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呪いの手  作者: 春野天使
2/2

後編

 一磨はなかなかお堂から出てこなかった。ほんの数十秒が何時間にも感じられる。

「一磨君」

 美菜は意を決し、お堂の扉に手をかけた。だが、古びた木の扉は予想以上に重くて開かない。

「一磨君!」

 美菜は全身の力をこめて、扉を引いた。やがて、ギギギィと軋んだ音を立て、扉はゆっくりと開いた。

「一磨君!」

 美菜は叫び、真っ暗なお堂を見渡した。ほんの三畳ほどの小さなお堂の真ん中に、一磨は正座で座っていた。手には小さな箱を持ち、魂の抜けたような顔をしてぼんやりと座っている。目は虚ろで焦点が定まっていなかった。

「一磨君、どうしたの!?」

 美菜の声で、ようやく我に返った一磨は、ゆっくりと美菜の方へ顔を向けた。

「それって、もしかして……」

 美菜は一磨が両手で持っていた箱に目をやる。長方形の薄汚れた箱。あれは、『呪いの手』!

「これのこと?」

 一磨は薄く笑うと、美菜の方に箱を掲げた。

「やだ!」

 美菜はとっさに目を瞑り、箱から顔をそむける。

「美菜ちゃん、大丈夫だよ。箱の中には何も入ってないんだ」

 一磨のいつもの笑い声を聞き、美菜は恐る恐る目を開ける。一磨は箱の蓋を開け、美菜に空っぽの箱を見せた。

「『呪いの手』なんか入ってなかった。やっぱりあんなの作り話だったんだね」

 一磨はつまらなさそうにそう言うと、箱を無造作にその場に置いた。

「本当に何も入ってなかったの……?」

「そうさ、誰かが持っていったのかもしれないけどね」

 一磨は箱を一瞥すると立ち上がった。

「……」

 美菜はホッとするが、空の箱が妙に気になった。

──もしかして、鬼が手を取り戻しに来たんじゃない?

 空っぽの箱を見て、美菜は逆に不安になる。

「美菜ちゃん、もう帰ろう。雨降ってきそうだし、みんなが心配してるかもしれない」 そんな美菜とは対照的に、一磨はもうすっかり『呪いの手』のことなど忘れ、お堂を出ていく。

「……うん」

 美菜は空っぽの箱を残し、お堂の扉を閉めた。開ける時はあんなに重かった扉が、嘘のように軽く閉まった。

「美菜ちゃん、川まで競争だよ!」

 一磨の明るい声が響く。美菜は不思議に思いながらも、走って一磨の後を駆けていく。 ピカッと、また稲妻が光った。美菜は反射的に麦わら帽子を押さえる。

「一磨君、待って!」

 ゴロゴロと雷がとどろき、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。先に石段を駆け下りていく一磨を、美菜は必死で追いかけた。空は黒い雲で真っ暗になっている。

と、その時、美菜は何か背中に視線を感じ、ビクッとして立ち止まった。

──誰!?

 鋭いナイフで突き刺されたような痛みを、美菜は背中に感じる。

──誰かが見てる!

 悲鳴をあげそうになるのを必死で堪え、恐る恐る美菜はふり返る。だが、後ろには薄暗いお堂がぼんやりと見えるだけ。そこには誰もいなかった。どんどん先を走って行く一磨の姿が小さくなる。

 ポツポツ降っていた雨が、急に大降りになり、美菜の麦わら帽子を叩きつける。帽子を押さえたまま、美菜が石段を駆け下りようとした時、

『手・は・取・り・返・し・た』

 ゴロゴロという雷の音に混じって、不気味な低い声が美菜の耳に響いてきた。

「キャー!!」

 美菜は大声を上げ、転げるように雨に濡れる石の階段を下りて行った。



 『呪いの手』を見た者は、三日後に死ぬ。

 神社から帰った夜、美菜は高熱を出して寝込んだ。熱にうなされながらも、美菜はずっと一磨のことを心配していた。

──一磨君は、鬼の手なんか見てない! 箱の中は空っぽだったもん! 一磨君は大丈夫!

