その知識の恩恵を受ける。
かの国が誇るのは、 圧倒的な武力と財力。
勿論、 人材の優秀さなどが響いての結果なのだが、 此処でわざわざ説明はしなかった。
アジェルは何か考えながらうろうろと部屋を歩いたが、 その間もうーんと唸ってばかりだった。
だが、 それも束の間。
思い立った様に扉に手をかける。
「私、 ちょっと調べて来る。 ……キラはどうする?」
「あー……」
「疲れてるだろうし、 休んでた方が良いかな。 多分、 お仕事の話もしてきそうだし、 私」
「え? ああ、 じゃあ、 休んでるよ」
「わかった。 ……夜までには帰るから」
「うん。 気をつけて、 いってらっしゃい」
「行って来ます」
にっこりと笑いかけ、 アジェルは扉の向こうに消えた。
ぱたんと扉が閉まってから、 キラは首をかしげる。
「……なんか、 強引だったな」
「悪魔。 準備はどうだ」
「ビィですよ、 共犯者」
謁見の間から出て、 場所は談話室の様な部屋に移っていた。
使われていない暖炉には、 魔術で発生させた炎が揺れる。
壁に設置された照明器具達にも、 暖炉同様に炎が揺れていた。
中央に設置されたテーブルを挟み、 ヴァルトは椅子に座って様子を伺う。
ビィは、 暖炉の前をうろうろとしていた。
よくよく見ると、 彼の通った後は鈍く光る線になり、 暫くすると魔法陣が完成した。
「ヴァルト様? まずはどういう作戦で行きましょうか」
「前みたいに軍を組まれるとダルい。 各国毎に潰しておきたい。 特に……」
一度言葉を区切り、 ヴァルトは苦い顔をする。
「アルミス、 だったか。 あそこは、 因縁があるからな」
そんなヴァルトの様子に、 ビィは細い目を更に細めて笑う。
「わかりました。 あの国は魔力やら戦闘能力が高い者が多いですからねぇ。 ちょっと減らしておきましょうか」
「……出来るのか?」
「ええ。 悪魔ですから、 ワタシ。 多少の無理はききます」
「便利だな」
「でしょう? ……早速、 使い魔達に行かせましょう」
得意げに胸を張るビィを、 じっとヴァルトは見つめていた。
そんな視線は気にせず、 ビィは描いた魔法陣にそっと手を付く。
何かぶつぶつと呟いたかと思うと、 ぱあっとそれが光りだした。
次第に光は静まり、 黒く蠢く何かの姿を確認した。
「さあ、 行きなさい。 使い魔達」
「ルディア、 様?」
『シャール……夢は紡がれました。 ……どうか……、 とめて下さい』
つ、 と、 ルディアの頬に涙が流れた。
顔を覆って涙する彼女の声が、 震えている。
「…………今度は、 誰を犠牲にするんですか……」
『人間の子が……止めてくれる』
「アジェルですか……?」
『違う……。 名は知らない。 ……けれど、 ライアの意志を継ぐ子』
「……、 ……主様。 ……僕は」
『見つけて……そして、 とめるのです。 恐ろしい夢の結果を』
「……」
『未来を紡ぐ力を宿した子が、 今度こそ、 終わらせる……』
言ってしまうと、 彼女の姿は消えてしまう。
跡形も無く。
漂うこともせず。
文字通り。 消えてしまった。
扉前のデスターがやっとの事で立ち上がり、 部屋を覗き込む。
其処に居たのは、 呆然と佇むシャールだけ。
「……おい」
「……」
俯き、 主無き部屋で呆然とし続けるシャールの背を見るデスター。
そんな彼に、 体当たりしてくる少女が一人。
「!!!!」
「一体、 なんなの!さっきの!」
勿論、 リアクトだ。
ふっとばされてデスターが倒れ込んだのを無視して、 ……いや、 気付く事無くリアクトは主人の部屋に入る。
当然居る筈だった主人達の姿を確認できずに、 ただ、 金髪の少年が俯いている。
「……えと……」
一瞬考え込んで。
それから、 シャールの手を引いた。
「……シャール。 取り合えず行きましょう?」
大聖堂。
大きなホールの奥には、 ステンドグラスが飾られた場所がある。
太陽の光を通して、 ホールの床にステンドグラスの光が揺れる。
ステンドグラスの前には、 魔法陣の様にも見える星形のシンボルに祈りを捧げる少女の姿。
他には誰も居ない。 彼女だけだ。
「……開戦は免れないのですね」
穏やかな響きは無く、 ただ、 悲しそうに少女が呟く。
神の声を聞くことが出来る、 世界でただ一人の少女ハーティ。
先の戦争の時は、 まだ齢三つの子供だったにも関わらず、 大人顔負けの言葉で開戦を告げた。
彼女の一族独特の能力だが、 今は、 彼女だけがその力を有していた。
「……?」
こつこつ、 と音がする。
音がそのまま彼女の後ろで止まると、 不思議に思って振り返った。
「まあ! アジェル様!!!!!」
彼女の視線の先には、 にこりと笑うアジェルが居た。
嬉しそうに詰め寄るハーティに距離を置きながら、 挨拶を交わす。
「巫女様、 ご無沙汰しております」
「いやですわ、 アジェル様ったら。 私のことはハーティとお呼び下さい」
「……いえ、 まさか。 ユーダ最高の巫女様に、 私のようなものがお名前でお呼びする等失礼ですから」
「そんなの……アジェル様でしたら構いませんのに」
口ではそう言うが、 アジェルの言い方は何処か冷たい。
仕事用の笑みを貼り付けてアジェルは笑っていた。
そんな彼女の態度を知ってか知らずか、 ハーティはにこにこと上機嫌だ。
ハーティには残念なことだが、 どうやら彼女の好意は一方通行らしい。
「ところで。 巫女様にお伺いしたい事が御座います」
「アジェル様が、 私に質問、 ですか?? なんでしょう」
「昨日降りたと言う、 神託です。 開戦宣告と聞きましたが」
「ああ……それについては、 正式にアルミス国にもお手紙をお送りしたのですが」
「申し訳ありません。 私は今、 外交官の任から外れておりまして。 プライベートでこちらに立ち寄ったところ、 噂を聞きお尋ねしている次第で」
「プライベート??」
意外なところで喰いついたハーティの言葉を即座にアジェルが区切る。
「……ええ、 まあ。 それで神託の件ですが、 内容は教えて頂いても差し支えありませんか?」
「……、 はい。 国内でもう発表しておりますので、 お教えするのに支障はありません」
「では」
「此処では何ですから、 奥へどうぞ。 ……私も、 アジェル様にお伝えせねばならない事があります」
夢を見た。 また、 泣いてる人が見えた。
子供、 だと思う。
いつか見た夢みたいに「嫌だ、 嫌だ」と繰り返してる。
前に聞いた声とは、 何か違う気がした。
最初、 沢山反響していた声がいくつかあった気がしたが。
今はまた、 子供の声だ。
声は本当に苦しそうに……悲しそうに繰り返すから、 次第に悲しくなってきて。
一緒に涙を流していたら、 その子がぎゅうっと抱きついてきたから。
「大丈夫だよ」
そう宥めながら、 一緒に泣いた。
『黒き魂の意志により、 南の地で戦いが起こるでしょう。 避けられぬ争いは、 再び沢山の命を奪い、 悲しみを繰り返す結果となるでしょう。 この争いに立ち向かうのは、 一人の、 人間。 力を持つその者は、 皆と協力し、 黒き魂の意志に打ち勝ち、 平和へと導くでしょう』
客間に通されたアジェルは、 ハーティから神託の内容を聞いていた。
言葉を復唱しながら、 ほんの少しだけ眉根を寄せる。
「……成る程。 確かに、 開戦宣告に取れますね」
「ええ。 少々漠然としていますけれど」
視線を落としたハーティをアジェルは見詰める。
少し、 厳しい顔つきだ。
「で。 伝えねばならない事と言うのは?」