 美菜は必死で自分に言い聞かせたが、神社からの帰りに聞いた不気味な声と鋭い視線は、何度も何度も夢にまで見て、美菜を苦しめた。一磨は鬼の手の入った箱を開けた。その時、鬼が現れて手を持っていったのかもしれない。一磨君は鬼に殺される!

 不吉な思いが、美菜の頭の中をかけめぐる。

 美菜は数日間、熱にうなされていた。

 しかし、美菜の熱が下がった日の朝。美菜の心配は熱とともに消え去っていった。

「美菜ちゃん、大丈夫?」

 布団の中で目を開けた時、そこに元気な一磨の笑顔があった。

「一磨君!」

 美菜は掛け布団をはねのけて起きあがった。

「今日は、今日は何日!?」

 美菜はカレンダーを探して、キョロキョロと部屋を見回す。

「八月十五日。美菜ちゃん、ずっと熱にうなされてたんだよ。みんなすごく心配してたんだ」

「八月十五日……?」

 一磨と鬼神神社に行ったのは、十日。あれから五日経っている。美菜の顔がパッと明るくなる。

「良かった! あたし、一磨君のことずっと心配してたの!」

 鬼の呪いはなかった! 一磨は元気に生きている! きょとんとしている一磨を見ながら、美菜は声を立てて笑った。


 それからの残りの夏休み、美菜は一磨や理恵達と元気に遊んで過ごした。一磨の様子に変化はなく、前以上に元気なくらいだ。ただ、あの日以来、一磨も美菜も『鬼神神社』には近寄らなくなった。『呪いの手』はなかったと分かり、一磨も興味をなくしたようだ。

 二週間はアッという間に過ぎていき、美菜が家に帰る日がおとずれた。祖父母も理恵も来年も遊びに来てね、と言ってくれたけど、多分もう当分この町に来ることはない……父親とともに、一両編成の電車に乗り込みながら美菜はそう感じた。これからは、父に会うこともあまりなくなるのだ。そして、一磨にも……。

 俯きながら美菜が電車に乗り込んだ時、

「美菜ちゃーん!」

 美菜の名前を叫びながら、一磨がプラットホームに駆けてきた。

「一磨君」

 美菜はふり返る。昨日の晩、理恵の家で食事会をし、一磨や他の友達たちにはお別れをした。今日一磨に会えるとは思っていなかった。大きく手を振る一磨の笑顔を見ていると、また涙が零れそうになった。

「元気でね! バイバイ!」

 美菜と一磨の間で電車のドアがゆっくりと閉まる。

「バイバイ……一磨君」

 涙を堪えて美菜はドアにもたれかかった。外は焼けるような太陽と雲一つない青い空。手を振る一磨の濃い影が、プラットホームに映って見えた。

「……!!」

 その一磨の影を見て、美菜は悲鳴をあげそうになった。明るい笑顔で美菜に手を振る一磨。しかし、その影は一磨の姿ではなく……二本の鋭い角のはえた厳めしい鬼の姿をしていた。

 美菜は目を見開いたまま一磨を凝視する。声を出そうとしても声が出ない。

──鬼!? 一磨君が鬼になった!

 違う! そんな訳ない。美菜はもう一度一磨の影を確認しようとしたが、電車が静かに動きだし、影は見えなくなった。やがて、にこやかに笑う一磨を残し、電車はプラットホームから離れていった。



 あの時の一磨の姿は、今でも美菜の目に焼き付いている。

 美菜は、『鬼神神社』の鳥居をくくり、お堂に続く石段をゆっくりと上って行った。ここに来るのは、一磨と『呪いの手』を見に行った日以来だ。

 鬼の影をもった一磨がその後どう過ごしたか、美菜はよく知らなかった。もしかしたら、あの影は美菜の錯覚だったのかもしれない。理恵の話では、一磨は美菜が帰った後も元気に過ごしていたという。