「はい……。 私の考え、 なのですが」
「……どのようなものでしょうか」
「……その、 前回の戦いを収めたのは、 アルミス国先代の外交官だったエリティア様と伺っております」
ひくり、 と、 頬が痙攣した。 珍しいことだ。
少しだけ、 アジェルの顔が歪む。
だが、 それに構わず……いや、 気づかず、 の方が正しい素振りでハーティは言葉を続けた。
「私、 此度の神託の中にある一人の人間とは、 アジェル様だと思っております」
「……」
「アジェル様の魔力の高さや技量は、 人間社会のみならずエルフの皆様や他種族の方々からも一目置かれております」
「…………」
「急でしたので、 まだ他国の代表の方にお話はしておりませんが……私個人としてはアジェル様に表舞台に出て頂いて」
ぱっとハーティが顔を上げる。
きらきらとした期待を込めた目で見つめたアジェルの顔は、 無表情だった。
営業用に使う笑みすら貼り付ける事を忘れ、 彼女は小さく小さく息を吐いた。
やがて目を閉じ、 深呼吸する。
「連合軍を率いて、 師の敵を取る舞台を用意して下さるという事?」
「……ええ、 それでしたらお話も通りやすいかと思いますし……アジェル様の実力あっての配役かと」
語尾が段々と小さくなるハーティに対し、 アジェルは顔だけまた笑みを貼り付けて見つめる。
「ユーダ国の御意見として、 巫女様のお言葉賜ります。 どうなるかは、 私個人ではお答えできませんが」
「……あの」
「もしかすると女王陛下も同じご意見かも知れませんし。 巫女様のお考え通りになるかも知れませんわね」
「……アジェル様……?」
「申し訳ありませんが、 そろそろお暇したく思います。 お時間取らせてしまって御免なさいね?」
それじゃあ、 と、 一切言葉を続けさせず一方的に頭を下げてその場を去っていく。
そんなアジェルの背を見ながら、 ハーティは泣きそうな顔をして見送っていた。
あれから連れて来られた図書館で、 シャールは落ち着きも無くどうすべきかと取り乱していた。
だが時間が経つに連れて、 少しずつ冷静さを取り戻していったようだ。
多少疲れているようには見えるが、 今は普段とさして変わりない。
ぽつぽつとリアクトと会話を始めて、 ふと気づいた。
「……ところで、 リアクト?」
「なあに?」
「デスターに謝りましたか?」
「……え? デスター? 居たの」
「……居ましたよ」
落ち着きを取り戻した途端に、 いつもと同じようにリアクトを呆れたように見詰めた。
「そう言えば、 何か突き飛ばしたような……」
主の部屋に入る為に力を使ってぼろぼろになったデスターだったが、 駆けつけたリアクトにダメージを負わされ。
あまつ放置されたお陰で、 機嫌が悪いなんて次元では無かった。
今図書館には彼の姿は無いが、 同じ空間に居ても気配がざわつくなんてかつて無い事だ。
「僕は今から、 デスターにお礼を言いに行きます」
「……」
「リアクトは、 どうしますか?」
「行く」
「じゃあ、 急ぎましょう。 ……今は、 皆で対策を考える時だし。 マスターにも伝えなくちゃいけません」
力を回復してやらない事にはろくに動ける筈も無い。
ばつが悪そうなリアクトを連れて、 シャールはデスターの元に向かうことにした。
痛い、 と、 聞こえた気がして。
気がついたら、 此処に居た。
「……また、 お前か」
此処には来た事がある気がして考えてみる。
ああ、 多分いつかの場所だと思った。
声のする方に目を向ける。
部屋の隅。
黒っぽい影でしか見えないけれど、 弱っているようだった。
「何の用だ」
声はきちんと聞こえる。
冷たいような、 きつい感じの声が響く。
空間も、 前ほど穏やかではない。
何かざわついているような。
気が立っている?