 だが、一磨は美菜とプラットホームで別れて半年後、この神社の石段から落下して亡くなった。一磨の遺体が発見されたのは、早朝のことだったという。どうやら一磨は夜中に家を抜け出し、神社に向かったらしい。

 一磨の死は、理恵の手紙で知らされた。美菜はその事実に衝撃を受けたが、町を訪ねる勇気はなかった。それから十数年。大学を卒業して就職した美菜は、お盆休みにふと思いついて祖父母の家に遊びに来たのだった。


 石段を上り終えると、本堂が姿を現した。昔と変わらない古びた本堂。そして、その脇には例の小さなお堂があった。美菜は小さなお堂を見て、ゾクッと身震いした。

──やっぱり来るんじゃなかった……ここは来ては行けない場所なのかもしれない。

 頭上では、夏の太陽が照りつけているのに、ここは薄暗くて冷え冷えとする。だが、美菜はどうしてももう一度この場所に来てみたかった。

──ここは、一磨君が命を落とした場所だから……。

 もしかしたら、あの日、『呪いの手』を見に行った日に、既に一磨は命を落としていたのかもしれない。あの時、一磨は地獄に落ち鬼に魂を奪われたのではないか……?

 本堂まで続く飛び石を、美菜はあの日のように一つずつ跳んで渡ってみた。ヒールの靴は跳びにくい。だが、美菜は大人になり、あの時よりずっと身長も伸びていた。弾みをつけて跳ぶと楽に飛び移れる。

 だが、最後の飛び石に移ろうとした時、また苔に足を滑らせグラッとバランスを崩した。──落ちたら地獄から鬼の手が伸びてきて、美菜ちゃんの足を引っ張っていく。

 あの日の一磨の声を思い出し、美菜は必死でバランスを立て直したが、片足だけ石の外に出てしまった。サワサワと神社の木々が生温い風になびく。ヒグラシの悲しい鳴き声が頭上から響いてくる。

 美菜は、理恵から聞いた話をふと思い出す。

「一磨君、石段から落ちたのにほとんど怪我をしてなかったのよ。眠っているような安らかな顔をしてたから、石段から落ちたとは思わなかったんですって。でもね……両足にだけくっきりと赤いあざが残っていたらしいよ」

「赤い痣……?」

「うん。何かにひっかかれたような、手の形のような痣だったんだって。まるで、誰かに強く足を掴まれて跡が残ったみたいな」

「誰かに足を掴まれたような……?」

──それは、地獄の底から伸びてきた鬼の『呪いの手』!



『美菜ちゃんのせいだよ』

 揺れる木々のざわめきの音に混じって、美菜はあの日の一磨の声を聞いたような気がした。遠くで一磨の陽気な笑い声も聞こえてくる。

『美菜ちゃんのせいで僕は地獄に堕ちたんだ』

 美菜は耳を塞ぎ、その場にうずくまる。美菜のまわりにまとわりつくように、生温い風が吹き付ける。

──わざとじゃない! わざとじゃないの!

『美菜ちゃんのせいで僕は──』

 突然、嵐のような突風が吹き、土埃を巻き上げる。

「ごめんなさい! 一磨君!」

 美菜は声に出して叫んだ。突風の後、風はピタリと止む。と、静まりかえった神社に、ギギィという不気味な音が低く響く。小さなお堂の扉がひとりでに開いた。美菜は悲鳴をあげ、扉の開いたお堂を凝視した。

『僕・は・鬼・に・な・っ・た』

 幼い一磨の声は一変し、お堂の真っ暗闇の中からは、太く不気味な低い声が響いてきた……。  了











 読んで下さってありがとうございます! 八月になってからようやく書き始めた作品で、「夏ホラー」に参加出来るかどうかも不安でした…。予定していた洋物ホラーを変更して、古い神社にまつわる呪いの話にしました。割と近くにこの作品に出てくるような寂れた神社があり、そのイメージを参考にしました。

 猛暑の夏。少しでも涼しい気分になっていただけたらと思います。


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