なら、 落ち着かせないと。
「用が無いなら、 さっさと帰れ」
夢、 では無い気がした。
ぶっきらぼうに言い放つその影に向かって、 手を伸ばす。
きっと触れる事が出来る。
前も、 触れた気がする。
「……」
妙な確信があって、 伸ばした手を、 多分頭だろうと思われる場所に。
撫でる感触が伝わる。
ほら、 触れた。
出来たらそれで満足だったので、 言われた通り帰ることにする。
といっても、 多分、 意識を集中しなければいい話。
オレの記憶は、 其処まで。
まだ日が高い、 アルミス国城下の街中で、 それは起こった。
「……きゃああぁああ!!」
悲鳴が上がる。
それは、 始まり。
「うわああああ!」
年齢も、 性別も。 人間、 エルフ関係ない。
悲鳴が上がり、 それから、 血がしぶく。
辺り一面が血で染まる。
騒動が起きてすぐ、 城下の警備に当たっていたアルミス国近衛隊一番隊が駆けつけた。
その中には、 隊長であるキールの姿も見えた。
彼は状況を見るなり、 隊員へと号令を飛ばす。
「生きている民間人の避難を最優先に!選抜は僕と一緒に、 原因追及。 行こう!」
選抜、 と言うのは、 特に選りすぐられた面子で構成された隊だ。
人命救助の為離れた隊を見送り、 キール率いる選抜の部隊は、 街中を歩いた。
血がブーツにこびりつき、 赤い足跡がそこらを埋める頃。
「みぃつケた」
そんな声が聞こえた。
低い、 音。
まるで、 地獄の底から聞こえてくるような、 狂気を孕んだ声だった。
「!?」
「まズは、 君からいコウか」
ぎぃん。
咄嗟に抜刀し、 剣で受け止めたのは大きな爪だった。
猫のようなそれは、 鋭利に光ってまるで鉄のような輝きだ。
「……っ!」
重たい一撃は、 キールの体に負荷を掛ける。
剣を伝い、 手はびりびりと痺れた。
「あらら、 受け止められてシマッタ」
残念そうに笑うそれは、 大きな黒い塊だった。
高さは二メートル有ろうかと言うサイズ。 横は、 成人男性が三人ほど並べばこのサイズになるか。
口元だけが白く、 にぃっと厭らしい笑みを浮かべる。
鋭い牙から滴るのは、 赤い血。
黒くて見えないが、 きっと体も同様に血で染まっている事だろう。
「強いね、 君」
「……それは、 どうも」
そのまま剣で爪を押し返し、 距離をとろうと後ろに下がる。
だが、 塊は意外としなやかな動きで距離を詰め、 また襲い掛かってくる。
「リテイト隊長!」
声を上げた隊員の姿を、 それが見た気がした。
「逃げろ!!!」
「遅いヨ」
まずい、 と思った時には、 隊員が居た場所に血飛沫があがっていた。
切り裂いた体から爪を引き抜き、 吐いた血を長い舌が舐め取る。
「人間の血、 まずくないケド、 女の子がイイナ」
くすくすと笑うそれ。
ぴちゃぴちゃと音がしていた。
そんな様子を見ながらキールが打ち震えていた。
「……黙れ!」
言うが早いか、 両手で剣を持ち切りかかる。
一気に間合いを詰め、 相手の背後から振り下ろす。
「おそいナア」
あっという間に後ろを取られたかと思うと、 背中に爪が襲い掛かる。
身を低く持ち、 直撃を免れながら、 振り返って剣で薙ぎ払う。
「……うわあ」
「!」
楽しそうに笑う口元。
背中から伝わるじわりとした痛みがキールを襲う。
一方、 キールの剣で切れた塊の、 人間で言う腹のあたりは向こう側が見えた。
「実体が……ないのか?」
「おお、 鋭イね。 正解デース」
爪がまた、 襲い掛かってくる。
それをかわし、 時には、 刃で受け止めながら攻防を続けた。
「……何故アルミスでこんな事を」
「宣戦布告ダよ」
「宣戦布告?」
「そうそう。 悪魔ビィ様からの、 宣戦布告。 アト、 ダークエルフ君の復讐?」
「……そんな事の為に、 こんな!」
「アルミスには、 私怨がアルんだよ。 だから、 見せしめも兼ねて」
「ふざけるな!」
低く取った体制から斬りかかった剣の切っ先が、 腕の辺りを薙ぐ。
ぼとりと落ちたのは、 布切ればかりで、 先ほど同様中身は無いわけだが。
楽しそうに笑っていた塊の口元は、 初めて「あ」と形を変えた。
「いけない、 そろそろ行かなくては」
「……」
「目標達成。 今日は帰るネ。 えーと……隊長サン、 名前は?」
「……リテイト」
「そう。 リテイトくん。 私は、 ビィ。 次、 あったら、 実体で相手をしよう」
「……」
「君殺ルから、 腕あげてネ」
そう言い放ち、 それは跡形も無く消えた。
呆然と見ていたキールは、 剣を持つ手を下ろし、 改めて周囲を見た。
無差別にただ、 殺された。
「……ごめん」
切り裂かれ血まみれになった死体に謝り、 彼は涙を流した。
言う声は、 血の臭いと共に強い風に吹かれてかき消されたのだった。
デスターの自室に向かうと、 扉を開けたところすぐでへたり込んでいたが……それだけだった。
案外と見た目は元気そうである。
「デスター」
「……デスター?」
シャールとリアクトが交互に呼びかけてみるが、 ぴくりとも動かない。
心配してシャールが少し肩に触れると、 デスターは今度は大げさなまでにびくっと体を振るわせた。
しかも、 ほんの少しだけだが顔が赤い。
本当に、 ほんの少しだけ。
「……デスター? 大丈夫?」
「あ、 ああああ、 だ、 大丈夫だ」
「大丈夫じゃないわ、 物凄く可笑しい」
「可笑しくない」
「いや、 だって。 長い付き合いだけど……初めて見るわよ、 そんなリアクション」
訝しげに見つめるリアクトに、 大丈夫と繰り返し、 少しだけ呼吸を整えて彼は言った。
二人は不思議そうに見詰め合ってみるが、 デスターが復活を果たすのは早かった。
「ちょっと、 イレギュラーな事があって動揺してただけだ」
「……へえ」
「デスター?」
「うん?」
「傷が癒えるのが随分早いですね」
「……そんなこと無い!」
と、 言うが。 実際服だけが少し切れていて、 体に傷は無いように見受けられた。
傷と言うのは彼らの場合、 魔力値に比例する。
大怪我を負ったように見える時は、 力を使いすぎ魔力値が低くなっている時だ。
創造主達の部屋を開けるためにダメージを負っていたはずのデスターの体は、 今は、 健康そのもの。
必死に否定するのが不自然極まりなかったが、 シャールは其処はあえて突っ込まない事に決めたらしい。
「まあ、 回復したのなら良いんですが。 あと……デスター」
「なんだ?」
「さっきは有難う」
「ああ」
にこりと笑うシャールに対し、 非常に気まずそうにデスターが視線を彷徨わせる。
どうも照れているようだ。
「デスター。 さっきは御免ね」
「……」
「……ちょっとやり過ぎたなって反省してます」
「……次からは、 もうちょっと周り見てから何かしてくれよ……。 身が持たねぇから」
「はあい」
「……ほんっとに反省してんのかよ、 お前」
「してるわよ、 失礼ね!」
「二人とも、 喧嘩は後にしてください。 ……これから、 なのですが」
シャールは、 ざっと自身の考えを二人に伝える。
気は動転していた様だが、 それはそれらしい。
けれども、 デスターには気がかりな事もあった。
さっき彼が言った『イレギュラー』についてだ。
珍しい事がこうも立て続けに起こっている以上、 起きた事は些細かも知れないそれが、 彼には気になる。
あれはもう、 干渉なんてレベルでは無いと言うのだ。
だが、 デスターはそれを言うまいかどうか悩んで、 結局辞めた。
『正式に対面する日が来る』そう、 いつか聞いたからだ。
間もなく来る予感だけを残して、 これからについての話し合いを開始した。
戦いは嫌いだ。
最初は、 家族を。 次は師を。
今度は、 何を奪う?
折角、 居場所を得たと言うのに……。
今度は、 私から何を奪っていくというの……?
「……お前、 何をしている」
冷たい声音は、 ヴァルトのもの。
言い放たれた先には、 床に膝を抱えて座っているビィの姿があった。
頭と顔の半分だけに巻かれていた包帯が、 右腕と腹にも増えていた。
「いやあ、 ちょっと人間と遊んであげたら怪我しちゃいました」
「……は?」
「使い魔達に混ざって、 分身を送ってみたんですけどね」
「失敗した訳か」
「ちゃんと、 仕事はしてきましたよ?」
「……へえ」
「信じてないでしょう」
「信じろって方が無理があるだろ」
「まあ、 アルミスは軽く損害与えてきましたから。 ご安心下さい」
ビィが座っているあたりの床に描かれた魔法陣が、 鈍く輝く。
いじける様に背中を向けると、 また膝を抱えてしまう。
「……あ、 次は何処か他の国を適当にやっておきますか?」
「……まあ、 任せる。 俺は悪役になれば良いだけなのだろう?精精、 名を広めて来い」
「りょーかい」
ふふ、 と一人笑うビィの様子を無視して、 ヴァルトは部屋を後にした。
もうすぐ、 夜がやってくる。
開戦宣告だとざわついていた街だが、 こんな日でもやはりわいわいと食事所は賑わう様だった。
旅人向けの施設の様だったが、 ほんの少しでも酔っ払いも見かける。
まだ、 平和な証拠だ。
そんな中、 アジェルは足早に宿に向かっていた。
いつに無く苛々した様子で、 目付きも普段より何倍も鋭い。
けれども、 宿の部屋に入る前にはそれを正す。
深呼吸を繰り返し、 自身の顔を両手でぱんぱんと叩く。
キラに心配をかけまいとする一心での事であったが、 今の彼女に平常心をキープする自信は無かった。
「……ちょっとお話聞いて貰おうかな……」
ぽつりとそうは言うものの、 扉に手をかけ中に入る瞬間いつもの笑顔を作りあげる。
だが、 部屋は薄暗い。
「あれ?」
出掛けているのかと思ったが、 すうすうと眠っているのを確認し、 息を吐いた。
暗がりの中、 すとんと空いているベッドに腰を下ろす。
すると、 タイミングよくキラが目を覚ました。
「あ、 おはよ……?」
「うん……おはよう」
ふああ、 と欠伸をするキラを見つつ、 サイドボードの上にあるランプに灯りを入れる。
部屋が明るくなったのを見て、 改めてアジェルがキラの方を見ると、 何か違和感を感じた。
「……キラ、 どうしたの?」
「え?」
ずっと眠っていたのだろうが、 その目には隈が出来ていて。
しかも若干泣いた跡すら見受けられる。
「何かあった?」
「いや? ……夢見てた」
ごしごしと手の甲で目の辺りを拭う。
言う声は元気なので、 あまり深く追求することはしないようにした。
だが、 そんなアジェルにキラは逆に尋ねる。
「アジェルは、 何かあったみたいだな」
きょとんとして、 アジェルがキラを見た。
気がつけば、 キラは座るアジェルの前に立つと顔を覗き込んでくる。
加えて、 ぽんぽんと頭を撫でながら、 ちょっとだけ笑ってみせた。
「お疲れ様」
「……」
途端、 アジェルの作っていた笑顔が崩壊した。
文字通り、 ぼろぼろと涙を零す。
「え。 ……ええ?」
慌てるキラに構う事無く、 腰の辺りにぎゅうっと抱きつきただ涙を流した。
突然の事態にあたふたしたが、 キラは結局、 泣き止むまで頭を撫で続けてやることにした。
エルフの聖域と呼ばれる森の中に、 四大元素の精霊が集まっていた。
静かな森の中、 見た目も服装もバラバラな四人はどうにも浮いて見えた。
フェイはどこぞのランプの精霊宜しく、 肌の露出が多い。
燃えるような赤い髪は短いのに、 とてもよく映えて居た。
彼に並んで立つウインドは大木の下に。
彼女は小さく小柄だが、 顔つきが厳しい。 麗人と言っても良いだろう。
軍人が着るような詰襟の上着に、 パンツルック。 腰にはレイピアを携える。
サイドだけを少し伸ばした髪は緑色で、 彼女は森の中に紛れていける様であった。
その向かいには、 茶色の髪をしたこれまた長身の青年が立っている。
こちらは狩人の様な格好。 身軽そうな出で立ちである。
優しげに笑う目には、 銀色の縁どりの眼鏡を掛けていた。
彼の更に奥には、 薄いブルーの髪色の女が立っていた。
胸元の空いた服は足元まで届き、 引き摺る様な長さ。
丁度着物を着崩せばこんな形になるだろうか。
帯は真っ黒だがキラキラと輝き、 フェイとは違う意味でこの場所で浮いている。
彼女は腰に届きそうな長い髪を二つに分け、 胸の前に垂らしていた。
顔つきは女性らしく大きな目が特徴であるが、 どうにも不機嫌そうである。
「で、 どうするのよ」
来るなり、 そう言い放った彼女を不愉快そうにフェイが見つめていた。
「……んだよ、 お前。 毎回毎回、 集まる度に上から目線でさ、 むかつくんだよ」
「はあ? 呼びつけられて来てやってるんだから。
当然、 もう今後の行動は決まってるんでしょって聞いただけじゃない」
「話し合う為に呼んだに決まってんだろ」
「やあね。 やっぱりウォルさんが居ないと駄目なのね~」
「……お前なんか居なくても、 大丈夫だよ!!」
「なんですって!」
徐々に二人の間が狭まり、 それと比例するように空気は悪くなる。
ウォル、 と自身で呼んだ女は、 フェイとこうしてやり取りするのは茶飯事である。
ばちばちと火花が散りそうな勢いの二人の間に割って入り、 茶髪の青年アースは笑った。
「まあまあ。 フェイもウォルも、 久しぶりに揃ったんだから、 そう喧嘩腰で構えないで」
「……お前等が揃うと、 やはり煩いな」
ウインドだけは、 涼しげな顔をして彼等のやりとりを見ていた。
「アース。 そいつら黙らせろ」
「了解。 さ、 二人とも良い子だから大人しくしようね?」
拗ねた二人の間にアースが入り、 三人でウインドの前に並んで座る。
ウインドは座るのを待って、 話を始めた。
「ルディア様のお声は、 皆聞いたな?」
皆が首を縦に振る。
「こちらの世界は、 間もなく戦争が始まるそうだ。 それが紡がれた夢ならば、 私達に拒否権はないだろう」
「……なんなのよ、 前置きはいいからさっさと本題に入りなさいよ」
「まあ、 慌てるな」
苛々とウォルがし始めると、 フェイがちらりとそちらを見る。
また喧嘩が始まるか、 と言うところで、 ウインドが睨み付ける。
視線を感じたのかフェイは黙り、 発展は免れた様だった。
「だが、 前回を思い出してみろ。 お二人が眠りにつかれる前。 ライアが死んだと知らせを受けたお二人は酷く悲しんでおられただろう? 今回も、 きっと夢どおりに行くとそうなると思うんだ」
「……で、 ウインドはどうしたい訳?」
問われて、 彼女は言い放つ。
「夢を覆したい」
それは、 創造主の夢が紡がれていくのを見守る任を背負った者として、 有るまじき宣言。
だが、 アースはその意見に賛成だと言わんばかりに頷いてみせる。
「そうだね。 僕もそれが良いと思う」
「……なんでそう思うんだよ」
「そうよ。 あたし達は主様達の夢を守る者よ?逆らってどうするのよ」
「では、 フェイ。 ウォル。 逆に問うが、 お前達は主様が嫌がる夢を、 形にしようと言うのか?」
「それは……」
言いよどむウォル。 それを見つめるウインドの目が、 真っ直ぐに射抜く。
ウインドの言葉を引き継ぐ格好で、 今度はアースが話し始めた。
「主様達は、 いつも幸せな夢を見たいと言っていた。 戦争ばかりがこう頻繁におきるのは、 多分、 お二人にとっても予想外と言うか……。 きっと本意では無いと思うんだよね。 だから、 主様達には幸せな夢を紡いで頂きたいじゃないか。 そう僕は思うし、 ……ウインドもそんな感じかな?」
にこりと優しげに笑って、 アースはウインドに話を振る。
「……まあな」
小さく頷くウインドに満足して、 今度はウォルに視線をやった。
彼女は、 少し困惑気味だったが、 まだ納得はしていないようだ。
「じゃあさー。 俺等は結局どうすりゃ良いんだよ」
既に話に飽きているフェイがぶっきら棒に聞くと、 ウォルが溜息を吐く。
彼女も若干面倒くさくなって来ている様だ。
「それなんだが。 要は戦いの矢面に立つ人物が強ければ問題ないわけだ」
「……え、 ウインド、 それは極論じゃ」
「私の意見だ。 反論は後で聞く」
「…………」
アースの反論も封じ、 ウインドが話を続けた。
最早独壇場だ。
「前の戦争でライアがそのポジションに居ただろう? 多分、 今回はアジェルが来ると思う」
「順当に行けばそうなるでしょうね」
「……わざわざ言わなくてもそうだろ」
「何その言い方」
「だから、 喧嘩しないで」
二人を宥めながら、 アースはウインドの言葉を待った。
「アジェルに、 強くなって貰わないか? もしくは、 近くに居る者に力を授けよう」
「……あたし、 あの子がこれ以上強くなるの無理だと思うわ。 崩壊するわよ」
ぽつりと言った言葉を受け止め、 暫し沈黙が訪れた。
これを壊したのもまた、 ウインドである。
「ではやはり、 力を持つ者を増やせば良い」
「マスターを増やすって事かい? ……ウインド。 それも、 あまり良い策とは」
「煩い。 大丈夫だ」
「その自信は何処からくんだよ」
「そうよ。 大体、 私はアジェルと契約してるってだけでも嫌なのに、 なんでまた他の奴と」
「……っていうか、 俺ら歴代マスターはいつも一人だろ? 二人とか無理なんじゃねーの?」
「ほんとだ! ねえ、 ウインド! その辺りはどう対処……」
はっと、 視線を感じて二人は初めてウインドの目が変わった事に気づいた。
アースは既に二人から少し離れて距離をとっている。
ウインドが怒りに肩を震わせている。
やばい。 そう感じた二人は、 即座に謝って事なきを得た。
「……お前らは、 騒がないと話が出来んのか」
「……」
「……ウインド。 取り合えず、 続きを」
「ああ」
「僕らは大人しく聞いてるから、 ね。 心置きなくどうぞ」
「……。 ……大分逸れてしまったが。 要するにだ。 戦いが起こるなら、 元凶を正せば良い。 こうも毎回主様達の夢が悪夢に変わるのはおかしくないか? 私は、 必ず原因があると踏んでいる。 だが、 私達は厳密には直接手も出せん。 さっきウォルが言ったように、 私達は主様達の夢を守る者だ。 主様達の夢を私達が覆す事が出来ない。 だから、 覆せそうな人材を育てるんだ」
「それが、 アジェルなの? あれ以上強く出来る? 器に限界が生じると思うけど……」
「仮にな。 既に私達と契約している、 と言う点で、 挙げたに過ぎない。 もっと相応しい者が居るかは、 私達だけでは決められんから断定は出来ないが」
「だから、 マスターを増やすって案?」
「そんな事が可能か分からないが、 この案が通ればおのずと方向性も見えるだろう」
「ふぅん」
ウォルの方は大体これで話は良い様だった。
フェイはやはり殆ど話しに参加せず、 聞く専門だと言わんばかりの態度を取っていた。
「……それ、 シャール達にはこれから話を通すんだよね、 勿論」
「当然だ。 だから、 お前達と話し合いがしたかったんだ。 意見を纏めておかないと、 向こうも大変だろうしな」
それは暗に、 シャールを労う意味合いが込められているようだった。
「で、 どう思う?」
尋ねるウインドに、 皆は合意度に差こそあれ、 概ね賛成、 と言うことで意見は纏められた。




